へい》はぶすりといふのである。
「おつぎはどうだえ」
「ありやあそれ、勘次《かんじ》たあ違《ちが》あから、何《なん》ちつても有繋《まさか》赤《あか》ん坊《ばう》ん時《とき》つからのがだから」
「節挽《せちびき》はたんとした容子《ようす》かえそれでも」
「えゝ、おつうこと連《つ》れてつて、南《みなみ》で挽《ひ》くなあ挽《ひ》いたやうだが、桶《をけ》さ入《せ》えた儘《まゝ》で蓋《ふた》したつ切《きり》藏《しま》つて置《お》くから、わしやどのつ位《くれえ》あるもんだか見《み》もしねえが」
「勘次《かんじ》は軟《やはら》かい物《もの》でも少《すこ》しは拵《こしら》えてくれるかね」
「えゝ、毎日《まいんち》同士《どうし》にたべちや居《ゐ》んだがなあに齒《は》せえ丈夫《ぢやうぶ》なら粗剛《こうえ》つたつて管《かま》やしねえが」
「それぢや蕎麥粉《そばこ》でも少《すこ》し遣《や》らうかね蕎麥掻《そばがき》でも拵《こしら》へてたべた方《はう》が善《い》いよ、蕎麥《そば》に打《う》つちや冷《ひ》えるが蕎麥掻《そばがき》は暖《あつた》まるといふからね」内儀《かみ》さんは木綿《もめん》で作《つく》つた袋《ふくろ》へ蕎麥粉《そばこ》を二|升《しやう》ばかり入《い》れて
「勘次《かんじ》も泣《な》きだから、それでも今《いま》に生計《くらし》もだん/\善《よ》くなんだらうから、さうすりや惡《わる》くばかりもすまいよ、どうも昔《むかし》から合性《あひしやう》が惡《わる》いんだからね、まあ年齡《とし》とつたら仕方《しかた》がないから我慢《がまん》して居《ゐ》るんだよ、餘《あんま》り酷《ひど》けりや他人《ひと》が共々《とも/″\》見《み》ちや居《ゐ》ないから、それだが勘次《かんじ》も有繋《まさか》それ程《ほど》でもないんだらうしね」内儀《かみ》さんは慰《なぐさ》めていつた。卯平《うへい》は蕎麥粉《そばこ》を大事《だいじ》にして、勘次《かんじ》が開墾《かいこん》に出《で》た後《あと》で藥罐《やくわん》の湯《ゆ》を沸《わか》しては蕎麥掻《そばがき》を拵《こしら》へてたべた。其《そ》の頃《ころ》は彼《かれ》の提《さ》げて來《き》た二|罎《びん》の醤油《しやうゆ》はもう無《な》くなつて居《ゐ》た。彼《かれ》は其《そ》の減《へ》つて行《ゆ》くのを更《さら》に惜《おし》いとは思《おも》はなかつたが、然《しか》し彼《かれ》は自分《じぶん》が居《ゐ》る内《うち》は容易《ようい》に罎《びん》の分量《ぶんりやう》が減《へ》らないのに、一|日《にち》餘處《よそ》へ行《い》つて居《ゐ》た日《ひ》は滅切《めつきり》と少《すくな》くなつて居《ゐ》るのを或《ある》時《とき》ふと發見《はつけん》して少《すこ》し不快《ふくわい》に且《かつ》變《へん》に思《おも》ひつゝあつた。繩《なは》で括《くゝ》つた別《べつ》の罎《びん》の底《そこ》の方《はう》に醤油《しやうゆ》が少《すこ》しあつた。卯平《うへい》はそれでも其《そ》れを見《み》つけて漸《やうや》く蕎麥掻《そばがき》の味《あぢ》を補《おぎな》つた。罎《びん》の底《そこ》になつた醤油《しやうゆ》は一|番《ばん》の醤油粕《しやうゆかす》で造《つく》り込《こ》んだ安物《やすもの》で、鹽《しほ》の辛《から》い味《あぢ》が舌《した》を刺戟《しげき》するばかりでなく、苦味《にがみ》さへ加《くは》はつて居《ゐ》る。彼等《かれら》は平生《へいぜい》さういふ醤油《しやうゆ》でも滅多《めつた》に用《もち》ゐないので多量《たりやう》に求《もと》める時《とき》でも十|錢《せん》を越《こ》えないのである。以前《いぜん》の卯平《うへい》であればさういふ味《あぢ》が普通《ふつう》で且《かつ》佳味《うま》く感《かん》ずる筈《はず》なのであるが、數年來《すうねんらい》佳味《うま》い醤油《しやうゆ》を惜氣《をしげ》もなく使用《しよう》して來《き》た口《くち》には恐《おそ》ろしい不味《まづ》さを感《かん》ぜずには居《ゐ》られなかつた。それでも蕎麥掻《そばがき》は身體《からだ》が暖《あたゝ》まる樣《やう》で快《こゝろよ》かつた。彼《かれ》はたべた後《あと》の茶碗《ちやわん》へ沸《たぎ》つた湯《ゆ》を注《つ》いで箸《はし》で茶碗《ちやわん》の内側《うちがは》を落《おと》して其《そ》の儘《まゝ》棚《たな》へ置《お》いた。さうしては彼《かれ》は毎日《まいにち》の仕事《しごと》のやうに外《そと》へ出《で》た。勘次《かんじ》は一|日《にち》の仕事《しごと》を畢《を》へて歸《かへ》つて來《き》ては目敏《めざと》く卯平《うへい》の茶碗《ちやわん》を見《み》て不審《ふしん》に思《おも》つて桶《をけ》の蓋《ふた》をとつて見《み》た。遂《つひ》に彼《かれ》は卯平《うへい》の袋《ふくろ》を發見《はつけん》した。
「おつう、汝《われ》此《こ》の蕎麥《そば》つ粉《こな》出《だ》して遣《や》つたのか」勘次《かんじ》はおつぎに聞《き》いた。
「俺《お》ら出《だ》すめえな」おつぎは何《なに》も解《かい》せぬ容子《ようす》でいつた。
「蕎麥《そば》ツ掻《かき》なんぞにしたつて詰《つま》りやしねえ、碌《ろく》に有《あ》りもしねえ粉《こな》だ」彼《かれ》は呟《つぶや》いた。それから彼《かれ》は又《また》
「此《こ》れも、はあ、有《あ》りやしねえ」醤油《しやうゆ》の罎《びん》を透《すか》して其《それ》から振《ふ》つて見《み》ていつた。
「おとつゝあ、それにやねえのがんだぞ」おつぎは打《う》ち消《け》した。
「えゝから、此《こ》れつ切《きり》ぢやきかねえのがんだから」勘次《かんじ》はおつぎを呶鳴《どな》りつけた。彼《かれ》は更《さら》に袋《ふくろ》の蕎麥粉《そばこ》を桶《をけ》へ明《あ》けて畢《しま》つて猶《なほ》ぶつ/\して居《ゐ》た。手《て》ランプが薄闇《うすぐら》く點《とも》された時《とき》卯平《うへい》はのつそり歸《かへ》つて來《き》た。彼《かれ》は膳《ぜん》に向《むか》はうともしないが火鉢《ひばち》の前《まへ》にどさりと坐《すわ》つた儘《まゝ》、例《れい》の蟠《わだかま》りの有相《ありさう》な容子《ようす》をしては右手《うしゆ》の人《ひと》さし指《ゆび》を掛《か》けてぎつと握《にぎ》つた煙管《きせる》を横《よこ》に噛《か》んで居《ゐ》た。
「おつう、汝《われ》まつと此處《ここ》さ火《ひい》とつてくんねえか」卯平《うへい》はそれだけいつて依然《いぜん》として火《ひ》もない煙管《きせる》を噛《か》んだ。おつぎは麁朶《そだ》を折《を》つて藥罐《やくわん》の下《した》を燃《も》やしてやつた。藥罐《やくわん》が鳴《な》り出《だ》した時《とき》卯平《うへい》は懶《ものう》さ相《さう》な身體《からだ》をゆつさりと起《おこ》して其處《そこ》らを頻《しき》りに探《さが》しはじめた。
「何《なん》でえ爺《ぢい》」おつぎは直《すぐ》に聞《き》いた。
「うむ、袋《ふくろ》よ」卯平《うへい》は極《きは》めて簡單《かんたん》にいつた。
「此《こ》れだんべ爺《ぢい》、蕎麥《そば》つ粉《こな》へえつてたのな、俺《お》らどうしたんだか知《し》んねえから桶《をけ》ん中《なか》さ明《あ》けて置《お》いたつきや、そんぢや爺《ぢい》がんだつけなあそら、どうして袋《ふくろ》さなんぞ入《せ》えてたんでえ爺《ぢい》は」おつぎは事《こと》もなげにいつた。
「蕎麥《そば》ツ掻《かき》でもしたらよかつぺつてお内儀《かみ》さん出《だ》したつけのよ」卯平《うへい》は舊《もと》の位置《ゐち》に坐《すわ》つていつた。
「さうかあ、そんぢや惡《わる》かつたつけな爺《ぢい》そんぢや俺《お》れ今《いま》入《せ》えてやつかんなよ」おつぎは勘次《かんじ》が寢《ね》る壁際《かべぎは》の桶《をけ》から先刻《さつき》のよりは遙《はる》かに多量《たりやう》を袋《ふくろ》へ入《い》れてやつた。さうしておつぎは勘次《かんじ》を尻目《しりめ》で見《み》た。卯平《うへい》は復《ま》た蕎麥掻《そばがき》を拵《こしら》へた。
「俺《お》れ注《つ》いでやつべか爺《ぢい》」火鉢《ひばち》の側《そば》に居《ゐ》た與吉《よきち》は藥罐《やくわん》へ手《て》を掛《か》けた。卯平《うへい》は與吉《よきち》のするが儘《まゝ》に任《まか》せた。卯平《うへい》は比較的《ひかくてき》悠長《いうちやう》に茶碗《ちやわん》を箸《はし》で掻《か》き交《ま》ぜた。
「出來《でき》たかあ」與吉《よきち》は卯平《うへい》の腕《うで》へ小《ちひ》さな手《て》を掛《か》けて覗《のぞ》く樣《やう》にしていつた。
「よき、何《なん》でえ汝《わ》りや、お飯《まんま》くつたばかしで」おつぎは與吉《よきち》を叱《しか》つた。
「汝《われ》も喰《く》へ」卯平《うへい》は蕎麥掻《そばがき》を分《わ》けてやつた。彼《かれ》はさうして更《さら》に後《あと》の一|杯《ぱい》を喫《きつ》して其《その》茶碗《ちやわん》へ湯《ゆ》を汲《く》んで飮《の》んだ。藥罐《やくわん》は輕《かる》くなつた。勘次《かんじ》は冷《つめ》たい手《て》を火《ひ》にも翳《かざ》さないで殊更《ことさら》に遠《とほ》く卯平《うへい》の側《そば》を離《はな》れて蹙《しか》めた酷《ひど》い顏《かほ》に恐怖《きようふ》の相《さう》を表《あら》はして唯《たゞ》凝然《ぢつ》と默《だま》つて居《ゐ》た。冷《つめ》たい三|人《にん》は夜《よる》の温度《をんど》のしん/\と降下《かうか》しつゝあるのを感《かん》じた。

         一八

 卯平《うへい》は久振《ひさしぶり》で故郷《こきやう》に歳《とし》を迎《むか》へた。彼等《かれら》の家《いへ》の門松《かどまつ》は只《たゞ》短《みじか》い松《まつ》の枝《えだ》と竹《たけ》の枝《えだ》とを小《ちひ》さな杙《くひ》に縛《しば》り付《つ》けて垣根《かきね》の入口《いりくち》に立《た》てたのみである。神棚《かみだな》へは藁《わら》で太《ふと》く綯《な》つた蝦《えび》の形《かたち》を横《よこ》に飾《かざ》つて其處《そこ》にも松《まつ》の短《みじか》い枝《えだ》をつけた。藁《わら》の蝦《えび》は卯平《うへい》が造《つく》つた。彼《かれ》はむつゝりとしながらも軟《やはら》かに藁《わら》を打《う》つて熱心《ねつしん》に手《て》を動《うご》かした。それで歳男《としをとこ》の役《やく》で飾《かざり》は勘次《かんじ》にさせた。煤《すゝ》け切《き》つた棚《たな》に新《あたら》しい藁《わら》の蝦《えび》が活々《いき/\》として見《み》えた。
 三ヶ|日《にち》は與吉《よきち》も穢《きたな》い衣物《きもの》を棄《す》てゝ、おつぎも近所《きんじよ》で髮《かみ》を結《ゆ》うて炊事《すゐじ》の時《とき》でも餘所行《よそゆき》の半纏《はんてん》に襷《たすき》を掛《か》けて働《はたら》いた。勘次《かんじ》は三ヶ|日《にち》さへ全然《まる/\》安佚《あんいつ》を貪《むさぼ》つては居《ゐ》なかつた。彼《かれ》は唐鍬《たうぐは》を擔《かつ》いで必《かなら》ず開墾地《かいこんち》へ出《で》たのである。彼《かれ》は次第《しだい》に懷《ふところ》の工合《ぐあひ》が善《よ》く成《な》り掛《か》けたので、今《いま》では其《そ》の勢《いきほ》ひづいた唐鍬《たうぐは》の一|打《うち》は一|打《うち》と自分《じぶん》の蓄《たくは》へを積《つ》んで行《ゆ》く理由《わけ》なので、彼《かれ》は餘念《よねん》もなく極《きは》めて愉快《ゆくわい》に仕事《しごと》に從《したが》つて居《ゐ》るやうに成《な》つたのである。歳《とし》の首《はじめ》といふので有繋《さすが》に彼《かれ》の家《いへ》でも相當《さうたう》に餅《もち》や饂飩《うどん》や蕎麥《そば》が其《そ》の日《ひ》/\の例《れい》に依《よつ》て供《そな》へられた。軟《やはら》かな餅《もち》が卯平《うへい》の齒齦《はぐき》には一|番《ばん》適當《てきたう》して居《ゐ》た。殊《こと》に陸稻《をかぼ》の餅《もち》は足《あし》が弱《よわ》いので、少《すこ
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