う》する。彼等《かれら》はかうして家《いへ》の内《うち》から聲《こゑ》を立《た》てゝ劇《はげ》しく呼《よ》ばれるまでは怖《おそ》れ/\も際限《さいげん》のない噺《はなし》に耽《ふけ》るのである。
 彼等《かれら》がさういふ苦辛《くしん》の間《あひだ》に次《つぎ》の日《ひ》の身體《からだ》の疲《つか》れを犧牲《ぎせい》にしてまでも僅《わづか》な時間《じかん》を相《あひ》對《たい》して居《ゐ》ながら互《たがひ》の顏《かほ》も見《み》ることが出來《でき》ないで低《ひく》く殺《ころ》した聲《こゑ》にのみ滿足《まんぞく》する外《ほか》に、彼等《かれら》は林《はやし》の中《なか》に放《はな》たれた時《とき》想《おも》ひ想《おも》はぬ凡《すべ》てが只管《ひたすら》に甘《あま》い味《あぢ》を貪《むさぼ》るのである。林《はやし》は彼等《かれら》の天地《てんち》である。落葉《おちば》を掻《か》くとて熊手《くまで》を入《い》れる時《とき》彼等《かれら》は相《あひ》伴《ともな》うて自在《じざい》に※[#「彳+尚」、第3水準1−84−33]※[#「彳+羊」、第3水準1−84−32]《さまよ》ふことが默託《もくきよ》されてある。然《しか》し熊手《くまで》の爪《つめ》が速《すみや》かに木陰《こかげ》の土《つち》に趾《あと》つける其《そ》の運動《うんどう》さへ一|度《ど》は一|度《ど》と短《みじか》い日《ひ》を刻《きざ》んで行《ゆ》く樣《やう》な冬《ふゆ》の季節《きせつ》は餘《あま》りに冷《つめ》たく彼等《かれら》の心《こゝろ》を引《ひ》き緊《し》めて居《ゐ》る。
 到《いた》る處《ところ》畑《はたけ》の玉蜀黍《たうもろこし》が葉《は》の間《あひだ》からもさ/\と赤《あか》い毛《け》を吹《ふ》いて、其《そ》の大《おほ》きな葉《は》がざわ/\と人《ひと》の心《こゝろ》を騷《さわ》がす樣《やう》に成《な》ると、男女《なんによ》の群《むれ》が霖雨《りんう》の後《あと》の繁茂《はんも》した林《はやし》の下草《したぐさ》に研《と》ぎすました草刈鎌《くさかりがま》の刄《は》を入《い》れる。初《はじめ》は朝《あさ》まだきに馬《うま》の秣《まぐさ》の一|籠《かご》を刈《か》るに過《すぎ》ないけれど、燬《や》くやうな日《ひ》のもとに畑《はた》も漸《やうや》く極《きまり》がついて村落《むら》の凡《すべ》てが皆《みな》草刈《くさかり》に心《こゝろ》を注《そゝ》ぐ樣《やう》に成《な》れば、若《わか》い同志《どうし》が相《あひ》誘《さそ》うては遠《とほ》く林《はやし》の小徑《こみち》を分《わけ》て行《ゆ》く。さうして自分《じぶん》の天地《てんち》に其《その》羽《はね》を一|杯《ぱい》に擴《ひろ》げる。何處《どこ》を見《み》ても只《たゞ》深《ふか》い緑《みどり》に鎖《とざ》された林《はやし》の中《なか》に彼等《かれら》は唄《うた》ふ聲《こゑ》に依《よ》つて互《たがひ》の所在《ありか》を知《し》つたり知《し》らせたりする。彼等《かれら》のしをらしい者《もの》はそれでも午前《ごぜん》の幾時間《いくじかん》を懸命《けんめい》に働《はたら》いて父《ちゝ》なるものゝ小言《こごと》を聞《き》かぬまでに厩《うまや》の傍《そば》に草《くさ》を積《つ》んでは、午後《ごご》の幾時間《いくじかん》を勝手《かつて》に費《つひや》さうとする。一|度《ど》でもしめやかに語《かた》り合《あ》うた兩性《りやうせい》が邂逅《であ》へば彼等《かれら》は一|切《さい》を忘《わす》れて、それでも有繋《さすが》に人目《ひとめ》をのみは厭《いと》うて小徑《こみち》から一|歩《ぽ》木《き》の間《あひだ》に身《み》を避《さ》ける。繁茂《はんも》した青草《あをぐさ》が側《そば》行《ゆ》く人《ひと》にも知《し》られぬ樣《やう》に屈《かゞ》んだ彼等《かれら》を幾《いく》らでも掩《おほ》ひ隱《かく》す。彼等《かれら》は極《きま》つた何《なん》の噺《はなし》も持《も》つて居《ゐ》ないのに快《こゝろ》よく冷《つめ》たい土《つち》に坐《すわ》つて、遂《つひ》には手《て》にした鎌《かま》の刄先《はさき》で少《すこ》しづゝ土《つち》をほじくりつゝ女《をんな》は白《しろ》い手拭《てぬぐひ》の端《はし》を微動《びどう》させては俯伏《つゝぷ》しなから微笑《びせう》しながら際限《さいげん》もなく其處《そこ》に凝然《ぢつ》として居《ゐ》ようとする。熬《い》りつける樣《やう》な油蝉《あぶらぜみ》の聲《こゑ》が彼等《かれら》の心《こゝろ》を撼《ゆる》がしては鼻《はな》のつまつたやうなみん/\蝉《ぜみ》の聲《こゑ》が其《そ》の心《こゝろ》を溶《とろ》かさうとする。藪蚊《やぶか》が彼等《かれら》の日《ひ》に燒《や》けた赤《あか》い足《あし》へ針《はり》を刺《さ》して、臀《しり》がたはら胡頽子《ぐみ》の樣《やう》に血《ち》を吸《す》うて膨《ふく》れても、彼等《かれら》はちくりと刺戟《しげき》を與《あた》へられた時《とき》に慌《あわ》てゝはたと叩《たゝ》くのみで蚊《か》が逃《に》げようとも知《し》らぬ顏《かほ》である。暑《あつ》い日《ひ》が草《くさ》いきれで汗《あせ》びつしりに成《な》つて居《ゐ》る彼等《かれら》の身體《からだ》に時刻《じこく》が過《す》ぎたと枝《えだ》の間《あひだ》から強《つよ》い光《ひかり》を投掛《なげか》けて促《うなが》す迄《まで》は、稀《まれ》には痺《しび》れた足《あし》を投出《なげだ》して聞《き》きも聞《き》かせもしなくて善《い》い噺《はなし》を反覆《はんぷく》してのみ居《ゐ》るのである。彼等《かれら》は恁《か》うして時間《じかん》を空《むな》しく費《つひや》しては遠《とほ》く近《ちか》く蜩《ひぐらし》の聲《こゑ》が一|齊《せい》に忙《いそが》しく各自《かくじ》の耳《みゝ》を騷《さわ》がして、大《おほ》きな紗《しや》で掩《おほ》うたかと思《おも》ふ樣《やう》に薄《うす》い陰翳《かげ》が世間《せけん》を包《つゝ》むと彼等《かれら》は慌《あわ》てゝ皆《みな》家路《いへぢ》に就《つ》く。どうかして餘《あま》りに後《おく》れると空《から》な草刈籠《くさかりかご》を倒《さかしま》に脊負《せお》つて、歩《ある》けばざわ/\と鳴《な》る樣《やう》に、大《おほ》きな籠《かご》の目《め》へ楢《なら》や雜木《ざふき》の枝《えだ》を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]《さ》して黄昏《たそがれ》の庭《には》に身《み》を運《はこ》んで刈積《かりつ》んだ青草《あをくさ》に近《ちか》く籠《かご》を卸《おろ》す。父《ちゝ》なるものは蚊柱《かばしら》の立《たつ》てる厩《うまや》の側《そば》でぶる/\と鬣《たてがみ》を撼《ゆる》がしながら、ぱさり/\と尾《を》で臀《しり》の邊《あたり》を叩《たゝ》いて居《ゐ》る馬《うま》に秣《まぐさ》を與《あた》へて居《ゐ》る。母《はゝ》なるものは青《あを》い烟《けぶり》に滿《みち》た竈《かまど》の前《まへ》に立《た》つては裾《うづくま》りつゝ、燈火《ともしび》を點《つ》ける餘裕《よゆう》もなく我《わ》が子《こ》をぶつ/\と待《ま》つて居《ゐ》る。恁《か》うして忙《いそが》しさに楢《なら》や雜木《ざふき》の枝《えだ》で欺《あざむ》いた手段《しゆだん》が發見《はつけん》されないのである。うしろめたい女《をんな》は默《だま》つて何《なに》よりも先《ま》づ空《から》な手桶《てをけ》を持《も》つて井戸端《ゐどばた》へ驅《か》けて行《い》つてはざあと水《みづ》を汲《く》んでそれから汁《しる》の身《み》でも切《き》れてなければ慌《あわたゞ》しくとん/\と庖丁《はうちやう》の響《ひゞき》を立《た》てゝ、少《すこ》しづゝでも母《はゝ》なるものゝ小言《こごと》から遁《のが》れようとする。狹《せま》い庭《には》の垣根《かきね》に黄色《きいろ》な蝶《てふ》が幾《いく》つも止《とま》つて頻《しき》りに羽《はね》を動《うご》かして居《ゐ》るやうに一つ/\にひらり/\と開《ひら》いては夜目《よめ》にもほつかりと匂《にほ》うて居《ゐ》る月見草《つきみさう》は自分等《じぶんら》の夜《よる》が來《き》たと、駈《か》け歩《ある》いて居《ゐ》る女《をんな》に對《たい》して懷《なつか》し相《さう》に目《め》を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》るのである。彼等《かれら》の或《ある》者《もの》は更《さら》に夜《よる》の眠《ねむ》りに就《つ》く前《まへ》に戸口《とぐち》に近《ちか》く蚊帳《かや》の裾《すそ》にくるまつては竊《ひそか》に雨戸《あまど》の外《そと》に訪《おとづ》るゝ男《をとこ》を待《ま》たうとさへするのである。男《をとこ》は雨戸《あまど》を開《あ》けて忍《しの》ぶ時《とき》月《つき》が冴《さ》え居《ゐ》てさへ躊躇《ちうちよ》せぬ。彼《かれ》はそれでも疊《た々み》の上《うへ》に射《さ》し込《こ》む光《ひかり》を厭《いと》うて廂《ひさし》に近《ちか》く筵《むしろ》を吊《つ》る。歪《ゆが》んだ戸《と》がぎし/\と鳴《な》るのにそれが彼等《かれら》の西瓜《すゐくわ》や瓜《うり》の畑《はたけ》を襲《おそ》ふ頃《ころ》であれば道端《みちばた》の草村《くさむら》から轡蟲《くつわむし》を捕《と》つて行《い》つて雨戸《あまど》の隙間《すきま》から放《はな》つ。轡蟲《くつわむし》は闇《くら》いなかへ放《はな》たれゝば、直《たゞち》に聲《こゑ》を揃《そろ》へて鳴《な》く。土地《とち》で其《そ》れが一|般《ぱん》にがしや/\といふ名稱《めいしよう》を與《あた》へられて居《ゐ》るだけ喧《やかま》しく只《たゞ》がしや/\と鳴《な》く。がしや/\が鳴《な》き出《だ》せば彼等《かれら》は安《やす》んじて雨戸《あまど》をこじるのである。それから又《また》箱《はこ》を轉《ころが》したやうな、隔《へだ》ての障子《しやうじ》さへ無《な》い小《ちひ》さな家《いへ》で女《をんな》が男《をとこ》を導《みちび》くとて、如何《どう》しても父母《ちゝはゝ》の枕元《まくらもと》を過《す》ぎねば成《な》らぬ時《とき》は、踏《ふ》めばぎし/\と鳴《な》る床板《ゆかいた》に二人《ふたり》の足音《あしおと》を憚《はゞか》つて女《をんな》は闇《やみ》に男《をとこ》を脊負《せお》ふのである。其處《そこ》には假令《たとへ》重量《ぢゆうりやう》が加《くは》へられても、それは巧《たくみ》に疲《つか》れて眠《ねむ》い父母《ちゝはゝ》の耳《みゝ》を欺《あざむ》くのである。
 一|般《ぱん》の子女《しぢよ》の境涯《きやうがい》は如此《かくのごとく》にして稀《まれ》には痛《いた》く叱《しか》られることもあつて其《その》時《とき》のみは萎《しを》れても明日《あす》は忽《たちま》ち以前《いぜん》に還《かへ》つて其《その》性情《せいじやう》の儘《まゝ》に進《すゝ》んで顧《かへり》みぬ。おつぎは其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《そんな》伴侶《なかま》と一|日《にち》でも一つに其《その》身《み》を放《はな》たれたことがないのである。
 勘次《かんじ》が什※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《どんな》に八釜敷《やかましく》おつぎを抑《おさ》へてもおつぎがそれで制《せい》せられても、勘次《かんじ》は村《むら》の若者《わかもの》がおつぎに想《おもひ》を懸《か》けることに掣肘《せいちう》を加《くは》へる些《さ》の力《ちから》をも有《いう》して居《を》らぬ。凡《すべ》ての村落《むら》の若者《わかもの》が女《をんな》を覘《ねら》はうとする時《とき》は隨分《ずゐぶん》執念《しふね》く其《そ》れは丁度《ちやうど》、追《お》へば忽《たちま》ちに遁《に》げる鷄《とり》がどうかして狹《せま》く戸口《とぐち》を開《ひら》いてある※[#「穀」の「禾」に代えて「釆」、169−5]倉《こくぐら》に好《この》む餌料《ゑさ》を見出《みいだ》して這
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