こずゑ》が相《あひ》倚《よ》つて、先刻《さつき》から明《あ》かるい光《ひかり》を厭《いと》ふ踊子《をどりこ》を掩《おほ》うて一|杯《ぱい》に陰翳《かげ》を投《な》げて居《ゐ》たのであるが、凝然《ぢつ》とした靜《しづ》かな月《つき》が幾《いく》らか首《くび》を傾《かたむ》けたと思《おも》つたら樅《もみ》の梢《こずゑ》の間《あひだ》から少《すこ》し覗《のぞ》いて、踊子《をどりこ》が形《かたち》づくつて居《ゐ》る輪《わ》の一|端《たん》をかつと明《あ》かるくした。彼等《かれら》の戴《いたゞ》いて居《ゐ》る裝飾《さうしよく》が其《その》光《ひかり》に觸《ふ》れゝば悉《ことごと》く目《め》を射《い》るやうにはつきりと白《しろ》く見《み》え出《だ》した。殆《ほと》んど疲勞《ひらう》といふことを感《かん》じないであらうかと怪《あや》しまれる彼等《かれら》は益々《ます/\》興《きよう》に乘《じよう》じて少《すこ》し亂雜《らんざつ》に成《な》り掛《か》けた。白《しろ》いシヤツの上《うへ》に浴衣《ゆかた》を肩《かた》まで捲《ま》くつて、臀《しり》を※[#「塞」の「土」に代えて「衣」、第3水準1−91−84]《から》げて草鞋《わらぢ》を穿《はい》た幾人《いくにん》が列《れつ》から離《はな》れたと思《おも》つたら、其處《そこ》らに立《た》つて見物《けんぶつ》して居《ゐ》る女等《をんなら》に向《むか》つて海嘯《つなみ》の如《ごと》く襲《おそ》うた。女同士《をんなどうし》はわあと只《たゞ》笑《わら》ひ聲《ごゑ》を發《はつ》して各自《てんで》に對手《あひて》を突《つ》いたり叩《たゝ》いたりして亂《みだ》れつゝ騷《さわ》いだ。突然《とつぜん》一人《ひとり》がおつぎの髮《かみ》へひよつと手《て》を掛《か》けた。
「此《こ》らまあ、どうしたもんだ」おつぎが驚《おどろ》いて叫《さけ》んだ時《とき》、對手《あひて》はおつぎの櫛《くし》を奪《うば》つて混雜《こんざつ》した群集《ぐんしふ》の中《なか》へ身《み》を沒《ぼつ》した。おつぎは髮《かみ》へ惡戯《いたづら》されたことを嫌《きら》つて思《おも》はず手《て》を當《あて》て見《み》て櫛《くし》の無《な》くなつたのを知《し》つた。
「他人《ひと》の櫛《くし》まあ」おつぎは其《そ》れを追《お》はうとして覺《おぼ》えず足《あし》を蹂《ふ》み出《だ》すと、一|歩《ぽ》運《はこ》んだ勘次《かんじ》の手《て》がむづとおつぎの首筋《くびすぢ》を捉《とら》へた。彼《かれ》は同時《どうじ》におつぎの小鬢《こびん》を横《よこ》に打《う》つた。おつぎが慌《あわ》てゝ後《うしろ》を向《む》かうとする時《とき》、復《ふたゝ》び劇《はげ》しく打《う》つた手《て》がおつぎの鼻《はな》に當《あた》つた。おつぎは兩手《りやうて》で鼻《はな》を抑《おさ》へて縮《ちゞ》まつた。女同士《をんなどうし》は樅《もみ》の木陰《こかげ》に身《み》を峙《そば》めて手《て》の出《だ》し樣《やう》もなかつた。
一《ひと》つには平生《ふだん》からおつぎに對《たい》する勘次《かんじ》の態度《たいど》を知《し》つて居《ゐ》て其處《そこ》に一|種《しゆ》の恐怖《きようふ》を感《かん》じて居《ゐ》たからでもあつた。
「どうして汝《わ》りや、櫛《くし》なんぞ取《と》らつたんだ」勘次《かんじ》はからびた喉《のど》から絞《しぼ》り出《だ》す樣《やう》な聲《こゑ》で詰問《きつもん》した。
「こうれ、此《この》阿魔奴《あまめ》、しらばくれやがつて、どうしたんだよ」勘次《かんじ》は屈《かゞ》んだ儘《まゝ》のおつぎをぐいと突《つ》いた。おつぎは轉《ころ》がり相《さう》にして漸《やうや》く土《つち》へ手《て》を突《つ》いた。
「何《なに》爲《す》んだな、おとつゝあ」おつぎは慌《あわ》てゝ顏《かほ》を捩《ね》ぢ向《む》けて少《すこ》し泣《な》き聲《ごゑ》で寧《むし》ろ鋭《するど》くいつた。
「何《なに》爲《す》んだとう、づう/\しい阿魔《あま》だ、櫛《くし》何故《どう》して取《と》らつたんだか云《ゆ》つて見《み》ろつちんだ、此《こ》んでも分《わか》んねえのか、云《ゆ》つて見《み》ろよ」勘次《かんじ》は暫《しばら》く間《あひだ》を措《お》いて、又《また》かつと忌々敷《いま/\しく》なつたやうに
「云《ゆ》つて見《み》ろつちのに、云《ゆ》つて見《み》ろよ」と反覆《くりかへ》しておつぎを責《せ》めた。
「どうしてつちつたつて、俺《お》らがにや分《わか》んねえよ」おつぎは恨《うら》めし相《さう》に然《しか》しながら周圍《しうゐ》に憚《はゞか》る樣《やう》にして小聲《こごゑ》でいつた。袂《たもと》は顏《かほ》を掩《おほ》うた儘《まゝ》である。
「分《わか》んねえとう、何《なん》にも知《し》らねえ者《もの》で他人《ひと》の櫛《くし》なんぞ取《と》つか」勘次《かんじ》は苦《くる》しい息《いき》を吐《つ》くやうにして
「そんだら汝《わ》りや」と齒《は》でぎつと噛《か》み殺《ころ》した樣《やう》な聲《こゑ》でいつた。暫時《しばらく》凝然《ぢつ》と見《み》て居《ゐ》た彼《かれ》はおつぎを蹴《け》つた。おつぎは前《まへ》へのめつた。然《しか》しおつぎは泣《な》かなかつた。「おゝ痛《い》てえまあ」群集《ぐんしふ》の中《なか》から假聲《こわいろ》でいつた。踊《をどり》の列《れつ》は先刻《さつき》から崩《くづ》れて堵《と》の如《ごと》く勘次《かんじ》とおつぎの周圍《まはり》に集《あつ》まつたのである。おつぎは此《この》聲《こゑ》を聞《き》くと共《とも》に亂《みだ》れ掛《か》けた衣物《きもの》の合《あは》せ目《め》を繕《つくろ》うた。
「櫛《くし》とつたな此處《ここ》に居《ゐ》たよう」と此《こ》れも喉《のど》の底《そこ》からかすれて出《で》るやうな聲《こゑ》が群集《ぐんしふ》の中《なか》から發《はつ》せられた。
「持《も》つてたら、やつちめえ」
「厭《や》だよう、おとつゝあに打《ぶ》ん擲《なぐ》られつから、おとつゝあ勘辨《かんべん》してくろよう」と歔欷《すゝりな》くやうな假聲《こわいろ》が更《さら》に聞《きこ》えた。惘然《ばうぜん》として見《み》て居《ゐ》た凡《すべ》てがどよめいた。
「おとつゝあ明《あか》り點《つ》けべえかあ」と群集《ぐんしふ》の後《あと》から呶鳴《どな》ると共《とも》に凡《すべ》てが復《ま》たどつと笑《わら》つた。
おつぎはむつくり起《お》きてさつさと行《ゆ》き掛《か》けた。
「汝《われ》何處《どこ》さ行《え》くんだ。こうれ」勘次《かんじ》は引《ひ》つ捉《つか》まうとしたがおつぎは身《み》を捩《ねぢ》つてさつさと行《ゆ》く。勘次《かんじ》は慌《あわ》てゝ草履《ざうり》の爪先《つまさき》が蹶《つまづ》きつゝおつぎの後《あと》に跟《つ》いた。
「おつう」彼《かれ》は心《こゝろ》もとなげに喚《よ》んだ。與吉《よきち》はどうした理由《わけ》とも分《わか》らないので先刻《さつき》から只《たゞ》泣《な》いて居《ゐ》た。
太鼓《たいこ》が止《や》んで踊《をどり》は全《まつた》く亂《みだ》れて畢《しま》つた。それでなくても彼等《かれら》は一しきり踊《をど》れば田圃《たんぼ》を越《こ》えて三々五々《さんさんごゝ》と男《をとこ》は女《をんな》を伴《ともな》うて、畑《はた》の小徑《こみち》から林《はやし》を過《す》ぎて村落《むら》から村落《むら》へと太鼓《たいこ》の音《おと》を尋《たづ》ねて行《ゆ》くのである。
勘次《かんじ》の後《うしろ》から彼等《かれら》はぞろ/\と跟《つ》いて行《い》つた。或《ある》者《もの》は足速《あしばや》に駈《か》け拔《ぬ》けては
「燒餅《やきもち》燒《や》くとて手《て》を燒《や》いてえ、其《そ》の手《て》でお釋迦《しやか》の團子《だんご》捏《こ》ねたあ」と當《あ》てつけに唄《うた》うてずん/\行《い》つて畢《しま》ふ。後《うしろ》の群集《ぐんしふ》はそれに應《おう》じて指《ゆび》を啣《くは》へてぴう/\と鳴《な》らしながら勘次《かんじ》の心《こゝろ》を苛立《いらだ》たせた。勘次《かんじ》は何《ど》れ程《ほど》それが激《げき》した心《こゝろ》に忌々敷《いま/\しく》くても其《そ》れを窘《たしな》めて叱《しか》つて遣《や》る何《なん》の手《て》がかりも有《も》つて居《を》らぬ。三|人《にん》は只《たゞ》默《だま》つて歩《ある》いた。
社《やしろ》の森《もり》の外《そと》は白《しろ》い月夜《つきよ》である。勘次《かんじ》が村落外《むらはづ》れの家《いへ》に歸《かへ》つた時《とき》は踊子《をどりこ》は皆《みな》自分《じぶん》の嚮《むか》ふ處《ところ》に赴《おもむ》いて三|人《にん》のみが靜《しづか》に深《ふ》け行《ゆ》く庭《には》にぽつさりと立《た》つたのであつた。各所《かくしよ》の太鼓《たいこ》の音《おと》が興味《きようみ》は却《かへつ》て此《こ》れからだといふ樣《やう》に沈《しづ》んだ夜《よ》を透《とほ》して一|直線《ちよくせん》に響《ひゞ》いて來《く》る。唄《うた》の聲《こゑ》は遠《とほ》く近《ちか》く聞《きこ》える。夜《よる》は全《まつた》く踊《をど》るものゝ領域《りやうゐき》に歸《き》した。彼等《かれら》は玉蜀黍《たうもろこし》の葉《は》がざわ/\と妙《めう》に心《こゝろ》を騷《さわ》がせて、花粉《くわふん》の臭《にほ》ひが更《さら》に心《こゝろ》の或《ある》物《もの》を衝動《そゝ》る畑《はたけ》の間《あひだ》を行《ゆ》くとては、踊《をど》つて唄《うた》うて渇《かつ》した喉《のど》に其處《そこ》に瓜《うり》が作《つく》つてあるのを知《し》れば竊《ひそか》に瓜《うり》や西瓜《すゐくわ》を盗《ぬす》んで路傍《みちばた》の草《くさ》の中《なか》に打《う》ち割《わ》つた皮《かは》を投《な》げ棄《す》てゝ行《ゆ》くのである。彼等《かれら》の間《あひだ》に惡戯《いたづら》の好《す》きな五六|人《にん》が夜《よ》が深《ふ》けてからそつと勘次《かんじ》の庭《には》へ立《た》つて見《み》た。其《そ》の時《とき》は只《たゞ》自分等《じぶんら》の陰翳《かげ》が稍《やゝ》長《なが》く庭《には》の土《つち》に映《えい》じて、月《つき》は隙間《すきま》だらけの古《ふる》ぼけた雨戸《あまど》をほのかに白《しろ》く見《み》せて居《ゐ》た。周圍《しうゐ》は泣《な》き止《や》んだ後《あと》のやうに餘《あま》りに寂《さび》しかつた。五六|人《にん》は只《たゞ》ぽつさりと歸《かへ》つて畢《しま》つた。
おつぎは次《つき》の朝《あさ》櫛《くし》を探《さが》しに出《で》た。同《おな》じ年輩《ねんぱい》の間《あひだ》には誰《たれ》の惡戯《いたづら》であるかが其《そ》の場《ば》で凡《すべ》ての耳《みゝ》に知《し》れ渡《わた》つて居《ゐ》た。
「櫛《くし》なんざ持《も》つてゐねえぞはあ、それよりやあ、歸《けえ》つて※[#「柿」の正字、第3水準1−85−57]《かき》の木《き》のざく股《また》でも見《み》た方《はう》がえゝと」朋輩《ほうばい》の一人《ひとり》がおつぎへいつた。おつぎは自分《じぶん》の庭《には》の※[#「柿」の正字、第3水準1−85−57]木《かきのき》の幹《みき》が二|股《また》に成《な》つた處《ところ》に櫛《くし》がそつと載《の》せてあるのを發見《はつけん》した。櫛《くし》は鼈甲模擬《べつかふまがひ》のゴムの櫛《くし》であつた。齒《は》が二|枚《まい》ばかり缺《か》けて居《ゐ》た。おつぎは損所《そんしよ》を凝然《ぢつ》と見《み》て直《すぐ》に髮《かみ》へ※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]《さ》した。
櫛《くし》の事件《じけん》は其《そ》れつ切《きり》で畢《をは》つた。勘次《かんじ》は何《なに》かにつけてはおつう/\と懷《なつ》かしげに喚《よ》んで一|家《か》は人《ひと》の目《め》に立《た》つ程《ほど》極《きは》めて睦《むつ》ましかつた。然《しか》しかういふ事件《じ
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