ら》に窘《たしな》めるやうに
「おとつゝあは酩酊《よつぱら》つたつてそんなに顛倒《ぐれ》なけりやよかつぺなあ」と獨《ひと》り呟《つぶや》いた。
「云《ゆ》つて見《み》たのよ」勘次《かんじ》は態《わざ》と笑《わら》つて椀《わん》を膳《ぜん》へ置《お》いた。
「おつか樣等《さまら》もこつちへ來《こ》うな、一杯《いつぺえ》やれな」彼《かれ》は更《さら》に板《いた》の間《ま》の隅《すみ》の方《はう》に居《ゐ》る女房等《にようばうら》にいつた。
「ほんに仲間入《なかまいり》したらよかつぺ」内《うち》の女房《にようばう》もいつた。若《わか》い女房等《にようばうら》は仲間《なかま》には成《な》らなかつた。さうして唯《たゞ》笑《わら》つて居《ゐ》た。唄《うた》ひ騷《さわ》ぐ聲《こゑ》に凡《すべ》てが心《こゝろ》を奪《と》られて居《ゐ》ると
「汝《わ》りや梅《うめ》噛《かじ》つたんべ、學校《がつこ》の先生《せんせい》げ※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1−85−57]のつくり」、213−12]《ねえ》訴《えつ》けてやつから、腹《はら》痛《いた》くつたつて我慢《がまん》してるもんだ」
おつぎは眠《ねむ》い眼《め》をこすりながらしく/\泣《な》いて居《ゐ》る與吉《よきち》を横《よこ》にして背中《せなか》を叩《たゝ》いては撫《いたは》りながらいつた。
「どうしたんだあ、腹《はら》痛《いて》えのか毒消《どくけ》しでも呑《の》ませて見《み》つか、俺《お》らもはあ、梅《うめ》だの李《すもんも》だの成熟《でき》ちやびや/\すんだよ、出《で》て行《や》んだから云《ゆ》つたつて聽《き》かねえしなあ」内《うち》の女房《にようばう》はすや/\と眠《ねむ》つた膝《ひざ》の子《こ》の蚊《か》を追《お》ひながらいつた。
「汝《わ》れ梅《うめ》なんぞ噛《か》じつて、おとつゝあ腹《はら》抉《ゑぐ》り拔《ぬ》いてやつから待《ま》つてろ」勘次《かんじ》は疾《とう》から澁《しぶ》つて居《ゐ》た舌《した》でいつた。
「そんなこと云《ゆ》はねえつたつて泣《な》いてんのに何《なん》だつぺな、おとつゝあ」おつぎは勘次《かんじ》を叱《しか》つた。勘次《かんじ》は口《くち》を嵌《つぐ》んで箸《はし》の先《さき》へ馬鈴薯《じやがいも》を刺《さ》した。與吉《よきち》は瞼《まぶた》が弛《ゆる》んでいつか輕《かる》い鼾《いびき》を掻《か》いた。
「さあ、お飯《まんま》だえ」唄《うた》も騷《さわ》ぎも止《や》んで一|同《どう》の口《くち》から俄《にはか》に催促《さいそく》が出《で》た。女房等《にようばうら》は皆《みな》で給仕《きふじ》をした。内《うち》の女房《にようばう》は
「おつぎも身體《からだ》みつしりして來《き》たなあ、女《をんな》も廿《はたち》と成《な》つちや役《やく》に立《た》つなあ」とおつぎを見《み》ていつた。勘次《かんじ》は茶碗《ちやわん》から少《すこ》し飯粒《めしつぶ》を零《こぼ》しては危險《あぶな》い手《て》つきで箸《はし》を持《も》つた儘《まゝ》指《ゆび》の先《さき》で抓《つま》んで口《くち》へ持《も》つて行《い》つた。
「おとつゝあ、さういに零《こぼ》しちや駄目《だめ》だな」おつぎは勘次《かんじ》の茶碗《ちやわん》へ手《て》を添《そ》へた。
「勘次《かんじ》さん」と内《うち》の女房《にようばう》は喚《よ》び掛《か》けた。勘次《かんじ》が目《め》を蹙《しか》めて見《み》た時《とき》
「勘次《かんじ》さん、はあおつぎこたあ出《だ》しても善《よ》かねえけえ」女房《にようばう》はいつた。
「嫁《よめ》になんざ出《だ》せねえよ、今《いま》ん處《ところ》俺《お》れ困《こま》つから」勘次《かんじ》はそつけなくいつた。
「不自由《ふじいう》な處《ところ》ありや出《だ》して、自分《じぶん》でも引《ひ》つ込《こ》むのよ」兼《かね》博勞《ばくらう》は遠慮《ゑんりよ》なくいつた。
「俺《お》らそんな噺《はなし》や聽《き》かねえ、貰《もら》ひたけりや幾《いく》らでも有《あ》らあ」勘次《かんじ》は斥《しりぞ》けた。
「そんだつておめえ、そつちこつち口《くち》掛《か》けて置《お》かねえぢや、直《ぢき》年齡《とし》ばかしとらせつちやつて仕《し》やうねえぞ、俺《お》らも一人《ひとり》出《だ》したがおめえ容易《ようい》ぢやねえよ、さうだかうだ云《ゆ》はれねえ内《うち》だぞおめえ」女房《にようばう》はいつた。
「えゝよ卅まで獨《ひと》りぢや置《お》かねえから此《こ》れげはいまに聟《むこ》とんだから」勘次《かんじ》は喧嘩《けんくわ》でもする樣《やう》な容子《ようす》で硬《こは》ばつた舌《した》でいつた。女房《にようばう》は默《だま》つて口《くち》の邊《あたり》に冷《ひやゝ》かな笑《ゑみ》を含《ふく》んで膝《ひざ》をそつと動《うご》かしてぐつすり眠《ねむ》りこけた自分《じぶん》の子《こ》を見《み》た。
「どうしたえ、儘《まゝ》よ/\でもやんねえか勘次《かんじ》さん。まゝにならぬとお鉢《はち》を投《な》げりや其處《そこ》らあたりは飯《まゝ》だらけだあ、過多《げえ》に六《むづ》かしいこと云《い》ふなえ」兼《かね》博勞《ばくらう》は米《こめ》の飯《めし》を掻《か》つ込《こ》みながらいつた。腹《はら》を一|杯《ぱい》に膨《ふく》らませた一|座《ざ》は
「どうも御馳走樣《ごつゝおさま》でがした」と義理《ぎり》を述《の》べて土間《どま》の下駄《げた》をがら/\掻《か》き探《さぐ》つてがや/\騷《さわ》ぎながら歸《かへ》り掛《か》けた。
「おつう、よきこと起《おこ》せ」勘次《かんじ》はさういつて自分《じぶん》も一《ひと》つに蹣跚《よろ》けながら立《た》つた。おつぎは與吉《よきち》の身體《からだ》を劇《はげ》しく動《うご》かしたが熟睡《じゆくすゐ》して畢《しま》つたので容易《ようい》に目《め》を開《ひら》かなかつた。與吉《よきち》は草履《ざうり》を穿《は》くにもおつぎの心《こゝろ》を苛立《いらだ》たせた。
「おつう」と劇《はげ》しく喚《よ》ぶ勘次《かんじ》の聲《こゑ》が裏《うら》の垣根《かきね》の外《そと》から聞《きこ》えた。さうすると又《また》
「何《なに》してけつかんだ」と勘次《かんじ》は裏戸口《うらとぐち》から一|同《どう》を驚《おどろ》かして呶鳴《どな》つた。
「勘次《かんじ》さん與吉《よきち》こと起《おこ》してた處《とこ》なんだよ」内《うち》の女房《にようばう》は分疏《いひわけ》してやつた。
「汝《わ》りや何時《いつ》でもさうだ、ぐづ/\してやがつて」勘次《かんじ》は猶《なほ》も憤《いきどほ》つていつた。
「待《ま》つてれば善《え》えんだなおとつゝあ、洗《あら》ひまでも仕《し》ねえのにどうしたもんだ」酒席《しゆせき》の趾《あと》を見《み》ておつぎは呟《つぶや》いた。
「管《かま》あねえで歸《けえ》れよ、おとつゝあ酩酊《よつぱら》つてんだから」女房《にようばう》はおつぎの意《い》を汲《く》んでやつた。後《あと》では亂雜《らんざつ》に散《ち》らかした道具《だうぐ》の始末《しまつ》をしながら女房等《にようばうら》はいつた。
「勘次《かんじ》さんが心持《こゝろもち》も分《わか》んねえな」
「幾《いく》ら嚊《かゝあ》の嫉妬《やきもち》燒《や》くもんでも、あゝえもなあねえな」
「あゝえのが何《なん》かの生《うま》れ變《かは》りつちんでも有《あ》んべな、可怖《おつかね》えやうだよ本當《ほんたう》にな」
「近頃《ちかごろ》それに何《なん》ぢやねえけえ、あら程《ほど》欲《ほ》しがつたのに後妻《あと》貰《もら》あべえたあ、云《ゆ》はねえんぢやねえけえ」孰《いづ》れの心《こゝろ》にも口《くち》にはいはなくて了解《れうかい》されて居《ゐ》る或《ある》物《もの》を少《すこ》しづつ現《あらは》さうとして有繋《さすが》に躊躇《ちうちよ》する樣《やう》にして噺合《はなしあ》うた。勘次等《かんじら》三|人《にん》が出《で》て垣根《かきね》の外《そと》へ行《い》つたと思《おも》ふ頃《ころ》、椀《わん》を拭《ふ》いて居《ゐ》た一人《ひとり》が慌《あわた》だしく立《た》つて外《そと》へ出《で》た。暫《しばら》くして歸《かへ》つて來《く》るといきなり
「どうしたものだおめえは、他人《ひと》の後《あと》なんぞ尾行《つ》けて行《い》つて、罪《つみ》だから見《み》ろよ」一人《ひとり》がいつた。
「さうぢやねえよ、有撃《まさか》おめえ、他人《ひと》のこと俺《おれ》だつて」分疏《いひわけ》した。
「そんぢや何《なん》に行《い》つたんだ」
「小便《せうべん》垂《た》つたく成《な》つたからよ」軈《やが》て抑《おさ》へ切《き》れぬ笑《わら》ひが顏《かほ》に浮《う》かんで
「そんだから過多《げえ》に飮《の》むなつちんだ、なんておつぎに怒《おこ》られ/\行《い》んけわ」といつた。
「そうれおめえ、罪《つみ》だよ」遠慮《ゑんりよ》もなく皆《みな》どつと笑《わら》つた。
夜《よ》は深《ふ》けて居《ゐ》た。きろ/\きろ/\と風船玉《ふうせんだま》を擦《こす》り合《あは》せる樣《やう》な蛙《かへる》の聲《こゑ》が錯雜《さくざつ》して聞《きこ》えて居《ゐ》た。
十五
霜《しも》が竊《ひそか》に地《ち》を掩《おほ》うた。
晩秋《ばんしう》の冴《さ》えた空氣《くうき》は地上《ちじやう》の凡《すべ》てを乾燥《かんさう》せしめる。思《おも》ひの儘《まゝ》に枝葉《えだは》を擴《ひろ》げた獨活《うど》の實《み》へ目白《めじろ》の聚《あつま》つて鳴《な》くのが愉快《ゆくわい》らしくもあれど、何《なん》となく忙《いそが》しげであつて、それも少時《しばし》の間《ま》に何處《どこ》でも草木《さうもく》の葉《は》が硬《こは》ばつたり傷《きず》ついたりして一|切《さい》が只《たゞ》がさ/\と混雜《こんざつ》して畢《しま》つた。さういふ處《ところ》へ季節《きせつ》の冬《ふゆ》は厭《いや》でも行《ゆ》き渡《わた》らねばならないのであるがそれでも暖《あたゝ》かい日《ひ》があつたり、冷《つめ》たい日《ひ》があつたりして冬《ふゆ》は只管《ひたすら》躊躇《ちうちよ》しつゝ地上《ちじやう》に沈《しづ》まうとした。さうして霜《しも》を一|度《ど》偃《は》はせて見《み》た。凡《すべ》ての草木《さうもく》は更《さら》に慌《あわ》てた。地味《ぢみ》な常磐木《ときはぎ》を除《のぞ》いた外《ほか》に皆《みな》次《つぎ》の春《はる》の用意《ようい》の出來《でき》るまでは凄《すご》い姿《すがた》に成《な》つてまでも凝然《ぢつ》としがみついて居《ゐ》る。冬《ふゆ》は復《ま》た霜《しも》を偃《は》はせて見《み》た。恐《おそ》ろしく潔癖《けつぺき》な霜《しも》は其《そ》の見窄《みすぼ》らしい草木《さうもく》の葉《は》を地上《ちじやう》に躪《にじ》りつけた。人間《にんげん》の手《て》を藉《か》りたものは田《た》でも畑《はた》でも人間《にんげん》の手《て》を藉《か》りて到處《いたるところ》をからりとさせる。其《そ》の時《とき》畑《はた》には刷毛《はけ》の先《さき》でかすつた樣《やう》に麥《むぎ》や小麥《こむぎ》で仄《ほのか》に青味《あをみ》を保《たも》つて居《ゐ》る。それから冬《ふゆ》は又《また》百姓《ひやくしやう》をして寂《さび》しい外《そと》から專《もつぱ》ら内《うち》に力《ちから》を致《いた》させる。百姓等《ひやくしやうら》は忙《いそが》しく藁《わら》で俵《たわら》を編《あ》んで米《こめ》を入《い》れて春《はる》以來《いらい》の報酬《はうしう》を目前《もくぜん》に積《つ》んで娯《よろこ》ぶのである。
彼等《かれら》の間《あひだ》には恁《か》ういふ時《とき》に、さうして冬《ふゆ》が本當《ほんたう》にまだ彼等《かれら》の上《うへ》に泣《な》いて見《み》せない内《うち》に相《あひ》前後《ぜんご》して何處《どこ》の村落《むら》にも「まち」が來《く》るのである。其《そ》れは村落毎《むらごと》に建《た》てられてあ
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