飜《ひるがへ》つた。更《さら》に俄《にはか》にごつと立《た》つた風《かぜ》に森《もり》の梢《こずゑ》の葉《は》は散亂《さんらん》して鮮《あざや》かな光《ひかり》を保《たも》ちながら空中《くうちう》に閃《ひらめ》いた。數分時《すうふんじ》の後《のち》世間《せけん》は忽《たちま》ちに暗澹《あんたん》たる光《ひかり》に包《つゝ》まれて時雨《しぐれ》がざあと來《き》た。村落《むら》の何處《どこ》にも晴衣《はれぎ》の姿《すがた》を見《み》なく成《な》つた。おつぎは與吉《よきち》を連《つ》れて疾《とつ》くに歸《かへ》つて居《ゐ》たのであつた。
 夜《よる》に成《な》つて雨《あめ》が歇《や》んだ。
 村落《むら》の者《もの》は段々《だん/\》に瞽女《ごぜ》の泊《とま》つた小店《こみせ》の近《ちか》くへ集《あつ》まつて戸口《とぐち》に近《ちか》く立《た》つた。戸《と》は悉《こと/″\》く開放《あけはな》つて障子《しやうじ》も外《はづ》してある。瞽女《ごぜ》は各自《かくじ》に晩餐《ばんさん》を求《もと》めて去《さ》つた後《あと》であつた。瞽女《ごぜ》は村落《むら》から村落《むら》の「まち」を渡《わた》つて歩《ある》いて毎年《まいねん》泊《と》めて貰《もら》ふ宿《やど》に就《つい》てそれから村落中《むらぢう》を戸毎《こごと》に唄《うた》うて歩《ある》く間《あひだ》に、處々《ところ/″\》で一人分《いちにんぶん》づゝの晩餐《ばんさん》の馳走《ちそう》を承諾《しようだく》して貰《もら》つて置《お》く。それで彼等《かれら》は夜《よる》の時刻《じこく》が來《く》ると、目明《めあき》の手曳《てびき》がだんだんと其《そ》の家々《いへ/\》に配《くば》つて歩《ある》く。さうしては復《ま》た手曳《てびき》がそれを集《あつ》めて打《う》ち連《つ》れて歸《かへ》つて來《く》る。目《め》の不自由《ふじいう》な彼等《かれら》は漸《やうや》くのことで自分《じぶん》の求《もと》める家《いへ》に就《つ》いても板《いた》の間《ま》の端《はし》などにぽつさりとして膳《ぜん》の運《はこ》ばれるのを待《ま》つて居《ゐ》るので一|同《どう》の腹《はら》が滿《み》たされて再《ふたゝ》び杖《つゑ》に縋《すが》るまでには面倒《めんだう》な時間《じかん》を要《えう》するのである。
 小店《こみせ》の座敷《ざしき》には瞽女《ごぜ》の大《おほ》きな荷物《にもつ》と袋《ふくろ》へ入《い》れた三味線《さみせん》とが置《お》いてあつて淋《さび》しく見《み》えて居《ゐ》た。只《たゞ》一人《ひとり》の巫女《くちよせ》が彼等《かれら》に特有《とくいう》の態度《たいど》を保《たも》つて正座《しやうざ》を張《は》つて、其《そ》の何時《いつ》でも放《はな》さない荷物《にもつ》を前《まへ》へ置《お》いてしやんと坐《すわ》つて居《ゐ》るのであつた。表《おもて》には村落《むら》の者《もの》が漸《やうや》く殖《ふ》えて土間《どま》から座敷《ざしき》へ上《あが》る者《もの》もあつた。彼等《かれら》は理由《わけ》もなしに只《たゞ》騷《さわ》ぎはじめた。彼等《かれら》は沼邊《ぬまべ》の葦《あし》のやうに集《あつま》れば互《たがひ》に只《たゞ》ざわ/\と騷《さわ》ぐのである。巫女《くちよせ》はかなりの婆《ばあ》さんであつたので、白粉《おしろい》つけた瞽女等《ごぜら》に向《むか》つて揶揄《からか》ふ樣《やう》な言辭《ことば》は彼等《かれら》の間《あひだ》には發《はつ》せられなかつた。
「どうしたえ、口寄《くちよせ》一《ひと》つやつて見《み》ねえかえ」大勢《おほぜい》の中《うち》から切《き》り出《だ》したものがあつた。葦《あし》の葉末《はずゑ》が微風《びふう》にも靡《なび》けられる樣《やう》に此《この》一|語《ご》の爲《ため》に皆《みな》ぞよ/\と復《また》騷《さわ》いだ。群集《ぐんしふ》の中《うち》にはおつぎも交《まじ》つて居《ゐ》た。若《わか》い衆等《しゆら》は先刻《さつき》からそれに注目《ちうもく》して居《ゐ》たが
「どうした、彼奴等《あいつら》こと寄《よ》せてんべぢやねえか」
「おつぎこと出《だ》してんべぢやねえか」彼等《かれら》はひそ/\と竊《ひそか》に喋《しめ》し合《あは》せた。
「寄《よ》せてんべえと」群集《ぐんしふ》の後《うしろ》の方《はう》から呶鳴《どな》つた。
「そんぢや此方《こつち》へ出《で》さつせえな」店《みせ》の女房《にようばう》はいつた。群集《ぐんしふ》は一|時《じ》に威勢《ゐせい》がついて巫女《くちよせ》の膝《ひざ》近《ちか》くまでぎつしりと座敷《ざしき》を塞《ふさ》いだ。勘次《かんじ》もおつぎも座敷《ざしき》に窮屈《きうくつ》な居《ゐ》ずまひをして居《ゐ》た。店《みせ》の女房《にようばう》は少《すこ》し剥《は》げた塗盆《ぬりぼん》へ水《みづ》を一|杯《ぱい》に汲《く》んだ飯茶碗《めしぢやわん》を載《の》せて
「ちつとおめえ等《ら》退《しや》つてくんねえか」といひながら人々《ひと/″\》の間《あひだ》を足探《あしさぐ》りに歩《ある》いて巫女《くちよせ》の婆《ばあ》さんの前《まへ》へ置《お》いた。
「そんぢや誰《だれ》だんべ、寄《よ》せんな」女房《にようばう》は立《た》つた儘《まゝ》一|同《どう》を見廻《みまは》して嫣然《にこり》としていつた。それでも暫《しばら》くは凡《すべ》てが口《くち》を緘《つぐ》んで居《ゐ》た。巫女《くせよせ》の婆《ばあ》さんは箱《はこ》を包《つゝ》んだ荷物《にもつ》を其《その》儘《まゝ》自分《じぶん》の膝《ひざ》へ引《ひ》きつけて待《ま》つて居《ゐ》る。
「俺《お》れやんべ、そんぢや」若《わか》い衆《しゆ》の一人《ひとり》が婆《ばあ》さんの前《まへ》へ出《で》て
「俺《お》ら生口《いきぐち》寄《よ》せて見《み》てえんだが、幾《いく》らだんべ一口《ひとくち》は」
「五|錢《せん》づゝでさ」巫女《くちよせ》の婆《ばあ》さんは落付《おちつ》いていつた。
「此《こ》ら只《たゞ》默《だま》つてゝえゝんだつけかな」といふと
「えゝんだよそんで、自分《じぶん》の思《おも》つてたの出《で》て來《く》んだから」
「かんぜん撚《より》拵《こせ》えて水《みづ》掻《か》ん廻《まあ》せば、えゝんだよ」側《そば》から巫女《くちよせ》の婆《ばあ》さんのいふのも待《ま》たずに口《くち》を出《だ》した。
「三|度《と》でえゝんだつけかな」婆《ばあ》さんの前《まへ》へ坐《すわ》つた一人《ひとり》は後《うしろ》の方《はう》を向《む》いていつて彼《かれ》は不器用《ぶきよう》な紙捻《こより》を拵《こしら》へて其《そ》の先《さき》を茶碗《ちやわん》の水《みづ》へ浸《ひた》して三|度《ど》丁寧《ていねい》に掻《か》き廻《まは》して其《そ》の儘《まゝ》紙捻《こより》を水《みづ》に浸《ひた》して置《お》いた。
「見《み》ろよ、近頃《ちかごろ》薩張《さつぱり》來《き》てくんねえが、俺《お》れこと厭《や》にでも成《な》つたんぢやねえかなんて出《で》つから」と店《みせ》の女房《にようばう》は戯談《ぜうだん》を交《まじ》へた。
 巫女《くちよせ》は暫《しばら》く手《て》を合《あは》せて口《くち》の中《なか》で何《なに》か念《ねん》じて居《ゐ》たが風呂敷包《ふろしきづゝみ》の儘《まゝ》箱《はこ》へ兩肘《りやうひぢ》を突《つ》いて段々《だん/\》に諸國《しよこく》の神々《かみ/″\》の名《な》を喚《よ》んで、一|座《ざ》に聚《あつ》めるといふ意味《いみ》を熟練《じゆくれん》したいひ方《かた》で調子《てうし》をとつていつた。がや/\と騷《さわ》いで居《ゐ》た家《いへ》の内外《ないぐわい》は共《とも》にひつそりと成《な》つた。
「行々子《よしきり》土用《どよう》へ入《へ》えつた見《み》てえに、ぴつたりしつちやつたな」と呶鳴《どな》つたものがあつた。漸《やうや》く靜《しづ》まつた群集《ぐんしふ》は少時《しばし》どよめいた。然《しか》し直《すぐ》に復《ま》た靜《しづ》まつた。
「白紙《しらがみ》手頼《たよ》り水《みづ》手頼《たよ》り、紙捻《こより》手頼《たよ》りにい……」と巫女《くちよせ》の婆《ばあ》さんの聲《こゑ》は前齒《まへば》が少《すこ》し缺《か》けて居《ゐ》る爲《ため》に句切《くきり》が稍《やゝ》不明《ふめい》であるがそれでも澁滯《じふたい》することなくずん/\と句《く》を逐《お》うて行《い》つた。斜《なゝめ》に茶碗《ちやわん》の水《みづ》に立《た》つた紙捻《こより》がだん/\に水《みづ》を吸《す》うて點頭《うなづ》いた樣《やう》にくたりと成《な》つた。
「どうせよ一つにや成《な》れぬ身《み》を、別《わか》れたいとは思《おも》へども……」と一|同《どう》の耳《みゝ》に響《ひゞ》いた時《とき》「出《で》た/\」と靜《しづ》まつて居《ゐ》た群集《ぐんしふ》の中《なか》から聲《こゑ》が發《はつ》せられた。巫女《くちよせ》の婆《ばあ》さんは突《つい》て居《ゐ》る肘《ひぢ》を少《すこ》し動《うご》かして乘地《のりぢ》に成《な》つた。
「俺《お》れが我《わ》が身《み》というたとて、自由自儘《じいうじまゝ》に成《な》るならば、今日《けふ》の巫女《あづさ》も要《い》るまいにい……」婆《ばあ》さんは同《おな》じやうな句《く》を反覆《くりかへ》した。
「出《で》た處《ところ》でまつと饒舌《しやべ》らせろえ」と一人《ひとり》が更《さら》に紙捻《こより》を持《も》つて水《みづ》を掻《か》き廻《まは》した。
「かんぜん捻《より》くた/\して云《い》ふこと聽《き》かねえや」いひながら彼《かれ》は手《て》を止《や》めた。
「俺《お》れがよ心《こゝろ》はこうなれど、怒《おこ》るまえぞえ見棄《みす》てまえ、互《たがひ》に顏《かほ》も合《あは》せたら、言辭《ことば》も掛《か》けてくだされよう……」巫女《くちよせ》は時々《とき/″\》調子《てうし》を張《は》り上《あ》げていつた。
「さうださうだ、そんでなくつちやおとつゝあ泣《な》くぞ」群集《ぐんしふ》の後《うしろ》から呶鳴《どな》つた。群集《ぐんしふ》は少時《しばし》復《ま》たどよめいたが一|句《く》でも巫女《くちよせ》のいふことを聞《き》き外《はづ》すまいとして靜《しづ》まつた。巫女《くちよせ》の婆《ばあ》さんの姿勢《しせい》が箱《はこ》を離《はな》れて以前《いぜん》に復《ふく》した時《とき》抑壓《よくあつ》されたやうに成《な》つて居《ゐ》た凡《すべ》てが俄《にはか》にがや/\と騷《さわ》ぎ出《だ》した。彼等《かれら》は絶《た》えず勘次《かんじ》とおつぎとに對《たい》して冷笑《れいせう》を浴《あび》せ拂《か》けてゐるのであつたが、然《しか》しそれを知《し》らぬ二人《ふたり》は只《たゞ》凝然《ぢつ》として居《ゐ》た。凡《すべ》てが騷《さわ》ぐ間《あひだ》に在《あ》つてさうして居《ゐ》る二人《ふたり》の容子《ようす》は態《わざ》とらしく見《み》えるまで際立《きわだ》つて居《ゐ》た。巫女《くちよせ》の唱《とな》へたことだけでは惡戯《いたづら》な若《わか》い衆《しゆ》の意志《こゝろ》も知《し》らない二人《ふたり》には自分等《じぶんら》がいはれて居《ゐ》ることゝは心《こゝろ》づく筈《はず》がなかつたのである。
 群集《ぐんしふ》の後《うしろ》の方《はう》からの俄《にはか》な騷《さわ》ぎが内側《うちがは》に及《およ》んだ。晩餐《ばんさん》を濟《す》まして瞽女《ごぜ》が手《て》を曳《ひ》き連《つ》れて來《き》た處《ところ》なのである。それを若《わか》い衆《しゆ》が揶揄半分《からかひはんぶん》に道《みち》を開《ひら》いてやらうとしては遣《や》るまいとして騷《さわ》いだのであつた。瞽女《ごぜ》は危險相《あぶなさう》にして漸《やうや》く座敷《ざしき》へ上《あが》つた時《とき》
「目《め》も見《め》えねえのにさうだに押廻《おしまは》すなえ」瞽女《ごぜ》の後《あと》に跟《つ》いて座敷《ざしき》の端《はし》まで割込《わりこ》んで來《き
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