》しては一|種《しゆ》の嫉妬《しつと》を感《かん》ぜずには居《を》られなかつた。彼《かれ》はさうして悲痛《ひつう》の感《かん》に責《せ》め訶《さいな》まれた。村落《むら》の若者《わかもの》は彼《かれ》の爲《ため》には仇敵《きうてき》である。それと同時《どうじ》に若者《わかもの》の爲《ため》には彼《かれ》は蝮蛇《まむし》の毒牙《どくが》の如《ごと》きものでなければ成《な》らぬ。其《そ》れでありながら些《さ》の威嚴《ゐげん》も勢力《せいりよく》もない彼《かれ》は凡《すべ》ての若者《わかもの》から彼《かれ》を苛立《いらだ》たしめる惡戯《いたづら》を以《もつ》て報《むく》いられた。青草《あをくさ》の中《なか》に身《み》を沒《ぼつ》して居《ゐ》る毒蛇《どくじや》に直接《ちよくせつ》手《て》を觸《ふ》れようとするものは一|人《にん》もないけれど、遠《とほ》くから土塊《どくわい》を擲《ほ》つたり、棒《ぼう》の先《さき》でつゝいたり徒《いたづ》らに怒《おこ》る牙《きば》を振《ふる》はせることは彼等《かれら》の好《この》んでする處《ところ》であつた。勘次《かんじ》の削《けづ》つたやうな痩《や》せた顏《かほ》が何時《いつ》でも僻《ひが》んでさうして怒《おこ》り易《やす》いのを彼等《かれら》は嘲笑《てうせう》の眼《まなこ》を以《もつ》て遠《とほ》くから覗《のぞ》くのである。彼等《かれら》は夜《よる》垣根《かきね》の側《そば》に立《た》つて指《ゆび》を口《くち》に啣《くは》へてぴゆう/\と劇《はげ》しく鳴《な》らして見《み》たり、戸口《とぐち》に近《ちか》く竊《ひそか》に下駄《げた》の齒《は》の趾《あと》を附《つ》けて置《お》いたり、勘次《かんじ》が眠《ねむり》に落《お》ちようとする頃《ころ》假聲《こはいろ》を使《つか》つておつぎを喚《よ》んだりした。勘次《かんじ》は其《そ》の度《たび》に心《こゝろ》が苛立《いらだ》つたけれど、霧《きり》でも捉《つか》む樣《やう》な、誰《たれ》の所爲《しよゐ》とも判明《はんめい》しない惡戯《いたづら》をどうすることも出來《でき》なかつた。然《しか》し表面《へうめん》に現《あらは》れた影響《えいきやう》の無《な》い惡戯《いたづら》は永《なが》く持續《ぢぞく》しなかつた。
春《はる》は冬《ふゆ》に遠《とほ》くして又《また》冬《ふゆ》と相《あひ》隣《となり》して居《ゐ》る。季節《きせつ》の變化《へんくわ》を反覆《くりかへ》しつゝ月日《つきひ》は容赦《ようしや》なく推移《すゐい》した。
一二
冬《ふゆ》は低《ひく》く地《ち》を偃《は》うて沈《しづ》んだ。舊暦《きうれき》の暮《くれ》が近《ちか》く成《な》つて婚姻《こんいん》の多《おほ》く行《おこな》はれる季節《きせつ》が來《き》た。町《まち》の建具師《たてぐし》の店先《みせさき》に据《す》ゑられた簟笥《たんす》や長持《ながもち》から疎末《そまつ》な金具《かなぐ》が光《ひか》るのを見《み》るやうに成《な》つた。おつぎが通《かよ》うた針《はり》の師匠《ししやう》の家《うち》でも嫁《よめ》が極《きま》つた。其《そ》の當日《たうじつ》に成《な》ると針子《はりこ》は孰《いづ》れも藏《しま》つて置《お》いた半纏《はんてん》へ赤《あか》い襷《たすき》を掛《か》けて、其處《そこ》らの掃除《さうぢ》やら、芋《いも》や大根《だいこん》を洗《あら》ふことやら朝《あさ》から大騷《おほさわ》ぎをして笑《わら》ひながら手傳《てつだひ》をした。おつぎも行《い》つて皆《みんな》と一|緒《しよ》に働《はたら》いた。おつぎは赤絲大名《あかいとだいみやう》の半纏《はんてん》で萌黄《もえぎ》の襷《たすき》を掛《か》けて居《ゐ》た。針子等《はりこら》は毎年《まいねん》春《はる》が漸《やうや》く暖《あたゝ》かく成《な》つて百姓《ひやくしやう》の仕事《しごと》が忙《いそが》しくなると又《また》の冬《ふゆ》まで暇《ひま》をとるとて一|日《にち》皆《みんな》で鍬《くは》を持《も》つて畑《はたけ》の仕事《しごと》の手傳《てつだひ》に行《ゆ》く。廣《ひろ》くもない畑《はたけ》へ残《のこ》らずが一|度《ど》に鍬《くは》を入《い》れるので各《おの/\》が互《たがひ》に邪魔《じやま》に成《な》りつゝ人數《にんず》の半《なかば》は始終《しじう》鍬《くは》の柄《え》を杖《つゑ》に突《つ》いては立《た》つて遠《とほ》くへ目《め》を配《くば》りつゝ笑《わら》ひさゞめく。彼等《かれら》の白《しろ》い手拭《てぬぐひ》が聚《あつま》つて遙《はるか》に人《ひと》の目《め》を惹《ひ》く外《ほか》師匠《ししやう》の家《うち》に格別《かくべつ》の利益《りえき》もなく彼等《かれら》自分等《じぶんら》のみが一|日《にち》を樂《たのし》く暮《くら》し得《う》るのである。其《そ》れだから彼等《かれら》は婚姻《こんいん》の當日《たうじつ》にも仕事《しごと》の割合《わりあひ》にしては餘《あま》りに多人數《たにんず》に過《す》ぎるので、一《ひと》つ仕事《しごと》に集《あつま》つては屈託《くつたく》ない容子《ようす》をして饒舌《しやべ》るのであつた。
「どうえ嫁樣《よめさま》だんべな」
「善《え》え女《をんな》だんべえな」
「早《はや》く來《く》ればえゝな、俺《お》ら見《み》てえな」
彼等《かれら》はさういふことをすら口々《くち/″\》に反覆《くりかへ》しつゝ密々《ひそ/\》と耳語《さゝや》いた。
「白粉《おしろい》附《つ》けて來《く》んだな」一|番《ばん》年《とし》の少《すくな》い子《こ》がいつた。
「どうしたもんだえ、白粉《おしろい》附《つ》けんだんべかとまあ」年嵩《としかさ》が笑《わら》つた。
「水白粉《みづおしろい》持《も》つて來《く》んだか知《し》んねえぞ」
「只《たゞ》の水《みづ》見《み》てえな白粉《おしろい》も有《あ》んだつて云《ゆ》つけぞ」
彼等《かれら》はさういふ罪《つみ》のない穿鑿《せんさく》からそれから
「俺《お》らお給仕《きふじ》に出《で》なくつちや成《な》んねえか知《し》んねえが、耻《はづ》かしくつて厭《や》だな」
「嫁樣《よめさま》まつと耻《はづ》かしかつぺな」
「そんだが俺《お》ら嫁樣《よめさま》の衣物《きもの》どういんだか見《み》てえもんだな」半分《はんぶん》は望《のぞ》むやうな半分《はんぶん》は氣遺《きづか》ふやうな互《たがひ》の心《こゝろ》を語《かた》るのであつた。
夜《よ》に成《な》つて板《いた》の間《ま》の娘等《むすめら》が座敷《ざしき》の方《はう》へ引《ひ》かれた頃《ころ》勝手口《かつてぐち》に村落《むら》の若者《わかもの》が五六|人《にん》立《た》つた。彼等《かれら》は婚姻《こんいん》の夜《よ》には屹度《きつと》極《きま》つた例《ためし》の饂飩《うどん》を貰《もら》ひに來《き》たのである。晝《ひる》の間《あひだ》に用意《ようい》された饂飩《うどん》が彼等《かれら》に與《あた》へられた。彼等《かれら》の手《て》には饂飩《うどん》の大《おほ》きな笊《ざる》と二|升樽《しようだる》とそれから醤油《しやうゆ》の容器《いれもの》である麥酒罎《ビールびん》とが提《さ》げられた。垣根《かきね》の外《そと》へ出《で》た時《とき》彼等《かれら》は假聲《こわいろ》を出《だ》してどつと囃《はや》し立《た》てゝ又《また》囃《はや》した。彼等《かれら》は途次《みちみち》も騷《さわ》ぐことを止《や》めないで到頭《たうとう》村落《むら》の念佛寮《ねんぶつれう》へ引《ひき》とつた。其處《そこ》には此《これ》も褞袍《どてら》を被《はお》つた彼等《かれら》の伴侶《なかま》が圍爐裏《ゐろり》へ麁朶《そだ》を燻《く》べて暖《あたゝ》まりながら待《ま》つて居《ゐ》た。念佛衆《ねんぶつしゆう》の使《つか》つて居《ゐ》る鍋《なべ》や土瓶《どびん》や茶碗《ちやわん》が只《たゞ》ごた/\と投《な》げ出《だ》されてあつた。臺《だい》つきの手《て》ランプは近所《きんじよ》から借《か》りて來《き》たのであつた。麁朶《そだ》の焔《ほのほ》が手《て》ランプに光《ひかり》を添《そ》へて居《ゐ》た。婚姻《こんいん》の席上《せきじやう》では酒《さけ》の後《あと》には長《なが》く繼《つな》がる樣《やう》といふ縁起《えんぎ》を祝《いは》うて、一《ひと》つには膳部《ぜんぶ》の簡單《かんたん》なのとで饂飩《うどん》を饗《もてな》すのである。蕎麥《そば》は短《みじか》く切《き》れるとて何處《どこ》でも厭《いと》うた。どんな婚姻《こんいん》でもそれを若《わか》い衆《しゆ》が貰《もら》ひに行《ゆ》く。貧乏《びんばふ》な所帶《しよたい》であれば彼等《かれら》は幾《いく》ら少量《せうりやう》でも不足《ふそく》をいはぬ。然《しか》し多少《たせう》の財産《ざいさん》を有《いう》して居《ゐ》ると彼等《かれら》が認《みと》めて居《ゐ》る家《うち》でそれを惜《をし》めば彼等《かれら》は不平《ふへい》を訴《うつた》へて止《や》まぬ。どうかすると闇《くら》い木陰《こかげ》に潜伏《せんぷく》して居《ゐ》て嫁《よめ》の車《くるま》が近《ちか》づいた時《とき》突然《とつぜん》、其《そ》の車《くるま》を顛覆《てんぷく》させてやれといふやうな威嚇的《ゐかくてき》の暴言《ばうげん》をすら吐《は》くことがある。然《しか》し從來《じゆうらい》其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《そんな》ことは滅多《めつた》になく、別段《べつだん》に認《みと》むべき弊害《へいがい》が伴《ともな》ふのでもないのであつた。それで普通《ふつう》どの家《うち》でも彼等《かれら》が滿足《まんぞく》を買《か》ひ得《う》る分量《ぶんりやう》を前以《まへもつ》て用意《ようい》して居《ゐ》るのである。
彼等《かれら》はさういふ夜《よ》に褞袍《どてら》を被《かぶ》つて他人《たにん》の裏戸口《うらどぐち》に立《た》たねば成《な》らぬ必要《ひつえう》な條件《でうけん》を一《ひと》つも有《も》つて居《ゐ》ない。只《たゞ》彼等《かれら》の凡《すべ》ては藁《わら》を打《う》つて繩《なは》を綯《な》ふべき夜《よる》の務《つと》めを捨《すて》て公然《こうぜん》一|所《しよ》に集合《しふがふ》する機會《きくわい》を見出《みいだ》すことを求《もと》めて居《ゐ》る。集合《しふがふ》することが直《たゞち》に彼等《かれら》に娯樂《ごらく》を與《あた》へるからである。兩性《りやうせい》が然《しか》も他人《たにん》の手《て》を藉《か》りて一《ひと》つに成《な》る婚姻《こんいん》の事實《じじつ》を聯想《れんさう》することから彼等《かれら》の心《こゝろ》が微妙《びめう》に刺戟《しげき》される。彼等《かれら》の凡《すべ》ては悉《ことごと》く異性《いせい》を知《し》り又《また》知《し》らんとして居《ゐ》る。彼等《かれら》は他人《たにん》の目《め》を偸《ぬす》むのには幾多《いくた》の支障《さはり》、それは其《そ》の爲《ため》に相《あひ》慕《した》ふ念慮《ねんりよ》が寧《むし》ろ却《かへつ》て熾《さかん》に且《か》つ永續《えいぞく》することすら有《あ》りながら、當事者《たうじしや》たる彼等《かれら》には五月繩《うるさ》い其《そ》の支障《さはり》をこつそりと拂《はら》ひ退《の》けねば成《な》らぬ焦燥《じれ》つたい感《かん》が止《や》まないのに、周圍《しうゐ》の凡《すべ》てが杯《さかづき》を擧《あ》げてくれる其《そ》の夜《よ》の當人同士《たうにんどうし》を念頭《ねんとう》に浮《うか》べる時《とき》彼等《かれら》は淡《あは》い嫉妬《しつと》を沸《わ》かさねば成《な》らぬ。それで彼等《かれら》の心《こゝろ》には喰《く》つてやれ、飮《の》んでやれ、さうして遣《や》らねば腹《はら》が癒《い》えぬといふ觀念《くわんねん》が期《き》せずして一致《いつち》するのである。笊《ざる》で運《はこ》んだ饂飩《うどん》が多人數《たにんずう》の彼等《か
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