れら》に到底《たうてい》十|分《ぶん》の滿足《まんぞく》を與《あた》へ得《う》るものではない。然《しか》し彼等《かれら》は其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《そんな》ことに頓着《とんぢやく》を持《も》たぬ。
酒《さけ》が煤《すゝ》けた土瓶《どびん》で沸《わ》かされた。彼等《かれら》は各自《かくじ》に茶碗《ちやわん》へ注《つ》いでぐいと飮《の》んだ。其處《そこ》には燗《かん》の加減《かげん》も何《なに》も無《な》かつた。各自《かくじ》の喉《のど》がそれを要求《えうきう》するのではなくて一|種《しゆ》の因襲《いんしふ》が彼等《かれら》にそれを強《し》ひるのである。彼等《かれら》はじり/\と喉《のど》が焦《こ》げる樣《やう》に感《かん》じても苦《にが》い顏《かほ》を蹙《しか》めつゝ飮《の》んで見《み》る者《もの》さへある。比較的《ひかくてき》少量《せうりやう》な酒《さけ》が注《つ》ぐ度《たび》に手《て》にする度《たび》に筵《むしろ》の上《うへ》に滾《こぼ》れても彼等《かれら》は惜《をし》まない。彼等《かれら》はそれから茶碗《ちやわん》も箸《はし》もべたりと筵《むしろ》の上《うへ》へ置《お》いて、單純《たんじゆん》に水《みづ》へ醤油《しようゆ》を注《さ》した液汁《したぢ》に浸《ひた》して騷々敷《さう/″\しく》饂飩《うどん》を啜《すゝ》つた。
彼等《かれら》は平生《へいぜい》でもさうであるのに酒《さけ》の爲《ため》に幾分《いくぶん》でも興奮《こうふん》して居《ゐ》るので、各自《かくじ》の口《くち》から更《さら》に聞《き》くに堪《た》へぬ雜言《ざふごん》が吐《は》き出《だ》された。不作法《ぶさはふ》な言辭《げんじ》に麻痺《まひ》して居《ゐ》る彼等《かれら》はどうしたら相互《さうご》に感動《かんどう》を與《あた》へ得《う》るかと苦心《くしん》しつゝあつたかと思《おも》ふ樣《やう》な卑猥《ひわい》な一|句《く》が唐突《だしぬけ》に或《ある》一|人《にん》の口《くち》から出《で》ると他《た》の一|人《にん》が又《また》それに應《おう》じた。彼等《かれら》の間《あひだ》には異分子《いぶんし》を交《まじ》へて居《を》らぬ。彼等《かれら》は時《とき》によつては怖《おそ》れて控目《ひかへめ》にしつゝ身體《からだ》が萎縮《すく》んだやうに成《な》つて居《ゐ》る程《ほど》物《もの》に臆《おく》する習慣《しふくわん》がある。然《しか》し恁《か》うして儕輩《さいはい》のみが聚《あつ》まれば殆《ほと》んど別人《べつじん》である。饂飩《うどん》が竭《つ》きて茶碗《ちやわん》が亂雜《らんざつ》に投《な》げ出《だ》された時《とき》夜《よる》の遲《おそ》いことに無頓着《むとんぢやく》な彼等《かれら》はそれから暫《しばら》く止《と》めどもなく雜談《ざつだん》に耽《ふけ》つた。彼等《かれら》は遂《つひ》に自分《じぶん》の村落《むら》に野合《やがふ》の夫婦《ふうふ》が幾組《いくくみ》あるかといふことをさへ數《かぞ》へ出《だ》した。そつちからもこつらからも其《そ》れが數《かぞ》へられた。左手《さしゆ》の指《ゆび》が二|度《ど》曲《ま》げて二|度《ど》起《おこ》されても盡《つく》せなかつた。勿論《もちろん》畢《しまひ》には配偶《はいぐう》の缺《か》けたものまで僂指《るし》された。其《そ》れ等《ら》の夫婦《ふうふ》の間《あひだ》に生《うま》れた者《もの》も幾人《いくにん》か彼等《かれら》の間《あひだ》に介在《かいざい》して居《ゐ》た。有繋《さすが》に其《そ》の幾人《いくにん》は自分《じぶん》の父母《ふぼ》が喚《よ》ばれるので苦《にが》い笑《わらひ》を噛《か》んで控《ひか》へて居《ゐ》る。さうすると他《た》の者《もの》はそれを興《きよう》あることにがや/\と囃《はや》し立《た》てた。
噺《はなし》が少《すこ》しだれた時《とき》
「勘次《かんじ》さん等《ら》見《み》てえなゝ、ありや勘定《かんぢやう》にやへえんねえもんだんべか」と呶鳴《どな》つたものがあつた。此《こ》の唐突《たうとつ》な發言《はつげん》で暫《しばら》く靜止《せいし》して居《ゐ》た彼等《かれら》は俄《にはか》に威勢《ゐせい》が出《で》て拍手《はくしゆ》した。
「勘次《かんじ》さんに聞《き》いて見《み》ろ」といふ聲《こゑ》が隅《すみ》の方《はう》から出《で》た。
「其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《そんな》こと云《ゆ》つたつ位《くれえ》、打《ぶ》ん擲《なぐ》らつら篦棒臭《べらぼうくせ》え」打《う》ち消《け》す聲《こゑ》が聞《きこ》えた。
「そんぢや、おつぎに聞《き》いて見《み》ろ」
「足《あし》でも打折《ぶつちよ》られんなえ」
「薪雜棒《まきざつぽう》ふられてか」
笑聲《せうせい》が雜然《ざつぜん》として寮《れう》の内《うち》は一|層《そう》騷《さわ》がしく成《な》つた。
「今日《けふ》らも見《み》ろ、角《かど》の店《みせ》で自棄酒《やけざけ》飮《の》んで怒《おこ》つてたつけぞ」一人《ひとり》が自慢《じまん》らしく新《あらた》な事實《じじつ》を提供《ていきよう》した。
「どうしてよ」一|同《どう》が耳《みゝ》を峙《そばだ》てた。
「おつぎことお針《はり》つ子等《こら》と一|緒《しよ》に手傳《てづでえ》に遣《や》つたの知《し》つてべな」
「知《し》つてらなそら」
「そんでよ、手傳《てづでえ》に遣《や》つてゝも、はあ、日暮《ひぐれ》に成《な》つたら、あつかもつかして凝然《ぢつ》としちや居《ゐ》らんねえんだ、そんで愚圖《ぐづ》/\云《ゆ》つてんの面白《おもしれ》えから俺《お》ら聞《き》いてたな、丁度《ちやうど》えゝ鹽梅《あんべえ》に俺《おれ》草履《ざうり》買《か》ひに行《い》つて出《で》つかせてな」
「毎日暮《まいひぐれ》ぢやねえけ徳利《とつくり》おつ立《た》てゝんな」
「さうなんだ、近頃《ちかごろ》唐鍬《たうぐは》使《つけ》え骨《ほね》折《おれ》つからつて仕事《しごと》畢《しま》つちや一|合《がふ》位《ぐれえ》引《ひ》つ掛《か》けて直《す》ぐ行《い》つちやあんだつちけが、それ今日《けふ》は早《はや》くから來《き》てたんだつちきや、店《みせ》のおとつゝあに聞《き》いたな俺《お》ら」噺手《はなして》は自分《じぶん》が先《ま》づ興《きよう》に入《い》つた樣《やう》に又《また》いつた。
「俺《お》ら今日《けふ》うめえ處《とこ》聞《き》いつちやつたな」
「何《なん》だつて云《ゆ》つけ」
「酷《ひ》でえ阿魔《あま》だ、夕飯《ゆふめし》も何《なに》も仕《し》やうありやしねえなんてな、獨《ひと》りでぐうづ/″\云《ゆ》つてな、そんで與吉《よきち》こと何遍《なんべん》も迎《むけえ》に遣《や》つてな、さうすつとあの與吉《よきち》の野郎《やらう》また、今《いま》直《すぐ》に饂飩《うどん》饗《ふるま》つてよこすとう、なんてのたくり/\歸《けえ》つて來《く》んだ、さうすつと又《また》駄目《だめ》だ汝《わ》りや復《ま》た行《い》つて來《こ》う、直《すぐ》に來《こ》うつて云《ゆ》ふんだぞなんて怒《おこ》つた見《み》てえになあ、俺《お》ら可笑《をか》しくつて仕樣《しやう》無《な》かつたつけぞ」噺手《はなして》は左右《さいう》を向《む》きつゝいつた。皆《みな》復《ま》た拍子《ひやうし》して囃《はや》し立《た》てた。
「そんぢや直《す》ぐよこしたつぺ」
「うむ、途中《とちう》で行逢《いきや》つたんだんべ、直《す》ぐ來《き》たつきや」
「あつちだつて其《そ》の位《くれえ》知《し》つてらな」
「おつぎは店《みせ》へよつたつけか」二人《ふたり》が一|度《ど》にいつた。
「寄《よ》んねえや、さうしたらおつう、なんておとつゝあ喚《よ》ばつたんだ、たいした聲《こゑ》してな、そんでもおつうは行《い》つちまあのよ、さうしたら又《また》、おつうなんて呶鳴《どな》つてな、勘定《かんぢやう》すんのにも慌《あわ》くつて錢《ぜに》落《お》つことしたり何《なん》かして後《あと》から駈《か》けてつたんだ、五|合《がふ》も飮《の》んだつぺつちけな、可怖《おつかね》え目《め》つきしつちやつてな、そんだがおつぎは聽《き》かねえぞなか/\、つツ/\と行《い》つちやつてな」噺手《はなして》は暫時《しばし》口《くち》を鎖《とざ》した。
「今日《けふ》は若《わけ》え衆等《しら》行《い》くと思《おも》つてはあ、夜《よる》まで置《お》けねえんだな」
「極《きま》つてらあな」
「そんだつて箆棒《べらぼう》、若《わけ》え衆等《しら》だつてさうだことばかりするものぢやねえ、詰《つま》んねえ」憤慨《ふんがい》してかういふものも
「外聞《げえぶん》惡《わり》いも何《なん》にも知《し》んねえんだな」嘲笑《てうせう》の意味《いみ》ではあるが何處《どこ》となく沈《しづ》んで又《また》斯《か》ういふ者《もの》も有《あ》つた。
「おつぎはそんだが頭髮《あたま》てか/\光《ひか》らかせた處《とこ》ら善《よ》く成《な》つちやつたつけぞ」俄《にはか》に思《おも》ひ出《だ》した樣《やう》に先刻《せんこく》の噺手《はなして》がいつた。
「そんで、おとつゝあ餘計《よけい》仕《し》やう無《な》くなつちやつたんだんべえ」臀《しり》へ釘《くぎ》を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]《さ》して臺《だい》に乘《の》つて居《ゐ》る手《て》ランプの油煙《ゆえん》がそつちへこつちへ靡《なび》く光《ひかり》の下《もと》に茶碗《ちやわん》を箸《はし》で叩《たゝ》きながら又《また》わあつと騷《さわ》ぎ出《だ》した。
勘次《かんじ》は今《いま》開墾《かいこん》の仕事《しごと》の爲《ため》に春《はる》までには主人《しゆじん》の手《て》から三四十|圓《ゑん》の金《かね》を與《あた》へられる樣《やう》にまで成《な》つた。大部分《だいぶぶん》は借財《しやくざい》の舊《ふる》い穴《あな》へ埋《う》めても彼《かれ》は懷《ふところ》に窮屈《きうくつ》を感《かん》じない程度《ていど》に進《すゝ》んだ。一|圓《ゑん》の錢《ぜに》が絶《た》えず財布《さいふ》に在《あ》り得《う》るならば彼等《かれら》は嘆《なげ》く處《ところ》は無《な》いのである。彼《かれ》は只《たゞ》主人《しゆじん》に倚《よ》つて居《ゐ》さへすれば善《よ》いと思《おも》つて居《ゐ》る。恁《か》ういふ遠慮《ゑんりよ》のない蔭口《かげぐち》を利《き》かれるまでには苦《くる》しい間《あひだ》の三四|年《ねん》を過《すご》して來《き》たのである。彼《かれ》の生活《せいくわつ》はほつかりと夜明《よあけ》の光《ひかり》を見《み》たのであつた。おつぎは此《この》時《とき》廿《はたち》の聲《こゑ》を聞《き》いて居《ゐ》たのである。
一三
初秋《しよしう》の風《かぜ》が吊放《つりはな》しの蚊帳《かや》の裾《すそ》をさら/\と吹《ふ》いて、疾《とう》から玉蜀黍《たうもろこし》が竈《かまど》の灰《はひ》の中《なか》でぱり/\と威勢《ゐせい》よく燃《も》える麥藁《むぎわら》の火《ひ》に燒《や》かれて、其《そ》の殼《から》がそつちにもこつちにも捨《す》てられる。畑《はたけ》の仕事《しごと》が暫時《ざんじ》極《きま》りがついて百姓《ひやくしやう》の家《いへ》には盆《ぼん》が來《き》た。其《そ》の日《ひ》も晝過迄《ひるすぎまで》仕事《しごと》をして居《ゐ》た勘次《かんじ》はそれでも慌《あわたゞ》しく庭《には》へ箒《はうき》を入《い》れて目《め》に立《た》つ草《くさ》は鎌《かま》の刄先《はさき》で掻《か》つ切《き》つた。戸《と》も障子《しやうじ》もない煤《すゝ》け切《き》つた佛壇《ぶつだん》はおつぎを使《つか》つて佛器《ぶつき》や其《その》他《た》の掃除《さうぢ》をして、賽《さい》の目《め》に刻《きざ》んだ茄子《なす》を盛《も》つた芋《いも》の葉《は》と、寂《さび》しい
前へ
次へ
全96ページ中40ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
長塚 節 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング