うきう》せずに五|錢《せん》か十|錢位《せんぐらゐ》づゝ懷錢《ふところせん》を出《だ》して能《よ》く選《すぐ》つた藁《わら》を其處《そこ》此處《こゝ》で買《か》つて、穗先《ほさき》の處《ところ》を持《もつ》ては肩《かた》から打《ぶ》つ掛《か》けてがさ/\と背負《せお》つて來《く》るのである。藁《わら》の小《ちひ》さな極《きま》つた束《たば》が一|把《は》は大抵《たいてい》一|錢《せん》づゝであつた。其《そ》の一|把《は》の藁《わら》が繩《なは》にすれば二|房半位《ばうはんぐらゐ》で、草鞋《わらぢ》にすれば五|足《そく》は仕上《しあが》るのであつた。それで彼《かれ》の一|日《にち》の仕事《しごと》は繩《なは》ならば二十|房《ばう》の大束《おほたば》が一|把《は》、草鞋《わらぢ》ならば五|足《そく》といふ處《ところ》なので、一|房《ばう》の繩《なは》が七|錢《せん》五|毛《まう》で一|足《そく》の草鞋《わらぢ》が一|錢《せん》五|厘《りん》といふ相場《さうば》だからどつちにしても一|日《にち》熱心《ねつしん》に手《て》を動《うご》かせば彼《かれ》は六七|錢《せん》の儲《まうけ》を獲《え》るのである。卯平《うへい》が求《もと》める副食物《ふくしよくもつ》は一|日《にち》僅《わづか》に二|錢《せん》もあれば十|分《ぶん》なので彼《かれ》は毎日《まいにち》藁《わら》を使《つか》つて居《を》れば四五|錢《せん》づつの剰餘《じようよ》を得《う》る理由《わけ》ではあるが、品物《しなもの》を商《あきな》ひに出《で》る日《ひ》を別《べつ》にしても氣《き》が乘《の》らないといつては朝《あさ》からごろりと轉《ころ》がつて居《ゐ》ることもあるので平均《へいきん》して見《み》ると一|日《にち》が幾《いく》らにも成《な》らないのであつた。然《しか》し其《そ》れ丈《だけ》でさへ卯平《うへい》は始終《しじう》財布《さいふ》の錢《ぜに》の出入《でいり》するのを心丈夫《こゝろぢやうぶ》に思《おも》ふのであつた。
勘次《かんじ》はむつゝりとした卯平《うへい》の戸口《とぐち》を覗《のぞ》いたこともないが、卯平《うへい》が直《すぐ》に來《き》ても來《こ》なくても飯《めし》の出來《でき》た時《とき》に喚《よ》びに行《ゆ》くのはおつぎであつた。卯平《うへい》は熱心《ねつしん》に藁仕事《わらしごと》をする時《とき》は自分《じぶん》で炊事《すゐじ》をするのは時間《じかん》が酷《ひど》く惜《を》しくも成《な》つたり、面倒《めんだう》にも成《な》つたり、唯《たゞ》獨《ひとり》のみで※[#「煢−冖」、第4水準2−79−80]然《ぽつさり》として居《ゐ》ると情《なさけ》なくもなつたりするので、平生《へいぜい》は再《ふたゝ》び一同《みんな》と一|緒《しよ》に箸《はし》を執《と》ることにしたのである。彼《かれ》はおつぎがはき/\と一言《ひとこと》でもいうて呉《く》れる毎《ごと》に其《そ》の僻《ひが》まうとする心《こゝろ》がどれ程《ほど》和《やはら》げられるか知《し》れないのである。彼《かれ》は草鞋《わらぢ》を作《つく》るとて四|筋《すぢ》の竪繩《たてなは》に軟《やはら》かな藁《わら》をうね/\と透《とほ》しては其《そ》の繩《なは》の間《あひだ》に指《ゆび》を入《い》れてぎつと前《まへ》へ引《ひ》き緊《し》める微《かす》かな運動《うんどう》の間《あひだ》にも彼《かれ》は勘次《かんじ》に對《たい》して口《くち》にも擧動《きよどう》にも出《だ》せぬ忌々敷《いま/\し》さが心《こゝろ》の底《そこ》に勃々《むか/\》と首《くび》を擡《もた》げ始《はじ》めることもあるのであつたが、おつぎの言辭《ことば》はいつでも其《そ》の火《ひ》を消《け》し止《と》める一|杯《ぱい》の水《みづ》なのであつた。おつぎはどうかすると目《め》の邊《へん》に在《あ》る雀斑《そばかす》が一|種《しゆ》の嬌態《しな》を作《つく》つて甘《あま》えたやうな口《くち》の利方《きゝかた》をするのであつた。
おつぎは勘次《かんじ》の居《ゐ》ない時《とき》は牝鷄《めんどり》が消魂《けたゝま》しく鳴《な》いて出《で》れば直《す》ぐに塒《とや》を覗《のぞ》いて暖《あたゝ》かい卵《たまご》の一《ひと》つを採《と》つて卯平《うへい》の筵《むしろ》へ轉《ころ》がしてやることもあつた。おつぎは勘次《かんじ》の敏捷《びんせふ》な目《め》を欺《あざむ》くには此《これ》だけの深《ふか》い注意《ちうい》を拂《はら》はなければならなかつた。それも稀《まれ》なことで數《かず》は必《かなら》ず一《ひと》つに限《かぎ》られて居《ゐ》た。然《しか》し卯平《うへい》は其《そ》の僅少《きんせう》な厚意《こうい》に對《たい》して窪《くぼ》んだ茶色《ちやいろ》の眼《め》を蹙《しが》める樣《やう》にして、洗《あら》ひもせぬ殼《から》の兩端《りやうはし》に小《ちひ》さな穴《あな》を穿《うが》つて啜《すゝ》るのであつた。彼《かれ》はおつぎの意中《いちう》を能《よ》く解《かい》して居《ゐ》るので其《そ》の吸殼《すひがら》は決《けつ》して目《め》につく處《ところ》へは棄《す》てないで細《こま》かに押《お》し揉《も》んで外《そと》へ出《で》る序《ついで》に他人《たにん》の垣根《かきね》の中《なか》などへ放棄《ほう》つた。それからも一つ僻《ひが》まうとする彼《かれ》の心《こゝろ》を爽《さわや》かにするのは與吉《よきち》であつた。疾《とう》から甘《あま》え切《き》つて居《ゐ》る與吉《よきち》は卯平《うへい》の戸口《とぐち》に立《た》ち塞《ふさ》がつては錢《ぜに》を請《こ》うた。狹《せま》い戸口《とぐち》は與吉《よきち》の小《ちひ》さな身體《からだ》でさへ卯平《うへい》の藁《わら》をいぢつて居《ゐ》る手《て》もとを薄闇《うすぐら》くした。卯平《うへい》は藁屑《わらくづ》と一つに投出《なげだ》してある胴亂《どうらん》から五|厘《りん》の銅貨《どうくわ》を出《だ》してやるのが例《れい》であるが、與吉《よきち》は自分《じぶん》で錢《ぜに》を出《だ》さうとして胴亂《どうらん》の大《おほ》きな金具《かなぐ》が容易《ようい》に開《あ》かないので怒《おこ》つて投《な》げ出《だ》して見《み》たり、卯平《うへい》へ縋《すが》つたりした。卯平《うへい》は態《わざ》と與吉《よきち》に倒《たふ》されて轉《ころ》がることもあつた。
勘次《かんじ》は與吉《よきち》が卯平《うへい》から錢《ぜに》を貰《もら》ふことを知《し》つてから只《たゞ》さへ滅多《めつた》にくれたことのない彼《かれ》は決《けつ》して一|度《ど》も與《あた》へることがなかつた。卯平《うへい》はそれを知《し》つてさへ與吉《よきち》に要求《えうきう》されることが却《かへつ》て彼《かれ》の爲《ため》にはどれ程《ほど》の慰藉《ゐしや》であるか知《し》れないのであつた。卯平《うへい》は悲慘《みじめ》な隱居《いんきよ》に移《うつ》るまでには野田《のだ》から持《も》つて來《き》た少《すこ》し許《ばか》りの蓄《たくは》へは幾《いく》らも財布《さいふ》に残《のこ》つては居《ゐ》なかつた。彼《かれ》は俄《にはか》に思《おも》ひ出《だ》した樣《やう》に一|日《にち》熱心《ねつしん》に仕事《しごと》に屈託《くつたく》して見《み》たり、又《また》勘次《かんじ》に對《たい》する自棄《やけ》から酒《さけ》も飮《の》んで見《み》たりした。酒《さけ》といつても知《し》れた分量《ぶんりやう》であるが、それでも藁《わら》一筋《ひとすぢ》づつを刻《きざ》んで行《ゆ》く仕事《しごと》の儲《まうけ》にのみ手頼《たよ》る彼《かれ》の懷《ふところ》を悲《かな》しくした。卯平《うへい》は其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《そんな》果敢《はか》ない仕事《しごと》でも、彼《かれ》の身體《からだ》が滯《とゞこほ》りなく又《また》勘次《かんじ》との間《あひだ》が融和《ゆうわ》されて居《ゐ》るならば彼《かれ》は好《す》きなコツプ酒《ざけ》の一|杯《ぱい》を傾《かたむ》ける序《ついで》に、酒《さけ》を壜《びん》に買《かつ》て勘次《かんじ》に與《あた》へることさへ不自由《ふじいう》を感《かん》じもしなければ、惜《を》しむこともないのであつた。勘次《かんじ》も疲勞《ひらう》した日《ひ》の夕方《ゆふがた》には唐鍬《たうぐは》を村落《むら》の店《みせ》の軒下《のきした》へ卸《おろ》して一|杯《ぱい》を傾《かたむ》けて來《く》るのであるが、嘗《かつ》て自分《じぶん》の家《うち》に運《はこ》んだこともなければ臭《くさ》い息《いき》を吐《は》く間《あひだ》は卯平《うへい》へ顏《かほ》を合《あは》せたこともなかつた。
卯平《うへい》は腰《こし》の疼痛《いたみ》に惱《なや》まされて、餘計《よけい》にかさ/\と乾《から》びて硬《こは》ばつて居《ゐ》る手《て》を動《うご》かし難《がた》くなると彼《かれ》は一|塊《くわい》の※[#「火+畏」、第3水準1−87−57]《おき》もない火鉢《ひばち》を枕元《まくらもと》に置《お》いて凝然《ぢつ》と蒲團《ふとん》を被《かぶ》つた儘《まゝ》である。彼《かれ》はさうでなくても嘗《かつ》てはき/\と口《くち》を利《き》いたこともなく、殊更《ことさら》勘次《かんじ》に對《たい》しては皺《しな》びた顏《かほ》の筋肉《きんにく》を更《さら》に蹙《しが》めて居《ゐ》るので、恁《か》うして凝然《ぢつ》として居《ゐ》ることをも勘次《かんじ》は僂麻質斯《レウマチス》が惱《なや》まして居《ゐ》るのだとは知《し》らないで、寧《むし》ろ老人《らうじん》に通有《つういう》な倦怠《けんたい》に伴《ともな》ふ睡眠《すゐみん》を貪《むさぼ》つて居《ゐ》るのだらう位《ぐらゐ》に見《み》るのであつた。枕元《まくらもと》の火鉢《ひばち》は戸口《とぐち》からでは彼《かれ》の薄《うす》い白髮《しらが》の頭《あたま》を掩《おほ》うて居《ゐ》た。彼《かれ》はさうかと思《おも》ふと起《お》きて一|心《しん》に草鞋《わらぢ》を作《つく》ることがある。彼《かれ》の仕事《しごと》は老衰《らうすゐ》して面倒《めんだう》な樣《やう》であるが、其《そ》の天性《てんせい》の器用《きよう》は失《うしな》はれなかつた。彼《かれ》は五|足《そく》づつを一《ひと》つに束《たば》ねた草鞋《わらぢ》とそれから繩《なは》が一荷物《ひとにもつ》に成《な》ると大風呂敷《おほぶろしき》で脊負《しよ》つて出《で》た。それは大抵《たいてい》暖《あたゝ》かな日《ひ》に限《かぎ》られて居《ゐ》るのであつたが、其《その》時《とき》は彼《かれ》の大《おほ》きな躯幹《からだ》はきりゝと帶《おび》を締《し》めて、股引《もゝひき》の上《うへ》に高《たか》く尻《しり》を端折《はしよ》つてまだ頼母《たのも》しげにがつしりとして見《み》えるのであつた。
卯平《うへい》は斯《か》うして仕事《しごと》をして見《み》たり寐《ね》て見《み》たり、それから自分《じぶん》で小鍋立《こなべだて》をするかと思《おも》へば家族《かぞく》三|人《にん》と共《とも》に膳《ぜん》へ向《むか》つたり、側《そば》から見《み》て居《ゐ》る勘次《かんじ》には氣《き》が知《し》れぬ爺《ぢい》さんであつた。卯平《うへい》は時々《とき/″\》鹽鮭《しほざけ》の一切《ひときれ》を古新聞紙《ふるしんぶんし》の端《はし》へ包《つゝ》んで來《き》ては火鉢《ひばち》へ鐵《てつ》の火箸《ひばし》を渡《わた》して、少《すこ》し燻《いぶ》る麁朶《そだ》の火《ひ》に燒《や》いた。彼《かれ》は危險《あぶな》い手《て》もとで間違《まちが》つて落《おと》しては灰《はひ》にくるまつても口《くち》でふう/\と吹《ふ》いて手《て》でばた/\と叩《たゝ》くのみで洗《あら》ふこともしなかつた。じり/\と白《しろ》く火箸《ひばし》へ燒《や》け附《つ》いた鹽《しほ》が長《なが》く火箸《ひばし》に臭氣《しうき》
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