を止《と》めた。勘次《かんじ》は小屋《こや》で卯平《うへい》が鹽鮭《しほざけ》を燒《や》く臭《にほひ》を嗅《か》いでは一|種《しゆ》の刺戟《しげき》を感《かん》ずると共《とも》に卯平《うへい》を嫉《にく》むやうな不快《ふくわい》の念《ねん》がどうかすると遂《つひ》起《おこ》つた。それだが卯平《うへい》は又《また》獨《ひとり》でむつゝりと蒲團《ふとん》にくるまつて居《ゐ》る時《とき》は父子《おやこ》三|人《にん》の噺《はなし》が能《よ》く聞《きこ》えた。彼《かれ》は自分《じぶん》が一|緒《しよ》に居《ゐ》る時《とき》は互《たがひ》に隔《へだ》てが有相《ありさう》で居《ゐ》て、自分《じぶん》が離《はな》れると俄《にはか》に陸《むつ》まじ相《さう》に笑語《さゝや》くものゝ樣《やう》に彼《かれ》は久《ひさ》しい前《まえ》から思《おも》つて居《ゐ》た。其《それ》を聞《き》くと彼《かれ》は一|種《しゆ》の嫉妬《しつと》を伴《ともな》うた厭《いや》な心持《こゝろもち》に成《な》つて、蒲團《ふとん》を深《ふか》く被《かぶ》つて見《み》ても何《なん》となく耳《みゝ》について、おつぎの一寸《ちよつと》甘《あま》えた樣《やう》な聲《こゑ》や與吉《よきち》の無遠慮《ぶゑんりよ》な無邪氣《むじやき》な聲《こゑ》を聞《き》くと一|方《ぱう》には又《また》彼等《かれら》の家族《かぞく》と一つに成《な》りたいやうな心持《こゝろもち》も起《おこ》るし、彼《かれ》は凝然《ぢつ》と眼《め》を閉《と》ぢて居《ゐ》るので頭《あたま》の中《なか》が餘計《よけい》に紛糾《こぐら》かつて、種々《いろ/\》な状態《じやうたい》が明瞭《はつきり》と目先《めさき》にちらついてしみ/″\と悲《かな》しい樣《やう》に成《な》つて見《み》たりして猶更《なほさら》に僂麻質斯《レウマチス》の疼痛《いたみ》がぢり/\と自分《じぶん》の身體《からだ》を引緊《ひきし》めて畢《しま》ふ樣《やう》にも感《かん》ぜられた。彼《かれ》はさういふ時《とき》おつぎでも與吉《よきち》でも
「爺《ぢい》よう」と喚《よ》んでくれゝばふいと懶《ものう》い首《くび》を擡《もた》げて明《あか》るい白晝《はくちう》の光《ひかり》を見《み》ることによつて何《なん》とも知《し》れぬ嬉《うれ》しさに涙《なみだ》が一|杯《ぱい》に漲《みなぎ》ることもあるのであつた。
おつぎは八釜敷《やかましく》勘次《かんじ》に使《つか》はれて晝《ひる》の間《あひだ》は寸暇《すんか》もなかつた。夜《よ》がひつそりとする頃《ころ》はおつぎは能《よ》く卯平《うへい》の小屋《こや》へ來《き》て惱《なや》んで居《ゐ》る腰《こし》を揉《も》んでやつた。おつぎは卯平《うへい》を勦《いたは》るには幾《いく》ら勘次《かんじ》が八釜敷《やかましく》ても一々|斷《ことわ》りをいうては出《で》なかつた。勘次《かんじ》はおつぎが暫時《しばし》でも居《ゐ》なくなると假令《たとひ》卯平《うへい》の側《そば》に居《ゐ》るとは知《し》つても
「おつう」と例《いつも》のやうに激《はげ》しく呶鳴《どな》つて見《み》るのである。
「此處《こゝ》に居《ゐ》たよ、そんなに喚《よ》ばらなくつたつてえゝから、何《なん》だかおとつゝあは」おつぎの勘次《かんじ》を叱《しか》る聲《こゑ》は軟《やはら》かでさうして明瞭《めいれう》に勘次《かんじ》の耳《みゝ》に響《ひび》いた。勘次《かんじ》は手《て》ランプの光《ひかり》に只《たゞ》目《め》が酷《ひど》く光《ひか》るのみで一|言《ごん》もなく屏息《へいそく》して畢《しま》ふのである。彼《かれ》は又《また》暫《しばら》くして大戸《おほど》をがらりと勢《いきほ》ひよく開《あ》けて出《で》ては又《また》少《すこ》し隙間《すき》を残《のこ》して大戸《おほど》を引《ひ》いて丁度《ちやうど》内《うち》へ還《かへ》つたと見《み》せて、殆《ほと》んど壁《かべ》に接《せつ》した卯平《うへい》の戸口《とぐち》に近《ちか》く立《た》つて見《み》るのである。手《て》ランプも點《つ》けぬ卯平《うへい》の狹《せま》い小屋《こや》の空氣《くうき》は黒《くろ》く悄然《ひつそり》として死《し》んだ樣《やう》である。勘次《かんじ》は拔《ぬ》き足《あし》して戻《もど》つては出來《でき》るだけ靜《しづか》に戸《と》を閉《と》ぢる。非常《ひじやう》に不平《ふへい》な相形《さうぎやう》をして居《ゐ》ても勘次《かんじ》はおつぎが歸《かへ》ると直《すぐ》に機嫌《きげん》が直《なほ》つて
「汝《わ》りやそんなに夜更《よふか》しするもんぢやねえ」と勦《いた》はるやうな窘《たしな》めるやうな調子《てうし》ていつて見《み》るのである。さうすると、
「明日《あした》の障《さは》りにでも成《な》りやしめえし管《かま》あこたあんめえな、おとつゝあは」といつておつぎは勘次《かんじ》を壓《お》しつけて畢《しま》ふのである。
卯平《うへい》はおつぎが看病《かんびやう》に來《く》る時《とき》は大抵《たいてい》
「汝《わ》りやえゝよ」といふのが例《れい》である。彼《かれ》は勘次《かんじ》に遠慮《ゑんりよ》をするのではなくて、おつぎがぶつ/\いはれるのを懸念《けねん》するのであつた。それでも卯平《うへい》は心《こゝろ》竊《ひそか》におつぎを待《ま》ちつゝあつた。彼《かれ》が惱《なや》まされた僂麻質斯《レウマチス》は病氣《びやうき》の性質《せいしつ》として彼《かれ》の頑丈《ぐわんぢやう》な身體《からだ》から其《そ》の生命《せいめい》を奪《うば》ひ去《さ》るまでに力《ちから》を逞《たくま》しくすることはなく、起《おこ》つたり和《やはら》いだりして彼《かれ》が歸《かへ》つてから二|度目《どめ》の冬《ふゆ》も一日々々《いちにち/\》と短《みじか》い日《ひ》を刻《きざ》んで行《い》つた。
狹苦《せまくる》しい掘立小屋《ほつたてごや》は彼《かれ》が當初《はじめ》に思《おも》ひ込《こ》んだ程《ほど》彼《かれ》の爲《ため》に幸《さいはひ》な處《ところ》ではなかつた。
一九
「おゝ暑《あつ》え/\、なんち暑《あつ》えこつたかな」おつたは前駒《まへこま》の下駄《げた》を引《ひ》き擦《ず》つて
「おや/\まあ能《よ》く斯《か》うなあ、何處《どこ》にも草《くさ》だら一《ひと》つなくつて、見《み》ても晴々《せえ/\》とする樣《やう》だ」と態《わざ》とらしい樣《やう》にいつて庭《には》に立《た》つた。さうしてから
「たんと穫《と》れべえなこんぢや、幹《から》ばかしでもたえした出來《でき》だな」といつて勘次《かんじ》に近《ちか》く歩《ほ》を運《はこ》んだ。勘次《かんじ》は庭先《にはさき》の栗《くり》の木《き》の陰《かげ》へ二《ふた》つの臼《うす》を横《よこ》に轉《ころ》がしておつぎと二人《ふたり》で夏蕎麥《なつそば》を打《う》つて居《ゐ》た。夏蕎麥《なつそば》は小麥《こむぎ》でも打《う》つ樣《やう》に一《ひと》つ攫《つか》んでは肩《かた》から背負《せお》ふやうにして臼《うす》の腹《はら》へ叩《たゝ》きつけると三|稜形《りようけい》の種子《み》がまだ少《すこ》し青《あを》い葉《は》と共《とも》に落《お》ちて殆《ほとん》ど直射《ちよくしや》する日光《につくわう》を遮《さへぎ》つて居《ゐ》る栗《くり》の木《き》の陰《かげ》から遠《とほ》ざかつて遙《はるか》に先《さき》の方《はう》まで轉《ころ》がつて行《ゆ》く。小麥《こむぎ》と違《ちが》つて濕《しめ》つぽい夏蕎麥《なつそば》は幹《から》がくた/\として幾度《いくど》も叩《たゝ》きつけねばなか/\落《お》ちない。それでも種子《み》は不規則《ふきそく》な成熟《せいじゆく》をして居《ゐ》るので、まだ青《あを》いのはどうしてもしがみ附《つ》いて居《ゐ》る。二人《ふたり》は藁《わら》で縛《くゝ》つた大《おほ》きな束《たば》を解《と》いては粘《ねば》つた物《もの》でも引《ひ》き剥《はが》す樣《やう》に攫《つか》み取《と》つて熱心《ねつしん》に忙《せは》しく臼《うす》の腹《はら》へ叩《たゝ》きつけた。庭《には》は卯平《うへい》が始終《しじゆ》草《くさ》を※[#「てへん+劣」、第3水準1−84−77]《むし》つて掃除《さうぢ》してあるのに、蕎麥《そば》を打《う》つ前《まへ》に一|旦《たん》丁寧《ていねい》に箒《はうき》が渡《わた》つたので見《み》るから清潔《せいけつ》に成《な》つて居《ゐ》たのである。勘次《かんじ》は暑《あつ》いので紺《こん》の襦袢《じゆばん》も腰《こし》のあたりへだらりとこかして、焦《こげ》たやうな肌膚《はだ》をさらけ出《だ》して居《ゐ》る。彼《かれ》は更《さら》に栗《くり》の木《き》の茂《しげ》つた葉《は》の間《あひだ》から針《はり》の先《さき》で突《つ》くやうにぽちり/\と洩《も》れて射《さ》す光《ひかり》を避《さ》けて例《いつ》もの如《ごと》く藺草《ゐぐさ》の編笠《あみがさ》を被《かぶ》つて、麻《あさ》の紐《ひも》を顎《あご》でぎつと結《むす》んである。毎日《まいにち》必《かなら》ず汗《あせ》でぐつしりと濕《しめ》るので、其《そ》の強靱《きやうじん》な纎維《せんゐ》の力《ちから》が脆《もろ》く成《な》つて、秋《あき》の冷《つめ》たい季節《きせつ》までにはどうしても中途《ちうと》で一|度《ど》は換《か》へねばならぬと勘次《かんじ》が自慢《じまん》して居《ゐ》る紐《ひも》は埃《ほこり》が加《くは》はつて汚《よご》れて居《ゐ》た。勘次《かんじ》はおつたの姿《すがた》をちらりと垣根《かきね》の入口《いりぐち》に見《み》た時《とき》不快《ふくわい》な目《め》を蹙《しが》めて知《し》らぬ容子《ようす》を粧《よそほ》ひながら只管《ひたすら》蕎麥《そば》の幹《から》に力《ちから》を注《そゝ》いだのであつた。おつたは稍《やゝ》褐色《ちやいろ》に腿《さ》めた毛繻子《けじゆす》の洋傘《かうもり》を肩《かた》に打《ぶ》つ掛《か》けた儘《まゝ》其處《そこ》らに零《こぼ》れた蕎麥《そば》の種子《み》を蹂《ふ》まぬ樣《やう》に注意《ちうい》しつゝ勘次《かんじ》の横手《よこて》へ立《た》ち止《どま》つた。おつたは幾年《いくねん》か以前《まへ》の仕立《したて》と見《み》える滅多《めつた》にない大形《おほがた》の鳴海絞《なるみしぼ》りの浴衣《ゆかた》を片肌脱《かたはだぬぎ》にして左《ひだり》の袖口《そでぐち》がだらりと膝《ひざ》の下《した》まで垂《た》れて居《ゐ》る。裾《すそ》は片隅《かたすみ》を端折《はしよ》つて外《そと》から帶《おび》へ挾《はさ》んだ。勘次《かんじ》は何處《どこ》までも知《し》らぬ容子《ようす》を保《たも》つことは出來《でき》なかつた。彼《かれ》はおつたの態《わざ》とらしい聲《こゑ》も聞《き》かず、又《また》近《ちか》く立《た》つた其《そ》の姿《すがた》を眼《め》に映《うつ》さない譯《わけ》には行《ゆ》かなかつた。彼《かれ》は蕎麥《そば》を攫《つか》むのを止《や》めておつたの方《はう》を向《む》いた。彼《かれ》は蹙《しが》めて居《ゐ》た顏《かほ》に少《すこ》し極《きま》りの惡相《わるさう》な一|種《しゆ》の表情《へうじやう》を浮《うか》べた。
「何《なん》でえ※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1−85−57]のつくり」、277−15]等《あねら》」勘次《かんじ》は無意識《むいしき》にさういつた。彼《かれ》の胸《むね》のあたりに湧《わ》き出《いづ》る汗《あせ》は、僅《わづか》に曲折《きよくせつ》をなしつゝ幾筋《いくすぢ》かの流《なが》るゝ途《みち》を作《つく》つて居《ゐ》る。其處《そこ》には蕎麥《そば》の幹《から》から知《し》られぬ程《ほど》づつ立《た》つ埃《ほこり》が付《つ》いて濕《しめ》つて居《ゐ》る。ぢり/\と汗腺《かんせん》から搾《しぼ》れ出《いづ》る汗《あせ》が其《そ》の趾《あと》つけられた流《なが》れの途《みち》を絶《た》たないで其處《そこ》だけ蕎麥《そば》
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