れあんすかんね」
「厭《いや》がられるつてお前《まへ》そんなものぢやないよ、舅《しうと》だもの、婿《むこ》だの娘《むすめ》だのといふものは餘計《よけい》氣《き》をつけなくちや成《な》らないものなんだね」内儀《かみ》さんは窘《たしな》める樣《やう》にいつた。
「そりやさうですがね、お内儀《かみ》さん」勘次《かんじ》は何《なん》だが隱事《いんじ》でも發《あば》かれたやうに慌《あわ》てゝいつてさうして苦笑《くせう》した。
「おつたは本當《ほんたう》に舅《しうと》は善《よ》くしなかつた相《さう》だな、自分等《じぶんら》の方《はう》の※[#「滔」の「さんずい」に代えて「飮のへん」、第4水準2−92−68]《あん》へは砂糖《さたう》を入《い》れても舅《しうと》の方《はう》へは砂糖《さたう》を入《い》れなかつたなんて暫《しばら》く前《まへ》に聞《き》いたつけが」内儀《かみ》さんは獨《ひとり》で低聲《こごゑ》にいつた。
「どうでがしたかねそれは」勘次《かんじ》は先刻《さつき》の容子《ようす》とは違《ちが》つて、俄《にはか》に庇護《かば》ひでもするやうな態度《たいど》でいつた。
「そんなに仕《し》なくつたつて幾《いく》らも生《い》きやしない老人《としより》のことをな」内儀《かみ》さんは熟《つくづく》と復《また》いつた。勘次《かんじ》は餘計《よけい》に萎《しを》れた。
「勘次《かんじ》も錢《ぜに》は自分《じぶん》の手《て》から湧《わか》すやうにして辛抱《しんばう》してりや辛《つら》いことばかり無《な》いから、何《なん》でも人間《にんげん》は子供次第《こどもしだい》だよ、後《あと》で厄介《やくかい》に成《な》らなくちや成《な》らないんだから子供《こども》の面倒《めんだう》は見《み》ないな間違《まちがひ》だよ」内儀《かみ》さんは勵《はげま》すやうにさうしてしんみりといつた。暫《しばら》く噺《はなし》が途切《とぎ》れた時《とき》勘次《かんじ》は突然《とつぜん》
「お内儀《かみ》さん變《へん》なこと聞《き》くやうでがすが帶《おび》にする布片《きれ》はどの位《くれえ》有《あ》つたらえゝもんでがせうね」と聞《き》いた。
「おつぎにでも締《し》めさせるのかい」
「へえ、今《いま》のが古《ふる》くつて厭《や》だなんて強請《ねだ》れんで、何時《いつ》でもわし怒《おこる》んでがすが、お内儀《かみ》さん處《とこ》へも不義理《ふぎり》ばかりしてそんな處《ところ》ぢやねえつて云《ゆ》つて聞《き》かせても、みんな赤《あけ》えの締《し》めてるもんだから欲《ほ》しくつて仕《し》やうねえんでさ」
「さうだね、帶《おび》はまあ一|丈《ぢやう》つていふんだが、其處《そこ》らの子《こ》の締《し》めるのは什※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《どんな》ものだかさね」
「わしらおつうはそれ四|尺《しやく》もあればえゝつちんですがね、それだからわしお内儀《かみ》さんにでも聞《き》かねえぢや分《わか》んねえと思《おも》つて」
「さうさ成程《なるほど》、外《そと》へ出《で》る處《ところ》だけ有《あ》れば善《い》いんだから、それにや四|尺《しやく》もあつたら澤山《たくさん》だね、斯《か》うこつちばかり附《つ》ければね」内儀《かみ》さんは自分《じぶん》の帶《おび》へ手《て》を當《あ》てゝ見《み》ていつた。
「それお内儀《かみ》さん、兩方《りやうはう》へ附《つ》けんだつて恁《か》ういに縛《しば》つて中《なか》へたぐめた端《はじ》つ子《こ》が赤《あか》くなくつちや見《み》つともねえつてね、そんな處《ところ》どうでもよかんべと思《おも》ふんだが、尤《もつと》も其處《そこ》は一|尺《しやく》でえゝなんて云《いふ》んでさ」
「成程《なるほど》ね、私等《わたしら》今《いま》までさういふことにや氣《き》が附《つ》かなかつたが、結《むす》び目《め》も仕事《しごと》するんだから其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《そんな》に大《おほ》きくなくつたつて構《かま》はないし、四|尺《しやく》五|寸《すん》もあれば丸《まる》で新《あたら》しいやうに見《み》えるんだね」
「そんでお内儀《かみ》さん、どの位《くれえ》したもんでがせうね錢《ぜに》は、たんと出《で》んぢやはあ仕《し》やうねえが」勘次《かんじ》は危《あやぶ》むやうにいつた。
「幾《いく》らもしないね、其《そ》れ丈《だけ》ぢや」
「そんでも大凡《おほよそ》まあどの位《くれえ》したもんでがせうね」勘次《かんじ》は又《また》反覆《くりかへ》して促《うなが》した。
「唐縮緬《たうちりめん》も近頃《ちかごろ》ぢや廉《やす》くなつたから一|尺《しやく》十二三|錢位《せんぐらゐ》のものかね、上等《じやうとう》で十四五|錢《せん》しかしないだらうね」
「さうでがすか、わしやまた大變《たいへん》出《で》んだとばかし思《おも》つてあんした」
「それも反物《たんもの》に成《な》つてるのを切《き》らしてさうだよ、それからもつと廉《やす》くも出來《でき》るのさ、村《むら》の店《みせ》なんぞぢや錢《ぜに》ばかりとつて虱《しらみ》が潜《もぐ》り相《さう》なのでね」内儀《かみ》さんは微笑《びせう》した。
「さういふ短《みじか》いのは端布片《はしぎれ》で買《か》ふに限《かぎ》るのさ、幾《いく》らにもつかないもんだよ、私《わたし》が近頃《ちかごろ》出《で》る序《ついで》もあるから買《か》つて來《き》て遣《や》つても善《い》いよ」
「さうですか、そんぢやお内儀《かみ》さんどうかさうしておくんなせえ、お内儀《かみ》さんに見《み》て貰《もれ》えせえすりや大丈夫《だえぢようぶ》でがすから、なあに赤《あか》くせえありや什※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《どんな》んでも構《かま》あねえんでがすがね」
「一|日《にち》お前《まへ》が日傭《ひよう》に來《き》さへすりやそれ丈《だけ》は出《で》て畢《しま》ふから、欲《ほ》しいといふものなら拵《こしら》へて遣《や》るが善《い》いよ、そりや欲《ほ》しい筈《はず》さおつぎも明《あ》ければ十八に成《な》るんだつけね」内儀《かみ》さんは同情《どうじやう》していつた。
「わしに怒《おこ》らつるもんだから蔭《かげ》でぐず/\云《ゆ》つて困《こま》んでさ」勘次《かんじ》は更《さら》に
「そんぢやまあ善《よ》かつた、わし等《ら》そんなこたあちつとも分《わか》んねえから、夫《それ》からはあお内儀《かみ》さんに聞《き》いてんべと思《おも》つてたのせ」といつて何處《どこ》となくそわ/\と悦《よろこ》ばしさを禁《きん》じ得《え》ないものゝ如《ごと》くである。
「女《をんな》の子《こ》は此《こ》れで飾《かざり》だから他人《ひと》にも見《み》られるからね」内儀《かみ》さんは懇《ねんごろ》にいつた。
「わし等《ら》自分《じぶん》ぢや什※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《どんな》襤褸《ぼろ》だつて構《かま》あねえが此《こ》れで女《あま》つ子《こ》にやねえ、わしもこんでお内儀《かみ》さんに聞《き》く迄《まで》にや心配《しんぺえ》しあんしたよ」勘次《かんじ》は僅《わづか》な帶《おび》のことが大《おほ》きな事件《じけん》の解決《かいけつ》でも與《あた》へられたやうに心《こゝろ》の底《そこ》から勢《いきほ》ひづいて内儀《かみ》さんの前《まへ》に感謝《かんしや》した。
一一
勘次《かんじ》は極《きは》めて狹《せま》い周圍《しうゐ》を有《いう》して居《ゐ》る。然《しか》し彼《かれ》の痩《や》せた小《ちひ》さな體躯《からだ》は、其《そ》の狹《せま》い周圍《しうゐ》と反撥《はんぱつ》して居《ゐ》るやうな關係《くわんけい》が自然《しぜん》に成立《なりた》つて居《ゐ》る。彼《かれ》は決《けつ》して他人《たにん》と爭鬪《さうとう》を惹《ひ》き起《おこ》した例《ためし》もなく、寧《むし》ろ極《きは》めて平穩《へいをん》な態度《たいど》を保《たも》つて居《ゐ》る。唯《たゞ》彼等《かれら》のやうな貧《まづ》しい生活《せいくわつ》の者《もの》は相互《さうご》に猜忌《さいぎ》と嫉妬《しつと》との目《め》を峙《そばだ》てゝ居《ゐ》る。勘次《かんじ》は異常《いじやう》な勞働《らうどう》によつて報酬《はうしう》を得《え》ようとする一|方《ぱう》に一|錢《せん》と雖《いへど》も容易《ようい》に其《そ》の懷《ふところ》を減《げん》じまいとのみ心懸《こゝろが》けて居《ゐ》る。彼等《かれら》のやうな低《ひく》い階級《かいきふ》の間《あひだ》でも相互《さうご》の交誼《かうぎ》を少《すこ》しでも破《やぶ》らないやうにするのには、其處《そこ》には必《かなら》ず其《それ》に對《たい》して金錢《きんせん》の若干《じやくかん》が犧牲《ぎせい》に供《きよう》されねばならぬ。絶對《ぜつたい》に其《その》犧牲《ぎせい》を惜《をし》むものは他《た》の憎惡《ぞうを》を買《か》ふに至《いた》らないまでも、相互《さうご》の間《あひだ》は疎略《そりやく》にならねばならぬ。然《しか》し其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《そんな》ことは勘次《かんじ》を苦《くるし》めて其《そ》のさもしい心《こゝろ》の或《ある》物《もの》を挽囘《ばんくわい》させる力《ちから》を有《いう》して居《ゐ》ないのみでなく、殆《ほと》んど何《なん》の響《ひゞき》をも彼《かれ》の心《こゝろ》に傳《つた》ふるものではない。彼《かれ》は只《たゞ》其《そ》の日《ひ》/\の生活《せいくわつ》が自分《じぶん》の心《こゝろ》に幾《いく》らでも餘裕《よゆう》を與《あた》へて呉《く》れればとのみ焦慮《あせ》つて居《ゐ》るのである。彼《かれ》の心《こゝろ》を滿足《まんぞく》せしめる程度《ていど》は、譬《たと》へば目前《もくぜん》に在《あ》る低《ひく》い竹《たけ》の垣根《かきね》を破壤《はくわい》して一|歩《ぽ》足《あし》を其《その》域内《ゐきない》に趾《あと》つけるだけのことに過《す》ぎないのである。然《しか》も竹《たけ》の垣根《かきね》は朽《く》ちて居《ゐ》る。朽《く》ちた低《ひく》い竹《たけ》の垣根《かきね》は其《そ》の強《つよ》い手《て》の筋力《きんりよく》を以《もつ》て破壤《はくわい》するに何《なん》の造作《ざうさ》もない筈《はず》であるが、手《て》の先端《せんたん》を觸《ふ》れしめることさへ出來《でき》ないで居《ゐ》るのである。彼《かれ》は長《なが》い時間《じかん》氷雪《ひようせつ》の間《あひだ》を渉《わた》つた後《のち》、一|杯《ぱい》の冷《つめ》たい釣瓶《つるべ》の水《みづ》を注《そゝ》ぐことによつて快《こゝよ》よい暖氣《だんき》を其《そ》の赤《あか》く成《な》つた足《あし》に感《かん》ずる樣《やう》に、僅少《きんせう》な或《ある》物《もの》が彼《かれ》の顏面《がんめん》の僻《ひが》んだ筋《すぢ》を伸《のべ》るに十|分《ぶん》であるのに、彼《かれ》は其《そ》の冷水《れいすゐ》の一|杯《ぱい》をさへ空《むな》しく求《もと》めつゝあつたのである。自然《しぜん》に形《かたちづく》られて居《ゐ》る階級《かいきふ》の相違《さうゐ》を有《いう》して居《ゐ》る者《もの》又《また》は長《なが》い間《あひだ》彼《かれ》の生活《せいくわつ》の内情《ないじやう》を知悉《ちしつ》して居《ゐ》る者《もの》からは彼《かれ》は同情《どうじやう》の眼《まなこ》を以《もつ》て視《み》られて居《ゐ》るけれども、こせ/\とした其《そ》の態度《たいど》と、狐疑《こぎ》して居《ゐ》るやうな其《その》容貌《ようばう》とは其處《そこ》に敢《あへ》て憎惡《ぞうを》すべき何物《なにもの》も存在《そんざい》して居《ゐ》ないにしても到底《たうてい》彼等《かれら》の伴侶《なかま》の凡《すべ》てと融和《ゆうわ》さる
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