入《はひ》らうとする時《とき》に其《そ》の狹《せま》い戸口《とぐち》が身《み》を入《い》るゝに足《た》りなければ徒《いたづ》らに首《くび》を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]《さ》し込《こ》んでは足掻《あが》いて/\さうして他《ほか》へ行《い》つて畢《しま》ふ。其《そ》れが一|度《ど》で斷念《だんねん》すれば其《そ》れ迄《まで》であるけれど、二度《ふたたび》三度《みたび》戸口《とぐち》に立《た》つて足掻《あが》き始《はじ》めれば、去《さ》つては來《きた》り、去《さ》つては來《きた》り、首筋《くびすぢ》の皮《かは》が擦《す》り剥《む》けて戸口《とぐち》に夥《したゝ》か血《ち》の趾《あと》を印《いん》しても執念《しふね》く餌料《ゑさ》を求《もと》めて止《や》まぬやうな形《かたち》でなければならぬ。各自《かくじ》の心《こゝろ》におつぎを何《ど》れ程《ほど》深《ふか》く思《おも》はうともそれは各自《かくじ》が有《いう》する權能《けんのう》に屬《ぞく》して居《ゐ》る。然《しか》しながらおつぎへ加《くは》へようとする其《その》手《て》を極端《きよくたん》に防遏《ばうあつ》しようとすることも勘次《かんじ》が有《いう》する權能《けんのう》である。相互《さうご》に其《そ》の權能《けんのう》を越《こ》えて他《た》の領域《りやうゐき》を冒《をか》す時《とき》其處《そこ》には必《かなら》ず葛藤《かつとう》が伴《ともな》はれる筈《はず》でなければ成《な》らぬ。若者《わかもの》は相《あひ》聚《あつ》まれば皆《みな》不平《ふへい》の情《じやう》を語《かた》り合《あ》うて、勝手《かつて》に勘次《かんじ》を邪魔《じやま》なこそつぱい者《もの》にして居《ゐ》た。其《その》癖《くせ》彼等《かれら》は皆《みな》互《たがひ》に自分《じぶん》獨《ひと》りのみがおつぎを獲《え》ようとして及《およ》ばぬ手《て》を延《の》ばして居《を》るのである。萬《まん》一|目的《もくてき》が遂《と》げられたことが有《あ》つたとしても其《そ》れは只《たゞ》一|人《にん》に限《かぎ》られて居《ゐ》て、爾餘《じよ》の幾人《いくにん》は空《むな》しく然《しか》も極《きは》めて輕《かる》い不快《ふくわい》と嫉妬《しつと》とから口々《くちぐち》に其《その》一|人《にん》に向《むか》つて厭味《いやみ》をいうて止《や》まねば成《な》らぬ。然《しか》しながら遂《つひ》に其《その》一|人《にん》が彼等《かれら》の間《あひだ》に發見《はつけん》されなかつた。彼等《かれら》の怨恨《うらみ》が凡《すべ》て勘次《かんじ》の一|身《しん》に聚《あつま》つた。それでも淡白《たんぱく》な彼等《かれら》の怨恨《うらみ》は三|人《にん》以上《いじやう》が聚《あつま》つて口《くち》を開《ひら》けば必《かなら》ず笑聲《せうせい》を絶《た》たぬ程《ほど》のものであつた。怨恨《うらみ》といふよりも焦燥《じれ》つたさであつた。おつぎの身體《からだ》には恁《か》うして事件《じけん》を惹《ひ》き起《おこ》すべき機會《きくわい》が與《あた》へられなかつた。それでも只《たつた》一人《ひとり》おつぎと手《て》を執《と》つて語《かた》ることにまで近《ちか》づき得《え》たものがあつた。勘次《かんじ》はどれ程《ほど》嚴重《げんぢう》にしてもおつぎが厠《かはや》に通《かよ》ふ時間《じかん》をさへ狹《せま》い庭《には》の夜《よ》の中《なか》へ放《はな》つことを拒《こば》むことは出來《でき》なかつた。執念深《しふねんぶか》い一|人《にん》が偶然《ぐうぜん》さういふ機會《きくわい》を發見《はつけん》した。彼《かれ》は、まだ羞恥《はぢ》と恐怖《おそれ》とが全身《ぜんしん》を支配《しはい》して居《ゐ》るおつぎを捕《とら》へて只《たゞ》凝然《ぢつ》と動《うご》かさないまでには幾度《いくたび》か手《て》を換《かへ》て苦心《くしん》した。勘次《かんじ》が戸《と》の内《うち》から呼《よ》んでも厠《かはや》の側《そば》で返辭《へんじ》をするおつぎの聲《こゑ》は最初《さいしよ》の間《あひだ》は疑念《ぎねん》を懷《いだ》かせるまでには至《いた》らなかつた。其《そ》れでも彼等《かれら》が心《こゝろ》に深《ふか》く互《たがひ》の情《じやう》を刻《きざ》むまで猜忌《さいぎ》の目《め》を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》つて居《ゐ》る勘次《かんじ》を欺《あざむ》きおほせることは出來《でき》なかつた。
 或《ある》晩《ばん》勘次《かんじ》はがらつと戸《と》を開《あ》けて出《で》た。劇《はげ》しく開《あ》けた戸《と》が稍《やゝ》朽《く》ち掛《か》けた閾《しきゐ》の溝《みぞ》を外《はづ》れようとしてぎつしりと固着《こちやく》した。彼《かれ》は苛立《いらだ》つて戸《と》を叩《たゝ》いて溝《みぞ》に復《ふく》すと其《そ》の儘《まゝ》飛《と》び出《だ》した。彼《かれ》は直《すぐ》自分《じぶん》に近《ちか》く手拭《てぬぐひ》被《かぶ》つたおつぎの姿《すがた》が徐《おもむ》ろに動《うご》いて來《く》るのを見《み》た。其《それ》と同時《どうじ》に竊《ひそか》に落《お》ち行《ゆ》く草履《ざうり》の音《おと》が勘次《かんじ》の耳《みゝ》に響《ひゞ》いた。彼《かれ》は其《それ》を耳《みゝ》に感《かん》ずる瞬間《しゆんかん》右《みぎ》の手《て》が壁際《かべぎは》の木《き》の根《ね》に掛《かゝ》つて、木《き》の根《ね》は彼《かれ》の力《ちから》一|杯《ぱい》に木陰《こかげ》の闇《やみ》に投《とう》ぜられた。木《き》の根《ね》はどさりと遠《とほ》く落《お》ちて庭《には》の土《つち》をさくつて餘勢《よせい》が幾度《いくど》かもんどりを打《う》つた。勘次《かんじ》は續《つゞ》いて擲《なげう》つた。曲者《くせもの》は既《すで》に遁《に》げ落《お》ちたけれど彼《かれ》の不意《ふい》の襲撃《しふげき》に慌《あわ》てゝ節《ふし》くれ立《だ》つた※[#「柿」の正字、第3水準1−85−57]《かき》の根《ね》に蹶《つまづ》いて倒《たふ》れた。彼《かれ》は次《つき》の日《ひ》足《あし》を引《ひき》ずらねば歩《ある》けぬ程《ほど》足首《あしくび》の關節《くわんせつ》に疼痛《とうつう》を感《かん》じたのであつた。勘次《かんじ》はぽつさりと立《た》つて居《ゐ》るおつぎを突《つ》きのめす樣《やう》に戸口《とぐち》に送《おく》つてがらりと戸《と》を閉《と》ぢて掛金《かけがね》を掛《か》けた。
 其《その》夜《よ》はまだ各《おの/\》が一つ加《くは》はつた年齡《ねんれい》の數《かず》程《ほど》の熬豆《いりまめ》を噛《かじ》つて鬼《おに》をやらうた夜《よ》から、幾《いく》らも隔《へだ》たらないので、鹽鰮《しほいわし》の頭《あたま》と共《とも》に戸口《とぐち》に※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]《さ》した柊《ひゝらぎ》の葉《は》も一向《いつかう》に乾《かわ》いた容子《やうす》の見《み》えない程《ほど》のことであつた。おつぎは十八《じふはち》というても其《そ》の年齡《とし》に達《たつ》したといふばかりで、恁《こ》んな場合《ばあひ》を巧《たくみ》に繕《つく》らふといふ料簡《れうけん》さへ苟且《かりそめ》にも持《も》つて居《ゐ》ない程《ほど》一|面《めん》に於《おい》ては濁《にごり》のない可憐《かれん》な少女《せうぢよ》であつた。おつぎは萎《しを》れて只《たゞ》ぽつさりと立《た》つて居《ゐ》る。勘次《かんじ》の目《め》は薄闇《うすくら》い手《て》ランプに光《ひか》つた。
「おつう」と一|聲《せい》呶鳴《どな》つて情《じやう》の激《げき》した勘次《かんじ》は咄嗟《とつさ》に次《つぎ》の語《ことば》が出《だ》せなかつた。
「何《なに》してけつかつたんだ」勘次《かんじ》はおつぎを睨《にら》みつけた。おつぎは俯向《うつむ》いて默《だま》つて居《ゐ》る。
「さあ云《ゆ》つて見《み》ろ、嘘《ちく》云《ゆ》つたつて知《し》つてつゝお」勘次《かんじ》は猶《なほ》も激《はげ》しく訊《たず》ねた。
「汝《わ》りや何時《いつ》でも何《なん》ちつた、おとつゝあげは決《けつ》して心配《しんぺえ》掛《か》けねえからつて云《ゆ》つたんぢやねえか、そんでも汝《わ》りや心配《しんぺえ》掛《か》けねえのか、掛《か》けねえつちんだら云《ゆ》つて見《み》ろ」彼《かれ》は忌々敷相《いま/\しさう》に且《か》つ刄《やいば》を以《もつ》て心部《むね》を突《つ》き通《とほ》される苦《くる》しさを忍《しの》んだかと思《おも》ふやうな容子《ようす》でわく/\する胸《むね》から聲《こゑ》を絞《しぼ》つていつた。彼《かれ》は暫《しばら》く間《あひだ》を措《お》いては又《また》、噛《か》んで/\噛締《かみし》めても噛《か》み切《き》れぬ或《ある》物《もの》に對《たい》するやうな焦燥《じれ》つたさと、期待《きたい》して居《ゐ》た或《ある》物《もの》を俄《にはか》に奪《うば》ひ去《さ》られた樣《やう》な絶望《ぜつばう》とが混淆《こんかう》し紛糾《ふんきう》した自暴自棄《やけ》の態度《たいど》を以《もつ》ておつぎを責《せ》めた。彼《かれ》の擧動《きよどう》は殆《ほとん》ど發作的《ほつさてき》であつた。おつぎの聲《こゑ》を殺《ころ》して泣《な》く聲《こゑ》は隙間《すきま》だらけな戸《と》の外《そと》に絶《た》え/″\に漏《も》れた。
 從來《これまで》とてもおつぎは假令《たとひ》異性《いせい》を慕《した》ふ性情《せいじやう》が漸《やうや》く發達《はつたつ》して來《き》たとはいひながら、竊《ひそか》に其《その》手《て》を執《と》られた時《とき》は、後《あと》では寧《むし》ろ悔《く》いるまでも羞恥《はぢ》と恐怖《おそれ》とそれから勘次《かんじ》を憚《はゞか》ることから由《よ》つて來《きた》る抑制《よくせい》の念《ねん》とが慌《あわ》てゝ其《そ》の手《て》を振《ふ》り※[#「てへん+劣」、第3水準1−84−77]《もき》らせるのであつた。其《そ》れが段々《だん/\》厭《いや》でない誘惑《いうわく》の手《て》に乘《の》つて甘《あま》い味《あぢ》を僅《わづか》に感《かん》ずる程度《ていど》まで近《ちか》づいた刹那《せつな》一|切《さい》が破壞《はくわい》し去《さ》られたのである。おつぎは以前《いぜん》に還《かへ》つて恐怖《きようふ》の手《て》に深《ふか》く其《そ》の身《み》を沒却《ぼつきやく》せねばならなく成《な》つた。深《ふか》い罪惡《ざいあく》を包藏《はうざう》して居《ゐ》ない其《そ》の夜《よ》の事件《じけん》はそれで濟《す》んだ。勘次《かんじ》は依然《やつぱり》おつぎには只《たゞ》一《ひと》つしか無《な》い大樹《たいじゆ》の陰《かげ》であつた。然《しか》し勘次《かんじ》自身《じしん》には如何《どん》な種類《しゆるゐ》の物《もの》でも現在《げんざい》彼《かれ》の心《こゝろ》に與《あた》へ得《う》る滿足《まんぞく》の程度《ていど》は、失《うしな》うたお品《しな》を追憶《つゐおく》することから享《う》ける哀愁《あいしう》の十|分《ぶん》の一にも及《およ》ばない。彼《かれ》は最早《もはや》それ以上《いじやう》彼《かれ》の心裏《しんり》に残存《ざんぞん》して居《ゐ》る或《あ》る物《もの》をまで奪《うば》ひ去《さ》られることには堪《た》へないのである。彼《かれ》は僅《わづか》に三|人《にん》の家族《かぞく》が油《あぶら》の如《ごと》く水《みづ》に彈《はじ》かれても疎外《そぐわい》されても只《たゞ》凝結《ぎようけつ》して居《ゐ》ることにのみ、假令《たとひ》慰藉《ゐしや》されないまでも不安《ふあん》を感《かん》ずることなしに其《そ》の日《ひ》/\と刻《きざ》んで暮《くら》して行《ゆ》くことが出來《でき》るのである。彼《かれ》は一|度《ど》でもおつぎが自分《じぶん》を離《はな》れたことを發見《はつけん》し或《あるひ》は意識《いしき
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