《お》くべと思《おも》つたんだな」
「俺《お》ら何《なに》も不服《ふふく》いふ席《せき》はねえな」勘次《かんじ》は少《すこ》し安心《あんしん》したらしく、恁《か》う輕《かる》くいひ退《の》けた。
「そんだらえゝがなよ、彼《あ》れもはあ廿七に成《なる》んだから俺《お》らもこんでまあ心配《しんぺえ》はしてたんだが、自分《じぶん》でもそれ無《ね》え足《た》んねえの心配《しんぺえ》が絶《た》えねえもんだから、思《おも》つちや居《ゐ》ても手《て》が出《で》ねえのよ、自分《じぶん》の餓鬼《がき》のことおめえ全然《まるつきり》どうなつても管《かま》あねえたあ思《おも》へねえよこんで」勘次《かんじ》は足《あし》の先《さき》で土間《どま》の土《つち》を擦《こす》りながら默《だま》つておつたのいふのを聞《き》いた。
「彼《あれ》もそれ中途《ちうと》で盲目《めくら》に成《な》つたんだから、それまでに働《はたら》いて身體《からだ》は成熟《でき》てるしおめえも知《し》つてる通《とほ》りあんで居《ゐ》て仕事《しごと》も出來《でき》るしするもんだから、難有《ありがて》えことに不具《かたわ》でも嫁《よめ》世話《せわ》すべつちいものもあるやうな譯《わけ》さなあ、何《なん》でも人間《にんげん》は働《はたら》き次第《しでえ》だよ、おめえだつて働《はたら》くんでばかり他人《ひと》にや好《よ》く云《ゆ》はれてべえぢやねえけえ、そんで俺《お》れも其《そ》の女《をんな》は見《み》たが、女《をんな》はそれ惡《わ》りいがな、そんだつて盲目《めくら》だもの目鼻立《めはなだち》見《み》べえぢやなし、心底《しんてえ》せえよけりやえゝと思《おも》つてな」おつたは頻《しき》りに勘次《かんじ》の衷心《ちうしん》からの同意《どうい》を得《え》ようとした。
「そりやよかんべなそんぢや」勘次《かんじ》は只《たゞ》簡單《かんたん》にさういつた。
「そんで娵《よめ》持《も》たせるにしても折角《せつかく》こつちに居《ゐ》て働《はたら》いてんだから俺《お》ら自分《じぶん》の處《とこ》へは連《つ》れて行《ゆ》く譯《わけ》にや行《い》かねえと思《おも》つてな何《なん》ちつてもそれ、知《しつ》てつ處《とこ》でなくつちや盲目《めくら》だから面倒《めんだう》見《み》てくれるつち人《ひと》もあんめえしなあ、それから俺《お》ら其處《そこ》んとこも心配《しんぺえ》して居《ゐ》たんだが、丁度《ちやうど》此《この》村落《むら》にえゝ鹽梅《あんべえ》貸《か》してもえゝつち家《うち》有《あ》るつちもんだから、序《ついで》だと思《おも》つて見《み》て來《き》たが、此處《こゝ》からぢやあつちの方《はう》のそれ知《し》つてべえ仕切《しき》つて貸《か》すつちんだから、俺《お》ら其處《そこ》さ入《え》れてえと思《おも》つて、おそこそ聞《き》いて見《み》たんだが借《か》りんのにや保證人《ほしようにん》無《な》くつちや駄目《だめ》だつちから、近《ちか》くぢやあるしおめえに保證《ほしよう》に立《た》つて貰《もれ》えてえと思《おも》つてな」
「厭《や》だよ俺《お》らそんなこと」勘次《かんじ》は慌《あわ》てたやうにいつた。
「そんぢや仕《し》やうねえな、どうしてだんべなまた、折角《せつかく》彼《あれ》が身《み》も堅《かた》まんだからさうして呉《く》れゝばえゝんだがな」おつたはがつかり投《な》げ掛《か》けた態度《たいど》でいつた。
「箆棒《べらぼう》、家賃《やちん》でも滯《とゞこほ》つた日《ひ》にや、俺《お》れ辨償《まよ》はなくつちや成《な》りやすめえし、それこさあ俺《お》らが身上《しんしやう》なんざ潰《つぶ》れても間《ま》にやえやしねえ、厭《や》だにもなんにも」
「そんなこと云《ゆ》つたつておめえ、彼《あれ》だつて獨《ひとり》でゝも居《ゐ》んぢやなし持《も》つもの持《も》つて働《はたら》くのに三十|錢《せん》や五十|錢《せん》の家賃《やちん》の拂《はら》へねえことも有《あ》んめえな、それも何《なん》ならおめえ一月《ひとつき》でも二月《ふたつき》でも見試《みため》して、そん時《とき》見込《みこみ》なけりや身拔《みぬけ》しても管《かま》えやしねえな」
「そんでも厭《や》だよ、俺《お》らさうい噺《はなし》ぢや聞《き》きたくもねえ」勘次《かんじ》は素氣《すげ》なくいつてすいと庭《には》へ立《た》つて復《ま》た夏蕎麥《なつそば》へ手《て》を掛《か》けた。
「酷《ひど》く忙《いそが》しいこつたな」おつたは口《くち》を引《ひ》き締《し》めて勘次《かんじ》の後姿《うしろすがた》を見《み》た。
「忙《いそが》しいとも田《た》の草《くさ》もまあだ掻《か》きやしねえんだ、土用《どよう》になつてからだつて幾《いく》らも照《て》りやしめえし、降《ふ》つてばかし居《ゐ》つから見《み》ろうあれ、隣《となり》の旦那等《だんなたち》だつて今頃《いまごろ》麥《むぎ》打《ぶ》つてる騷《さわ》ぎだあ、百姓《ひやくしやう》は此《こ》の頃《ごろ》の時節《じせつ》に餘計《よけい》な暇《ひま》なんざねえから」勘次《かんじ》は呟《つぶや》くやうにいつた。
 隣《となり》の庭《には》では先刻《さつき》よりも更《さら》に勢《いきほひ》がついた樣《やう》に連枷《ふるぢ》の響《ひゞき》が囃《はやし》の聲《こゑ》を伴《ともな》ひつゝ森《もり》を洩《も》れて聞《きこ》えた。
「うむ、たえした挨拶《あいさつ》だな、俺《お》らまた※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1−85−57]のつくり」、290−4]弟《きやうでえ》つちやさうえもんぢやあんめえと思《おも》つてたんだつけな」おつたは少《すこ》し勃然《むつ》とした容子《ようす》を見《み》せた。
「※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1−85−57]のつくり」、290−6]等《あねら》が云《い》ふこと聽《き》いたつ位《くれえ》どんなことされつか分《わか》んねえから」勘次《かんじ》は自棄《やけ》に蕎麥《そば》の幹《から》を打《う》ちつけ/\しつゝいつた。彼《かれ》は而《さう》して一目《ひとめ》もおつたを見《み》なかつた。
「什※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《どんな》ことするつて俺《お》ら泥棒《どろぼう》はしねえぞ、勘次《かんじ》」其《そ》の切《き》れた目尻《めじり》に一|種《しゆ》の凄味《すごみ》を持《も》つておつたが立《た》つた時《とき》、卯平《うへい》はのつそりと戸口《とぐち》に大《おほ》きな躯幹《からだ》を運《はこ》ばせた。
 卯平《うへい》はおつたを見《み》て例《いつも》の如《ごと》く窪《くぼ》んだ茶色《ちやいろ》の目《め》を蹙《しが》める樣《やう》にした。
「おやこつちのおとつゝあん、暫《しばら》くでがしたねどうも、御機嫌《ごきげん》よろしがすね」おつたはそら/″\しい程《ほど》打《う》つて變《かは》つた調子《てうし》でいつた。
「まあこつちへでも來《き》さつせえね」卯平《うへい》は隱居《いんきよ》へおつたを導《みちび》いた。
「俺《お》らいま外《ほか》から歸《けえ》つて來《き》たばかしだが、何《なん》でがすね」卯平《うへい》はぶすりと聞《き》いた。
「ほんにはあ、他人《ひと》にや聞《き》かせたくもねえこつたがねえ、わしもそれ盲目《めくら》の野郎《やらう》が一人《ひとり》あんだが、これ三十|近《ちか》くにもなるものをねえ、只《たゞ》打棄《うつちや》つても置《お》けねえから嫁《よめ》とらせべと思《おも》つて、えゝ鹽梅《あんべえ》のがそれ口《くち》掛《かゝ》つたもんだから勘次《かんじ》げも一|噺《はなし》すべと思《おも》つて來《き》た處《ところ》なのさ、わしもこんで義理《ぎり》は缺《か》くの厭《や》だかんね」
「さうしたら此《こ》の村落《むら》にえゝ鹽梅《あんべえ》の家《うち》あるもんだから借《か》りて身上《しんしやう》持《も》たせべと思《おも》つて保證《ほしよう》に立《た》つてくろつちつた處《ところ》がたえした挨拶《あいさつ》なのさ、三十|錢《せん》か五十|錢《せん》の家賃《やちん》をねえ、不便《ふびん》だんべぢやねえかねえ不具《かたわ》の甥《おひ》つ子《こ》のことをねえ、保證《ほしよう》に立《た》つた位《くれえ》身上《しんしやう》潰《つぶ》れるつち挨拶《あいさつ》なのさ、ねえこれ、年齡《とし》とつちやこつちのおとつゝあん先《さき》も短《みじ》けえのに心底《しんてえ》のえゝものでなくつちや、萬一《まさか》の時《とき》が心配《しんぺえ》だからねえ、後《あと》の者《もの》の厄介《やくけえ》に成《な》りてえつちな皆《みんな》おんなじだんべぢやねえか、ねえこつちのおとつゝあんさうでがせう、そんでそれ娵《よめ》つちのが心底《しんてえ》のえゝ女《をんな》だつちんだからわしも欲《ほ》しいのさ本當《ほんたう》の噺《はなし》がねえ、さう云《ゆ》つちや我慾《がよく》の樣《やう》だがおんなじもんなら軟《やつ》けえ言辭《ことば》でも掛《か》けてくれる嫁《よめ》でなくつちやねえ、さうぢやあんめえかね」おつたは狹《せま》い戸口《とぐち》に立《た》つた儘《まゝ》洋傘《かさ》の先《さき》で土《つち》へ穴《あな》を穿《うが》ちながら勘次《かんじ》の方《はう》をぢろつと見《み》つゝいきり立《た》つていつた。
「そりや、はあ、さうだが」只《たゞ》此《これ》だけいつて寡言《むくち》な卯平《うへい》は自分《じぶん》の意《い》を得《え》たといふ樣《やう》に始終《しじう》窪《くぼ》んだ目《め》を蹙《しが》めて手《て》からは煙管《きせる》を放《はな》さなかつた。勘次《かんじ》は庭《には》から偸《ぬす》むやうに視《み》ては卯平《うへい》がおつたへ威勢《ゐせい》をつけて居《ゐ》るやうに思《おも》つた。彼《かれ》は解《と》いて打《う》つて更《さら》に藁《わら》で括《くゝ》つた蕎麥《そば》の束《たば》をどさりと遠《とほ》くへ擲《はふ》つた。葉《は》が更《さら》にぐつたりと萎《しを》れた鳳仙花《ほうせんくわ》の枝《えだ》がすかりと裂《さけ》て先《さき》が地《ち》についた。
「※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1−85−57]のつくり」、292−2]等《あねら》、大層《たえそ》なこと云《ゆ》つたつて、老人《としより》の面倒《めんだう》見《み》たゝ云《ゆ》へめえ」勘次《かんじ》はぶつ/\と獨語《どくご》した。おつたの耳《みゝ》にも微《かす》かにそれが聞《きこ》えた。おつたは屹《きつ》と見《み》た。
「おとつゝあ默《だま》つてるもんだ」おつぎは輕《かる》く勘次《かんじ》を制《せい》して
「お晝餐《ひる》だぞはあ」とおつぎは更《さら》に勘次《かんじ》へ注意《ちうい》した。
「そんぢやこつちのおとつゝあん、お八釜敷《やかまし》がした、わしや歸《けえ》りませうはあ、一|刻《こく》も居《ゐ》ちや邪魔《じやま》でがせうから、こつちのおとつゝあんも邪魔《じやま》に成《な》んねえ方《はう》がようがすよねえ」おつたは洋傘《かさ》を開《ひら》いて
「岡目《をかめ》でも知《し》れまさあねえ、假令《たとひ》どうでも俵《たはら》まで持《も》つてられて、辨償《まよ》つて見《み》た處《ところ》で三十|錢《せん》か五十|錢《せん》のことだんべぢやねえか、出來《でき》るも出來《でき》ねえもあるもんぢやねえ」とおつたは忌々敷《いま/\し》さに其《そ》の口《くち》を止《と》めなかつた。
「お晝餐《ひる》はどうでがすね」おつぎはそれでも怖《お》づ/\おつたへいつた。
「俺《お》ら、はあ要《え》らねえともね」おつたは蕎麥《そば》の種子《み》の一|杯《ぱい》に散《ち》らけた庭《には》を遠慮《ゑんりよ》もなく一|直線《ちよくせん》に不駄《げた》の跡《あと》をつけた。
「勘次等《かんじら》、親子《おやこ》仲《なか》よくつてよかんべ、世間《せけん》の聞《きこ》えも立派《りつぱ》だあ、親身《しんみ》のもなあ、お蔭《かげ》で肩身《かたみ》が廣《ひろ》くつてえゝや」おつたは庭《には》の出口《
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