》た近所《きんじよ》の爺《ぢい》さんさんがいつた。若《わか》い衆等《しゆら》は只《たゞ》
「ほうい/\」と假聲《こわいろ》で囃《はや》した。爺《ぢい》さんは勘次《かんじ》が側《そば》に居《ゐ》たのを見《み》つけて
「なあ、勘次《かんじ》さん、こんで若《わけ》えものゝ處《ところ》がえゝかんな」といひ掛《か》けた。外《そと》では再《ふたゝ》び囃《はや》し立《た》てゝ騷《さわ》いだ。白《しろ》い手拭《てぬぐひ》を髷《まげ》の後《うしろ》が少《すこ》し現《あら》はれた瞽女被《ごぜかぶ》りにして居《ゐ》る瞽女《ごぜ》が殖《ふ》えたので座敷《ざしき》は俄《にはか》に生《いき》たやうに成《な》つた。瞽女《ごぜ》は一《ひと》つに固《かた》まつて成《な》るべくランプの明《あか》るい光《ひかり》を避《さ》けようとして居《ゐ》る。其《そ》の態度《たいど》を心憎《こゝろにく》く思《おも》ふ若《わか》い衆《しゆ》が
「俺《お》ら其《そ》の手拭《てぬげ》被《かぶ》つてこつち向《む》いてる姐樣《あねさま》こと寄《よ》せて見《み》てえもんだな」立《た》ち塞《ふさ》がつた陰《かげ》から瞽女《ごぜ》の一人《ひとり》へ揶揄《からか》つていつたものがある。
「何《な》んちいか寄《よ》せて見《み》せえ」先刻《さつき》の爺《ぢい》さんはいつた。彼《かれ》の顏《かほ》には痘痕《あばた》を深《ふか》く印《いん》して居《ゐ》る。
「どうした寄《よ》せて見《み》んのか、そんだら俺《お》れかんぜん捻《より》拵《こせ》えてやつかれえ」爺《ぢい》さんが更《さら》にいつた時《とき》返辭《へんじ》がなかつた。
「えゝ、情《なさけ》ねえ奴等《やつら》だな」爺《ぢい》さんは捻《よ》り掛《かけ》た紙《かみ》を棄《す》てた。店先《みせさき》の駄菓子《だぐわし》を入《い》れた店臺《みせだい》をがた/\と動《うご》かす者《もの》があつた。
「菓子《くわし》なんぞまた盜《と》つちや畢《を》へねえぞ、うむ、そつちの方《はう》の酒樽《さかだる》ん處《とこ》にも立《た》つてゝ飮《の》み口《ぐち》でも引《ひ》つこ拔《ぬ》かねえで貰《もら》あべえぞ、みんな」と痘痕《あばた》の爺《ぢい》さんは獨《ひと》り乘地《のりぢ》に成《な》つていふのであつた。
「さうぢやねえんだよ、店臺《みせでえ》自分《じぶん》で歩《ある》き出《だ》し始《はじ》まつたから俺《お》れ抑《つか》めえた處《とこ》なんだよ」
「えゝからガラスでもおつ缺《か》かねえやうにしろえ、此方《こつち》のおつかさまに怒《おこ》られつから」
「そんでも店臺《みせでえ》は四つ足《あし》へ何《なに》か穿《は》いてら、土鍋《どなべ》に片口《かたくち》に皿《さら》だ、どれも/\能《よ》く打《ぶ》つ缺《か》けてらあ」
「何處《どこ》らか歩《ある》いて來《き》たと見《み》えて足《あし》埃《ほこり》だらけだと」二三|人《にん》の聲《こゑ》で戯談《ぜうだん》を返《かへ》した。家《いへ》の内外《うちそと》のむつとした空氣《くうき》が益《ます/\》ざわついた。店臺《みせだい》へは暑《あつ》い頃《ころ》には蟻《あり》の襲《おそ》ふのを厭《いと》うて四つの足《あし》へ皿《さら》や丼《どんぶり》の類《るゐ》を穿《は》かせて始終《しじう》水《みづ》を湛《たゝ》へて置《お》くことを怠《おこた》らないのであつた。
「どうれ、誰《だれ》も寄《よ》せねえけりや俺《お》れでも寄《よ》せてんべかえ」後《うしろ》の方《はう》から一人《ひとり》進《すゝ》んで來《き》たものがあつた。
「只《たゞ》ぢや駄目《だめ》だぞ」痘痕《あばた》の爺《ぢい》さんは直《す》ぐに要《い》らぬことをいつた。
「そんぢや困《こま》つたなあ、おめえどうした婆《ばあ》さまこと死口《しにぐち》でも寄《よ》せて見《み》ねえか」
「俺《お》ら厭《や》だよ、待《ま》つてつから早《はや》く來《き》てくろなんて云《ゆ》はれた日《ひ》にや縁起《えんぎ》でもねえから」爺《ぢい》さんは爪《つめ》で頭《あたま》を掻《か》いた。
「酷《ひど》くおめえ近頃《ちかごろ》ぽさ/\しつちやつてんだな、あゝだ婆《ばゞあ》でも焦《こが》れてる所爲《せゐ》ぢやあんめえ、頭髮《あたま》まで拔《ぬけ》た樣《やう》だな」剽輕《へうきん》な相手《あひて》は爺《ぢい》さんの頭《あたま》へ手《て》を掛《かけ》てゆさ/\と動《うご》かした。乘地《のりぢ》に成《な》つて居《ゐ》た爺《ぢい》さんは少《すこ》し白《しろ》い膜《まく》を以《もつ》て掩《おほ》はれた樣《やう》な眼《め》を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》つて稍《やゝ》辟易《へきえき》した。
「大豆打《でえづぶち》にかつ轉《ころ》がつた見《み》てえに面中《つらぢう》穴《めど》だらけにしてなあ」剽輕《へうきん》な相手《あひて》は益《ます/\》惡口《あくこう》を逞《たくま》しくした。群衆《ぐんしふ》は一聲《ひとこゑ》の畢《をは》る毎《ごと》に笑《わら》ひどよめいた。
「篦棒《べらぼう》、さうだ軟《やつ》けえ面《つら》で風《かぜ》吹《ふ》く處《とこ》歩《ある》けるもんぢやねえ」爺《ぢい》さんはむきに成《な》つていつた。
「どうした赤《あけ》え手拭《てねげ》被《かぶ》らせらつたんべえ」
「俺《お》らさうだ手拭《てねげ》なんざあ被《かぶ》つたこたねえよ」
「そんでも疱瘡神《はうそうがみ》は赤《あけ》え手拭《てねげ》好《す》きだつちげな」
「そんだつて俺《お》ら被《かぶ》んねえよ」痘痕《あばた》の爺《ぢい》さんはすつかり悄《しを》れて畢《しま》つた。群集《ぐんしふ》は皆《みな》腹《はら》を抱《かゝ》へた。
「どうれ、俺《お》ら歸《けえ》つて牛蒡《ごぼう》でも拵《こせ》えべえ、明日《あした》天秤棒《てんびんぼう》檐《かつ》いで出《で》る支障《さはり》にならあ」剽輕《へうきん》な相手《あひて》は思《おも》ひ出《だ》したやうにいつた。
「どうせ、おめえ等《ら》やうに紺屋《こんや》の弟子《でし》見《み》てえな手足《てあし》の者《も》な牛蒡《ごばう》でも檐《かつ》いで歩《ある》くのにや丁度《ちやうど》よかんべ」復讎《ふくしう》でも仕得《しえ》たやうな容子《ようす》で爺《ぢい》さんはいつた。
「資本《もとで》の二|兩《りやう》二|分《ぶ》位《ぐれえ》でこんで餓鬼奴等《がきめら》までにや四五|人《にん》も命《いのち》繋《つな》いで行《い》くのにや赤《あけ》え手拭《てねげ》でも被《かぶ》つてる樣《やう》な放心《うつかり》した料簡《れうけん》ぢや居《ゐ》らんねえかんな」彼《かれ》は復《ま》た爺《ぢい》さんの頭《あたま》へ手《て》を掛《か》けていつてついと行《い》つて畢《しま》つた。後《あと》では波《なみ》が巖《いは》に打《う》ちつける樣《やう》に暫《しば》らく騷《さわ》いだ。若《わか》い女《をんな》は皆《みな》十|分《ぶん》笑《わら》つて、又《また》痘痕《あばた》の爺《ぢい》さんを熟々《つく/″\》と見《み》ては思《おも》ひ出《だ》して袂《たもと》で口《くち》を掩《おほ》うた。到頭《たうとう》極《きま》り惡相《わるさう》にして爺《ぢい》さんも去《さ》つて畢《しま》つた。
「此《こ》の箱《はこ》ん中《なか》にや何《なん》だね入《へ》えつてんなあ、人形坊《にんぎやうばう》だつて本當《ほんたう》かね」前《まへ》の方《はう》に居《ゐ》た若《わか》い衆《しゆ》が巫女《くちよせ》の荷物《にもつ》へ手《て》を掛《かけ》ていつた。
「なあに今《いま》ぢや幣束《へいそく》だとよ」と他《た》の者《もの》がいつた。
「此《こ》ら見《み》せらんねえんでさ、此《こ》れ見《み》られつと何程《なんぼ》寄《よ》せて見《み》ても當《あた》んなくなつちやつてね、自分《じぶん》で居《ゐ》ねえ間《ま》に見《み》らつても屹度《きつと》知《し》れんでさ」婆《ばあ》さんは風呂敷《ふろしき》を捲《まく》り掛《かけ》た若《わか》い衆《しゆ》の手《て》をそつと拂《はら》つていつた。さうすると
「見《み》せらんねえよ、其《そ》れが種《たね》だから」呶鳴《どな》つたものがあつた。
さういふ騷《さわ》ぎをして居《ゐ》る間《ま》に幾度《いくど》かもぢ/\と身體《からだ》を動《うご》かして居《ゐ》た勘次《かんじ》は思《おも》ひ切《き》つて婆《ばあ》さんの前《まへ》へ進《すゝ》んだ。
「わしげ一つ寄《よ》せて見《み》ておくんなせえ、死口《しにぐち》でがさ」
「そんぢや笹《さゝ》つ葉《ぱ》折《を》つちよつて來《き》ておくんなせえ」巫女《くちよせ》の婆《ばあ》さんはいつた。
「此方《こつち》で折《を》つちよつて遣《や》んべ」と勘次《かんじ》が立《た》ち掛《かけ》た時《とき》後《うしろ》の方《はう》で呶鳴《どな》つた。暫《しばら》くして小《ちひ》さな竹《たけ》の葉《は》が手《て》から手《て》へ傳《つた》へられて茶碗《ちやわん》の水《みづ》の中《なか》に置《お》かれた。一|同《どう》は再《ふたゝ》び靜《しづ》まつた。勘次《かんじ》は竹《たけ》の葉《は》を以《もつ》て茶碗《ちやわん》の水《みづ》を三|度《ど》掻《か》き廻《まは》してそつと手《て》を放《はな》した。ランプの光《ひかり》に竹《たけ》の葉《は》は水《みづ》から出《で》た部分《ぶぶん》は青《あを》く、水《みづ》に沒《ぼつ》した部分《ぶぶん》は水銀《すゐぎん》のやうに白《しろ》く光《ひか》つた。巫女《くちよせ》の婆《ばあ》さんは先刻《さつき》と同《おな》じく箱《はこ》へ肱《ひぢ》を突《つ》いて
「能《よ》く喚《よ》び出《だ》してくれたぞよう……」と極《きま》つたやうな句《く》を反覆《くりかへ》しつゝまだ十|分《ぶん》の意味《いみ》を成《な》さないのに勘次《かんじ》は整然《ちやん》と坐《すわ》つた膝《ひざ》へ兩手《りやうて》を棒《ぼう》のやうに突《つ》いてぐつたりと頭《かしら》を俛《た》れた。おつぎもしをらしく俯向《うつむ》いた。島田《しまだ》に結《ゆ》うたおつぎの頭髮《かみ》が明《あ》かるいランプに光《ひか》つた。おつぎは特《とく》に勘次《かんじ》に許《ゆる》されて未明《みめい》に鬼怒川《きぬがは》の渡《わたし》を越《こ》えて朋輩同志《ほうばいどうし》と共《とも》に髮結《かみゆひ》の許《もと》へ行《い》つたのであつた。髷《まげ》には油《あぶら》が能《よ》く乘《の》つて居《ゐ》て上手《じやうず》掛《か》けた金房《きんぶさ》が少《すこ》しざらりとして動搖《ゆらめ》いた。巫女《くちよせ》が漸次《ぜんじ》に句《く》を逐《お》うて行《ゆ》くうちに
「姿《すがた》隱《かく》れて出《で》て見《み》れば、何《なに》知《し》るまいと思《おも》だろが、俺《お》れは其《そ》の身《み》の處《ところ》へは、日日《ひにち》毎日《まいにち》ついてるぞ、雨《あめ》は降《ふ》らねど箕《みの》に成《な》り、笠《かさ》に成《な》りてよ……」と巫女《くちよせ》の聲《こゑ》は前齒《まへば》の少《すこ》し缺《か》けたにも拘《かゝは》らず、一つには一|同《どう》がひつそりとして咳拂《せきばらひ》をもせぬ故《せい》であらうが極《きは》めて明瞭《めいれう》に聞《き》きとられた。
「一|度《ど》ならず、二|度《ど》三|度《ど》、不思議《ふしぎ》打《ぶ》たせて知《し》らせたに……」婆《ばあ》さんの聲《こゑ》が次《つい》で響《ひゞ》いた。勘次《かんじ》もおつぎも只《たゞ》凝然《ぢつ》として居《ゐ》るのみである。
「俺《お》れが達者《たつしや》で居《ゐ》るならば……」といふ句《く》が讀《よ》まれたと思《おも》ふと軈《やが》て
「呉《く》れるよ程《ほど》の心《こゝろ》なら、ほんに苦勞《くろ》でも大儀《たいぎ》でも、蕾《つぼみ》の花《はな》を散《ち》らさずに、どうか咲《さ》かせてくだされよう……」熟練《じゆくれん》した聲《こゑ》の調子《てうし》が、さうでなくても興味《きようみ》を持《も》つて居《ゐ》る一|同《どう》の耳《みゝ》にしみじみと響《ひゞ》いた。
「鴉《からす》の鳴《な》かない日《ひ》はあ
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