なみ》は草臥《くたび》れたもんだから俺《お》ら先《さき》へ出《で》たんだがな、南《みなみ》もあの分《ぶん》ぢや今夜《こんや》もなか/\容易《ようい》ぢやあんめえよ、それに汽舩《じようき》が又《また》後《おく》れつちやつてな」
 勘次《かんじ》はいひながら草鞋《わらじ》をとつた。手拭《てぬぐひ》の端《はし》へ括《くゝ》つて來《き》た鰯《いわし》の包《つゝ》みをかさりとお品《しな》の枕元《まくらもと》へ投《な》げて、首《くび》へつけて居《ゐ》た風呂敷《ふろしき》包をどさりと置《お》いて勘次《かんじ》は庭《には》へ出《で》て足《あし》を洗《あら》つた。勘次《かんじ》はお品《しな》の枕元《まくらもと》へ座《ざ》を占《し》めた。
「そんなに惡《わる》くなくつちやそれでもよかつた、俺《お》らどうしたかと思《おも》つてな」勘次《かんじ》は改《あらた》めて又《また》いつた。
「お品《しな》おまんまは喰《た》べてか」勘次《かんじ》はつけ足《た》した。
「先刻《さつき》おつうに米《こめ》のお粥《けえ》炊《た》いて貰《もら》つてそれでもやつと掻《か》つ込《こ》んだところだよ」
「それぢやどうした、途中《とちゆう》で見付《みつ》けて來《き》たんだから一|疋《ぴき》やつて見《み》ねえか」勘次《かんじ》は手《て》ランプをお品《しな》の枕元《まくらもと》へ持《も》つて來《き》て鰯《いわし》の包《つゝみ》を解《と》いた。鰯《いわし》は手《て》ランプの光《ひかり》できら/\と青《あを》く見《み》えた。
「ほんによなあ」お品《しな》は俯伏《うつぶ》しになつて恁《か》ういつた。
「おつう、其處《そこ》へ火《ひ》でも吹《ふ》つたけて見《み》ねえか」勘次《かんじ》はいつた。
「勘次《かんじ》さんそら大變《たいへん》だつけな、俺《お》らそんなにや要《え》らなかつたな」
「今《いま》だから何時《いつ》までも保《も》つよ、さうしてお前《めえ》も力《ちから》つけろな」
「汽船《じようき》に乘《の》つて來《き》たつて餘《よ》つ程《ぽど》費用《かゝり》も掛《かゝ》つたんべな」
「さうよ、二人《ふたり》で六十|錢《せん》ばかりだが此《これ》は俺《おれ》出《だ》したのよ、南《みなみ》に出《だ》させる譯《わけ》にも行《え》かねえかんな」
「それぢや稼《かせ》えだ錢《ぜね》それだけ立投《たてなげ》にしつちやつたな」
「そんでも財布《せえふ》にやまあだ有《あ》るよ、七日《なぬか》ばかり働《はたら》えてそれでも二|兩《りやう》は殘《のこ》つたかんな、そんで又《また》行《い》く筈《はず》で前借《さきがり》少《すこ》しして來《き》たんだ、こつちの方《はう》から行《い》つてる連中《れんぢう》が保證《ほしよう》してくれてな」勘次《かんじ》は誇《ほこ》り顏《がほ》にいつた。
「俺《お》ら今日《けふ》見《み》てえだらえゝが、酷《ひど》く行逢《いきや》ひたくなつてなあ」お品《しな》は俯伏《うつぶ》した額《ひたひ》を枕《まくら》につけた。
「どうせ此處《ここ》らの始末《しまつ》もしねえで行《い》つたんだから、一遍《いつぺん》は途中《とちう》で歸《けえ》つて見《み》なくつちや成《な》らねえのがだから同《おな》じ事《こと》だよ」勘次《かんじ》はお品《しな》を覗《のぞ》き込《こむ》やうにしていつた。
「それでも俵《たはら》にしちや置《お》いたな」勘次《かんじ》は壁際《かべぎは》の麥藁俵《むぎわらだはら》を見《み》ていつた。お品《しな》はまだ俯伏《うつぶ》した儘《まゝ》である。
「あつちに居《ゐ》ちや錢《ぜに》は要《え》らねえな、煙草《たばこ》一|服《ぷく》吸《す》ふべえぢやなし、十五|日目《にちめ》が晦日《みそか》でそれまでは勘定《かんぢやう》なしで其《その》間《あひだ》は米《こめ》でも薪《まき》でもみんな通帳《かよひ》で借《か》りて置《お》く位《くれえ》なんだから、十五|日目《にちめ》に成《な》らなくつちや財布《せえふ》も膨《ふく》れねえが、又《また》百《ひやく》でも出《で》つこはねえかんな」勘次《かんじ》は更《さら》に出先《でさき》のことをお品《しな》へ聞《き》かせた。
「米《こめ》ばかり炊《た》えても毎日《まいにち》一|升《しよう》づゝは要《え》る位《くれえ》だから骨《ほね》も隨分《ずゐぶん》折《を》れんが出《で》せえすりや二|貫《くわん》と三|貫《ぐわん》は殘《のこ》せつから、歸《けえ》るまでにや俺《おれ》もどうにか成《な》ると思《おも》つてんのよ、さうすりや鹽鮭《しほびき》位《ぐれえ》は買《か》あことも出來《でき》らな」
「そんぢやよかつた、土方《どかた》なんちや碌《ろく》な奴等《やつら》は居《え》ねえつていふからどうしたかと思《おも》つてな」お品《しな》は首《くび》を擡《もた》げた。
「そんな奴等《やつら》と交際《つきえゝ》した日《ひ》にや限《かぎり》はねえが、隅《すみ》の方《はう》にちゞまつてりや何《なん》ともゆはねえな」勘次《かんじ》がついて居《ゐ》る間《あひだ》におつぎは枯粗朶《かれそだ》を折《をつ》て火鉢《ひばち》へ火《ひ》を起《おこ》した。勘次《かんじ》は火箸《ひばし》を渡《わた》して鰯《いわし》を三《み》つばかり乘《の》せた。鰯《いわし》の油《あぶら》がぢり/\と垂《た》れて青《あを》い焔《ほのほ》が立《た》つた。鰯《いわし》の臭《にほひ》が薄《うす》い煙《けむり》と共《とも》に室内《しつない》に滿《み》ちた。さうして其《その》臭《にほひ》がお品《しな》の食慾《しよくよく》を促《うなが》した。お品《しな》は俯伏《うつぶ》したなりで煙臭《けぶりくさ》くなつた鰯《いわし》を喰《た》べた。
「どうした鹽辛《しよつぱ》かあ有《あ》んめえ」
「有繋《まさか》佳味《うめ》えな」
「此《これ》でもこゝらの商人《あきんど》は持《も》つちや來《き》ねえぞ」勘次《かんじ》は一心《いつしん》に見《み》ながらいつた。
 お品《しな》は二匹《にひき》へ手《て》をつけて箸《はし》を置《お》きながら懷《ふところ》で眠《ねむ》つて居《ゐ》る與吉《よきち》を覗《のぞ》いて
「起《お》きて居《ゐ》たら大騷《おほさわ》ぎだんべ」といつた。
「いまつとたべろな」勘次《かんじ》はいつた。
「澤山《たくさん》だよ、おつうげもやつてくろうな」
「俺《おれ》も飯《めし》でも食《く》はうかえ」勘次《かんじ》は風呂敷包《ふろしきづゝみ》から辨當《べんたう》の殘《のこり》を出《だ》して冷《つめ》たい儘《まゝ》ぷす/\と噛《かぢ》つた。
「おうつ、お茶《ちや》は冷《つ》めたくなつたつけかな」お品《しな》はいつた。
「要《えら》ねえぞ仕事《しごと》に出《で》りや毎日《まえんち》かうだ」勘次《かんじ》は梅干《うめぼし》を少《すこ》しづゝ嘗《な》め減《へ》らした。辨當《べんたう》が盡《つ》きてから勘次《かんじ》は鰯《いわし》をおつぎへ挾《はさ》んでやつた。さうして自分《じぶん》でも一|口《くち》たべた。
「此《こ》りや佳味《うめ》えこたあ佳味《うめ》えが餘《あんま》りあまくつて俺《おら》がにや胸《むね》が惡《わる》くなるやうだな」勘次《かんじ》は冷《さ》めた湯《ゆ》を幾杯《いくはい》か傾《かたぶ》けた。勘次《かんじ》は風呂敷《ふろしき》から袋《ふくろ》を出《だ》してお品《しな》の枕元《まくらもと》へ置《お》いて
「米《こめ》これだけ殘《のこ》つたから持《も》つて來《き》たんだ、あつちに居《ゐ》ればえゝが幾日《いつか》でも明《あ》けると炊《た》かれつちやつても仕《し》やうねえかんな、そんぢや此《こ》りやおつうげやつて置《お》くんだ」
 勘次《かんじ》は米《こめ》の小《ちひ》さな袋《ふくろ》をおつぎへ渡《わた》した。
「袋《ふくろ》なんぞ又《また》何《なん》だと思《おも》つたよ」お品《しな》は輕《かる》くいつた。
「それでも薪《まき》は持《も》つて來《く》る譯《わけ》にも行《い》かねえから置《お》いて來《き》つちやつた」勘次《かんじ》は自《みづか》ら嘲《あざけ》るやうに目《め》から口《くち》へ掛《か》けて冷《つめ》たい笑《わらひ》が動《うご》いた。
「お品《しな》、足《あし》でもさすつてやんべぢやねえか」勘次《かんじ》はお品《しな》の裾《すそ》の方《はう》へ行《い》つた。
「えゝよ勘次《かんじ》さん、俺《お》ら今日《けふ》は日《ひ》のうちから心持《こゝろもち》えゝんだから、先刻《さつき》もおつうが揣《さす》つてやんべなんていふもんだから少しもやつてくろつて云《ゆ》つた處《ところ》だよ、こんぢや二三日《にさんち》も過《す》ぎたら勘次《かんじ》さんは又《また》行《い》けべえよ」お品《しな》は快《こゝろ》よげにいつた。
「今夜《こんや》はひどく心持《こゝろもち》えゝんだよ、えゝよ本當《ほんたう》だよ勘次《かんじ》さん、お前《めえ》草臥《くたびれ》たんべえな」更《さら》にお品《しな》は威勢《ゐせい》がついていつた。
 夜《よ》は深《ふ》けた。外《そと》の闇《やみ》は氷《こほ》つたかと思《おも》ふやうに只《たゞ》しんとした。蒟蒻《こんにやく》の水《みづ》にも紙《かみ》の如《ごと》き氷《こほり》が閉《と》ぢた。

         三

 次《つぎ》の朝《あさ》霜《しも》は白《しろ》く庭葢《にはぶた》の藁《わら》におりた。切干《きりぼし》の筵《むしろ》は三枚《さんまい》ばかり其《その》庭葢《にはぶた》の上《うへ》に敷《し》いた儘《まゝ》で、切干《きりぼし》には氷《こほり》を粉末《ふんまつ》にしたやうな霜《しも》が凝《こ》つて居《ゐ》て、東《ひがし》の森《もり》の隙間《すきま》から射《さ》し透《とほ》す朝日《あさひ》にきら/\と光《ひか》つた。白《しろ》い切干《きりぼし》は蒸《む》さずに干《ほ》したのであつた。切干《きりぼし》は雨《あめ》が降《ふ》らねば埃《ほこり》だらけに成《な》らうが芥《ごみ》が交《まじ》らうが晝《ひる》も夜《よる》も筵《むしろ》は敷《し》き放《はな》しである。
 勘次《かんじ》は霜柱《しもばしら》の立《たつ》てる小徑《こみち》を南《みなみ》へ行《い》つた。昨夜《ゆうべ》遲《おそ》かつたことやら何《なに》やら噺《はなし》をして暇《ひま》どつた。庭先《にはさき》から續《つゞ》く小《ちひ》さな桑畑《くはばたけ》の向《むかふ》に家《いへ》が見《み》えるので、平生《へいぜい》それを勘次《かんじ》の家《いへ》でも唯《たゞ》南《みなみ》とのみいつて居《ゐ》る。彼《かれ》が薦《こも》つくこ[#「薦《こも》つくこ」に傍点]を擔《かつ》いで歸《かへ》つて來《き》た時《とき》は日向《ひなた》の霜《しも》が少《すこ》し解《と》けて粘《ねば》ついて居《ゐ》た。お品《しな》は勘次《かんじ》が一寸《ちよつと》の間《ま》居《ゐ》なく成《な》つたので酷《ひど》く寂《さび》しかつた。此《こ》の朝《あさ》になつてからもお品《しな》の容態《ようだい》がいゝので勘次《かんじ》はほつと安心《あんしん》した。さうして斜《なゝめ》に遠《とほ》くから射《さ》す冬《ふゆ》の日《ひ》を浴《あ》びながら庭葢《にはぶた》の上《うへ》に筵《むしろ》を敷《し》いて俵《たはら》を編《あ》みはじめた。薦《こも》つくこは兩端《りやうたん》に足《あし》が附《つ》いて居《い》る。丁度《ちやうど》荷鞍《にぐら》の骨《ほね》のやうな簡單《かんたん》な道具《だうぐ》である。其《その》足《あし》から足《あし》へ渡《わた》した棒《ぼう》へ藁《わら》を一掴《ひとつか》みづゝ當《あ》てゝは八人坊主《はちにんばうず》をあつちへこつちへ打《ぶ》つ違《ちが》ひながら繩《なは》を締《し》めつゝ編《あ》むのである。八人坊主《はちにんばうず》といふのは其《その》繩《なは》を捲《ま》いたいはゞ小《ちひ》さな錘《おもり》である、八《やつ》つあるので八人坊主《はちにんばうず》といつて居《ゐ》る。小作米《こさくまい》を入《い》れる藁俵《わらだはら》を四五|俵分《へうぶん》作《つく》らねば成《な》らぬことが稼《かせ》ぎに出《で》る時《
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