みそ萩《はぎ》の短《みじか》い小《ちひ》さな花束《はなたば》とを供《そな》へた。みそ萩《はぎ》の側《そば》には茶碗《ちやわん》へ一|杯《ぱい》に水《みづ》が沒《く》まれた。夕方《ゆふがた》近《ちか》く成《な》つてから三|人《にん》は雨戸《あまど》を締《しめ》て、火《ひ》のない提灯《ちやうちん》を持《も》つて田圃《たんぼ》を越《こ》えて墓地《ぼち》へ行《い》つた。お品《しな》の塔婆《たふば》の前《まへ》にそれから其處《そこ》ら一|杯《ぱい》の卵塔《らんたふ》の前《まへ》に線香《せんかう》を少《すこ》しづゝ手向《たむ》けて、火《ひ》を點《つ》けてほつかりと赤《あか》く成《な》つた提灯《ちやうちん》を提《さ》げて戻《もど》つた。冥途《めいど》から來《き》た佛《ほとけ》が其《そ》の火《ひ》に宿《やど》つたしるしだといつて必《かなら》ず提灯《ちやうちん》が墓地《ぼち》から點《つ》けられるのである。おつぎは勘次《かんじ》の懷《ふところ》が幾《いく》らか暖《あたゝ》かに成《な》つたので、廉物《やすもの》ではあるが中形《ちうがた》の浴衣地《ゆかたぢ》も拵《こしら》へて貰《もら》つた。おつぎはもう十九の秋《あき》であつた。おつぎは其《そ》の浴衣地《ゆかたぢ》を着《き》てお品《しな》の墓《はか》へ行《い》つたのである。髮《かみ》は晝《ひる》の内《うち》に近所《きんじよ》の娘同士《むすめどうし》が汗染《あせじ》みた襦袢《じゆばん》一《ひと》つの姿《すがた》で互《たがひ》に結《ゆ》ひ合《あ》うたのである。おつぎは浴衣地《ゆかたぢ》へ赤《あか》い帶《おび》を締《し》めた。勘次《かんじ》は紺《こん》の筒袖《つゝそで》の單衣《ひとへ》で日《ひ》に燒《やけ》た足《あし》が短《みじか》い裾《すそ》から出《で》て居《ゐ》た。おつぎの裝《よそほ》ひは側《そば》では疎末《そまつ》であつても、處々《ところ/″\》ちらり/\と白《しろ》い穗先《ほさき》が覗《のぞ》いて大抵《たいてい》はまだ冴《さ》え/″\として只《たゞ》一|枚《まい》の青疊《あをだゝみ》を敷《し》いた樣《やう》な田圃《たんぼ》の間《あひだ》をくつきりと際立《きはだ》つて目《め》に立《た》つのであつた。三|人《にん》が田甫《たんぼ》を往復《わうふく》してから暫《しばら》く經《た》つて村落《むら》の内《うち》からは何處《どこ》の家《いへ》からも提灯《ちやうちん》持《もつ》て田甫《たんぼ》の道《みち》を老人《としより》と子供《こども》とがぞろ/″\通《とほ》つた。勘次《かんじ》は提灯《ちやうちん》の火《ひ》を佛壇《ぶつだん》の燈明皿《とうみやうざら》へ移《うつ》した。煤《すゝ》け切《き》つた佛壇《ぶつだん》の菜種油《なたねあぶら》の明《あか》りは遠《とほ》い國《くに》からでも光《ひか》つて來《く》るやうにぽつちりと微《かす》かに見《み》えた。お袋《ふくろ》のよりも先《ま》づ白木《しらき》の儘《まゝ》のお品《しな》の位牌《ゐはい》に心《こゝろ》からの線香《せんかう》の煙《けぶり》が靡《なび》いた。勘次《かんじ》もおつぎもみそ萩《はぎ》の小《ちひ》さな花束《はなたば》の先《さき》を茶碗《ちやわん》の水《みづ》に浸《ひた》して其《そ》の水《みづ》をはらりと芋《いも》の葉《は》へ盛《も》つた茄子《なす》へ振《ふ》り掛《かけ》けた。勘次《かんじ》は雨戸《あまど》を一|杯《ぱい》に開《あ》けた。おつぎは浴衣《ゆかた》をとつて襦袢《じゆばん》一《ひと》つに成《な》つて、笊《ざる》に水《みづ》を切《き》つて置《お》いた糯米《もちごめ》を竈《かまど》で蒸《む》し始《はじ》めた。勘次《かんじ》は裸《はだか》で臼《うす》や杵《きね》を洗《あら》うて檐端《のきば》に据《す》ゑた。彼等《かれら》はさういふ仕事《しごと》があるので墓《はか》へ行《ゆ》くにも人《ひと》よりも先立《さきだ》つて非常《ひじやう》に急《いそ》いだのであつたが、それでも米《こめ》が蒸《む》せるまでには家《いへ》の内《うち》は薄闇《うすくら》く成《な》つて居《ゐ》た。日《ひ》のまだ落《お》ちない内《うち》から庭《には》を覗《のぞ》いて居《ゐ》た月《つき》が白《しろ》く、軈《やが》てそれが稍《やゝ》黄色味《きいろみ》を帶《お》びて來《き》て庭《には》の茂《しげ》つた柿《かき》の木《き》や栗《くり》の木《き》にほつかりと陰翳《かげ》を投《な》げた。おつぎが忙《いそが》しくどさりと臼《うす》へ落《おと》したふかし[#「ふかし」に傍点]からぼうつと白《しろ》い蒸氣《ゆげ》が立《た》つた。其《そ》の蒸氣《ゆげ》の中《なか》に月《つき》が一|瞬間《しゆんかん》目《め》を蹙《しか》めて直《すぐ》につやゝかな姿《すがた》に成《な》つた。おつぎは熱《あつ》いふかし[#「ふかし」に傍点]を蒸籠《せいろう》から杓子《しやくし》で臼《うす》へ扱《こ》き落《おと》しながら側《そば》に立《た》つて居《ゐ》る與吉《よきち》へ少《すこ》し遣《や》つた。程《ほど》よく蒸《む》した其《その》ふかし[#「ふかし」に傍点]を與吉《よきち》は甘相《うまさう》にたべた。おつぎも指《ゆび》に附《つ》いたのを前齒《まへば》で噛《か》むやうにして口《くち》へ入《い》れた。蒸氣《ゆげ》の立《た》つ臼《うす》を勘次《かんじ》は暫《しばら》く杵《きね》の先《さき》で捏《こ》ねた。杵《きね》の先《さき》が粘《ねば》つて離《はな》れなく成《な》る。おつぎは米研桶《こめとぎをけ》へ水《みづ》を汲《く》んでそれへ浮《うか》べた杓子《しやくし》で杵《きね》の先《さき》を扱落《こきおと》して臼《うす》の中《なか》を丸《まる》い形《かたち》に直《なほ》す。さうすると勘次《かんじ》は力《ちから》を極《きは》めて臼《うす》の中央《ちうあう》を打《う》つ。それが幾度《いくど》も反覆《はんぷく》された。庭《には》の木立《こだち》の陰翳《かげ》が濃《こ》く成《な》つて月《つき》の光《ひかり》はきら/\と臼《うす》から反射《はんしや》した。蒸暑《むしあつ》い中《うち》にも凡《すべ》てが水《みづ》の樣《やう》な月《つき》の光《ひかり》を浴《あ》びて凉《すゞ》しい微風《びふう》が土《つち》に觸《ふ》れて渡《わた》つた。おつぎは臼《うす》から餅《もち》を拗切《ねぢき》つて茗荷《めうが》の葉《は》に乘《の》せて一《ひと》つ/\膳《ぜん》へ並《なら》べた。少《すこ》し丸《まる》みを缺《か》いた十三|日《にち》の月《つき》が白《しろ》く其《そ》の一つ/\の茗荷《めうが》の葉《は》の上《うへ》に光《ひか》つた。冷水《れいすゐ》を打《う》つた樣《やう》な※[#「柿」の正字、第3水準1−85−57]《かき》の葉《は》がゆら/\と動《うご》いて後《うしろ》の林《はやし》の竹《たけ》の梢《こずゑ》もさら/\と鳴《な》つた。
それでも忙《いそが》しいおつぎは汗《あせ》を流《なが》しながら先《ま》づ茗荷《めうが》の餅《もち》を佛壇《ぶつだん》に供《そな》へた。それから別《べつ》に拗切《ねぢき》つた餅《もち》が豆粉《きなこ》と共《とも》に手《て》ランプの下《もと》に置《お》かれた。與吉《よきち》は直《すぐ》に座敷《ざしき》へ坐《すわ》つて待《ま》つた。晩餐《ばんさん》が畢《をは》ると踊子《をどりこ》を誘《さそ》ふ太鼓《たいこ》の音《おと》が漸《やうや》く沈《しづ》み掛《か》けた夜氣《やき》を騷《さわ》がして聞《きこ》え始《はじ》めた。檐《のき》に立《た》つた蚊柱《かばしら》が崩《くづ》れて軈《やが》て座敷《ざしき》を襲《おそ》うた。勘次《かんじ》は麥藁《むぎわら》を一捉《ひとつか》み軒端《のきば》へ投《な》げて、刈《か》つた青草《あをぐさ》をそれへ打《ぶ》つ掛《か》けて、燐寸《マツチ》の火《ひ》を點《つ》けてさうして抑《おさ》へつけた。ぷす/\と燻《いぶ》る煙《けぶり》が蚊《か》を遠《とほ》く散亂《さんらん》せしめる。ぽつと焔《ほのほ》が立《た》つて燃《も》えあがれば水《みづ》を打《う》つた。彼等《かれら》は目鼻《めはな》にしみる青《あを》い煙《けぶり》の中《なか》に裸體《はだか》の儘《まゝ》凝然《ぢつ》として居《ゐ》る。煙《けぶり》が餘所《よそ》へ逸《そ》れゝば箕《み》で煽《あふ》つて家《いへ》の内《うち》へ向《むか》はせた。おつぎは勝手《かつて》の始末《しまつ》をしてそれから井戸端《ゐどばた》で、だら/\と垂《た》れる汗《あせ》を水《みづ》で拭《ぬぐ》つた。手拭《てぬぐひ》を浸《ひた》す度《たび》に小《ちひ》さな手水盥《てうずだらひ》の水《みづ》に月《つき》が全《まつた》く其《そ》の影《かげ》を失《うしな》つて暫《しばら》くすると手水盥《てうずだらひ》の周圍《しうゐ》から聚《あつま》る樣《やう》に段々《だん/\》と月《つき》の形《かたち》が纏《まと》まつて見《み》えて來《く》る。踊子《をどりこ》を誘《さそ》ふ太鼓《たいこ》の音《おと》が自分《じぶん》の村落《むら》のは直《すぐ》垣根《かきね》の外《そと》の樣《やう》に、遠《とほ》い村落《むら》のは繁茂《はんも》して居《ゐ》る林《はやし》の彼方《あなた》に空《そら》に響《ひゞ》いて聞《きこ》える。それが井戸端《ゐどばた》に立《た》つて居《ゐ》るおつぎの心《こゝろ》を誘導《そゝ》つた。同年輩《どうねんぱい》の子《こ》は皆《みな》踊《をどり》に行《ゆ》くのである。おつぎには幾分《いくぶん》それが羨《うらや》ましくぼうつとして太鼓《たいこ》に聞《き》き惚《ほ》れて居《ゐ》た。軟《やはら》かな月《つき》の光《ひかり》におつぎの肌膚《はだ》は白《しろ》く見《み》えて居《ゐ》た。おつぎは耳《みゝ》に響《ひゞ》く太鼓《たいこ》の音《おと》を聞《き》きながら、まだ縺《ほつ》れぬ髮《かみ》を少《すこ》し首《くび》を傾《かたむ》けつゝ兩方《りやうはう》の拇指《おやゆび》の股《また》で代《かは》り代《がは》りに髱《たぼ》を輕《かる》く後《うしろ》へ扱《こ》いた。おつぎは汗《あせ》を拭《ぬぐ》つてさつぱりとした身體《からだ》へ復《ま》た浴衣《ゆかた》を着《き》た。
「おとつゝあ、あの太鼓《たいこ》は何處《どこ》だんべ」おつぎは帶《おび》の端《はし》を氣《き》にして後《うしろ》へ手《て》を廻《まは》しながら聞《き》いた。
「どれ、あの遠《とほ》くのがゝ、分《わか》るもんか何處《どこ》だか」勘次《かんじ》は燃《も》えた處《ところ》だけがつくりと減《へ》つた蚊燻《かいぶ》しの青草《あをくさ》に目《め》を注《そゝ》ぎながら氣乘《きのり》のしない樣《やう》にいつた。
「俺《お》ら方《はう》へはまあだ、他村《ほかむら》から來《く》る頃《ころ》ぢやあんめえな」
「おとつゝあ等《ら》がにや分《わか》るもんかよ、そんなこと」
「そんでも、他村《ほかむら》から來《く》んだつて云《ゆ》つけぞ、支度《したく》して來《く》んだつて俺《お》ら今日《けふ》頭髮《あたま》結《ゆ》つてゝ聞《き》いたんだぞ」
「さうえ者《も》な、さうえ者《もの》よ」
「俺《お》ら行《い》つてんべ、よきも行《い》つて見《み》ろなあ、姉《ねえ》と一|緒《しよ》に」おつぎは獨語《ひとりごと》した。
「汝《わ》ツ等《ら》ことばかし遣《や》れつかえ」勘次《かんじ》は突然《とつぜん》呶鳴《どな》つた。
「そんでも、南《みなみ》のおつかさん行《ゆ》きたけりや連《つ》れてくつちつたんだぞ」
「箆棒《べらぼう》、そんなことされつかえ、踊《をどり》なんざあ後《あと》幾日《いくか》だつてあらあ、今夜《こんや》らつから行《え》かねえつたつてえゝから、他人《ひと》に云《ゆ》はれつとはあ、其《そ》れに乘《の》つてあふり/\出《て》たがんだから」勘次《かんじ》は一|概《がい》に叱《しか》りつけた。おつぎは締《し》め掛《か》けた帶《おび》を解《と》いて傍《そば》へ投《な》げ棄《す》てた。
次《つぎ》の日《ひ》の晩餐《ばんさん》には例年《れいねん》の如《ごと》く饂飩《うどん》が打《う》たれた。小麥粉《こむぎこ
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