ねえだ》の白《しろ》は善《よ》かつたんべ、彼《あ》れさ打《ぶ》てな、あゝ西《にし》のおとつゝあ、白《しろ》ぢや徴發《ちようはつ》はさんねえぞ」
「えゝから、それよりか、そんなに不廉《たけ》えこと云《ゆ》はねえで、なあ、米《こめ》一|俵《ぺう》打《ぶ》つべえぢやねえか」
「徒勞《だめ》だよそんぢや、あんでも六錢の横薦《よこゞも》乘《の》つけて曳《ひ》いて來《き》たんだぞ、血統證《けつとうしよう》まで有《あ》んぞ、あゝ、彼《あ》の手《て》はねえぞ」
「何《な》んでえ汝《われ》がまた、牡馬《をんま》と牝馬《めんま》だけの血統證《けつとうしよう》だんべ、そんなもの何《なん》に成《な》るもんぢやねえ、俺《お》れ知《し》らねえと思《おも》つて、俺《お》ら白河《しらかは》の市《いち》で聞《き》いてらあ」
「博勞《ばくらう》うまく練《ね》れねえ樣《やう》だな、ようしそんぢや俺《お》れ一つ打《ぶ》つてやんべ」二人《ふたり》が戯談交《じやうだんまじ》りに劇《はげ》しく惡口《あくこう》を云《い》つて居《ゐ》るとふと側《そば》から凭《か》ういつた。
「そんぢや、それ干《ほ》せな、兼《かね》さんもそれ」彼《かれ》は二人《ふたり》の茶碗《ちやわん》を自分《じぶん》の手《て》で交換《かうくわん》させて、それを兩方《りやうはう》へ渡《わた》して酒《さけ》を注《つ》いだ。
「どうだえ、博勞《ばくらう》うまく打《ぶ》てたんべ、どつちも依怙贔負《えこひいき》なしつち處《とこ》だ」相手《あひて》は得意《とくい》に成《な》つて云《い》つた。
「こつちのおとつゝあ、幾《いく》つだつけな、少《ち》つと白《しろ》く成《な》つたな」突然《とつぜん》一人《ひとり》が呶鳴《どな》つた。
「さうよな」亭主《ていしゆ》は頭髮《あたま》に手《て》を當《あ》てゝいつた時《とき》
「おめえ、俺《お》ら家《ぢ》のおとつゝあもどうしてか酷《ひど》く白《しろ》く成《な》つたんだが、斯《こ》んで年齡《とし》はさういにとつちや居《ゐ》ねえんだぞ」其處《そこ》へ小《ちひ》さな子《こ》を抱《だ》いて坐《すわ》つた内《うち》の女房《にようばう》が微笑《びせう》しながらいつた。
「俺《お》れと同年齡《おねえどし》だよ」獨《ひと》りぼつちに成《な》つて居《ゐ》た勘次《かんじ》は横《よこ》から口《くち》を挾《はさ》んだ。
「どうだかよ」
「なあに、どうだかなもんぢやねえ」
 勘次《かんじ》は口《くち》を角《つの》のやうにしていつた。
「本當《ほんたう》にさうなんだよおめえ」女房《にようばう》は側《そば》からいつた。
「そんぢや勘次《かんじ》さんおめえ幾《いく》つでえ」相手《あひて》は乘地《のりぢ》になつて聞《き》いた。
「さうよ、俺《お》らこつちのおとつゝあと同年齡《おねえどし》だつけな」彼《かれ》は自身《じしん》の創意《さうい》ではなくて何處《どこ》かで聞《き》いた記憶《きおく》を其《そ》の儘《まゝ》反覆《はんぷく》してさうして戯談《じやうだん》を敢《あへ》てした。
「えゝ箆棒《べらぼう》な」と相手《あひて》はいつて畢《しま》つた。内《うち》の女房《にようばう》は兩方《りやうはう》の頭髮《あたま》を熟《つく/″\》と見《み》て
「そんだが勘次《かんじ》さんは本當《ほんたう》に若《わ》けえな。俺《お》ら家《ぢ》のおとつゝあ等《ら》たあ、たえした違《ちげ》えだな」といつた。
「勘次《かんじ》さん等《ら》まあだ十七だな」兼《かね》博勞《ばくらう》は直《すぐ》に後《あと》を跟《つ》いていつた。女房等《にようばうら》は復《ま》た竊《ひそか》に袂《たもと》で口《くち》を掩《おほ》うた。兼《かね》博勞《ばくらう》が顧《かへり》みた時《とき》女房等《にようばうら》は割《わ》つた燭奴《つけぎ》の先《さき》を突《つ》つ掛《か》けては香煎《かうせん》を口《くち》へ含《ふく》んで面倒《めんだう》に嘗《な》めて居《ゐ》たのであつた。
「香煎《かうせん》嘗《な》めんのにや、笑《わら》つちやいかねえつちけぞ、おめえ等《ら》」兼《かね》博勞《ばくらう》はいつた。先刻《さつき》から笑《わら》ふ癖《くせ》のついてた女房等《にようばうら》は一|時《じ》にぷつと吹出《ふきだ》して粉《こな》が其處《そこ》らに散《ち》つた。乾燥《かんさう》して居《ゐ》る粉《こな》の爲《ため》に咽《む》せて女房等《にようばうら》は頻《しき》りに咳《せき》をした。彼等《かれら》は驅《か》けおりて手桶《てをけ》の水《みづ》をがぶりと飮《の》んで漸《やうや》く胸《むね》を落附《おちつ》けた。
「おゝ、酷《ひで》え目《め》に逢《あ》つた。粉鼻《こなはな》の方《はう》さへえつて鼻《はな》つん/\して仕《し》やうありやしねえや、本當《ほんたう》に兼《かね》さんは人《ひと》が惡《わ》りいや、なんぼ憎《にく》らしいか知《し》れやしねえ、其處《そこ》らに薪雜棒《まきざつぽう》でも有《あ》れば打《ぶ》つ飛《と》ばして遣《や》りてえ樣《やう》だ」涙《なみだ》の目《め》を拭《ぬぐ》つて恨《うら》めしげに女房等《にようばうら》は云《い》ふのであつた。
「そんだから俺《お》れ、笑《わら》つちやえかねえつて云《ゆ》つたんだな、それ聽《き》かねえから」兼《かね》博勞《ばくらう》は態《わざ》と平然《へいぜん》として云《い》つた、恁《か》うしてがみ/\いふ聲《こゑ》が錯雜《こぐらか》つた時《とき》
「博勞《ばくらう》さん一つやつゝけつかな」兼《かね》博勞《ばくらう》は一|聲《こゑ》殊《こと》に大《おほ》きく呶鳴《どな》つたと思《おも》つたら茶碗《ちやわん》の酒《さけ》を一|口《くち》にぐつと干《ほ》して兩手《りやうて》に茶碗《ちやわん》を伏《ふ》せて、板《いた》の間《ま》にぱか/\ぱか/\と蹄《ひづめ》に傚《なら》うて拍子《ひやうし》取《と》つた響《ひゞき》を立《た》てながら
「三春《みはる》から白河《しらかは》の方《はう》へこんでも横薦《よこごも》乘《の》つけたの繋《つな》いで曳《ひ》いて來《く》つ處《とこ》らえゝかんな、能《よ》く聞《き》いて見《み》せえ、此《こ》の手《て》にや行《い》かねえぞ」彼《かれ》は其《そ》の自慢《じまん》の下《した》から
「どう/\どうよ、ほうい、ほいとう」
と馬《うま》への掛聲《かけごゑ》を尤《もつと》もらしくした。茶碗《ちやわん》の拍子《ひやうし》に連《つ》れて一|同《どう》はぴつたり靜《しづ》かに成《な》つた。
「はあえゝえゝえゝ」とぼうと太《ふと》い聲《こゑ》で唄《うた》ひ出《だ》して
「枯芝《かれしば》あえにいゝゝゝゝえゝ、はあえ、止《とま》るうえ、てふ/\のおゝゝゝゝえ、はあ、ありや氣《き》があゝゝゝゝえ、え、はあ知《し》れえゝぬうよおうゝゝ」と彼《かれ》は眼《め》を瞑《つぶ》つて少《すこ》し上向《うはむき》に首《くび》を傾《かたむ》けて一|杯《ぱい》の聲《こゑ》を絞《しぼ》つて極《きは》めて悠長《いうちやう》にさうして句《く》の續《つゞ》きを
「えゝ傍《そば》にえゝ、菜種《なたね》えのおゝゝゝゝえ、えゝ花《はな》があえ、あゝえるうゝゝゝゝえゝ、ほういほい」と唄《うた》ひ畢《をは》つた時《とき》顏《かほ》が殊更《ことさら》に赤《あか》く成《な》つて汗《あせ》が吊《つ》るしランプに光《ひか》つて見《み》えた。彼《かれ》は手《て》でぐるりと拭《ぬぐ》つた。
「箆棒《べらぼう》に迂遠《まだる》つけえ唄《うた》だな、此《こ》の夜《よ》の短《みじ》けえのに眠《ねむ》つたく成《な》つちやあな」側《そば》から惡口《あくこう》を吐《つ》いた。
「えゝから西《にし》のおとつゝあ、耳糞《みゝくそ》ほじくつて聞《き》いてろえ」兼《かね》博勞《ばくらう》はいつて
「はあえゝえゝ、えゝ朝《あさ》のうゝゝえゝえ、はあ出掛《でがけ》えにいゝゝゝゝえ」と又《また》唄《うた》ひ出《だ》した。
「朝《あさ》の出掛《でがけ》にどの山《やま》見《み》ても雲《くも》の掛《かゝ》らぬ山《やま》はない」と唄《うた》つて茶碗《ちやわん》を動《うご》かしては
「ぱか/\ぱか/\となあ斯《か》う、廿三|坂《さか》越《こ》えて引《ひ》く處《とこ》だぜ、畜生《ちきしやう》あばさけんなえ」と彼《かれ》は更《さら》に
「ひゝいん」と馬《うま》の啼《な》き聲《ごゑ》をしてそれから
「廿三|坂《さか》か、白河《しらかは》のこつちだ、畢《しめえ》の坂《さか》が箆棒《べらぼう》に長《なが》くつてな」といつて又《また》
「はあえゝえゝえゝ」と左《さ》も氣《き》の乘《の》つたらしく
「奧《おく》の博勞《ばくらう》さん何處《どこ》で夜《よ》が明《あ》けた、廿三|坂《さか》七つ目《め》で」と愉快《ゆくわい》な聲《こゑ》で唄《うた》つた。
「夜引《よびき》すつ時《とき》にや人間《にんげん》も眠《ねむ》つたく成《な》りや馬《うま》も眠《ねむ》つたく成《な》つてな、石坂《いしざか》だから畜生等《ちきしやうら》がくたり/\はあ、なんぼにも歩《ある》かねえな、そん時《とき》にや、おうい一つどうだね遣《や》つゝけちやあと許《ばかり》でなあ、博勞等《ばくらうら》ぞろ/\繼《つなが》つて來《く》んだから、峯《みね》の方《はう》でも谷底《たにそこ》の方《はう》でも一|度《ど》に大變《たいへん》だあ、さうすつと駒《こま》つ子奴等《こめら》ひゝんなんてあばさけてぱか/\ぱか/\と斯《か》う運《はこ》びが違《ちが》つて來《く》らな、皆《みんな》おつかげばかし喰《く》つ附《つ》いてたの引《ひ》つ放《ぱな》して來《く》んだから足《あし》が不揃《ふぞろ》ひだなどうしても、それに坂《さか》が急《きふ》だつちと倒旋毛《さかさつむじ》おつ立《た》てる樣《やう》だから畜生《ちきしやう》なんぼにも足《あし》が出《で》ねえな、其奴《そいつ》へ合《あは》せて唄《うた》あんだからゆつくり行《や》んなくつちやなんねえな」兼《かね》博勞《ばくらう》は帶《おび》を解《と》いて裸《はだか》に成《な》つて衣物《きもの》を後《うしろ》へ投《なげ》た。帶《おび》は一重《ひとへ》で左《ひだり》の腰骨《こしぼね》の處《ところ》でだらりと結《むす》んであつた。兩方《りやうはう》の端《はし》が赤《あか》い切《きれ》で縁《ふち》をとつてある。粗《あら》い棒縞《ぼうじま》の染拔《そめぬき》でそれは馬《うま》の飾《かざ》りの鉢卷《はちまき》に用《もち》ひる布片《きれ》であつた。
「此處《ここ》らの馬《うま》だつて見《み》ろえ、博勞節《ばくらうぶし》門《かど》ツ先《つあき》でやつたつ位《くれえ》厩《まや》ん中《なか》で畜生《ちきしやう》身體《からだ》ゆさぶつて大騷《おほさわ》ぎだな」彼《かれ》は獨《ひと》りで酒席《しゆせき》を賑《にぎは》した。彼《かれ》はさうして土《つち》のやうな汗《あせ》と埃《ほこり》とで染《そ》まつた手拭《てぬぐひ》で首筋《くびすぢ》から身體《からだ》一|杯《ぱい》に拭《ぬぐ》つた。それから
「おゝ痒《かい》い」とぴしやり手《て》で蚊《か》を叩《たゝ》いた。彼《かれ》の唄《うた》に連《つれ》て各自《めいめい》が更《さら》に唄《うた》つた。皆《みな》箸《はし》で茶碗《ちやわん》を叩《たゝ》いて拍子《ひやうし》を合《あは》せた。さういふ騷《さわ》ぎに成《な》つてから酒《さけ》は減《へ》らなかつた。勘次《かんじ》は獨《ひと》りで唄《うた》ふこともなく絶《た》えず何物《なにもの》かを探《さが》すやうな目《め》で土間《どま》のあたりをきよろ/\と見《み》て居《ゐ》たが
「おつう」と唐突《だしぬけ》に喚《よ》んだ。彼《かれ》は勢《いきほ》ひよく喚《よ》んで見《み》て自分《じぶん》で拍子拔《ひやうしぬけ》した樣《やう》にして居《ゐ》たが
「此《こ》れさ馬鈴薯《じやがいも》でもくんねえか」と椀《わん》をづうつと出《だ》した。
「どうしたもんだおとつゝあは、お平《ひら》の盛換《もりけ》えするもな有《あ》んめえな、馬鈴薯《じやがいも》は前《めえ》に幾《いく》らでも有《あ》んのに」おつぎは更《さ
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