《かみ》さん處《とこ》へも小作《こさく》の借《さがり》も持《も》つて來《き》ねえで濟《す》まねえんですが、嚊《かゝあ》が單衣物《ひてえもの》も質《しち》に入《せ》えてたの出《だ》して遣《や》つたんでがすがね、畑《はたけ》へなんぞ出《で》んのにや餘《あんま》り過《す》ぎ物《もの》なんだが、それ一|枚《めえ》切《き》りだからわしも構《かま》あねえで見《み》てんのせ、そんだがお内儀《かみ》さん奇態《きたえ》に汚《よご》しあんせんかんね」勘次《かんじ》は最後《さいご》の一|語《ご》に力《ちから》を入《い》れていつた。
「さうだよ、さうして遣《や》れば勵《はげ》みが違《ちが》ふからね」内儀《かみ》さんはいつて又《また》
「おつぎも能《よ》く働《はたら》けるやうに成《な》つたね、それだが此《こ》の間《あひだ》のやうな處《ところ》を見《み》ると死《し》んだお品《しな》が乘《の》り移《うつ》つたかと思《おも》ふやうさね」
「わしもはあ、あれがこたあ魂消《たまげ》てつことあんでがすがね」
「さういつちや何《なん》だがお品《しな》も隨分《ずゐぶん》お前《まへ》ぢや意地《いぢ》燒《や》いて苦勞《くらう》したことも有《あ》るからね」
「へえ、わしやはあ可怖《おつかな》くつて仕《し》やうねえんですから、わし出《で》らんねえ處《ところ》へは嚊《かゝあ》ばかり出《で》え/\仕《し》たんでがすから」
「さうだつけねえ」内儀《かみ》さんは微笑《びせう》して
「おつぎは心持《こゝろもち》までお袋《ふくろ》の方《はう》だね、お前《まへ》の※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1−85−57]のつくり」、153−2]《あね》だがおつたはあゝいふ性質《たち》なのに一つ腹《はら》から出《で》ても違《ちが》ふもんだね」
「わし等《ら》※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1−85−57]のつくり」、153−4]《あね》はお内儀《かみ》さん、碌《ろく》でなしですかんね」彼《かれ》は恥《は》ぢてさうして自分《じぶん》を庇護《かば》ふやうに其《そ》の※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1−85−57]のつくり」、153−4]《あね》といふのを卑下《くさ》して僻《ひが》んだやうな苦笑《くせう》を敢《あへ》てした。
「おつたは今《いま》何處《どこ》に居《ゐ》るね」
「下《しも》の方《ほう》に居《ゐ》あんすがね、わしは往來《いきゝ》なしでさ、同胞《きやうでえ》だたあ思《おも》はねえからつてわし斷《ことわ》つたんでがすから、わし等《ら》嚊《かゝあ》死《し》んだ時《とき》だつて來《き》もしねえんですかんね、お内儀《かみ》さんさうえ者《もな》あ有《あ》りあんすめえね」
「さうだつけかね」
「わしや、※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1−85−57]のつくり」、153−11]《あね》にや到頭《たうとう》小作《こさく》に持《も》つてくべと思《おも》つてたの一|俵《ぺう》ぺてんに掛《か》けられたことあんですから、自分《じぶん》のが始末《しまつ》すれば直《すぐ》返《けえ》すからつて持《も》つて行《い》つてそれつ切《き》りなんでさ、わし等《ら》嚊《かゝあ》生《い》きてる頃《ころ》なもんだから、嚊《かゝあ》とろつぴ催促《せえそく》に行《い》き/\したんだが、無《な》くつちや遣《や》らんねえからつて喧嘩《けんくわ》吹《ふ》つ掛《かけ》るつちんだから嚊《かゝあ》も忌々敷《えめえがし》がつて居《ゐ》たが先《さき》が不法《ふはふ》なんだから駄目《だめ》でさね、それ處《どこ》ぢやねえ、盲目《めくら》に成《な》つた自分《じぶん》の餓鬼《がき》の錢《ぜに》せえ騙《だま》して叩《はた》くんだから」
「盲目《めくら》といふのはどうしたんだねそれは」
「野田《のだ》へ醤油屋奉公《しやうゆやばうこう》に行《い》つてゝ餘《あんま》り飯《めし》食《く》ひ過《す》ぎたの原因《もと》で眼《め》へ出《で》たなんていふんですが、廿位《はたちぐれえ》で潰《つぶ》れつちやつたんでさ、さうしたらそれ打棄《うつちや》つて夜遁《よに》げ見《み》てえせまるで、自分《じぶん》の村落《むら》にだつて居《ゐ》らんなく成《な》つたんでがすから」
「さういふことがねえ、能《よ》く出來《でき》たもんだね、自分《じぶん》の本當《ほんたう》の子《こ》をねえまあ、おつたは酷《ひど》いといふことは聞《き》いちや居《ゐ》たがねえ」内儀《かみ》さんは驚《おどろ》いた容子《ようす》でいつた。
「そんだがお内儀《かみ》さん其《その》盲目《めぐら》奇態《きたえ》で、麥搗《むぎつき》でも米搗《こめつき》でも畑耕《はたけうねえ》でも何《なん》でも百姓仕事《ひやくしやうしごと》は行《や》んでさ、薄《うす》ら明《あか》りにや見《め》えんだなんていふんだがそんでも奇態《きたえ》なのせどうも、そんで極《ご》く堅《か》てえもんだから他人《ひと》にも面倒《めんどう》見《み》られて其《そ》の位《くれえ》だから錢《ぜに》も持《も》つてんでさ、さうしたら何處《どこ》で聞《き》いたか來《き》て騙《だま》して連《つ》れてつてね、えゝわしら等《ら》※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1−85−57]のつくり」、154−10]《あね》せお内儀《かみ》さん」彼《かれ》は目《め》を峙《そばだ》てた。
「盲目《めくら》も有繋《まさか》お袋《ふくろ》だから畸形《かたわ》に成《な》つちや他人《ひと》の處《とこ》なんぞよりやえゝと思《おも》つたんでがせうね、さうしたらお内儀《かみ》さん盲目《めくら》が錢《ぜに》叩《はた》いつちやつたら又《また》打棄《うつちや》つて、聞《き》いて見《み》ちや酷《ひ》でえ噺《はなし》なのせ本當《ほんたう》に、そん時《とき》にや盲目《めくら》もわしが處《とこ》へ泣《な》きついて來《き》て、わしもはあ、二十先《はたちさき》にも成《な》つて幾《いく》らなんだつて騙《だま》さつるなんて盲目《めくら》ことも忌々敷《えめえましい》やうでがしたが、わしも其《そ》ん時《とき》や嚊《かゝあ》に死《し》なれた當座《たうざ》なもんだからさう薄情《はくじやう》なことも出來《でき》ねえと思《おも》つて、そんでも一|晩《ばん》泊《と》めて、わしも困《こま》つちや居《ゐ》たが※[#「穀」の「禾」に代えて「釆」、154−15]《こく》もちつたあ遣《や》つたのせ、わしやお内儀《かみ》さん嚊《かゝあ》おつ殺《ころ》してからつちものは乞食《こじき》げだつて手攫《てづか》みで物《もの》出《だ》したこたあねえんでがすかんね、そらおつうげもはあ斷《ことわ》つて置《お》くんでがすから、わしやお内儀《かみ》さん其《そ》れ丈《だけ》は心掛《こゝろがけ》てんでがすよ」勘次《かんじ》は内儀《かみ》さんの心裡《こゝろ》に伏在《ふくざい》して居《ゐ》る何物《なにもの》かを求《もと》めるやうな態度《たいど》でいつた。
「さうだともさね、さういふ心掛《こゝろがけ》で居《ゐ》さへすりや決《けつ》して間違《まちがひ》はないからね」内儀《かみ》さんはいつて更《さら》に以前《いぜん》からの噺《はなし》に幾《いく》らか釣《つ》り込《こ》まれて居《ゐ》るやうで
「そりやさうと其《その》盲目《めくら》はどうしたね」
「村落《むら》に居《ゐ》あんさ、何處《どこ》つちつたつて行《ゆ》き場所《ばしよ》はねえんですから、なあに獨《ひと》りでせえありや却《けえ》つて懷《ふところ》はえゝんでがすから」
「それはまあ、おつたはさうとしても、それがさ、彦次《ひこじ》はどうしたんだね、私《わたし》もおつたのことは暫《しばら》く前《まへ》に見《み》たつ切《きり》だが」
「お内儀《かみ》さん、夫婦《ふうふ》揃《そろ》つてなくつちや行《や》れるもんぢやありあんせんぞ、親爺《おやぢ》だつてお内儀《かみ》さん自分《じぶん》の女《あま》つ子《こ》女郎《ぢよらう》に賣《う》つて百五十|兩《りやう》とかだつていひあんしたつけがそれ歸《けえ》りに軍鷄喧嘩《しやもげんくわ》へ引《ひ》つ掛《かゝ》つて、七十|兩《りやう》も奪《と》られて來《き》たつちんでがすから噺《はなし》にや成《な》んねえですよ、そつからわしや※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1−85−57]のつくり」、155−13]等夫婦《あねらふうふ》のこたあ大嫌《だえきれえ》なんでさあ」
「本當《ほんたう》とは思《おも》へないやうなことだね」
「お内儀《かみ》さん本當《ほんたう》ですともね、わしあ嘘《ちく》なんざお[#「お」に「ママ」の注記]内儀《かみ》げいひあんせんから」
「そりや本當《ほんたう》にや相違《さうゐ》ないだらうがね」
「そんだがお内儀《かみ》さん、其《その》女《あま》つ子《こ》も直《すぐ》遁《に》げて來《き》つちめえあんしたね、今《いま》ぢや何《なん》とか云《い》つて厭《や》だら構《かま》あねえ相《さう》でがすね」
「私《わたし》もそんなことは知《し》らないが、新聞《しんぶん》で騷《さわ》ぎはあつたやうだつけね」内儀《かみ》さんは何處《どこ》かさういふ噺《はなし》には氣《き》が乘《のら》ぬやうで
「おつたも見《み》た處《ところ》ぢや體裁《ていさい》がよくてね」
「さうなんでさ、うまいもんだからわしも到頭《たうとう》米《こめ》一|俵《ぺう》損《そん》させられちやつて」勘次《かんじ》はそれをいふ度《たび》に惜《を》し相《さう》な容子《ようす》が見《み》えるのである。
「さういつちやお前《まへ》の※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1−85−57]のつくり」、156−10]《あね》のこと惡《わる》くばかりいふやうだが、舅《しうと》が鬼怒川《きぬがは》へ落《お》ちて死《し》んだなんて大騷《おほさわ》ぎしたことが有《あ》つたつけねえ」
「さうでさ、餘《よ》つ程《ぽど》に成《な》りあんすがね、ありや鬼怒川《きぬがは》へ蚤《のみ》叩《はた》くつて行《い》つてそれつ切《き》りに成《な》つちやつたのせ」
「彦次《ひこじ》は實子《じつし》なんだね」
「えゝ、暫《しばら》く目《め》が不自由《ふじいう》で別《べつ》に小《ちひ》さく作《つく》つて隱居《いんきよ》してたんですが、蚤《のみ》は居《ゐ》た容子《ようす》なんでがすね、一|度《ど》なんざあ畑《はたけ》の側《そば》で叩《たて》えたら其處《そこ》ら通《とほ》つた人《ひと》みんなぞよ/\偃《は》ひ上《あが》られて酷《ひ》でえ目《め》に逢《あ》つたちんですから、そんで其處《そこ》らで叩《たて》えちや仕《し》やうねえからなんて云《い》はれたんでがせうね、それから何《なん》でも蓙《ござ》持《も》つて鬼怒川《きぬがは》さ行《ゆ》く積《つもり》に成《な》つたんでがすね、鬼怒川《きぬがは》までは有繋《まさが》餘《よ》つ程《ぽど》ありあんさね、足《あし》もとが本當《ほんたう》ぢやねえからずんぶらのめつちやつたもんでさ、本當《ほんたう》に飽氣《あつけ》ねえ噺《はなし》で、それお内儀《かみ》さんわし等《ら》※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1−85−57]のつくり」、157−5]《あね》は他人《ひと》が死骸《しげえ》見付《めつ》けて大騷《おほさわ》ぎして知《し》らせに來《き》たら、直《すぐ》はあ死人《しにん》の衣物《きもの》から始末《しまつ》して掛《かゝ》つたつちんですから」
「自分《じぶん》で取《と》つて畢《しま》ふ積《つもり》なんだね」
「兄弟等《きやうでえら》げ分《わ》けてなんざあ遣《や》んねえ積《つむり》なんでさね」
「衣物《きもの》だつて幾《いく》らも無《な》いんだらうがね、それにまあどうして川《かは》へなんて其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《そんな》遠《とほ》くへ蓙《ござ》ばかり持《も》つてね、行《ゆ》くうちにや居《ゐ》た蚤《のみ》もみんな飛《と》んで了《しま》ふだらうがね、まあさういのも運《めぐ》り合《あは》せだね」
「はあ耄碌《まうろく》してたんでがすから、餘《あん》まり耄碌《まうろく》しちや厭《や》がら
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