、24−7]《ねえ》が處《とこ》へでも來《き》て見《み》ろ」といひながら忙《せは》しくぽつと一燻《ひとく》べ落葉《おちば》を燃《もや》して衣物《きもの》を灸《あぶ》つて與吉《よきち》へ着《き》せた。
「よき[#「よき」に傍点]は利口《りこう》だから※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1−85−57]のつくり」、24−9]《ねえ》が處《とこ》に居《ゐ》るんだぞ」お品《しな》はいつた。おつぎは自分《じぶん》の筵《むしろ》の上《うへ》へ抱《だ》いて行《い》つた。おつぎの手《て》は落葉《おちば》の埃《ほこり》で汚《よご》れて居《ゐ》た。再《ふたゝ》び庖丁《はうちやう》を持《も》つた時《とき》大根《だいこ》には指《ゆび》の趾《あと》がついた。おつぎは其《その》手《て》を半纏《はんてん》で拭《ぬぐ》つた。與吉《よきち》は側《そば》で刻《きざ》まれた大根《だいこ》へ手《て》を出《だ》す。
「危險《あぶねえ》よ、さあ此《これ》でも持《も》つて居《ゐ》ろ」おつぎは切《き》り掛《か》けの大根《だいこ》をやつた。與吉《よきち》は直《すぐ》にそれを噛《か》ぢつた。
「辛《から》くて仕《し》やうあんめえなよき[#「よき」に傍点]は」おつぎは甘《あま》やかすやうにいつた。お品《しな》にはそれが能《よ》く聞《きこ》えて二人《ふたり》がどんなことをして居《ゐ》るのかゞ分《わか》つた。お品《しな》の耳《みゝ》には續《つゞ》いて
「ぽうんとしたか、そらそつちへ行《い》つちやつた」といふ聲《こゑ》がしたかと思《おも》ふと
「こんだはぽうんとすんぢやねえかんな」といふ聲《こゑ》やそれから又《また》
「それ持《も》ち出《だ》すんぢやねえ、聽《き》かねえと此《これ》で切《き》つてやんぞ、赤《あか》まんまが出《で》るぞおゝ痛《いて》え」抔《など》とおつぎのいふのが聞《きこ》えた。其《その》度《たび》に庖丁《はうちやう》の音《おと》が止《や》む。お品《しな》には與吉《よきち》が惡戯《いたづら》をしたり、おつぎが痛《いた》いといつて指《ゆび》を啣《くは》へて見《み》せれば與吉《よきち》も自分《じぶん》の手《て》を口《くち》へ當《あて》て居《ゐ》るのが目《め》に見《み》えるやうである。お品《しな》はおつぎを平常《ふだん》から八釜敷《やかましく》して居《ゐ》たので餘所《よそ》の子《こ》よりも割合《わりあひ》に動《うご》けると思《おも》つて居《ゐ》るけれど、與吉《よきち》と巫山戯《ふざけ》たりして居《ゐ》るのを見《み》るとまだ子供《こども》だといふことが念頭《ねんとう》に浮《うか》ぶ。自分《じぶん》が勘次《かんじ》と相《あひ》知《し》つたのは十六の秋《あき》である。おつぎは恁《か》うして大人《おとな》らしく成《な》るであらうかと何時《いつ》になくそんなことを思《おも》つた。おつぎは十五であつた。
午餐《ひる》もお品《しな》は欲《ほ》しくなかつた。自分《じぶん》でも今日《けふ》は商《あきなひ》に出《で》られないと諦《あきら》めた。明日《あす》に成《な》つたらばと思《おも》つて居《ゐ》た。然《しか》しそれは空頼《そらだのみ》であつた。お品《しな》は依然《いぜん》として枕《まくら》を離《はな》れられない。有繋《さすが》に不安《ふあん》の念《ねん》が先《さき》に立《た》つた。お品《しな》はつい近頃《ちかごろ》行《い》つた勘次《かんじ》の事《こと》が頻《しき》りに思《おも》ひ出《だ》されて、こつちであれ程《ほど》働《はたら》いて行《い》つたのに屹度《きつと》休《やす》みもしないで錢取《ぜにとり》をして居《ゐ》るのだらうと思《おも》ふと、寒《さむ》くてもシヤツ一《ひと》つになつて、後《のち》には其《その》シヤツの端《はし》が拔《ぬ》け出《だ》して能《よ》く臍《へそ》が出《で》ることや、夜《よる》になると能《よ》く骨《ほね》がみり/\する樣《やう》だといつたことが目《め》の前《まへ》にあるやうで何《なん》だか逢《あ》ひたくて堪《たま》らぬやうな心持《こゝろもち》がするのであつた。
勘次《かんじ》は利根川《とねがは》の開鑿工事《かいさくこうじ》へ行《い》つて居《ゐ》た。秋《あき》の頃《ころ》から土方《どかた》が勸誘《くわんいう》に來《き》て大分《だいぶ》甘《うま》い噺《はなし》をされたので此《こ》の近村《きんそん》からも五六|人《にん》募集《ぼしふ》に應《おう》じた。勘次《かんじ》は工事《こうじ》がどんなことかも能《よ》く知《し》らなかつたが一|日《にち》の手間《てま》が五十|錢《せん》以上《いじやう》にもなるといふので、それが其《その》季節《きせつ》としては法外《はふぐわい》な値段《ねだん》なのに惚《ほ》れ込《こ》んで畢《しま》つたのである。工事《こうじ》の場所《ばしよ》は霞《かすみ》ヶ|浦《うら》に近《ちか》い低地《ていち》で、洪水《こうずゐ》が一|旦《たん》岸《きし》の草《くさ》を沒《ぼつ》すと湖水《こすゐ》は擴大《くわくだい》して川《かは》と一《ひと》つに只《たゞ》白々《しら/″\》と氾濫《はんらん》するのを、人工《じんこう》で築《きづ》かれた堤防《ていばう》が僅《わづか》に湖水《こすゐ》と川《かは》とを區別《くべつ》するあたりである。勘次《かんじ》は自分《じぶん》の土地《とち》と比較《ひかく》して茫々《ばう/\》たるあたりの容子《ようす》に呑《の》まれた。さうして工夫等《こうふら》に權柄《けんぺい》にこき使《つか》はれた。
勘次《かんじ》は愈《いよ/\》傭《やと》はれて行《ゆ》くとなつた時《とき》收穫《とりいれ》を急《いそ》いだ。冬至《とうじ》が近《ちか》づく頃《ころ》には田《た》はいふまでもなく畑《はたけ》の芋《いも》でも大根《だいこ》でもそれぞれ始末《しまつ》しなくてはならぬ。勘次《かんじ》はお品《しな》が起《お》きて竈《かまど》の火《ひ》を點《つ》けるうちには庭葢《にはぶた》へ籾《もみ》の筵《むしろ》を干《ほ》したりそれから獨《ひと》りで磨臼《すりうす》を挽《ひ》いたりして、それから大根《だいこ》も干《ほ》したり土《つち》へ活《い》けたりして闇《くら》いから闇《くら》いまで働《はたら》いた。それでも籾《もみ》が少《すこ》しと畑《はたけ》が少《すこ》し殘《のこ》つたのをお品《しな》がどうにかするといつたので出《で》て行《い》つたのである。
工事《こうじ》の箇所《かしよ》へは廿|里《り》もあつた。勘次《かんじ》は行《ゆ》けば直《すぐ》に錢《ぜに》になると思《おも》つたので漸《やうや》く一|圓《ゑん》ばかりの財布《さいふ》を懷《ふところ》にした。辨當《べんたう》をうんと背負《しよ》つたので目的地《もくてきち》へつくまでは渡錢《わたしせん》の外《ほか》には一|錢《せん》も要《い》らなかつた。
勘次《かんじ》は夜《よる》ついて其《その》次《つぎ》の日《ひ》には疲《つか》れた身體《からだ》で仕事《しごと》に出《で》た。彼《かれ》は半日《はんにち》でも無駄《むだ》な飯《めし》を喰《く》ふことを恐《おそ》れた。然《しか》し其《そ》の次《つぎ》の日《ひ》は過激《くわげき》な勞働《らうどう》から俗《ぞく》にそら手[#「そら手」に傍点]というて手《て》の筋《すぢ》が痛《いた》んだので二三|日《にち》仕事《しごと》に出《で》られなかつた。それから六七|日《にち》たつて烈《はげ》しい西風《にしかぜ》が吹《ふ》いた。勘次《かんじ》は薄《うす》い蒲團《ふとん》へくるまつて日《ひ》の中《うち》から冷《ひ》えてた足《あし》が暖《あたゝま》らなかつた。うと/\と熟睡《じゆくすゐ》することも出來《でき》ないで輾轉《ごろ/\》して長《なが》い夜《よ》を漸《やうや》く明《あか》した。
其《そ》の次《つぎ》の日《ひ》彼《かれ》は硬《こは》ばつたやうに感《かん》ずる手《て》を動《うご》かして冷《つめ》たいシヤブルの柄《え》を執《と》つて泥《どろ》にくるまつて居《ゐ》た。さうして居《ゐ》る處《ところ》へ村《むら》の近所《きんじよ》のものがひよつこり尋《たづ》ねて來《き》たので彼《かれ》は狐《きつね》にでも魅《つま》まれたやうに只《たゞ》驚《おどろ》いた。近所《きんじよ》の者《もの》は大勢《おほぜい》が只《たゞ》泥《どろ》のやうになつて動《うご》いて居《ゐ》るのでどれがどうとも識別《みわけ》がつかないで困《こま》つたといつて、勘次《かんじ》に逢《あ》うたことを反覆《くりかへ》して只《たゞ》悦《よろこ》んだ。途中《とちゆう》へ一晩《ひとばん》泊《とま》つたといふやうなことをいつて勘次《かんじ》が心《こゝろ》忙《せは》しく聞《き》く迄《まで》は理由《わけ》をいはなかつた。勘次《かんじ》は漸《やうや》くお品《しな》に頼《たの》まれて來《き》たのだといふことを知《し》つた。勘次《かんじ》はお品《しな》が病氣《びやうき》に罹《かゝ》つたのだといふのを聞《き》いて萬一《もし》かといふ懸念《けねん》がぎつくり胸《むね》にこたへた。さうして反覆《くりかへ》してどんな鹽梅《あんばい》だと聞《き》いた。噺《はなし》の容子《ようす》ではそれ程《ほど》でもないのかと思《おも》つても見《み》たが、それでも勘次《かんじ》は口《くち》を利《き》くにも唾《つば》が喉《のど》からぐつと突《つ》つ返《かへ》して來《く》るやうで落付《おちつ》かれなかつた。
其《そ》の日《ひ》の夜中《よなか》に彼等《かれら》は立《た》つた。勘次《かんじ》は自分《じぶん》も急《いそ》ぐし使《つかひ》を疲《つか》れた足《あし》で歩《ある》かせることも出來《でき》ないので霞《かすみ》ヶ|浦《うら》を汽船《きせん》で土浦《つちうら》の町《まち》へ出《で》た。夜《よる》は汽船《きせん》で明《あ》けたがどうしたのか途中《とちう》で故障《こしやう》が出來《でき》たので土浦《つちうら》へ着《つ》いたのは豫定《よてい》の時間《じかん》よりは遙《はろか》に後《おく》れて居《ゐ》た。土浦《つちうら》の町《まち》で勘次《かんじ》は鰯《いわし》を一包《ひとつゝ》み買《か》つて手拭《てねぐひ》で括《くゝ》つてぶらさげた。土浦《つちうら》から彼《かれ》は疲《つか》れた足《あし》を後《あと》に捨《す》てゝ自分《じぶん》は力《ちから》の限《かぎ》り歩《ある》いた。それでも村《なら》へはひつた時《とき》は行《ゆ》き違《ちが》ふ人《ひと》がぼんやり分《わか》る位《くらゐ》で自分《じぶん》の戸口《とぐち》に立《た》つた時《とき》は薄暗《うすくら》い手《て》ランプが柱《はしら》に懸《かゝ》つて燻《くす》ぶつて居《ゐ》た。勘次《かんじ》はひつそりとした家《いへ》のなかに直《すぐ》に蒲團《ふとん》へくるまつて居《ゐ》るお品《しな》の姿《すがた》を見《み》た。それからお品《しな》の足《あし》を揣《さす》つて居《ゐ》るおつぎに目《め》を移《うつ》した。
勘次《かんじ》は大戸《おほど》をがらりと開《あ》けて閾《しきゐ》を跨《また》いだ時《とき》何《なに》もいはずに只《たゞ》
「どうしてえ」といふのが先《さき》であつた。お品《しな》は勘次《かんじ》の聲《こゑ》を聞《き》いて思《おも》はず枕《まくら》を動《うご》かして
「勘次《かんじ》さんか」といつて更《さら》に
「南《みなみ》のおとつゝあは行《ゆ》き違《ちげえ》にでもならなかつたんべかな」といつた。
「行逢《いきや》つたよ。そんだがお前《めえ》どんな鹽梅《あんべえ》なんでえ」
「俺《お》らそれ程《ほど》でねえと思《おも》つて居《ゐ》たが三四日《さんよつか》横《よこ》に成《な》つた切《きり》でなあ、それでも今日等《けふら》はちつたあえゝやうだから此《この》分《ぶん》ぢや直《すぐ》に吹《ふ》つ返《けえ》すかとも思《おも》つてんのよ」
「そんぢやよかつた、俺《お》ら只《たゞ》ぢや歩《ある》いてもよかつたが、南《みなみ》こと又《また》歩《ある》かせちや濟《す》まねえから同志《どうし》に土浦《つちうら》まで汽船《じようき》で乘《の》つ着《つ》けたんだが、南《み
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