せて二處《ふたとこ》へ置《お》いた。忽《たちま》ち一|杯《ぱい》を干《ほ》して獻酬《とりやり》が始《はじ》まつた。注《つ》がれるものは茶碗《ちやわん》の手《て》を擧《あ》げて相手《あひて》が持《もつ》てる徳利《とくり》の口《くち》へ手《て》を掛《か》けて酒《さけ》の滾《こぼ》れるのを防《ふせ》いだ。酒《さけ》が始《はじ》まつてから皆《みな》が妙《めう》に鹿爪《しかつめ》らしく居《ゐ》ずまひを改《あらた》めた。
「さあ、何卒《どうぞ》ずん/\干《ほ》しておくんなせえね」亭主《ていしゆ》は促《うなが》した。
「はい」挨拶《あいさつ》が又《また》口々《くち/″\》に出《で》た。
此《こ》の頃《ごろ》では不廉《ふれん》な酒《さけ》は容易《ようい》に席上《せきじやう》へは運《はこ》ばれなく成《な》つて居《ゐ》たので隨《したが》つて他人《たにん》の買《か》つたのでも皆《みな》控《ひか》へ目《め》にする樣《やう》に成《な》つて居《ゐ》た。南《みなみ》では養蠶《やうさん》の結果《けつくわ》が好《よ》かつたのと少《すこ》しばかり餘《あま》つた桑《くは》が意外《いぐわい》な相場《さうば》で飛《と》んだのとで、一|圓《ゑん》ばかりの酒《さけ》を奮發《ふんぱつ》したのであつた。其《そ》の晩《ばん》の料理《れうり》に使《つか》ふ醤油《しやうゆ》が要《い》るので兩方《りやうはう》を兼《か》ねて亭主《ていしゆ》は晝餐休《ひるやす》みの時刻《じこく》に天秤《てんびん》擔《かつ》いで鬼怒川《きぬがは》を渡《わた》つた。村落《むら》の店《みせ》では買《か》はずに直接《ちよくせつ》酒藏《さかぐら》へ行《い》つたので酒《さけ》は白鳥徳利《はくてうどくり》の肩《かた》まで屆《とゞ》いて居《ゐ》た。
各自《かくじ》の平生《へいぜい》渇《かつ》して居《ゐ》る口《くち》には酒《さけ》は非常《ひじやう》に佳味《うま》く感《かん》ずると共《とも》に、其《そ》の痲痺《まひ》する力《ちから》に對《たい》する抵抗力《ていかうりよく》が衰《おとろ》へて居《ゐ》るので徳利《とくり》が一|本《ぽん》づつ倒《たふ》されて次《つき》の徳利《とくり》に手《て》が掛《かゝ》つたと思《おも》ふ頃《ころ》板《いた》の間《ま》では一|同《どう》のたしなみが亂《みだ》れて威勢《ゐせい》が出《で》た。
「おめえ、さういに自分《じぶん》の處《とこれ》えばかし置《お》かねえで干《ほ》せな」と弱《よわ》い者《もの》の處《ところ》へ杯《さかづき》を聚《あつ》めて困《こま》るのを見《み》ようとさへする樣《やう》に成《な》つた。勘次《かんじ》は獨《ひと》り側《そば》なる徳利《とくり》を引《ひ》きつけて幾抔《いくはい》か傾《かたむ》けて他人《ひと》よりも先《さき》に小鬢《こびん》の筋《すぢ》が膨《ふく》れて居《ゐ》た。
「俺《お》ら、鉋《かんな》の持《も》たねえ大工《でえく》だ、鑿《のみ》一|方《ぽう》つちんだから」といつて勘次《かんじ》は相手《あひて》もないのに態《わざ》とらしい笑《わら》ひやうをして女房等《にようばうら》の居《ゐ》る方《はう》を見《み》た。彼《かれ》は俛《た》れ相《さう》に成《な》る首《くび》を起《おこ》して數々《しば/\》見《み》ることを反覆《くりかへ》した。おつぎは後《うしろ》の方《はう》へ隱《かく》れて居《ゐ》た。勘次《かんじ》は箸《はし》を一|本《ぽん》持《も》つて危險《あぶな》い物《もの》にでも觸《さは》るやうに平椀《ひらわん》の馬鈴薯《じやがたらいも》を其《その》先《さき》へ刺《さ》しては一|杯《ぱい》に口《くち》を開《あ》いて頬張《ほゝば》つた。平椀《ひらわん》には牛蒡《ごばう》と馬鈴薯《じやがたらいも》とが堆《うづたか》く盛《も》られて油揚《あぶらあげ》が一|枚《まい》載《の》せてある。
「箆棒《べらぼう》に大《え》かく成《な》つたつけな、此《こ》の馬鈴薯《じやがいも》はなあ」一人《ひとり》がいつた。
「此《こ》んでも桑《くは》の間《あひだ》さ作《つく》つたんだが、思《おも》ひの外《ほか》だつけのさ」亭主《ていしゆ》は自慢《じまん》らしくそれでも態《わざ》と聲《こゑ》を落《おと》していつた。
「桑《くは》の間《あひだ》でかう出來《でき》つかな、そりやさうと何處《どこ》さ作《つく》つたんでえまあ」
「裏《うら》の垣根外《くねそと》さ、土《つち》はかたで赤《あか》つぽうろくだが、掃溜《はきだめ》みつしら掘《ほ》つ込《こ》んで置《お》いた處《ところ》だから、其《そ》れが出《で》たと見《め》えんのさ、思《おも》ひの外《ほか》土地《とち》は嫌《きら》あねえもんだよ、此《こ》んなもんでも作《つく》つちや桑《くは》にや惡《わる》かんべが」
「大丈夫《だいぢやうぶ》だとも、馬鈴薯《じやがいも》が大《え》かく成《な》る樣《やう》ぢや其《その》肥料《こやし》は桑《くは》も吸《す》ふから、いや桑《くは》の根《ね》つ子《こ》の遠《とほ》くへ踏《ふ》ん出《だ》すんぢや魂消《たまげ》たもんだから、目《め》も有《あ》りもしねえのに肥料《こやし》の方《はう》へ眞直《まつすぐ》にずうつと來《く》つかんな」
「此《こ》れでどの位《くれえ》殖《ふ》えるものだと思《おも》つたら一ツ株《かぶ》で一|升《しよう》位《ぐれえ》づゝも起《おこ》せるよ」亭主《ていしゆ》がいへば
「うむ、さうかな、さうすつと割《わり》の善《え》えもんだな」各自《てんで》にさういつて居《ゐ》ると
「能《よ》く牛蒡《ごぼう》は保《も》たせたつけな」といふものがあつた。
「なあに、踏《ふ》ん固《がた》める處《ところ》へ活《い》けてせえ置《お》けば大丈夫《でえぢやうぶ》なものさ、俺《お》ら家《ぢ》や田植《たうゑ》迄《まで》は有《あ》るやうに庭《には》へ埋《う》めて置《お》くのよ」亭主《ていしゆ》は自分《じぶん》も椀《わん》の牛蒡《ごぼう》を挾《はさ》んでいつた。
「さうだが、俺《お》ら家《ぢ》なんぞぢや、それまでにや無《な》く成《な》つちまあから一|度《ど》でもさういに活《い》けて置《お》いたことあねえな」と一人《ひとり》がいへば
「俺《お》らなんざ、腹《はら》さ藏《しま》つて置《お》くから盜《と》られつこなしだ」兼《かね》博勞《ばくらう》は口《くち》を出《だ》した。
「牛蒡《ごばう》もうつかりして繩《なは》で縛《しば》つて活《い》けちや、其處《そこ》から腐《くさ》れがへえつて酷《ひで》えもんだな、藁《わら》は餘《よ》つ程《ぽど》嫌《きれ》えだと見《め》えんのさな」勘次《かんじ》は横合《よこあひ》からいつた。
「どうしたかよ」疑《うたが》ひの聲《こゑ》が發《はつ》せられた。
「どうしたかなもんぢやねえ、俺《お》ら家《ぢ》で行《や》つたこと有《あ》んだもの」彼《かれ》は相手《あひて》に壓《あつ》せられた樣《やう》に聲《こゑ》を低《ひく》めて
「なあおつう、さうだな」と身體《からだ》を横《よこ》に向《む》けていつた。板《いた》の間《ま》と土間《どま》との界《さかひ》に立《た》つて居《ゐ》る柱《はしら》の陰《かげ》にランプの光《ひかり》から身《み》を避《さ》けるやうにして一|座《ざ》の獻酬《けんしう》を見《み》て居《ゐ》た女房等《にようばうら》の手《て》が俄《にはか》におつぎの臀《しり》をつゝいて
「おつうとそれ、返辭《へんじ》するもんだ」小聲《こごゑ》でいつて微《かすか》に笑《わら》つた。勘次《かんじ》は怪訝《けげん》な容子《ようす》をして柱《はしら》の陰《かげ》を凝然《ぢつ》と見《み》て目《め》を蹙《しか》めた。
「おつぎは居《ゐ》るよおめえ、さういに見《み》ねえでも」柱《はしら》の陰《かげ》からいつて私語《さゞめ》いた。勘次《かんじ》は板《いた》の間《ま》の端《はし》に近《ちか》く居《ゐ》たのであるが膳《ぜん》を越《こ》えて身體《からだ》をぐつと前《まへ》へ延《の》ばしては徳利《とくり》を動《うご》かして空《から》に成《な》つたのは女房等《にようばうら》へ渡《わた》して何處《どこ》となしに心《こゝろ》を配《くば》る樣《やう》にそわ/\として居《ゐ》る。
「はてな、懷《ふとこれ》え入《せ》えた筈《はず》だつけが」と兼《かね》博勞《ばくらう》は懷《ふところ》から周圍《あたり》を探《さが》して側《そば》へ落《お》ちた小《ちひ》さな紙包《かみづゝみ》を手《て》にして
「こうれ、うめえ物《もの》見《み》ろえまあ」といつて開《あ》けて見《み》ると一|寸《すん》ばかりの蟷螂《かまきり》が斧《をの》を擡《もた》げてちよろちよろと歩《ある》き出《だ》した。
「へゝえ、此《こ》ん畜生奴《ちきしよめ》こんでも怒《おこ》つてらあ」兼《かね》博勞《ばくらう》はちよいと蟷螂《かまきり》をつゝいて見《み》て獨《ひと》り興《きよう》がつて笑《わら》つた。
「どうしたもんだんべ大《え》けえ姿《なり》して」と女房《にようばう》は皆《みな》笑《わら》つた。
「あれ俺《お》ら知《し》つてら」おつぎの傍《そば》に居《ゐ》た與吉《よきち》は兼《かね》博勞《ばくらう》の側《そば》へ行《い》つて
「鴉《からす》のきんたまから出《で》んだぞこら」といつた。
「汝《わ》ツ等《ら》知《し》りもしねえで」勘次《かんじ》は與吉《よきち》を甘《あま》やかす樣《やう》にしていつた。
「そんだつて俺《お》ら見《み》た、笹《さゝ》つ葉《ぱ》の枝《えだ》にくつゝいてた處《ところ》から出《で》たんだ」與吉《よきち》は蟷螂《かまきり》を弄《いぢ》りながらいつた。
「勘次《かんじ》さん駄目《だめ》だよ、學校《がくこ》へ遣《や》つちや半年《はんとし》たあ云《ゆ》はんねえから、下手《へた》んすつと今《いま》の子奴等《こめら》にや遣《や》り込《こ》められつちやからおとつゝあ此《こ》れ知《し》つてつかなんちあれたつて、困《こま》らなどうもなあ」側《そば》からいつたので勘次《かんじ》は有繋《さすが》に嫣然《にこり》とした。
白鳥徳利《はくてうどくり》の口《くち》が底《そこ》よりも低《ひく》く成《な》つた時《とき》一|座《ざ》の間《あひだ》には馬《うま》の噺《はなし》が出《で》た。馬《うま》といふ奴《やつ》はあの身體《からだ》で酒《さけ》の二|杯《はい》も口《くち》へ入《いれ》てやると忽《たちま》ちにどろんとして駻馬《かんば》でも靜《しづか》に成《な》る、博勞《ばくらう》は以前《いぜん》はさうして惡《わる》い馬《うま》を嵌《は》め込《こ》んだものである。現在《いま》でもそんなことで油斷《ゆだん》は成《な》らぬ、村落《むら》が貧乏《びんばふ》したから荷車《にぐるま》ばかり殖《ふ》えて馬《うま》が減《へ》つて畢《しま》つたが荷車《にぐるま》の檢査《けんさ》に行《い》つて見《み》て驚《おどろ》いた抔《など》といふことや、朝鮮牛《てうせんうし》が大分《だいぶ》輸入《ゆにふ》されたが狗《いね》ころの樣《やう》な身體《からだ》で割合《わりあひ》に不廉《たか》いからどうしたものだか抔《など》といふことが際限《さいげん》もなくがや/\と大聲《おほごゑ》で呶鳴《どな》り合《あ》うた。
「博勞《ばくらう》なんちい奴等《やつら》は泥棒根性《どろぼうこんじやう》無《な》くつちや出來《でき》ね商賣《しやうべえ》だな、嘘《ちく》らつぽう打《ぶ》んぬいて、兼等《かねら》汝《わ》りや、俺《お》れことせえおつ嵌《ぱ》める積《つもり》しやがつて」兼《かね》博勞《ばくらう》の向側《むかうがは》から戯談《じようだん》らしい調子《てうし》でいふと
「箆棒《べらぼう》、おつ嵌《ぱ》めんなもんぢやねえ、それ厭《や》だら錢《ぜに》出《だ》せよ錢《ぜに》、なあ、錢《ぜに》出《だ》さねえ積《つもり》すんのが泥棒《どろぼう》より太《ふて》えんだな、西《にし》のおとつゝあ等《ら》躊躇逡巡《しつゝくむつゝく》だから、かたで」
「そんだから見《み》ろえ、博勞《ばくらう》で藏《くら》建《た》てた奴《やつ》あ有《あ》りやしねえ、罰《ばち》たかつてつから」
「どうした、そんだが此間《こ
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