とき》から彼《かれ》には心掛《こころがか》りであつた。すぐつた藁《わら》も繩《なは》も別《べつ》に取《と》つて置《お》きながら只《たゞ》忙《せは》しくて放棄《うつちや》つて出《で》て行《い》つたのである。
お品《しな》は毎日《まいにち》閉《し》め切《き》つて居《ゐ》た表《おもて》の雨戸《あまど》を一|枚《まい》だけ開《あ》けさせた。からりとした蒼《あを》い空《そら》が見《み》えて日《ひ》が自分《じぶん》の居《ゐ》る蒲團《ふとん》に近《ちか》くまで偃《は》つた。お品《しな》は此《こ》れまでは明《あか》るい外《そと》を見《み》ようと思《おも》ふには餘《あま》りに心《こゝろ》が鬱《うつ》して居《ゐ》た。お品《しな》は庭先《にはさき》の栗《くり》の木《き》から垂《た》れた大根《だいこ》が褐色《かつしよく》に干《ひ》て居《ゐ》るのを見《み》た。おつぎも勘次《かんじ》の横《よこ》へ筵《むしろ》を敷《し》いて又《また》大根《だいこ》を切《き》つて居《ゐ》る。其《その》庖丁《はうちやう》のとん/\と鳴《な》る間《あひだ》に忙《せは》しく八人坊主《はちにんばうず》を動《うご》かしてはさらさらと藁《わら》を扱《しご》く音《おと》が微《かす》かに交《まじ》つて聞《きこ》える。お品《しな》は二人《ふたり》の姿《すがた》を前《まへ》にして酷《ひど》く心強《こゝろづよ》く感《かん》じた。其《そ》の日《ひ》は栗《くり》の木《き》に懸《か》けた大根《だいこ》の動《うご》かぬ程《ほど》穩《おだや》かな日《ひ》であつた。お品《しな》は此《こ》の分《ぶん》で行《ゆ》けば一枚紙《いちまいがみ》を剥《は》がすやうに快《こゝろ》よくなることゝ確信《かくしん》した。勘次《かんじ》は藁俵《わらだはら》を編《あ》み了《を》へて、さうして端《はし》を縛《しば》つた小《ちひ》さな藁《わら》の束《たば》を丸《まる》く開《ひら》いて、それを足《あし》の底《そこ》に踏《ふ》んで踵《かゝと》を中心《ちうしん》に手《て》と足《あし》とを筆規《ぶんまはし》のやうにしてぐる/\と廻《まは》りながら丸《まる》い俵《たはら》ぼつちを作《つく》つた。勘次《かんじ》はお品《しな》がどうにか始末《しまつ》をして置《お》いた麥藁俵《むぎわらだはら》を明《あ》けて仕上《しあ》げた計《ばか》りの藁俵《わらだはら》へ米《こめ》を量《はか》り込《こ》んだ。米《こめ》には赤《あか》い粒《つぶ》もあつたが籾《あら》が少《すこ》し交《まじ》つて居《ゐ》てそれが目《め》に立《た》つた。
「籾《あら》が少《すこ》したかゝつたな[#「たかゝつたな」に傍点]」勘次《かんじ》はふとさういつた。
「さうだつけかな、それでも俺《お》ら唐箕《たうみ》は強《つよ》く立《た》てた積《つもり》なんだがなよ、今年《ことし》は赤《あか》も夥多《しつかり》だが磨臼《するす》の切《き》れ方《かた》もどういふもんだか惡《わり》いんだよ」とお品《しな》は少《すこ》し身《み》を動《うご》かして分疏《いひわけ》するやうにいつた。
「尤《もつと》も此《この》位《くれえ》ぢや旦那《だんな》も大目《おほめ》に見《み》てくれべえから心配《しんぺえ》はあんめえがなよ」勘次《かんじ》は直《すぐ》にお品《しな》の病氣《びやうき》に心付《こゝろづ》いて恁《か》ういつた。壁際《かべぎは》には藁《わら》の器用《きよう》な俵《たはら》が規則正《きそくたゞ》しく積《つ》み換《かへ》られた。お品《しな》はそれを一|心《しん》に見《み》た。それもお品《しな》を快《こゝろ》よくする一《ひと》つであつた。勘次《かんじ》は俵《たはら》の側《そば》な[#「な」に「ママ」の注記]手桶《てをけ》の蓋《ふた》をとつて
「此《こ》りや蒟蒻《こんにやく》だな」といつた。
「俺《お》らそれ仕入《しいれ》たつきり起《おき》られねえんだよ」お品《しな》は枕《まくら》を手《て》で動《うご》かしていつた。勘次《かんじ》は又《また》葢《ふた》をした。
靜《しづ》かな空《そら》をぢり/\と移《うつ》つて行《ゆ》く日《ひ》が傾《かたぶ》いたかと思《おも》ふと一|散《さん》に落《お》ちはじめた。冬《ふゆ》の日《ひ》はもう短《みじか》い頂點《ちやうてん》に達《たつ》して居《ゐ》るのである。勘次《かんじ》はまだ日《ひ》が有《あ》るからといつて鍬《くは》を擔《かつ》いで麥畑《むぎばたけ》へ出《で》た。然《しか》し幾《いく》らも耕《たがや》さぬうちに日《ひ》は落《お》ちて俄《には》かに冷《つめ》たく成《な》つた世間《せけん》は暗澹《あんたん》として來《き》た。お品《しな》は勘次《かんじ》を出《だ》して酷《ひど》く遣瀬《やるせ》ないやうな心持《こゝろもち》になつて、雨戸《あまど》を引《ひか》せて闇《くら》い方《はう》へ向《むい》て目《め》を閉《と》ぢた。
冬至《とうじ》はもう間《あひだ》が二日しか無《な》くなつた。朝《あさ》の内《うち》に勘次《かんじ》は蒟蒻《こんにやく》の葢《ふた》をとつて見《み》て
「どうしたもんだかな、俺《おれ》でも擔《かつ》いて歩《ある》つてんべかな、恁《かう》して置《お》いたんぢや仕《し》やうねえかんな」お品《しな》へ相談《さうだん》して見《み》た。
「さうよな、それよりか俺《お》らどつちかつちつたら大根《だいこ》でも漬《つけ》て貰《もれ》へてえな、毎日《まいんち》栗《くり》の木《き》見《み》て居《ゐ》て干過《ほしす》ぎやしめえかと思《おも》つて心配《しんぺえ》してんだからよ」お品《しな》は訴《うつた》へるやうにいつてさうして更《さら》に
「自分《じぶん》で丈夫《ぢやうぶ》でせえありや疾《とつ》くにやつちまつたんだが」と小聲《こごゑ》でいつた。お品《しな》はどうも勘次《かんじ》を出《だ》すのが厭《いや》であつた。然《しか》し何《なん》だかさう明白地《あからさま》にもいはれないので恁《か》ういつたのであつた。
「勘次《かんじ》さん鹽《しほ》見《み》てくんねえか、俺《お》ら大丈夫《だえぢよぶ》有《あ》ると思《おも》つてたつけがなよ、それからこつちの桶《をけ》の糠《ぬか》がえゝんだよ、そつちのがにや房州砂《ばうしうずな》交《まじ》つてんだから」お品《しな》はいつた。
「おうい」勘次《かんじ》はいつて、
「房州砂《ばうしうずな》でも何《なん》でも構《かま》あめえ、どうで糠《ぬか》喰《く》ふんぢやあんめえし、それにこつちなちつと凝結《こご》つてら」
「勘次《かんじ》さんそんでも入《せ》えんなよ、毒《どく》だつちんだから、俺《おれ》折角《せつかく》別《べつ》にしてたんだから」お品《しな》は少《すこ》し身《み》を起《おこ》し掛《か》けていつた。
「さうかそんぢやさうすべよ」それから鹽《しほ》を改《あらた》めて見《み》て
「どうして此《こ》れだけ使《つか》へ切《き》れるもんけえ」と勘次《かんじ》はいつた。お品《しな》は勘次《かんじ》が梯子《はしご》を掛《か》けて一《ひと》つ/\に大根《だいこ》を外《はず》すのも小糠《こぬか》を筵《むしろ》へ量《はか》るのも白《しろ》い鹽《しほ》を小糠《こぬか》へ交《ま》ぜるのも滿足氣《まんぞくげ》に見《み》て居《ゐ》た。
お品《しな》は勘次《かんじ》を外《ほか》へ遣《や》るのが厭《いや》なのでさうはいはずに時々《とき/″\》おつぎに足《あし》をさすらせた。さうすると勘次《かんじ》は
「どうした幾《いく》らか惡《わる》いのか」と自分《じぶん》も一|心《しん》に蒲團《ふとん》の裾《すそ》へ手《て》を掛《か》ける。勘次《かんじ》は庭《には》から外《そと》へは出《で》られなかつた。
それでも冬至《とうじ》が明日《あす》と迫《せま》つた日《ひ》に勘次《かんじ》は蒟蒻《こんにやく》を持《も》つて出《で》た。お品《しな》もそれは止《と》めなかつた。もう幾人《いくにん》か歩《ある》いた後《あと》なので、思《おも》ふやうには捌《は》けなかつたがそれでも勘次《かんじ》はお品《しな》にひかされて、まだ殘《のこ》つて居《ゐ》る蒟蒻《こんにやく》を擔《かつ》いで歸《かへ》つて來《き》て畢《しま》つた。
「蒟蒻《こんにやく》はお品《しな》がもんだから、錢《ぜに》はみんなおめえげ遣《や》つて置《お》くべ」勘次《かんじ》は銅貨《どうくわ》をぢやら/\とお品《しな》の枕元《まくらもと》へ明《あ》けた。お品《しな》は銅貨《どうくわ》を一つ/\勘定《かんぢやう》した。さうして資本《もとで》を引《ひ》いても幾《いく》らかの剩餘《あまり》があつたので
「勘次《かんじ》さん思《おも》ひの外《ほか》だつけな、まあだあと餘程《よつぽど》あんべえか」といつた。
「幾《いく》らでもねえな、はあ此丈《これだけ》ぢや又《また》出《で》る程《ほど》のこつてもあんめえよ」勘次《かんじ》はいつた。お品《しな》は自分《じぶん》の手《て》で錢《ぜに》を蒲團《ふとん》の下《した》へ入《い》れた。其《そ》の日《ひ》お品《しな》は勘次《かんじ》を出《だ》して情《なさけ》ないやうな心持《こゝろもち》がして居《ゐ》たのであるが、思《おも》つたよりは商《あきなひ》をして來《き》て呉《く》れたので一|日《にち》の不足《ふそく》が全《まつた》く恢復《くわいふく》された。さうして
「菜《な》は畑《はたけ》へ置《お》きつ放《ぱな》しだつけべな」勘次《かんじ》がいつた時《とき》お品《しな》も驚《おどろ》いたやうに
「ほんにさうだつけなまあ、後《おく》れつちやつたつけなあ、俺《お》ら忘《わす》れてたつけが大丈夫《だえぢよぶ》だんべかなあ」といつた。
「そんぢや俺《お》ら今《いま》つからでも曳《ひ》ける丈《だけ》曳《ひ》くべ」勘次《かんじ》はおつぎを連《つ》れて出《で》た。冬至《とうじ》になるまで畑《はたけ》の菜《な》を打棄《うつちや》つて置《お》くものは村《むら》には一人《ひとり》もないのであつた。勘次《かんじ》は荷車《にぐるま》を借《か》りて黄昏《ひくれ》までに二|車《くるま》挽《ひ》いた。青菜《あをな》の下葉《したば》はもうよく/\黄色《きいろ》に枯《か》れて居《ゐ》た。お品《しな》は二人《ふたり》を出《だ》し薄暗《うすぐら》くなつた家《いへ》にぼつさりして居《ゐ》ても畑《はたけ》の收穫《しうくわく》を思案《しあん》して寂《さび》しい不足《ふそく》を感《かん》じはしなかつた。
夏季《かき》の忙《いそが》しいさうして野菜《やさい》の缺乏《けつばふ》した時《とき》には彼等《かれら》の唯一《ゆゐいつ》の副食物《ふくしよくぶつ》が鹽《しほ》を噛《か》むやうな漬物《つけもの》に限《かぎ》られて居《ゐ》るので、大根《だいこ》でも青菜《あをな》でも比較的《ひかくてき》餘計《よけい》な蓄《たくは》へをすることが彼等《かれら》には重大《ぢゆうだい》な條件《でうけん》の一《ひと》つに成《な》つてるのである。
冬至《とうじ》の日《ひ》も靜《しづ》かであつた。此《こ》の頃《ごろ》になつてから此處《ここ》ばかりは忘《わす》れたかと思《おも》ふやうに西風《にしかぜ》が止《や》んで居《ゐ》る。晝《ひる》の一《ひと》しきりは冷《つめ》たい空氣《くうき》を透《とほ》して日《ひ》が暖《あたゝ》かに射《さ》し掛《か》けた。お品《しな》は朝《あさ》から心持《こゝろもち》が晴々《はれ/″\》して日《ひ》が昇《のぼ》るに連《つ》れて蒲團《ふとん》へ起《お》き直《なほ》つて見《み》たが、身體《からだ》が力《ちから》の無《な》いながらに妙《めう》に輕《かる》く成《な》つたことを感《かん》じた。自分《じぶん》の蒲團《ふとん》の側《そば》まで射《さ》し込《こ》む日《ひ》に誘《さそ》ひ出《だ》されたやうに、雨戸《あまど》の閾際《しきゐぎは》まで出《で》て與吉《よきち》を抱《だ》いては倒《たふ》して見《み》たり、擽《くすぐ》つて見《み》たりして騷《さわ》がした。
勘次《かんじ》はおつぎを相手《あひて》に井戸端《ゐどばた》で青菜《あをな》の始末《しまつ》をして居《ゐ》る。根《ね》を切《き》つて
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