》を少《すこ》し鹽《しほ》を入《い》れた水《みづ》で捏《こ》ねて、それを玉《たま》にして、筵《むしろ》の間《あひだ》へ入《い》れて足《あし》で蹂《ふ》んで、棒《ぼう》へ卷《ま》いては薄《うす》く延《の》ばして、更《さら》に幾《いく》つかに疊《たゝ》んでそく/\と庖丁《はうちやう》で斷《た》つた。饂飩《うどん》の切《き》り端《はし》は皆《みな》一寸《ちよつと》一|箇所《かしよ》を撮《つま》んで三|角形《かくけい》に拵《こしら》へて膳《ぜん》へ並《なら》べて佛壇《ぶつだん》へ供《そな》へた。其《そ》の切《き》り端《はし》は其《そ》の翌朝《よくあさ》各自《かくじ》が自分《じぶん》の田畑《たはた》をぐるりと廻《まは》つては菽《まめ》や稻《いね》の穗《ほ》や其《そ》の他《た》の作物《さくもつ》を佛《ほとけ》へ供《そな》へるのであるが、佛《ほとけ》も其《そ》の朝《あさ》野廻《のまは》りに出《で》るのだといふので其《その》佛《ほとけ》の笠《かさ》に供《そな》へるのだといふのである。
 踊子《をどりこ》を誘《さそ》ふ太鼓《たいこ》の音《おと》は夜《よ》を待《ま》ち兼《か》ねて鳴《な》り出《だ》した。勘次《かんじ》は其《そ》の夜《よ》蚊燻《かいぶ》しの支度《したく》もしないで紺《こん》の單衣《ひとへ》へぐる/\と無造作《むざうさ》に三|尺帶《じやくおび》を卷《ま》いて、雨戸《あまど》をがら/\と閉《た》て始《はじ》めた。さうして
「おつう支度《したく》して見《み》ろ、俺《おれ》連《つ》れてんから」勘次《かんじ》は性急《せいきふ》におつぎを促《うなが》し立《た》てた。大戸《おほど》の鍵《かぎ》を外《そと》から掛《か》けて三|人《にん》が庭《には》に立《た》つた時《とき》月《つき》は雲翳《うんえい》を遠《とほ》ざかつて靜《しづ》かに※[#「柿」の正字、第3水準1−85−57]《かき》の木《き》の上《うへ》に懸《かゝ》つて居《ゐ》た。
 毎年《まいねん》極《きま》つた踊《をどり》の場所《ばしよ》は村《むら》の社《やしろ》の大《おほ》きな樅《もみ》の木陰《こかげ》である。勘次等《かんじら》三|人《にん》が行《い》つた時《とき》は踊子《をどりこ》はもう大分《だいぶ》集《あつま》つて居《ゐ》た。一足《ひとあし》森《もり》に入《はひ》れば劇《はげ》しく叩《たゝ》く太鼓《たいこ》の音《おと》が、その急《いそ》いで遠《とほ》くへ響《ひゞ》き去《さ》るのを周圍《しうゐ》から遮《さへぎ》り止《と》めようとして錯雜《さくざつ》して茂《しげ》つて居《ゐ》る幹《みき》や小枝《こえだ》に打當《ぶツつか》つて紛糾《こぐらか》つて居《ゐ》るやうに、森《もり》一杯《いつぱい》に鳴《な》り響《ひゞ》いて上《うへ》へ/\と恐《おそ》ろしく人々《ひと/″\》の心《こゝろ》を誘導《そゝ》つた。男女《なんによ》が入《い》り交《まじ》つて太鼓《たいこ》を中央《ちうあう》に輪《わ》を描《ゑが》いて居《ゐ》る。それが一|定《てい》の間隔《かんかく》を措《お》いては一|同《どう》が袋《ふくろ》の口《くち》の紐《ひも》を引《ひ》いた樣《やう》に輪《わ》が蹙《しぼ》まつて、ぱらり/\と手拍子《てびやうし》をとつて、復《また》以前《いぜん》のやうに擴《ひろ》がる。さうしては其《そ》の踊《をどり》の手《て》を反覆《はんぷく》しつゝ徐《おもむ》ろに太鼓《たいこ》の周圍《しうゐ》を廻《めぐ》る。女《をんな》は袖《そで》を長《なが》く見《み》せる爲《ため》に手拭《てぬぐひ》を折《を》つて兩方《りやうはう》の袂《たもと》の先《さき》へ縫《ぬひ》つけて、それから扱帶《しごき》を襷《たすき》にして結《むす》んだ長《なが》い端《はし》を後《うしろ》へだらりと垂《た》れて居《ゐ》る。扱帶《しごき》は踊《をどり》の手《て》を描《ゑが》く度《たび》毎《ごと》に袂《たもと》と共《とも》にゆらり/\と搖《ゆ》れる。男《をとこ》は少《すこ》し亂暴《らんばう》に女《をんな》の身體《からだ》にこすりつきながら踊《をど》る。女《をんな》は五月繩《うるさ》い時《とき》には一時《ちよつと》踊《をどり》の手《て》を止《や》めて對手《あひて》を叱《しか》つたり叩《たゝ》いたり、然《しか》も其《その》特性《とくせい》のつゝましさを保《たも》つて拍子《ひやうし》を合《あは》せ乍《なが》ら多勢《おほぜい》の間《あひだ》に揉《も》まれつゝ同《どう》一|線《せん》を反覆《はんぷく》しつゝ踊《をど》る。漸次《ぜんじ》に人勢《にんず》が殖《ふ》えて大《おほ》きな輪《わ》の内側《うちがは》に更《さら》に小《ちひさ》な輪《わ》が描《ゑが》かれた。太鼓《たいこ》が倦怠《だれ》れば
「太鼓《たいこ》が疎《おろ》かぢや踊《をどり》もおろかだ」と口々《くち/″\》に促《うなが》し促《うなが》し交互《たがひ》に唄《うた》の聲《こゑ》を張《は》り揚《あ》げて踊《をど》る。太鼓《たいこ》の手《て》は疲《つか》れゝば更《さら》に人《ひと》が交代《かうたい》して撥《ばち》も折《を》れよと鳴《な》らす。踊子《をどりこ》は皆《みな》一|杯《ぱい》に裝飾《さうしよく》した笠《かさ》を戴《いたゞ》いて居《ゐ》る。裝飾《さうしよく》といつても夜目《よめ》に鮮《あざ》やかな樣《やう》に、饅頭《まんぢう》や其《そ》の他《た》の物《もの》を包《つゝ》む白《しろ》いへぎ[#「へぎ」に傍点]皮《かは》を夥《おびたゞ》しく括《くゝ》り附《つ》けて置《お》くのである。其《そ》れが月光《げつくわう》を遮《さへぎ》つて居《ゐ》る樅《もみ》の木陰《こかげ》に著《いちじ》るしく目《め》に立《た》つて、身《み》を動《うご》かす度《たび》に一|齊《せい》にがさがさと鳴《な》りながら波《なみ》の如《ごと》く動《うご》いて彼等《かれら》の風姿《ふうし》を添《そ》へて居《ゐ》る。彼等《かれら》が幾夜《いくよ》も踊《をど》つて不用《ふよう》に歸《き》した時《とき》には、それが彼等《かれら》の歩《ある》いた路《みち》の傍《はた》に埃《ほこり》に塗《まみ》れながら到《いた》る處《ところ》に抛棄《はうき》せられて散亂《さんらん》して居《ゐ》るのを見《み》るのである。
 其《そ》の踊《をどり》の周圍《しうゐ》には漸《やうや》く村落《むら》の見物《けんぶつ》が聚《あつま》つた。混雜《こんざつ》して群集《ぐんしふ》と少《すこ》し離《はな》れて村落《むら》の俄商人《にはかあきんど》が筵《むしろ》を敷《し》いて駄菓子《だぐわし》や梨《なし》や甜瓜《まくはうり》や西瓜《すゐくわ》を並《なら》べて居《ゐ》る。油煙《ゆえん》がぼうつと騰《あが》るカンテラの光《ひかり》がさういふ凡《すべ》てを凉《すゞ》しく見《み》せて居《ゐ》る。殊《こと》に斷《た》ち割《わ》つた西瓜《すゐくわ》の赤《あか》い切《きれ》は小《ちひ》さな店《みせ》の第《だい》一の飾《かざ》りである。踊子《をどりこ》の渇《かつ》した喉《のど》には自分等《じぶんら》が立《た》てる埃《ほこり》の掛《かゝ》るのも頓着《とんちやく》なく只管《ひたすら》それを佳味《うま》く感《かん》ずるのである。それが少女《せうぢよ》であれば少《すくな》くとも三四|人《にん》が群《む》れて飾《かざ》られた花笠《はながさ》深《ふか》く顏《かほ》が掩《おほ》はれて居《ゐ》るのにそれでも猶且《やつぱり》知《し》られることを恥《はぢ》らうて漸《やうや》く手《て》の及《およ》ぶ程度《ていど》にカンテラの光《ひかり》の範圍《はんゐ》から遠《とほ》ざからうとしつゝ西瓜《すゐくわ》の一|片《きれ》づつを求《もと》める。俄商人《にはかあきんど》はカンテラの光明《くわうみやう》と木陰《こかげ》の薄《うす》い闇《やみ》との間《あひだ》に立《た》つた其《そ》の姿《すがた》が明瞭《はつきり》と見極《みきは》め難《がた》いので、頻《しき》りに目《め》を蹙《しか》めつゝ求《もと》められる儘《まゝ》に筵《むしろ》の端《はし》に立《た》つて西瓜《すゐくわ》を出《だ》して遣《や》る。踊子《をどりこ》は其《そ》れを手《て》にして慌《あわたゞ》しく木陰《こかげ》に隱《かく》れる。其處《そこ》には必《かなら》ず各《おの/\》の口《くち》から發《はつ》する笑聲《わらひごゑ》が聞《き》かれるのである。カンテラの光《ひかり》の爲《ため》に却《かへつ》て眼界《がんかい》を狹《せば》められた商人《あきんど》は木陰《こかげ》の闇《やみ》から見《み》れば滑稽《こつけい》な程《ほど》絶《た》えず其《そ》の眼《め》を蹙《しか》めつゝ外《そと》の闇《やみ》を透《すか》して騷《さわ》がしい群集《ぐんしふ》を見《み》て居《ゐ》る。
 勘次《かんじ》は與吉《よきち》の求《もと》める儘《まゝ》に西瓜《すゐくわ》の一|片《きれ》を與《あた》へて自分《じぶん》は商人《あきんど》の狹《せま》い筵《むしろ》の端《はし》へ腰《こし》を卸《おろ》した。おつぎは暫《しばら》く店《みせ》の側《そば》に立《た》つて居《ゐ》たが、明《あか》るい光《ひかり》を厭《いと》うて軈《やが》て樅《もみ》の木《き》の下《した》に與吉《よきち》と共《とも》に身《み》を避《さ》けた。勘次《かんじ》は俄《にはか》に眼《め》を聳《そびや》かすやうにして木陰《こかげ》の闇《やみ》を見《み》た。彼《かれ》は其處《そこ》におつぎの浴衣姿《ゆかたすがた》が凝然《じつ》として居《ゐ》るのを見《み》て筵《むしろ》から離《はな》れることは仕《し》なかつた。
「おつぎさん能《よ》く來《き》たつけな」列《れつ》を離《はな》れた踊子《をどりこ》が汗《あせ》の胸《むね》を少《すこ》し開《ひら》いて、袂《たもと》で頻《しき》りに煽《あふ》ぎながら樅《もみ》の木《き》の側《そば》に立《た》つていひ掛《か》けた。
「おゝ暑《あつ》いやまあ、咽《むせ》つ返《けえ》る樣《やう》だ」と、袂《たもと》の端《はし》で汗《あせ》を拭《ふ》きながら
「おつぎさん、踊《をど》んねえか」と他《ほか》の一人《ひとり》がいつた。
「俺《お》ら厭《や》だよ、おとつゝあ居《え》つから」おつぎは小聲《こごゑ》でいつた。誘《さそ》うた踊子《をどりこ》は目《め》を蹙《しか》めて居《ゐ》る勘次《かんじ》の容子《ようす》を見《み》て自分《じぶん》が睨《にら》みつけられて居《ゐ》る樣《やう》に感《かん》じたので、他《た》へ孤鼠々々《こそ/\》と身《み》を避《さ》けた。女同士《をんなどうし》の眼《め》には姿《すがた》を變《へん》じた踊子《をどりこ》が皆《みな》一|見《けん》して了解《れうかい》されるのであつた。
 踊《をどり》を見《み》ながら輪《わ》の周圍《しうゐ》に立《た》つて居《ゐ》る村落《むら》の女等《をんなら》は手《て》と手《て》を突《つゝ》き合《あ》うて勘次《かんじ》の容子《ようす》を見《み》てはくすくすと竊《ひそか》に冷笑《れいせう》を浴《あび》せ掛《か》けるのであつた。カンテラの光《ひかり》は樅《もみ》の木陰《こかげ》の何處《いづこ》からでも明瞭《はつきり》と勘次《かんじ》の容子《ようす》を目《め》に立《た》たせる樣《やう》にぼう/\と油煙《ゆえん》を立《た》てながら、周圍《しうゐ》の眼《まなこ》と首肯《うなづ》き合《あ》うて赤《あか》い舌《した》をべろべろと吐《は》きつゝゆらめいた
 おつぎの姿《すがた》が五六|人《にん》立《た》つた中《なか》に見《み》えなく成《な》つた時《とき》勘次《かんじ》は商人《あきんど》の筵《むしろ》を立《た》つてすつと樅《もみ》の木《き》の側《そば》へ行《い》つた。おつぎは一二|歩《ほ》位置《ゐち》を變《か》へた丈《だけ》であつたので、彼《かれ》は直《すぐ》におつぎの白《しろ》い姿《すがた》と相《あひ》接《せつ》して立《た》つた。女同士《をんなどうし》は勘次《かんじ》の姿《すがた》を見《み》て少《すこ》し身《み》を避《さ》けた。五六|本《ぽん》屹立《きつりつ》した樅《もみ》の木《き》は引《ひ》つ扱《こ》いた樣《やう》な梢《
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