は》ね出《だ》してみんな幹《から》の下《した》に潜《もぐ》り込《こ》んで畢《しま》ふ。三|人《にん》が一|遍《ぺん》大豆《だいづ》の幹《から》を踏《ふ》んで渡《わた》つたら幹《から》がぐつと落付《おちつ》いた。
おつぎは晝餐《ひる》の支度《したく》の茶《ちや》を沸《わか》した。三|人《にん》は食事《しよくじ》の後《あと》の口《くち》を鳴《な》らしながら戸口《とぐち》に出《で》てそれから栗《くり》の木《き》の陰《かげ》に暫《しばら》く蹲《うづく》まつた儘《まゝ》憩《いこ》うて居《ゐ》た。
「おや/\まあ、こつちの方《はう》はえゝこつたなあ、大豆《でえづ》でもかうだにとれて」おつたは小柄《こがら》な身體《からだ》を割合《わりあひ》に大股《おほまた》に運《はこ》んで妙《めう》な足拍手《あしびやうし》を取《と》りつゝ這入《はひ》つて來《き》た。勘次《かんじ》はちらと見《み》て栗《くり》の木《き》の幹《みき》を後《うしろ》にした儘《まゝ》俯向《うつむ》いて畢《しま》つた。おつたは更《さら》に介意《かいい》ないやうな態度《たいど》でずつと戸口《とぐち》へ行《い》つて、斜《なゝめ》に肩《かた》へ掛《か》けた風呂敷包《ふろしきづゝみ》をおろした。
「おゝ重《おも》たかつた」と少《すこ》し汗《あせ》ばんだ額《ひたひ》を手拭《てぬぐひ》でふきながら洋傘《かうもり》を仰向《あふむけ》に戸口《とぐち》へ置《お》いて、洋傘《かうもり》の中《なか》へ其《そ》の風呂敷包《ふろしきづゝみ》を置《お》いた。南《みなみ》の女房《にようばう》はおつたを見《み》て立《た》つた。
「おやまあ、暫《しば》らくでがしたね」とおつたは、先《さき》に世辭《せじ》をいうた。
「さういへばまあ、あつちの方《はう》は酷《ひで》え洪水《みづ》だつち噺《はなし》だつけがどうでござんしたね」女房《にようばう》は手拭《てぬぐひ》をとつていつた。
「噺《はなし》の外《ほか》でがさどうも、彼此《かれこ》れはあ、小卅日《こさんじいんち》にも成《な》んべが、まあだかたでどつちから手《てえ》つけてえゝか分《わか》んねえんでがさどうもはあ、わし等《ら》方《はう》見《み》てえに洪水《みづ》ばかし出《で》たんぢや、居《ゐ》んのも厭《や》んなつちまあやうなのせ本當《ほんたう》に、さう云《ゆ》つてもこつちの方《はう》はようがすね」おつたは相手《あひて》を見《み》つけて力《ちから》を得《え》たやうにいつた。
「此《こ》んでもまさか、此《こ》の村落《むら》だつて隨分《ずいぶん》かぶつた處《ところ》も有《あ》んだから全然《まるつきり》なんともねえつちこともねえがねえ」南《みなみ》の女房《にようばう》は聲《こゑ》を低《ひく》くしていつた。
「そんでも此處《こゝ》らぢや居《ゐ》る處《とこ》にや支障《さはり》ねえんだからなんちつても諦《あきら》めはようがさね、わし等《ら》方《はう》なんぞぢや、土手《どて》へ筵圍《むしろがこ》ひしてやつとこせ凌《しの》いだものなんぼ有《あ》つたかせ、土手《どて》に居《ゐ》ても雨《あめ》せえなけりやえゝが、降《ふ》られちや酷《ひで》えつち噺《はなし》でがしたよ、そんでもまあわし等《らあ》、家《うち》に居《え》られんな居《え》られたんだからまあ同《おな》じにもようがしたのせ、そんでも床《ゆか》の上《うへ》へ四|斗樽《とだる》かう倒《さかさ》にして置《お》えてね、其《その》上《うへ》へ板《いた》渡《わた》してやつとまあ居通《ゐとほ》しあんしたがね、煮燒《にやき》すんのもやつとこせで、隣近所《となりきんじよ》は有《あ》つたつて往《い》つたり來《き》たりすんぢやなし、何程《なんぼ》心細《こゝろぼせ》えか分《わか》んねえもんですよ、尤《もつと》もこれ、死《し》ぬ者《もの》せえあんだから斯《か》うして居《え》られんな難有《ありがて》え樣《やう》なもんぢやあるが、そんでも四|斗樽《とだる》の太《ふて》え箍《たが》ん處《ところ》むぐつた時《とき》や、夜《よる》横《よこ》に成《な》つて見《み》たつて直《ぢき》耳《みゝ》の側《そば》でさら/\つとかう水《みづ》が動《うご》いてんだから、放心《うつかり》眠《ねむ》つたらそつくり持《も》つてかれつかどうだか分《わか》んねえと思《おも》つてね、ぼつちりともはあ云《ゆ》はんねえで居《ゐ》たのせえ、
それから板《いた》の端《はじ》ん處《とこ》からそろつと手《てえ》出《だ》して見《み》つと宵《よひ》の口《くち》にやさうでもねえのがひやつと手《て》の先《さき》が直《す》ぐ水《みづ》へ觸《さあ》つた時《とき》にや悚然《ぞつ》とする樣《やう》でがしたよ、それからはあ船《ふね》は枕元《まくらもと》へ繋《つな》いでたんだが、本當《ほんたう》に枕元《まくらもと》なのせえ、みんなして凝《こゞ》つて狹《せめ》えつたつて窮屈《きうくつ》だつてやつと居《ゐ》る丈《だけ》なんだから、天井《てんじやう》へは頭《あたま》打《ぶ》つゝかり相《さう》で生命《いのち》でも何《なん》でも蹙《ちゞ》めらつる樣《やう》なおもひでさ、そんでもまあ到頭《たうとう》遁《に》げもしねえで居《ゐ》らつたんだから、家《うち》でも持《も》つてかれたものからぢや運《うん》がえゝのせえ、まあ晝間《ひるま》はなんちつても方々《はう/″\》見《め》えてえゝが、夜《よる》がなんぼにも小凄《こすご》くつてねえ」おつたは自分《じぶん》の怖《おそ》ろしかつた經驗《けいけん》を聞《き》いてくれるのを悦《よろこ》ぶやうに語《かた》り續《つゞ》けるのであつた。
「そんでまあ、それもえゝが蛙《けえる》だの蛇《へび》だのが來《き》てね、蛙《けえる》はなんだが蛇《へび》がなんぼにも厭《いや》ではあ、棒《ぼう》で引《ひ》つ掛《か》けて遠《とほ》くの方《はう》へ打《ぶ》ん投《な》げて見《み》ても、執念深《しふねんぶけ》えつちのか又《また》ぞよ/\泳《およ》いで來《き》て、それも夜《よる》がねえ萬一《もしも》のことが有《あ》つちやと思《おも》ふもんだから明《あか》り點《つ》けてたんだが其《そ》の所爲《せゐ》か餘計《よけい》に來《く》る樣《やう》で、薄《うす》つ闇《くれ》え明《あか》りだからぢつき側《そば》へ來《き》てからでなくつちや分《わか》んねえし、首《くび》擡《もちや》げてんの見《み》ちや本當《ほんたう》に厭《や》でねえ」おつたは幾《いく》らいつても竭《つ》きない當時《たうじ》を髣髴《はうふつ》せしめようとする容子《ようす》でいつた。
栗《くり》の木《き》の陰《かげ》に居《ゐ》た勘次《かんじ》はだん/\と幾《いく》らづゝでも洪水《こうずゐ》の噺《はなし》に興味《きようみ》を感《かん》じても來《き》たし、それから假令《たとひ》どうでも尋《たづ》ねて來《き》た※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1−85−57]のつくり」、299−10]《あね》に挨拶《あいさつ》もせぬのは他人《たにん》の手前《てまへ》が許容《ゆる》さないので漸《やうや》く立《た》つて
「※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1−85−57]のつくり」、299−11]等《あねら》も隨分《ずゐぶん》ひでえ目《め》に遭《あつ》たんだな」彼《かれ》はいひながら家《いへ》の内《うち》へおつたを導《みちび》いた。大豆《だいづ》の埃《ほこり》を厭《いと》うて雨戸《あまど》は閉《し》め切《き》つてあつたので、大戸《おほど》を一|杯《ぱい》に開《あ》けても内《うち》は少《すこ》し闇《くら》く且《かつ》暑《あつ》かつた。おつぎは先頃《さきごろ》の樣《やう》に直《すぐ》に竈《かまど》を焚《た》いて柄杓《ひしやく》で二三|杯《ばい》の水《みづ》を茶釜《ちやがま》へ注《さ》した。
「なんちつても、かうえ豆《まめ》とれるなんておめえ等《ら》方《はう》はえゝのよなあ、俺《お》ら方《はう》ぢや土手《どて》の近《ちか》くで手《て》の有《あ》るもなあ、田《た》の畦豆《くろまめ》引《ひ》つこ拔《ぬ》えて土手《どて》の中《ちう》ツ腹《ぱら》へ干《ほ》しちや見《み》た樣《やう》だが、まあだなんちつても莢《さや》が本當《ほんたう》に膨《ふく》れねえんだから、ほんの豆《まめ》の形《かたち》したつち位《くれえ》なもんだべな、そりやさうと此《こ》の豆《まめ》はえゝ豆《まめ》だな、甘相《うまさう》でなあ」おつたは閾《しきゐ》を跨《また》いで手先《てさき》の豆《まめ》を少《すこ》し攫《つか》んで見《み》ていつた。それからおつたは洋傘《かさ》と一つに置《お》いた先刻《さつき》の風呂敷包《ふろしきづゝみ》を持《も》ち込《こ》んでさうして又《また》臀《しり》を据《す》ゑた。
「水《みづ》ん中《なか》に居《ゐ》ちや仕事《しごと》するにも仕事《しごと》はなしさなあ、それからみんな棒《ぼう》の先《さき》へ鈎《はり》くつゝけて魚釣《さかなつ》りしたのよ、庭《には》で幾《いく》らでも鮒《ふな》釣《つ》れるつちんだから知《し》らねえものが見《み》ちや酷《ひど》く困《こま》んねえ奴等《やつら》だと思《おも》ふ位《くれえ》なもんだんべのさ」おつたは一|杯《ぱい》の茶《ちや》を啜《すゝ》つて喉《のど》を濕《うるほ》した。おつぎも南《みなみ》の女房《にようばう》も眼《め》を据《す》ゑて默《だま》つて聞《き》いて居《ゐ》た。勘次《かんじ》は六《むづ》ヶ|敷《しい》顏《かほ》をして居《ゐ》ながらも熱心《ねつしん》に聞《き》いた。
「後《あと》が酷《ひど》くつてな、縁《えん》の下《した》でも何《なん》でも泥《えごみ》が一|杯《ぺえ》で、そえつあゝ掻《か》ん出《だ》せばえゝんだが床板《ゆかいた》が白《しら》つ黴《かび》に成《な》つちやつて此《こ》れがまだなか/\干《ひ》ねえから疊《たゝみ》なんざ何時《いつ》敷《し》つ込《こ》めるもんだか分《わか》んねえのさ、そんでまた田《た》でも畑《はたけ》でも引《ひ》つ被《かぶ》つた處《とこ》は水《みづ》干《ひ》てから腐《くさ》つてるもんだから其《そ》の臭《くせ》えことが又《また》噺《はなし》にやなんねえや、俺《お》ら作物《さくもつ》ばかし困《こま》んだと思《おも》つたら、畑《はたけ》の桐《きり》の木《き》でも樫《かし》の木《き》でも今《いま》ん成《な》つてからぼろ/\葉々《はつぱ》が落《おつ》こつちやつて可怖《おつかね》えもんだよ」おつたはいひながら風呂敷《ふろしき》を解《と》いた。やまと煮《に》と書《か》いた牛肉《ぎうにく》の鑵詰《くわんづめ》が三|本《ぼん》と菓子《くわし》でもあるかと思《おも》ふ小《ちひ》さな紙包《かみづゝみ》の堅《かた》めた食鹽《しよくえん》の四つ五つとが出《で》た。
「此《こ》れなあ、そんでも難有《ありがて》えことに、水浸《みづびたし》に成《な》つた家《いへ》さは役場《やくば》から一軒毎《えつけんごめら》に下《さ》げ渡《わた》しになつたんだよ、俺《お》らまたこつちの家《うち》なんぞぢやどうえ鹽梅《あんべえ》だと思《おも》つて暫《しばら》く外《ほか》へも出《で》たことねえもんだから出《で》ても見《み》てえし、かうえ物《もの》自分《じぶん》でばかし口《くち》開《あ》けつちやあのも何《なん》だと思《おも》つて持《もつ》て來《き》て見《み》たのよ、俺《お》ら一《ひと》つ手《てえ》つけて見《み》たが何程《なんぼ》えゝ味《あぢ》のもんだか知《し》んねえや」おつたは空《から》になつたかなり大《おほ》きな風呂敷《ふろしき》を幾《いく》つかに折《を》つた。
「おゝえや、たえしたもんだね、此《こ》れ鹽《しほ》だんべけまあ、見《み》てえたつて見《み》らつるもんぢやねえよ、かうえ物《もの》あねえ、能《よ》くまあ持《も》つて來《き》て勘次《かんじ》さん此《こ》ら大變《たいへん》だ」
南《みなみ》の女房《にようばう》は食鹽《しよくえん》の一|箇《こ》を手《て》にして見《み》ながら羨《うらや》ましげにいつた。おつぎも珍《めづ》らし相《さう》にして南《みなみ》の女房《にようばう》の手《て》を覗《のぞ》いた。勘次《か
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