》は大釜《おほがま》の下《した》にぽつぽと火《ひ》を焚《た》いてあたつて居《ゐ》る。風呂《ふろ》から出《で》ても彼等《かれら》は茹《ゆだ》つたやうな赤《あか》い腿《もゝ》を出《だ》して火《ひ》の側《そば》へ寄《よ》つた。
「どうだね、一燻《ひとく》べあたつたらようがせう、今《いま》直《すぐ》に明《あ》くから」と傭人《やとひにん》がいつてくれてもお品《しな》は臀《しり》から冷《ひ》えるのを我慢《がまん》して凝然《ぢつ》と辛棒《しんぼう》して居《ゐ》た。懷《ふところ》で眠《ねむ》つた與吉《よきち》を騷《さわ》がすまいとしては足《あし》の痺《しび》れるので幾度《いくど》か身體《からだ》をもぢ/\動《うご》かした。漸《やうや》く風呂《ふろ》の明《あ》いた時《とき》はお品《しな》は待遠《まちどほ》であつたので前後《ぜんご》の考《かんがへ》もなく急《いそ》いで衣物《きもの》をとつた。與吉《よきち》は幸《さいは》ひにぐつたりと成《な》つてお袋《ふくろ》の懷《ふところ》から離《はな》れるのも知《し》らないのでおつぎが小《ちひ》さな手《て》で抱《だ》いた。お品《しな》は段々《だん/\》と身體《からだ》が暖《あたゝ》まるに連《つ》れて始《はじ》めて蘇生《いきかへ》つたやうに恍惚《うつとり》とした。いつまでも沈《しづ》んで居《ゐ》たいやうな心持《こゝろもち》がした。與吉《よきち》が泣《な》きはせぬかと心付《こゝろづ》いた時《とき》碌《ろく》に洗《あら》ひもしないで出《で》て畢《しま》つた。それでも顏《かほ》がつや/\として髮《かみ》の生際《はえぎは》が拭《ぬぐ》つても/\汗《あせ》ばんだ。さうしてしみ/″\と快《こゝろよ》かつた。お品《しな》は衣物《きもの》を引《ひ》つ掛《か》けると直《す》ぐと與吉《よきち》を内懷《うちふところ》へ入《い》れた。お品《しな》の後《あと》へは下女《げぢよ》が這入《はひ》つたので、おつぎは其《その》間《あひだ》待《ま》たねばならなかつた。おつぎが出《で》た時《とき》はお品《しな》の身體《からだ》は冷《さ》め掛《か》けて居《ゐ》た。お品《しな》は自分《じぶん》が後《あと》ではい[#「い」に「ママ」の注記]ればよかつたのにと後悔《こうくわい》した。
 お品《しな》が自分《じぶん》の股引《もゝひき》と足袋《たび》とをおつぎに提《さ》げさせて歸《かへ》つた時《とき》に月《つき》は竊《ひそか》に隣《となり》の森《もり》の輪郭《りんくわく》をはつきりとさせて其《その》森《もり》の隙間《すきま》が殊《こと》に明《あか》るく光《ひか》つて居《ゐ》た。世間《せけん》がしみ/″\と冷《ひ》えて居《ゐ》た。お品《しな》は薄《うす》い垢《あか》じみた蒲團《ふとん》へくるまると、身體《からだ》が又《また》ぞく/\として膝《ひざ》か[#「か」に「ママ」の注記]しらが氷《こほ》つたやうに成《な》つて居《ゐ》たのを知《し》つた。

         二

 次《つぎ》の朝《あさ》お品《しな》はまだ戸《と》の隙間《すきま》から薄《うす》ら明《あか》りの射《さ》したばかりに眼《め》が覺《さ》めた。枕《まくら》を擡《もた》げて見《み》たが頭《あたま》の心《しん》がしく/\と痛《いた》むやうでいつになく重《おも》かつた。狹《せば》い家《いへ》の内《うち》に羽叩《はばた》く鷄《にはとり》の聲《こゑ》がけたゝましく耳《みゝ》の底《そこ》へ響《ひゞ》いた。おつぎはまだすや/\として眠《ねむ》つて居《ゐ》る。戸《と》の隙間《すきま》が瞼《まぶた》を開《ひら》いたやうに明《あか》るくなつた時《とき》鷄《にはとり》が復《ま》た甲走《かんばし》つて鳴《な》いた。お品《しな》はおつぎを今朝《けさ》は緩《ゆつ》くりさせてやらうと思《おも》つて居《ゐ》た。それでもおつぎは鷄《にはとり》が又《また》鳴《な》いた時《とき》むつくり起《お》きた。いつもと違《ちが》つて餘《あま》りひつそりして居《ゐ》るので驚《おどろ》いたやうにあたりを見《み》た。さうしてお袋《ふくろ》がまだ自分《じぶん》の傍《そば》に蒲團《ふとん》へくるまつてるのを見《み》た。
「おつう、せかねえでもえゝぞ、俺《お》ら今朝《けさ》少《すこ》し工合《ぐえゝ》が惡《わり》いから緩《ゆつ》くりすつかんなよ」お品《しな》はいつた。おつぎは暫《しばら》くもぢ/\しながら帶《おび》を締《しめ》て大戸《おほど》を一|枚《まい》がら/\と開《あ》けて目《め》をこすりながら庭《には》へ出《で》た。井戸端《ゐどばた》の桶《をけ》には芋《いも》が少《すこ》しばかり水《みづ》に浸《ひた》してあつて、其《その》水《みづ》には氷《こほり》がガラス板《いた》位《ぐらゐ》に閉《と》ぢて居《ゐ》る。おつぎは鍋《なべ》をいつも磨《みが》いて居《ゐ》る砥石《といし》の破片《かけ》で氷《こほり》を叩《たゝ》いて見《み》た。おつぎは大戸《おほど》を開《あ》け放《はな》して置《お》いたので朝《あさ》の寒《さむ》さが侵入《しんにふ》したのに氣《き》がついて
「おつかあ、寒《さむ》かなかつたか、俺《お》ら知《し》らねえで居《ゐ》た」いひながら大戸《おほど》をがら/\と閉《し》めた。闇《くら》くなつた家《いへ》の内《うち》には竈《かまど》の火《ひ》のみが勢《いきほ》ひよく赤《あか》く立つた。おつぎは
「おゝ冷《つめ》てえ」といひながら竈《かまど》の口《くち》から捲《まく》れて出《で》る※[#「陷のつくり+炎」、第3水準1−87−64]《ほのほ》へ手《て》を翳《かざ》して
「今朝《けさ》は芋《いも》の水《みづ》氷《こほ》つたんだよ」とお袋《ふくろ》の方《はう》を向《む》いていつた。
「うむ、霜《しも》も降《ふ》つたやうだな」お品《しな》は力《ちから》なくいつた。戸口《とぐち》を後《うしろ》にしてお品《しな》は竈《かまど》の火《ひ》のべろ/\と燃《も》え上《あが》るのを見《み》た。
「何處《どこ》でも眞白《まつしろ》だよ」おつぎは竹《たけ》の火箸《ひばし》で落葉《おちば》を掻《か》き立《た》てながらいつた。
「夜明《よあけ》にひどく冷々《ひや/\》したつけかんな」お品《しな》はいつて一寸《ちよつと》首《くび》を擡《もた》げながら
「俺《お》ら今朝《けさ》はたべたかねえかんな、汝《われ》構《かま》あねえで出來《でき》たらたべた方《はう》がえゝぞ」お品《しな》はいつた。又《また》氷《こほ》つた飯《めし》で雜炊《ざふすゐ》が煮《に》られた。
「おつかあ、ちつとでもやらねえか」おつぎは茶碗《ちやわん》をお袋《ふくろ》の枕元《まくらもと》へ出《だ》した。雜炊《ざふすゐ》の焦《こ》げついたやうな臭《にほ》ひがぷんと鼻《はな》を衝《つ》いた時《とき》お品《しな》は箸《はし》を執《と》つて見《み》ようかと思《おも》つて俯伏《うつぶ》しになつて見《み》たが、直《すぐ》に壓《いや》になつて畢《しま》つた。お品《しな》が動《うご》いたので懷《ふところ》の與吉《よきち》は泣《な》き出《だ》した。お品《しな》は俯伏《うつぶ》した儘《まゝ》乳房《ちぶさ》を含《ふく》ませた。さうして又《また》芋《いも》の串《くし》を拵《こしら》へて持《も》たせた。
 お品《しな》が表《おもて》の大戸《おほど》を開《あ》けさせた時《とき》は日《ひ》がきら/\と東隣《ひがしどなり》の森《もり》越《ご》しに庭《には》へ射《さ》し掛《か》けてきつかりと日蔭《ひかげ》を限《かぎ》つて解《と》け殘《のこ》つた霜《しも》が白《しろ》く見《み》えて居《ゐ》た。庭先《にはさき》の栗《くり》の木《き》の枯葉《かれは》からも、枝《えだ》へ掛《か》けた大根《だいこ》の葉《は》からも霜《しも》が解《と》けて雫《しづく》がまだぽたり/\と垂《た》れて居《ゐ》る。庭《には》へ敷《し》いてある庭葢《にはぶた》の藁《わら》も只《たゞ》ぐつしりと濕《しめ》つて居《ゐ》る。冬《ふゆ》になると霜柱《しもばしら》が立《た》つので庭《には》へはみんな藁屑《わらくづ》だの蕎麥幹《そばがら》だのが一|杯《ぱい》に敷《し》かれる。それが庭葢《にはぶた》である。霜柱《しもばしら》が庭《には》から先《さき》の桑畑《くはばたけ》にぐらり/\と倒《たふ》れつゝある。
 お品《しな》は蒲團《ふとん》の中《なか》でも滅切《めつきり》暖《あたゝ》かく成《な》つたことを感《かん》じた。時々《とき/″\》枕《まくら》を擡《もた》げて戸口《とぐち》から外《そと》を見《み》る。さうしては麥藁俵《むぎわらだはら》の側《そば》に置《お》いた蒟蒻《こんにやく》の手桶《てをけ》をどうかすると無意識《むいしき》に見《み》つめる。横《よこ》に成《な》つて居《ゐ》る目《め》からは東隣《ひがしどなり》の森《もり》の梢《こずゑ》が妙《めう》に變《かは》つて見《み》えるので凝然《ぢつ》と見《み》つめては目《め》が疲《つか》れるやうに成《な》るので又《また》蒟蒻《こんにやく》の手桶《てをけ》へ目《め》を移《うつ》したりした。お品《しな》はどうかして少《すこ》しでも蒟蒻《こんにやく》を減《へ》らして置《お》きたいと思《おも》つた。お品《しな》は其《その》内《うち》に起《お》きられるだらうと考《かんが》へつゝ時々《とき/″\》うと/\と成《な》る。
「切干《きりぼし》でも切《き》つたもんだかな」おつぎが庭《には》から大《おほ》きな聲《こゑ》でいつた時《とき》お品《しな》はふと枕《まくら》を擡《もた》げた。それでおつぎの聲《こゑ》は意味《いみ》も解《わか》らずに微《かす》かに耳《みゝ》に入《い》つた。
 暫《しばら》くたつてからお品《しな》は庭《には》でおつぎがざあと水《みづ》を汲《く》んでは又《また》間《あひだ》を隔《へだ》てゝざあと水《みづ》を汲《く》んで居《ゐ》るのを聞《き》いた。おつぎは大根《だいこ》を洗《あら》つた。おつぎは庭葢《にはぶた》の上《うへ》に筵《むしろ》を敷《し》いて暖《あたゝ》かい日光《につくわう》に浴《よく》しながら切干《きりぼし》を切《き》りはじめた。大根《だいこ》を横《よこ》に幾《いく》つかに切《き》つて、更《さら》にそれを竪《たて》に割《わ》つて短册形《たんざくがた》に刻《きざ》む。おつぎは飯臺《はんだい》へ渡《わた》した爼板《まないた》の上《うへ》へとん/\と庖丁《はうちやう》を落《おと》しては其《その》庖丁《はうちやう》で白《しろ》く刻《きざ》まれた大根《だいこ》を飯臺《はんだい》の中《なか》へ扱《こ》き落《おと》す。お品《しな》は切干《きりぼし》を刻《きざ》む音《おと》を聞《き》いた時《とき》先刻《さつき》のは大根《だいこ》を洗《あら》つて居《ゐ》たのだなと思《おも》つた。お品《しな》は二三|日《にち》此《この》來《かた》もう切干《きりぼし》も切《き》らなければならないと自分《じぶん》が口《くち》について云《い》つて居《ゐ》たことを思《おも》ひ出《だ》して、おつぎが能《よ》く機轉《きてん》を利《き》かしたと心《こゝろ》で悦《よろこ》んだ。庖丁《はうちやう》の音《おと》が雨戸《あまど》の外《そと》に近《ちか》く聞《きこ》える。お品《しな》は身體《からだ》を半分《はんぶん》蒲團《ふとん》からずり出《だ》して見《み》たら、手拭《てぬぐひ》で髮《かみ》を包《つゝ》んで少《すこ》し前屈《まへかゞ》みになつて居《ゐ》るおつぎの後姿《うしろすがた》が見《み》えた。
「大根《だいこ》は分《わか》つたのか」お品《しな》は聞《き》いた。
「分《わか》つてるよ」おつぎは庖丁《はうちやう》の手《て》を止《とゞ》めて横《よこ》を向《むい》て返辭《へんじ》した。お品《しな》は又《また》蒲團《ふとん》へくるまつた。さうしてまだ下手《へた》な庖丁《はうちやう》の音《おと》を聞《き》いた。お品《しな》の懷《ふところ》に居《ゐ》た與吉《よきち》は退屈《たいくつ》してせがみ出《だ》した。おつぎは夫《それ》を聞《き》いて
「そうら、※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1−85−57]のつくり」
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