けん》は村落《むら》の凡《すべ》ての口《くち》を久《ひさ》しく防《ふせ》ぐことは出來《でき》なかつた。殊《こと》に女房等《にようばうら》の間《あひだ》には
「勘次《かんじ》さんもどうしたつちんだんべ、俺《お》ら可怖《おつかね》えやうだつけぞ」
「本當《ほんたう》によ、丸《まる》つきり狂氣《きちげえ》のやうだものなあ」といふ驚異《きやうい》の聲《こゑ》が到《いた》る處《ところ》に反覆《はんぷく》された。
「唯《たゞ》たあ思《おも》へねえよ、勘次《かんじ》さんもあゝいに仕《し》ねえでもよかんべと思《おも》ふのになあ」嘆聲《たんせい》を發《はつ》しては各自《かくじ》の心《こゝろ》に伏在《ふくざい》して居《ゐ》る或《ある》物《もの》を口《くち》には明白地《あからさま》に云《い》ふことを憚《はゞか》る樣《やう》に眼《め》と眼《め》を見合《みあは》せて互《たがひ》に笑《わら》うては僅《わづか》に
「厭《や》だ/\」といふ底《そこ》に一|種《しゆ》の意味《いみ》を含《ふく》んだ一|語《ご》を投《な》げ棄《す》てゝ別《わか》れるのである。殊《こと》には村落《むら》の若者《わかもの》の間《あひだ》へは寸毫《すんがう》も遠慮《ゑんりよ》の無《な》い想像《さうざう》に伴《ともな》ふ陰口《かげぐち》を逞《たくま》しくせしめる好箇《かうこ》の材料《ざいれう》を提供《ていきよう》したのであつた。

         一四

 夏《なつ》が循環《じゆんくわん》した。
 暑《あつ》い日《ひ》の刺戟《しげき》が驚《おどろ》くべき活動力《くわつどうりよく》を百姓《ひやくしやう》の手足《てあし》に與《あた》へる。百姓《ひやくしやう》は馬《うま》や荷車《にぐるま》を駈《か》つて刈《か》り倒《たふ》した麥《むき》をせつせと運《はこ》ぶ。永《なが》い日《ひ》は僅《わづか》な日數《ひかず》の内《うち》に目《め》に渺々《べうべう》たる畑《はたけ》をからりとさせて、暫《しばら》くすると天候《てんこう》は極《きはま》りない變化《へんくわ》の手《て》を一|杯《ぱい》に擴《ひろ》げて、黄色《きいろ》に熟《じゆく》する梅《うめ》の小枝《こえだ》を苦《くるし》めて居《ゐ》る※[#「虫+牙」、第4水準2−87−34]蟲《あぶらむし》も滅亡《めつばう》して畢《しま》ふ程《ほど》の霖雨《りんう》が惘《あき》れもしないで降《ふ》り續《つゞ》く。さうすると麥《むき》を刈《か》つた跟《あと》の菽《まめ》や陸穗《をかぼ》が渇《かつ》した口《くち》へ冷《つめ》たい水《みづ》を獲《え》た樣《やう》に勢《いきほひ》づいて、四五|日《にち》の内《うち》に青《あを》い葉《は》を以《もつ》て畑《はたけ》の土《つち》が寸隙《すんげき》もなく掩《おほ》はれる。雨《あめ》は蹂《ふ》み固《かた》めてある百姓《ひやくしやう》の庭《には》の土《つち》にも※[#「くさかんむり/(火+旱)」、195−5]菜《いぬがしら》や石龍※[#「くさかんむり/内」、第3水準1−90−67]《たがらし》の黄色《きいろ》い小粒《こつぶ》な花《はな》を持《も》たせて、棟《やのむね》にさへ長《なが》い短《みじか》い草《くさ》を生《しやう》ぜしめる。自然《しぜん》の意志《いし》は只管《ひたすら》に地上《ちじやう》の到《いた》る處《ところ》に軟《やはら》かな青《あを》い葉《は》を以《もつ》て掩《おほ》ひ隱《かく》さうとのみ力《ちから》を注《そゝ》いで居《ゐ》るのである。其《そ》の意志《いし》に逆《さか》らうて猶豫《たゆた》うて居《ゐ》るのは百姓《ひやくしやう》の手《て》で丁寧《ていねい》に捏《こ》ねられた水田《すゐでん》のみである。夏《なつ》が漸《やうや》く深《ふ》けると自然《しぜん》は其《そ》の心《こゝろ》を焦燥《あせ》らせて、霖雨《りんう》が低《ひく》い田《た》に水《みづ》を滿《み》たしめて、堀《ほり》にも茂《しげ》つた草《くさ》を沒《ぼつ》して岸《きし》を越《こ》えしめる。稻草《いなぐさ》を以《もつ》て田《た》の空地《くうち》を埋《うづ》めることが一|日《にち》でも速《すみや》かなればそれだけ餘計《よけい》な報酬《はうしう》を晩秋《ばんしう》の收穫《しうくわく》に於《おい》て與《あた》へるからと教《をし》へて自然《しぜん》は百姓《ひやくしやう》の體力《たいりよく》の及《およ》ぶ限《かき》り活動《くわつどう》せしめる。さうすると百姓《ひやくしやう》は田《た》のやうにどろ/\と往來《わうらい》の土《つち》をも捏《こ》ねて馬《うま》と共《とも》に泥《どろ》に塗《まみ》れながら田植《たうゑ》にのみ屈託《くつたく》する。彼等《かれら》は雨《あめ》を藁《わら》の蓑《みの》に避《さ》けて左手《ひだりて》に持《も》つた苗《なへ》を少《すこ》しづつ取《と》つて後退《あとずさ》りに深《ふか》い泥《どろ》から股引《もゝひき》の足《あし》を引《ひ》き拔《ぬ》き引《ひ》き拔《ぬ》き植《う》ゑ退《の》く。恁《か》うして宏濶《くわうくわつ》な水田《すゐでん》は、一|日《にち》泥《どろ》に浸《ひた》つた儘《まゝ》でも愉快相《ゆくわいさう》に唄《うた》ふ聲《こゑ》がそつちからもこつちからも響《ひゞ》くと共《とも》に、段々《だん/\》に淺《あさ》い緑《みどり》が掩《おほ》うて、多忙《たばう》で且《かつ》活溌《くわつぱつ》な夏《なつ》の自然《しぜん》は先《さき》に植《う》ゑられた田《た》から漸次《ぜんじ》に深《ふか》い緑《みどり》を染《そ》めて行《ゆ》く。田《た》が凡《すべ》て植《う》ゑ畢《をは》つた時《とき》には畦畔《くろ》にも短《みじか》い草《くさ》が生《は》えて居《ゐ》て土《つち》の黒《くろ》い部分《ぶぶん》が何處《どこ》にも見《み》えなく成《な》る。自然《しぜん》は始《はじ》めて自己《じこ》の滿足《まんぞく》を得《え》た樣《やう》にからりと快《こゝろ》よい空《そら》を拭《ぬぐ》うて暑《あつ》い日《ひ》の光《ひかり》を投《な》げ掛《か》ける。青田《あをた》の畦畔《くろ》には處々《しよ/\》に萱草《くわんさう》が開《ひら》いて、田《た》の草《くさ》を掻《か》くとては村落《むら》の少女《むすめ》が赤《あか》い帶《おび》を暑《あつ》い日《ひ》に燃《も》やさない日《ひ》でも、萎《しぼ》んでは開《ひら》いて朱杯《しゆはい》の如《ごと》く點々《てん/\》と耕地《かうち》を彩《いろど》るのである。百姓《ひやくしやう》は忙《いそが》しい田植《たうゑ》が畢《をは》れば何處《どこ》の家《いへ》でも秋《あき》の收穫《しうくわく》を待《ま》つ準備《じゆんび》が全《まつた》く施《ほどこ》されたので、各自《かくじ》の勞《らう》を劬《ねぎら》ふ爲《ため》に相當《さうたう》な饗應《もてなし》が行《おこな》はれるのである。其《それ》が早苗振《さなぶり》である。
 勘次《かんじ》とおつぎは南《みなみ》の早苗振《さなぶり》の日《ひ》に傭《やと》はれて行《い》つて居《ゐ》た。勘次《かんじ》の家《いへ》から南《みなみ》へ行《ゆ》く小徑《こみち》を挾《はさ》んだ桑畑《くはばたけ》は刈取《かりと》つてから草《くさ》の生《は》えた位《くらゐ》に枝《えだ》が立《た》ち始《はじ》めて居《ゐ》た。桑《くは》の間《あひだ》には馬鈴薯《じやがいも》が茂《しげ》つて花《はな》を持《も》つて居《ゐ》た。南《みなみ》の家《いへ》では少《すこ》しばかり養蠶《やうさん》をしたので百姓《ひやくしやう》の仕事《しごと》が凡《すべ》て手後《ておく》れに成《な》つたのであつた。村落《むら》の大抵《たいてい》が田植《たうゑ》を畢《をは》り掛《か》けたので慌《あわ》てゝ大勢《おほぜい》の手《て》を傭《やと》うた。其《そ》の日《ひ》は晴《は》れて心持《こゝろもち》がよかつたのと、一|同《どう》が非常《ひじやう》な奮發《ふんぱつ》をしたのとで仕事《しごと》は日《ひ》の高《たか》い内《うち》に濟《す》んだ。南《みなみ》の女房《にようばう》は仕事《しごと》の見極《みきは》めがついたのでおつぎを連《つ》れて、其《その》晩《ばん》の惣菜《そうざい》の用意《ようい》をする爲《ため》に一|足《あし》先《さき》へ田《た》から歸《かへ》つた。女房《にようばう》は忙《いそが》しい思《おも》ひをしながら麥《むぎ》を熬《い》つて香煎《かうせん》も篩《ふる》つて置《お》いた。
 田植《たうゑ》の同勢《どうぜい》は股引《もゝひき》穿《は》いた儘《まゝ》泥《どろ》の足《あし》をずつと堀《ほり》の水《みづ》に立《た》てゝ、股引《もゝひき》の紺地《こんぢ》がはつきりと成《な》るまで兩手《りやうて》でごし/\と扱《しご》いた。溶《と》けた泥《どろ》が煙《けぶり》の如《ごと》く水《みづ》を濁《にご》らしてずん/\と流《なが》される。さうしてから其《そ》の股引《もゝひき》を脱《ぬ》いでざぶ/\と洗《あら》ふ者《もの》も有《あ》つた。彼等《かれら》が歸《かへ》つて家《いへ》の内《うち》は急《きふ》にがや/\と賑《にぎや》かに成《な》つた。裏戸口《うらとぐち》の※[#「柿」の正字、第3水準1−85−57]《かき》の木《き》の下《した》に据《す》ゑられた風呂《ふろ》には牛《うし》が舌《した》を出《だ》して鼻《はな》を舐《な》めづつて居《ゐ》る樣《やう》な焔《ほのほ》が煙《けぶり》と共《とも》にべろ/\と立《た》つて燻《いぶ》りつゝ燃《も》えて居《ゐ》る。傭《やと》はれて來《き》た女房等《にようばうら》の一人《ひとり》が蓋《ふた》をとつてがら/\と掻《か》き廻《まは》して、それから復《ま》た火吹竹《ひふきだけ》でふう/\と吹《ふ》いた。焔《ほのほ》の赤《あか》い舌《した》がべろ/\と長《なが》く立《た》つた。
 再《ふたゝ》び蓋《ふた》をとつた時《とき》には掃除《さうぢ》の足《た》らぬ風呂桶《ふろをけ》のなかには前夜《ぜんや》の垢《あか》が一|杯《ぱい》に浮《う》いて居《ゐ》た。其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《そんな》ことには關《かま》はずに田植《たうゑ》の同勢《どうぜい》はずん/\と這入《はひ》つた。彼等《かれら》は殆《ほと》んど只《たゞ》手拭《てぬぐひ》でぼちや/\と身體《からだ》をこすつて出《で》た。足《あし》の爪先《つまさき》に詰《つ》まつた泥《どろ》を落《おと》すことさへ仕《し》なかつた。
「燻《けぶ》つてえのそつちへおん出《だ》さなくつちや仕《し》やうねえや」風呂《ふろ》から出《で》た儘《まゝ》拭《ぬぐ》ひもせぬ足《あし》に下駄《げた》を穿《は》いて裸《はだか》の臀《しり》を他人《たにん》に向《む》けて立《た》つた一|人《にん》が後《うしろ》を顧《かへり》みていつた。
「なあに管《かま》あねえ」後《あと》から目《め》を蹙《しか》めながら一人《ひとり》が首筋《くびすぢ》まで沈《しづ》んだ。それから風呂桶《ふろをけ》へ腰《こし》を掛《か》けてごし/\と洗《あら》ひながら
「此《こ》りや燻《けぶ》つてえ」と復《また》沈《しづ》んだ儘《まゝ》ごし/\と垢《あか》を落《おと》して居《ゐ》たが
「あゝ善《え》え處《とこ》だ、よう、おつぎ、少《ちつ》と此處《ここ》まで來《き》てくんねえか」といつた。彼《かれ》は百姓《ひやくしやう》の間《あひだ》には馬《うま》を曳《ひ》いて歩《ある》く村落《むら》の博勞《ばくらう》であつた。
「どうしたもんだんべ、兼《かね》さん等《ら》自分《じぶん》で這入《へえ》んのに燻《けむ》つたけりや、おん出《だ》してからへえつたら善《よ》かんべなあ、それに怎的《どう》したもんだ一同《みんな》居《ゐ》て、水汲《みずく》みに來《き》たものなんぞ使《つか》あねえたつてよかんべなあ」おつぎは輕《かる》く窘《たしな》める樣《やう》にいつて二つの手桶《てをけ》をそつと置《お》いて、燻《いぶ》つて居《ゐ》る薪《たきゞ》を出《だ》して遣《や》つた。
「おつぎに掻《か》ん出《だ》して貰《もら》あんでなくつちや厭《や》だつちから俺《お》
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