く》れた。内儀《かみ》さんは傭人《やとひにん》の口《くち》を堅《かた》く警《いまし》めて外《そと》へ洩《も》れないやうと苦心《くしん》をした。其《そ》の日《ひ》も巡査《じゆんさ》は勘次《かんじ》の家《いへ》のあたりを徘徊《はいくわい》したがそれでも其《そ》の東隣《ひがしどなり》の門《もん》を叩《たゝ》いて穿鑿《せんさく》するまでには至《いた》らなかつた。内儀《かみ》さんは什※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《どんな》にしても救《すく》つて遣《や》りたいと思《おも》ひ出《だ》したら其處《そこ》に障害《しやうがい》が起《おこ》れば却《かへつ》てそれを破《やぶ》らうと種々《しゆじゆ》に工夫《くふう》も凝《こら》して見《み》るのであつた。それで被害者《ひがいしや》の方《はう》の噺《はなし》も極《きま》つたのだから此《こ》の上《うへ》は警察《けいさつ》の手加減《てかげん》に俟《ま》つより外《ほか》に道《みち》は無《な》いのであるが、不在《ふざい》であつた主人《しゆじん》は其《そ》の日《ひ》も歸《かへ》らない。勘次《かんじ》は只管《ひたすら》に主人《しゆじん》の力《ちから》に倚《よ》つてのみ救《すく》はれるものと念《ねん》じて居《ゐ》る。内儀《かみ》さんも主人《しゆじん》を待《ま》ちあぐんで居《ゐ》る。さうして復《また》夜《よる》が來《き》た。内儀《かみ》さんはもう凝然《ぢつ》としては居《ゐ》られない。それでおつぎを連《つ》れて、提灯《ちやうちん》を點《つ》けて竊《ひそか》に土藏《どざう》の二|階《かい》へ昇《のぼ》つた。
「おとつゝあ」おつぎは聲《こゑ》を殺《ころ》しながら力《ちから》を入《い》れていつた。勘次《かんじ》は返辭《へんじ》がない。おつぎは更《さら》に幾度《いくたび》か喚《よ》んでそれからお内儀《かみ》さんが喚《よ》んだ時《とき》汚《よご》れた身體《からだ》を桶《をけ》の中《なか》から現《あら》はした。
「旦那《だんな》がまだ歸《かへ》らないのでね、警察《けいさつ》の方《はう》の噺《はなし》が出來《でき》ないで困《こま》つて居《ゐ》るんだが、どうだねお前《まへ》警察《けいさつ》へ出《で》ても盜《と》らないといひ切《き》れるかね、さうすりや私《わたし》が始末《しまつ》をして遣《や》るがね」内儀《かみ》さんはいつて聞《き》かせた。
「へえ」勘次《かんじ》は只《たゞ》首《くび》を俛《た》れて居《ゐ》る。
「どうだね」内儀《かみ》さんは反覆《くりかへ》した。
「わしがにや、とつても持《も》ち切《き》れあんせん」勘次《かんじ》は萎《しを》れて顫《ふる》へて居《ゐ》る。
「おとつゝあは何《なん》ちんだんべな」おつぎは齒痒相《はがいさう》にいつて一|聲《せい》更《さら》に
「おとつゝあ」と力《ちから》を入《い》れて
「盜《と》らねえつて云《ゆ》へよ、おとつゝあ」
 おつぎは熱心《ねつしん》に勘次《かんじ》を見《み》た。
「そんでも俺《おら》、あすこへ出《で》ちや、とつても白状《はくじやう》しねえ譯《わけ》にや行《ゆ》かねえよ」
「そんな料簡《れうけん》でなく私《わたし》は自分《じぶん》のが伐《き》つたんですつていへば、そんでいゝやうに始末《しまつ》してやるだから」内儀《かみ》さんが力《ちから》を附《つ》けて見《み》ても勘次《かんじ》は只《ただ》首《くび》を俛《た》れて居《ゐ》る。
「さう云《ゆ》へせえすりやえゝつちのになあ、おとつゝあは」おつぎは落膽《がつかり》したやうにいつた。内儀《かみ》さんとおつぎは恁《か》うして熟睡《じゆくすゐ》した身體《からだ》を直立《ちよくりつ》せしめやうと苦心《くしん》する程《ほど》の徒《むだ》な力《ちから》を盡《つく》したのであつた。
 傭人《やとひにん》もすつかり眠《ねむ》りに落《お》ちたと思《おも》ふ頃《ころ》内儀《かみ》さんとおつぎとの黒《くろ》い姿《すがた》が竊《ひそか》に裏《うら》の竹藪《たけやぶ》に動《うご》いた。落《お》ちて居《ゐ》る竹《たけ》の枝《えだ》が足《あし》の下《した》にぽち/\と折《を》れて鳴《な》つた。乾《いぬゐ》の方《はう》の垣根《かきね》の側《そば》へ來《き》た時《とき》に内儀《かみ》さんは、垣根《かきね》の土《つち》に附《つ》いた處《ところ》を力任《ちからまか》せにぼり/\と破《やぶ》つた。おつぎも兩手《りやうて》を掛《か》けて破《やぶ》つた。幾年《いくねん》となしに隙間《すきま》を生《しやう》ずれば小笹《をざさ》を繼《つ》ぎ足《た》し/\しつゝあつた竹《たけ》の垣根《かきね》は、土《つち》の處《ところ》がどす/\に朽《く》ちて居《ゐ》るので直《すぐ》に大《おほ》きな穴《あな》が明《あ》いた。おつぎは其處《そこ》から潜《くぐ》つて出《で》た。突然《とつぜん》ぱた/\とけたゝましい羽音《はおと》が直《すぐ》頭《あたま》の上《うへ》で騷《さわ》いだ。竹《たけ》の梢《こずゑ》に泊《とま》つて居《ゐ》た鳩《はと》が俄《にはか》に驚《おどろ》いて遠《とほ》く逃《に》げたのである。
「さむしかないかい」内儀《かみ》さんは垣根越《かきねご》しに聞《き》いた。
「大丈夫《だいぢやうぶ》ですよ、お内儀《かみ》さん」おつぎは少《すこ》し歩《ある》き掛《か》けていつた。
「おやもうそつちの方《はう》へ行《い》つたのかい、それぢや彼處《あすこ》を叩《たゝ》くんだよ」内儀《かみ》さんはいつて分《わか》れた。おつぎは直《すぐ》に自分《じぶん》の裏戸口《うらどぐち》に立《た》つた。そつと開《あ》けて這入《はひ》つて見《み》ると、自分《じぶん》の家《うち》ながらおつぎはひやりとした。塒《とや》の鷄《にはとり》は闇《くら》い中《なか》で凝然《ぢつ》として居《ゐ》ながらくゝうと細《ほそ》い長《なが》い妙《めう》な聲《こゑ》を出《だ》した。鼠《ねずみ》が二三|匹《びき》がた/\と騷《さわ》いで、何《なに》かで壓《おさ》へつけられたかと思《おも》ふやうにちう/\と苦《くる》しげな聲《こゑ》を立《たて》て鳴《な》いた。おつぎは手探《てさぐ》りに壁際《かべぎは》の草刈鎌《くさかりがま》を執《と》つた。又《また》そつと戸《と》を閉《た》てゝ出《で》る時《とき》頸筋《くびすぢ》の髮《かみ》の毛《け》をこそつぱい手《て》で一攫《ひとつか》みにされるやうに感《かん》じた。おつぎは外《そと》の壁際《かべぎは》の草刈籠《くさかりかご》を脊負《せお》つた。どうした機會《はずみ》であつたか此《これ》も壁際《かべぎは》に立《た》て掛《か》けた竹箒《たけばうき》が倒《たふ》れて柄《え》がかちつと草刈籠《くさかりかご》を打《う》つた。おつぎはひよつと顧《かへり》みた。
 夜《よる》は闇《やみ》である。凄《すご》く冴《さ》えた空《そら》へぞつくりと立《た》つた隣《となり》の森《もり》の梢《こずゑ》にくつゝいて天《あま》の川《がは》が低《ひく》く西《にし》へ傾《かたぶ》きつゝ流《なが》れて居《ゐ》る。
 暫《しばら》くしておつぎは自分等《じぶんら》の手《て》で作《つく》つた蜀黍《もろこし》の側《そば》に立《た》つた。痩《や》せた蜀黍《もろこし》は眠《ねむ》つたかと思《おも》ふやうにしつとりとして居《ゐ》ては、軈《やが》てざわ/\と鳴《な》つた。おつぎは草刈鎌《くさかりがま》でざくり/\と其《そ》の穗《ほ》を伐《き》つた。さうしてぎつと押《お》し込《こ》んで重《おも》く成《な》つた草刈籠《くさかりかご》を脊負《せお》つた。其處《そこ》らの畑《はたけ》には土《つち》が眼《め》を開《ひら》いたやうに處々《ところ/″\》ぽつり/\と秋蕎麥《あきそば》の花《はな》が白《しろ》く見《み》えて居《ゐ》る。おつぎは足速《あしばや》に臺地《だいち》の畑《はたけ》から蜀黍《もろこし》の葉《は》のざわつく小徑《こみち》を低地《ていち》の畑《はたけ》へおりて漸《やうや》くのことで鬼怒川《きぬがは》の土手《どて》へ出《で》た。おつぎは四《よ》つ偃《ばひ》に成《な》つて芝《しば》に捉《つかま》りながら登《のぼ》つた。其《そ》の時《とき》おつぎの心《こゝろ》には斜《なゝめ》に土手《どて》の中腹《ちうふく》へつけられた小徑《こみち》を見出《みいだ》して居《ゐ》る程《ほど》の餘裕《よゆう》がなかつたのである。土手《どて》の内側《うちがは》は水際《みづぎは》から篠《しの》が一|杯《ぱい》に繁茂《はんも》して夜目《よめ》にはそれがごつしやりと自分《じぶん》を壓《あつ》して見《み》える。篠《しの》の間《あひだ》から水《みづ》がしら/\と見《み》えて、篠《しの》の根《ね》を洗《あら》つて行《ゆ》く水《みづ》の響《ひゞき》がちろ/\と耳《みゝ》に近《ちか》く聞《きこ》える。おつぎは汀《みぎは》へおりようと思《おも》つて篠《しの》を分《わ》けて見《み》ると其處《そこ》は崖《がけ》に成《な》つて居《ゐ》て爪先《つまさき》から落《お》ちた小《ちひ》さな土《つち》の塊《かたまり》がぽち/\と水《みづ》に鳴《な》つた。おつぎは更《さら》に篠《しの》を分《わ》けておりようとすると、其處《そこ》も崖《がけ》で目《め》の前《まへ》にひよつこりと高瀬船《たかせぶね》の帆柱《ほばしら》が闇《やみ》を衝《つ》いて立《たつ》て居《ゐ》る。水《みづ》に近《ちか》くこそ/\と人《ひと》の噺聲《はなしごゑ》が聞《きこ》える。黄昏《たそがれ》に漸《やうや》く其處《そこ》へ繋《かゝ》つた高瀬船《たかせぶね》が、其處《そこ》らで食料《しよくれう》を求《もと》め歩《ある》いて遲《おそ》く晩餐《ばんさん》を濟《すま》してまだ眠《ねむ》らずに居《ゐ》たのであつたらう。それは高瀬船《たかせぶね》の船頭夫婦《せんどうふうふ》が、足《た》りても足《た》りなくても自分《じぶん》の家族《かぞく》の唯一《ゆゐいつ》の住居《すまゐ》である其《そ》の舳《へさき》に造《つく》られた箱《はこ》のやうな狹《せば》いせえじの中《なか》で噺《はな》して居《ゐ》る聲《こゑ》であつた。乳呑兒《ちのみご》の泣《な》く聲《こゑ》も交《まじ》つて聞《きこ》えた。おつぎは後《あと》へ退去《すさ》つた。おつぎは殆《ほと》んど無意識《むいしき》に土手《どて》を南《みなみ》へ走《はし》つた。處々《ところ/″\》誰《だれ》かゞ道芝《みちしば》の葉《は》を縛《しば》り合《あは》せて置《お》いたので、おつぎは幾度《いくたび》かそれへ爪先《つまさき》を引《ひ》つ掛《か》けて蹶《つまづ》いた。
 土手《どて》の篠《しの》は段々《だん/\》に疎《まば》らに成《な》つて水《みづ》が一|杯《ぱい》に見《み》えて來《き》た。鬼怒川《きぬがは》の水《みづ》は土手《どて》より遙《はるか》に低《ひく》く闇《やみ》の底《そこ》にしら/\と薄《うす》く光《ひか》つて居《ゐ》る。夜《よる》の手《て》は對岸《たいがん》の松林《まつばやし》の陰翳《かげ》を其《そ》の水《みづ》に投《な》げて、川幅《かわはゞ》は僅《わづか》に半分《はんぶん》に蹙《せば》められて見《み》える。蟋蟀《こほろぎ》は其處《そこ》らあたり一|杯《ぱい》に鳴《な》きしきつて、其《そ》の聚《あつま》つた聲《こゑ》は空《そら》にまで響《ひゞ》かうとしては沈《しづ》みつゝ/\、それがゆつたりと大《おほ》きな波動《はどう》の如《ごと》く自然《しぜん》に抑揚《よくやう》を成《な》しつゝある。おつぎは到頭《たうとう》渡船場《とせんば》まで來《き》た。おつぎはそれから水際《みづぎは》へおりようとすると水《みづ》を渡《わた》つて靜《しづ》かに然《しか》も近《ちか》く人《ひと》の聲《こゑ》がして、時々《ときどき》しやぶつといふ響《ひゞき》が水《みづ》に起《おこ》る。不審《ふしん》に思《おも》つて躊躇《ちうちよ》して居《ゐ》ると突然《とつぜん》目《め》の前《まへ》に對岸《たいがん》の松林《まつばやし》の陰翳《かげ》から白《しろ》く光《ひか》つて居《ゐ》る水《みづ》の上《うへ》へ舳《へさき》が出
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