でぐち》から一寸《ちよつと》顧《かへり》みていつた。さうしてさつさと行《い》つて畢《しま》つた。隣《となり》の庭《には》の麥打《むぎうち》の連中《れんぢう》は、靜《しづ》かになつたこちらの庭《には》を嘲《あざけ》るやうに騷《さわ》いでは又《また》騷《さわ》ぐのが聞《きこ》えた。勘次《かんじ》は只《ただ》力《ちから》を極《きは》めて蕎麥《そば》の幹《から》を打《う》つて遂《つひ》に一|言《ごん》も吐《は》かなかつた。おつぎは垣根《かきね》の上《うへ》に浮《うか》んだおつたの洋傘《かさ》が見《み》えなくなるまで暫《しばら》くぽつさりとして庭《には》に立《たつ》た。卯平《うへい》は煙管《きせる》を噛《か》んだ儘《まゝ》凝然《ぢつ》として默《だま》つて居《ゐ》た。卯平《うへい》は暫《しばら》くして鳳仙花《ほうせんくわ》の折《を》れたのを見《み》つけて井戸端《ゐどばた》へ立《た》つた。彼《かれ》はいきなり蕎麥幹《そばがら》の束《たば》を大《おほ》きな足《あし》で蹴《け》つた。彼《かれ》は更《さら》に短《みじか》い竹《たけ》の棒《ぼう》を持《も》つて行《い》つてきつと力《ちから》を極《き》めて地《ち》に突《つ》き透《とほ》した。垂《た》れた鳳仙花《ほうせんくわ》の枝《えだ》は竹《たけ》の杖《つゑ》に縛《しば》りつけようとして手《て》を觸《ふ》れたらぽろりと莖《くき》から離《はな》れて畢《しま》つた。卯平《うへい》は忌々敷相《いまいましさう》に打棄《うつちや》つた。卯平《うへい》がのつそりと大《おほ》きな躯幹《からだ》を立《た》てた傍《そば》に向日葵《ひまはり》は悉《ことごと》く日《ひ》に背《そむ》いて昂然《かうぜん》として立《た》つて居《ゐ》る。向日葵《ひまはり》は蕾《つぼみ》が非常《ひじやう》に膨《ふく》れて黄色《きいろ》に成《な》つてから卯平《うへい》が植《う》ゑたのであつた。其《そ》の時《とき》はもう蕾《つぼみ》はどうしても日《ひ》のいふこと聽《き》いて動《うが》かないので、暑《あつ》いさうして乾燥《かんさう》の烈《はげ》しい日《ひ》がそれを憎《にく》んで硬《こは》い下葉《したば》をがさ/\に枯《か》らした。それでも強《つよ》い莖《くき》はすつと立《た》つて、大抵《たいてい》はがつかりと暑《あつ》さに打《う》たれて居《ゐ》る草木《さうもく》の間《あひだ》に誇《ほこ》つたやうに見《み》えた。其《そ》の一|杯《ぱい》に開《ひら》いた皿《さら》の樣《やう》な花《はな》が庭先《にはさき》からいつでも冷《ひやゝ》かな三|人《にん》を嘲《あざけ》るものゝやうに見《み》えるのであつた。
竹《たけ》の棒《ぼう》はぎつと突《つ》き透《とほ》した儘《まゝ》いつまでも空《むな》しく鳳仙花《ほうせんくわ》の傍《そば》に立《た》つて居《ゐ》た。
二〇
秋《あき》だ。
孰《いづ》れの梢《こずゑ》も繁茂《はんも》する力《ちから》が其《そ》の極度《きよくど》に達《たつ》して其處《そこ》に凋落《てうらく》の俤《おもかげ》が微《かす》かに浮《うか》んだ。毎日《まいにち》透徹《とうてつ》した空《そら》をぢり/\と軋《きし》りながら高熱《かうねつ》を放射《はうしや》しつゝあつた日《ひ》も餘《あま》りに長《なが》い晝《ひる》の時間《じかん》に倦《う》まうとして、空《そら》からさうして地上《ちじやう》の凡《すべ》てが漸《やうや》く變調《へんてう》を呈《てい》した。心《こゝろ》もとなげな雲《くも》が簇々《むら/\》と南《みなみ》から駈《か》け走《はし》つて、其《その》度《たび》毎《ごと》に驟雨《しうう》をざあと斜《なゝめ》に注《そゝ》ぐ。雨《あめ》は畑《はた》の乾《かわ》いた土《つち》にまぶれて、軈《やが》て飛沫《しぶき》を作物《さくもつ》の下葉《したば》に蹴《け》つて、更《さら》に濁水《だくすゐ》が白《しろ》い泡《あわ》を乘《の》せつゝ低《ひく》きを求《もと》めて去《さ》つた。それも僅《わづか》に桑《くは》の木《き》へ絡《から》んだ晝顏《ひるがほ》の花《はな》に一|杯《ぱい》の量《りやう》を注《そゝ》いでは慌《あわ》てゝ疾驅《しつく》しつゝからりと熱《ねつ》した空《そら》が拭《ぬぐ》はれることも有《あ》るのであるが、驟雨《しうう》は後《あと》から後《あと》からと驅《か》つて來《く》るので曉《あかつき》の白《しら》まぬうちから麥《むぎ》を搗《つ》いて庭《には》一|杯《ぱい》に筵《むしろ》を干《ほし》た百姓《ひやくしやう》をどうかすると五月蠅《うるさ》く苛《いぢ》めた。土地《とち》でいふ其《そ》の降《ふ》つ掛《か》けは一|日《にち》で止《や》まねば三|日《か》とか五|日《か》とか必《かなら》ず奇數《きすう》の日《ひ》で畢《をは》つた。降《ふ》つ掛《か》けが來《き》てから瓜畑《うりばたけ》は悉《ことごと》く蔓《つる》も葉《は》も俄《にはか》にがら/\に枯《か》れて悲慘《みじめ》に成《な》つて畢《しま》つた。極《きは》めてそつと然《しか》も騷《さわ》がし相《さう》に動《うご》く雲《くも》が高《たか》く低《ひく》く反對《はんたい》の方向《はうかう》に交叉《かうさ》しつゝあるのを見《み》ると共《とも》に、枯燥《こさう》しかけた草木《くさき》の葉《は》が相《あひ》觸《ふ》れ相《あひ》打《う》つてはだん/\と破《やぶ》れつゝざわ/\と悲《かな》しげな響《ひゞき》を立《た》てゝ鳴《な》つた。凄《すご》い程《ほど》冴《さ》えた夜《よる》の空《そら》は忙《いそが》しげな雲《くも》が月《つき》を呑《の》んで直《すぐ》に後《うしろ》へ吐《は》き出《だ》し/\走《はし》つた。月《つき》は反對《はんたい》に遁《に》げつゝ走《はし》つた。秋風《あきかぜ》だ。櫟《くぬぎ》や楢《なら》や雜木《ざふき》や凡《すべ》てが節制《たしなみ》を失《うしな》つて悉《ことごと》く裏葉《うらは》も肌膚《はだ》も隱《かく》す隙《すき》がなくざあつと吹《ふ》かれて只《たゞ》騷《さわ》いだ。夜《よる》は寂《さび》しさに凡《すべ》ての梢《こずゑ》が相《あひ》耳語《さゝや》きつゝ餘計《よけい》に騷《さわ》いだ。まだ暑《あつ》い空氣《くうき》を冷《つめ》たくしつゝ豪雨《がうう》が更《さら》に幾日《いくにち》か草木《くさき》の葉《は》を苛《いぢ》めては降《ふ》つて/\又《また》降《ふ》つた。例年《れいねん》の如《ごと》き季節《きせつ》の洪水《こうずゐ》が残酷《ざんこく》に河川《かせん》の沿岸《えんがん》を舐《ねぶ》つた。洪水《こうずゐ》の去《さ》つた後《あと》は、丁度《ちやうど》過激《くわげき》な精神《せいしん》の疲勞《ひらう》から俄《にはか》に老衰《らうすゐ》した者《もの》の如《ごと》く、半死《はんし》の状態《じやうたい》を呈《てい》した草木《さうもく》は皆《みな》白髮《はくはつ》に變《へん》じて其《そ》の力《ちから》ない葉先《はさき》を秋風《あきかぜ》に吹《ふ》き靡《なび》かされた。鬼怒川《きぬがは》の土手《どて》に繁茂《はんも》した篠《しの》の根《ね》に纏《まつ》はつて居《ゐ》る短《みじか》い鴨跖草《つゆぐさ》も葉《は》から莖《くき》から泥《どろ》に塗《まみ》れて居《ゐ》ながら尚《なほ》生命《せいめい》を保《たも》ちつゝ日毎《ひごと》に憐《あは》れげな花《はな》をつけた。※[#「虫+車」、第3水準1−91−55]《こほろぎ》が滅入《めい》る樣《やう》に其《そ》の蔭《かげ》に鳴《な》いた。空《そら》を遙《はるか》に飛《と》んだ椋鳥《むくどり》の群《むれ》が幾《いく》つかに分《わか》れて、地上《ちじやう》に低《ひく》く騷《さわ》いでは梢《こずゑ》を求《もと》めてぎい/\と鳴《な》きつゝ落付《おちつ》かなかつた。到《いた》る處《ところ》荒《あ》れた藪《やぶ》の端《はし》や土手《どて》の瘠《や》せた篠《しの》の梢《こずゑ》に乘《の》り掛《かゝ》つて、之《これ》を噛《か》めば齒《は》がこぼれるといはれて居《ゐ》る毒《どく》な仙人草《せんにんさう》が其《そ》の手《て》を幾《いく》らでも延《のば》して思《おも》ひ切《き》つて蟠《わだかま》つた蔓《つる》が白《しろ》い花《はな》を一|杯《ぱい》につけて、さうして活々《いき/\》としたものは自分《じぶん》のみであることを誇《ほこ》るものゝ如《ごと》く、秋風《あきかぜ》に吹《ふ》かれつゝ白《しろ》い布《ぬの》の樣《やう》にふは/\と動《うご》いた。
勘次《かんじ》の村落《むら》は臺地《だいち》であるのと鬼怒川《きぬがは》の土手《どて》が篠《しの》の密生《みつせい》した根《ね》の力《ちから》を以《もつ》て僅《わづか》ながら崩壤《ほうくわい》する土《つち》を引《ひ》き止《と》めたので損害《そんがい》が輕《かる》く濟《す》んだ。それでも幾日《いくにち》か降《ふ》り續《つゞ》いた雨《あめ》が水《みづ》を蓄《たくは》へて低《ひく》い畑《はた》は暫《しばら》く乾《かわ》くことがなかつた。田《た》も其《そ》の水《みづ》の爲《ため》に浸《ひた》つた箇所《かしよ》が少《すくな》くなかつた。勘次《かんじ》は日《ひ》となく夜《よ》となく田畑《たはた》を歩《ある》いて只管《ひたすら》心《こゝろ》を惱《なや》ましたが、漸《やうや》く自分《じぶん》の田畑《たはた》の作物《さくもつ》が僅《わづか》な損害《そんがい》に畢《をは》つたことを慥《たしか》めた時《とき》は彼《かれ》は激甚《げきじん》な被害地《ひがいち》の状况《じやうきやう》を傳聞《でんぶん》して自分《じぶん》の寧《むし》ろ幸《さいはひ》であつたことを竊《ひそか》に悦《よろこ》んだ。彼《かれ》が大豆《だいづ》を引《ひ》いて庭《には》に運《はこ》んだ頃《ころ》はまだ暑《あつ》い日《ひ》が落付《おちつ》いて毬《いが》の割《わ》れ始《はじ》めた栗《くり》の木《き》の梢《こずゑ》から庭《には》をぢり/\と照《てら》して居《ゐ》た。根《ね》が幾日《いくにち》もぐつしりと水《みづ》に浸《ひた》つてた大豆《だいづ》は黄色味《きいろみ》の勝《か》つた褐色《ちやいろ》の莢《さや》も幹《から》も泥《どろ》で汚《よご》れた樣《やう》に黒《くろ》ずんで居《ゐ》た。
大豆《だいづ》を引《ひ》いたのはそれでも稀《まれ》な晴天《せいてん》であつたので「いひ返《がへ》し」に來《く》る筈《はず》に成《な》つて居《ゐ》た南《みなみ》の女房《にようばう》を頼《たの》んだ。彼等《かれら》は相互《さうご》の便宜上《べんぎじやう》手間《てま》の交換《かうくわん》をするのであるが、彼等《かれら》はそれを「いひどり」というて居《ゐ》る。それで其《そ》の借《か》りた手間《てま》を返《かへ》すのがいひがへしである。大豆《だいづ》は庭《には》に運《はこ》ぶと共《とも》に一攫《ひとつか》みにしては根《ね》を上《うへ》にして先《さき》を丸《まる》く開《あ》いて互《たがひ》の幹《みき》が支柱《しちう》に成《な》るやうにして庭《には》一|杯《ぱい》に立《た》てゝ干《ほ》した。煙草《たばこ》を一|服《ぷく》吸《す》ふだけの時間《じかん》に、成熟《せいじゆく》しきつた大豆《だいづ》は漸《やうや》くぱち/\と輕《かる》い快《こゝろよ》い響《ひゞき》を立《た》てつゝ爆《は》ぜ始《はじ》めた。大豆《だいづ》は悉《ことごと》く庭《には》の土《つち》に倒《たふ》された。三|人《にん》は連枷《ふるぢ》を執《と》つて端《はし》からだん/\と幹《から》を打《う》つた。おつぎと南《みなみ》の女房《にようばう》とは相《あひ》竝《なら》んで勘次《かんじ》に對《たい》して交互《かうご》に打《う》ち卸《おろ》す連枷《ふるぢ》がどさり/\と庭《には》の土《つち》を打《う》つと硬《こは》ばつた大豆《だいづ》の幹《から》はしやりゝ/\と乾燥《かんさう》した輕《かる》い響《ひゞき》を交《まじ》へてくすんだ穢《きたな》い莢《さや》が白《しろ》く割《わ》れて薄青《うすあを》いつやゝかな豆《まめ》の粒《つぶ》が威勢《ゐせい》よく跳《
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