べつ/\》に成《な》つちやつたな、つまんねえ、餘計《よけい》な錢《ぜね》なんぞ遣《つか》つて、俺《お》らだつて大《えけ》えこと手間《てま》打《ぶ》つこんだな、なあに俺《お》ら爺樣《ぢいさま》せえちつと其《その》積《つもり》で行《や》つて呉《く》れせえすりや、幾《いく》らでも面倒《めんだう》見《み》るつちつてんだが、如何《どう》いふ料簡《れうけん》のもんだか俺《お》らがにや分《わか》んねえが」
「そんぢや、此《こ》の側《そば》な小屋《こや》ぢやあんめえ、俺《お》ら先刻《さつき》見《み》た時《とき》や肥料小屋《こやしごや》だとばかし思《おも》つてたな、本當《ほんと》にかうだ處《とこ》へ醉狂《すゐきやう》な噺《はなし》よな、なんでも世《よ》を渡《わた》しちや誰《たれ》でも同《おな》じこと相續人《さうぞくにん》の氣味《きあぢ》惡《わる》くしねえ樣《やう》にやんなくつちや畢《を》へねえよ、そんだがそれも性分《しやうぶん》でなあ、他《ほか》からぢやしやうねえものよ」
「俺《お》らだつてこんで一人《ひとり》殖《ふ》えちや殖《ふ》えた丈《だけ》に麥米《むぎこめ》の心配《しんぺえ》からして掛《かゝ》んなくつちやなんねえんだから、其《そ》の積《つもり》で居《ゐ》てくんなくつちや、此《こ》んで心持《こゝろもち》ぢや餘《あんま》り面白《おもしろ》かねえかんな、毎日《まいにち》苦蟲《にがむし》喰《く》つ潰《ちや》したやうな面《つら》つきばかしされたんぢや厭《や》んなつちまあぞ、本當《ほんたう》に」
「そりやさうにも何《なん》にもよ、他人《たにん》でせえこんで軟《やつ》けえ言辭《ことば》でも掛《か》けられつと、後《あと》ぢや欲《ほ》しく成《な》るやうな物《もの》でも出《だ》す料簡《れうけん》にもなるもんだかんなあ」おつたは斯《か》ういひながら先刻《さつき》から※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]《とり》の塒《とや》の下《した》に在《あ》る二|俵《へう》の俵《たわら》へ目《め》を注《そゝ》いで居《ゐ》た。
「そんだがおめえもたえした働《はたら》きだと見《め》えんな、かうえに俵《たわら》までちやんとして、大概《てえげえ》な百姓《ひやくしやう》ぢやおめえ此《この》手《て》にや行《い》かねえぞ、俺《お》ら世辭《つや》いふわけぢやねえが」
 勘次《かんじ》は漸《やうや》く噺《はなし》に吊《つ》り込《こ》まれた樣《やう》に此《こ》の時《とき》微笑《びせう》を洩《も》らして
「俺《お》らも今《いま》んなつてからぢやこれ、噺《はなし》するやうなもんだが一《ひと》しきりや泣《な》いたかんな本當《ほんたう》に、こんでも此《こ》の位《くらえ》にすんにやゝつとこせえだぞ」といつた。
「おつぎも働《はたら》け相《さう》だな、きり/\としてなあ、先刻《さつき》俺《お》ら蕎麥《そば》打《ぶ》つてんの見《み》てゝも心持《こゝろもち》えゝ樣《やう》だつけよ、仕事《しごと》はなんでも身拵《みごしれ》えのえゝもんでなくつちやなあ、此《こ》れもおめえが仕込《しこみ》の所爲《せゐ》だんべが」おつたはさういつて又《また》
「そりやさうとおつかさまに其儘《そつくり》だなあ」と側《そば》に居《ゐ》たおつぎに目《め》を移《うつ》した。おつぎはそれを聞《き》くと共《とも》に身《み》を避《さ》ける樣《やう》に手桶《てをけ》を持《も》つて庭《には》へ出《で》た。
「俺《お》らもこんで嚊《かゝあ》に死《し》なれた當座《たうざ》にや此《こ》れも役《やく》に立《た》たねえから泣《な》きぬいたよ」勘次《かんじ》は俄《にはか》にしんみりとしていつた。おつたはお品《しな》のことが勘次《かんじ》の口《くち》から出《で》た時《とき》微《かす》かに苦笑《くせう》して
「ほんに、俺《お》ら彼《あ》ん時《とき》にや來《き》ねえつちやつたつけが、遠《とほ》くの方《はう》へ行《い》つてたもんだから、おめえにやはあ惡《わる》く思《おも》はれべえたあ思《おも》つてたのよ」おつたは漸《やうや》くのことで然《しか》も表面《へうめん》は事《こと》もなげにいつて畢《しま》つた。
「俺《お》ら先刻《さつき》から見《み》てんだが道具《だうぐ》は能《よ》く大事《でえじ》にすつと見《み》えて鎌《かま》なんぞでも光《ひか》つてつことなあ、それに能《よ》くかう三日月姿《みかづきなり》に減《へ》らせたもんだな、研《と》ぎ方《かた》も餘《よ》つ程《ぽど》氣《き》をつけなくつちやかうは出來《でき》ねえな、道具《だうぐ》も斯《か》うすりや何時《いつ》までゝも使《つか》へて廉《やす》えものさな」おつたは少《すこ》し慌《あわ》てた樣《やう》に然《しか》も成《な》るべく落附《おちつ》かうと勉《つと》めつゝ噺《はなし》を外《そら》した。
「唐鍬《たうぐは》もたえしたもんぢやねえかな」おつたは態《わざ》と唐鍬《たうぐは》の側《そば》に立《た》つた。
「うむ、そんでも俺《お》らが見《み》てえなゝ、滅多《めつた》持《も》つてるもなねえかんな」
「どうすんでえこんな大《えけ》えの、引《ひ》つ立《た》てるばかしでも大變《たえへん》なやうぢやねえけ」
「そんだつて※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1−85−57]のつくり」、285−2]《あね》は此《こ》れ見《み》ろな」勘次《かんじ》は掌《てのひら》をおつたの前《まへ》へ出《だ》した。百姓《ひやくしやう》にしては比較的《ひかくてき》小《ちひ》さな手《て》は腫《は》れたかと思《おも》ふ程《ほど》ぽつりと膨《ふく》れて、どれ程《ほど》樫《かし》の柄《え》を攫《つか》んでも決《けつ》して肉刺《まめ》を生《しやう》ずべき手《て》でないことを明《あきら》かに示《しめ》して居《ゐ》る。
「此《こ》んだから知《し》らねえもな俺《お》れ手懷《てぶところ》してつと、如何《どう》したんでえなんて聞《き》くから俺《お》らかういに腫《はれ》つちやつて痛《いた》くつてしやうねえんだなんて、そろうつと出《だ》して見《み》せつと、成《な》る程《ほど》こりや痛《いた》かんべえなんて魂消《たまげ》らあな、唐鍬《たうぐは》なんざ錢《ぜね》出《だ》しせえすりや幾《いく》らでも有《あ》んが、此《こ》の手《て》つ平《ぴら》はねえぞ、二|年《ねん》三|年《ねん》唐鍬《たうぐは》持《も》つたんぢや恁《か》うは成《な》んねえかんな、俺《お》らがな唐鍬《たうぐは》の柄《え》さすつかりくつゝいちやつたんだから、こんで毎年《まいとし》四五|反歩位《たんぶりぐれえ》は打開墾《ぶちおこ》すんだから」勘次《かんじ》は蹙《しが》めた顏《かほ》の筋《すぢ》がゆるんだ樣《やう》になつておつたの前《まへ》に誇《ほこ》つた。
「旦那《だんな》の山林開墾《やまおこ》しちやうめえのよ、場所《ばしよ》によつちや陸稻《をかぼ》も作《つく》れるし、俺《お》らこんでも三四|反歩《たんぶり》づつは作《つく》つてんだが、今年《ことし》はえゝ鹽梅《あんべえ》な降《ふ》りだから大丈夫《だえぢよぶ》だたあ思《おも》つてんのよ、どうえもんだか以前《めえかた》は陸稻《をかぼ》つちとはあ、とれねえ樣《やう》なもんだつけがな」
「其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《そんな》に作《つく》つちや大層《たえそ》なもんぢやねえかな」おつたは驚《おどろ》いたやうにいつた。
「陸稻《をかぼ》も地《ぢ》が珍《めづ》らしい内《うち》は出來《でき》るもんだわ、穗《ほ》の出《で》た割《わり》にや分《ぶ》は拔《ぬ》けねえが、そんでも開墾《おこ》したばかしにや草《くさ》は出《で》ねえから手間《てま》が要《え》らねえしな、それに肥料《こやし》つちやなんぼもしねえんだから、尤《もつと》も三|年《ねん》も作《つく》つちや其《そ》の手《て》にや行《い》かねえが、其《そ》ん時《とき》や以前《もと》の山林《やま》になんだから可怖《おつかね》えこともなんにもねえのよ」
「餘《よ》つ程《ぽど》とれべえな、三四|反歩《たんぶり》も作《つく》つちやなあ」
「こんで穗《ほ》の出際《でぎは》に雨《あめ》でもえゝ鹽梅《あんべえ》なら、反《たん》で四|俵《へう》なんざどうしてもとれべと思《おも》つてんのよ」
「陸稻《をかぼ》とも云《い》はんねえもんだな、以前《めえかた》と違《ちが》つて今《いま》の時世《ときよ》ぢやさうだからこんで場所《ばしよ》によつちや、百姓《ひやくしやう》にもたえした起《お》き轉《ころ》びがあるのよなあ、俺《お》ら方《はう》見《み》てえに洪水《みづ》で持《も》つてかれてばかし居《ゐ》つ處《とこ》も有《あ》んのに山林《やま》んなかで米《こめ》とれるなんて」
「さうよ、此處《こゝ》らは洪水《みづ》の心配《しんぺえ》はさうだにしねえでもえゝ處《とこ》だかんな」勘次《かんじ》は從來《これまで》其《そ》の間《あひだ》がどうであつたにしても偶然《ぐうぜん》逢《あ》つたおつたに對《たい》してだん/\噺《はな》して居《ゐ》るうちには同《おな》じ乳房《ちぶさ》に縋《すが》つた骨肉《こつにく》の關係《くわんけい》が彼《かれ》の淺猿《さも》しい心《こゝろ》の底《そこ》を披瀝《ひら》いてそれを陰蔽《いんぺい》するのには餘《あま》りに彼《かれ》を放心《うつかり》とさせたのであつた。
「おつう、彼《あ》の薤《らつきやう》でも出《だ》して見《み》せえ、土用前《どようめえ》に採《と》つて直《す》ぐ漬《つけ》たんだから、はあよかんべえ」
 勘次《かんじ》は快《こゝろ》よくおつぎに命《めい》じた。おつぎは古《ふる》い醤油樽《しやうゆだる》から白漬《しろづけ》の薤《らつきやう》を片口《かたくち》へ出《だ》しておつたの側《そば》へ侑《すゝ》めた。勘次《かんじ》は一つ撮《つま》んでかり/\と噛《かじ》つた。少《すこ》し丸《まる》みがかつた頬《ほゝ》に絶《たえ》ず微笑《びせう》を含《ふく》んで勘次《かんじ》のいふことを聞《き》いて居《ゐ》たおつたは何《なに》か更《さら》にいはうとして一寸《ちよつと》躊躇《ちうちよ》しつゝある容子《ようす》が見《み》えた。勘次《かんじ》もおつぎもそれは知《し》らなかつた。おつたは一|杯《ぱい》に注《つ》いである茶碗《ちやわん》へ又《また》茶《ちや》を注《つ》がうとして俄《にはか》に止《や》めた。おつたは茶碗《ちやわん》をぐつと嚥《の》み干《ほ》した。
「こんで同胞《きやうでえ》のえゝ噺《はなし》聞《き》くな惡《わる》かねえもんだよ、有繋《まさか》自分《じぶん》ばかしよくつて他《ほか》の同胞《きやうでえ》にや管《かま》あねえつちいものもねえかんな」といつて庭《には》の便所《べんじよ》へ立《た》つてそれから再《ふたゝ》び上《あが》り框《がまち》に腰《こし》を卸《おろ》した。
「俺《お》らおめえにちつと相談《さうだん》に乘《の》つて貰《もれ》えてえと思《おも》ふこと有《あ》つて來《き》たんだつけがなよ」おつたは態《わざ》と改《あらた》まつた容子《ようす》でなくいひ掛《か》けた。
「何《なん》だんべ」勘次《かんじ》はふつと彼《かれ》の平生《へいぜい》に還《かへ》らうとして例《いつも》の不安《ふあん》らしい目《め》を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》つておつたを見《み》た。
「なあにたえしたこつちやねえが、盲目《めくら》の野郎《やらう》げ嫁《よめ》世話《せわ》されるもんだからどうしたもんだんべかと思《おも》つてよ」
「※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1−85−57]のつくり」、287−11]《あね》貰《もら》へたけりや他人《ひと》にや管《かま》あこたあ有《あ》んめえな」勘次《かんじ》はおつたがゆつくりといふのが畢《をは》らぬのにそつけなくいつた。
「さう云《ゆ》つちめえばさうだがなよ、そんだつて同胞《きやうでえ》に一噺《ひとはなし》もねえなんて後《あと》で文句《もんく》云《ゆ》はれても、默《だま》つてちやおめえ口《くち》が開《あ》けめえな、そんだから俺《お》らおめえげ耳打《みゝうち》して置
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