「お内儀《かみ》さん、わしも又《また》間違《まちがえ》しあんしてどうも此《こ》れお内儀《かみ》さん處《とこ》へは閾《しきゐ》が高《たか》くつて何《なん》でがすが、わし居《ゐ》なくでも成《な》つちや子奴等《こめら》仕《し》やうがあせんから、助《たす》かれるもんならわしもはあ……」と彼《かれ》はぐつたり首《くび》を俛《た》れた。
 主人《しゆじん》の内儀《かみ》さんは勘次《かんじ》が蜀黍《もろこし》を伐《き》つたことはもう知《し》つて居《ゐ》た。まだ癖《くせ》が止《や》まないかと一|度《ど》は腹《はら》を立《たて》ても見《み》たり惘《あき》れもしたりしたが、然《しか》し何處《どこ》といつて庇護《かば》つてくれるものが無《な》いので恁《か》うして來《く》るのだと、目前《もくぜん》に其《その》萎《しを》れた姿《すがた》を見《み》ると有繋《さすが》に憐《あはれ》に成《な》つて叱《しか》る處《どころ》ではなかつた。それではどうか心配《しんぱい》して見《み》てやらうといはれて勘次《かんじ》は顏《かほ》が蘇生《いきかへ》つたやうに成《な》つた。彼《かれ》は何《なん》でも主人《しゆじん》が盡力《じんりよく》して呉《く》れゝば成就《じやうじゆ》すると思《おも》つて居《ゐ》るのである。それでも自分《じぶん》の家《いへ》には居《を》られないので、どうか隱《かく》してくれと彼《かれ》は土藏《どざう》へ入《い》れて貰《もら》つた。勘次《かんじ》は其處《そこ》でも不安《ふあん》に堪《た》へないので其處《そこ》に暫《しばら》く使《つか》はずに藏《しま》つてある四|尺桶《しやくをけ》へこつそりと潜《もぐ》つて居《ゐ》た。
 巡査《じゆんさ》は午後《ごご》に申報書《しんぱうしよ》の印《いん》を取《と》りに來《き》て勘次《かんじ》の家《いへ》へ行《い》つて見《み》た。勘次《かんじ》は何處《どこ》へ行《い》つたと巡査《じゆんさ》に聞《き》かれておつぎは只《たゞ》知《し》らないといつた。さうして巡査《じゆんさ》の後姿《うしろすがた》が垣根《かきね》を出《で》た時《とき》竊《ひそか》に泣《な》いた。
 被害者《ひがいしや》は到頭《たう/\》隱匿《いんとく》した箇處《かしよ》を發見《はつけん》して巡査《じゆんさ》を導《みちび》いた。雜木林《ざふきばやし》の繁茂《はんも》した間《あひだ》の、もう硬《こは》く成《な》つた草《くさ》の中《なか》へ蜀黍《もろこし》の穗《ほ》は縛《しば》つた儘《まゝ》どさりと置《お》いてあつたのである。其處《そこ》にはもうそつけなくなつた女郎花《をみなへし》の莖《くき》がけろりと立《た》つて、枝《えだ》まで折《を》られた栗《くり》が低《ひく》いながらに梢《こずゑ》の方《はう》にだけは僅《わづか》に笑《ゑ》んで居《ゐ》る。其《そ》の小《ちひ》さな芝栗《しばぐり》が偶然《ひよつくり》落《お》ちてさへ驚《おどろ》いて騷《さわ》ぐだらうと思《おも》ふやうに薄弱《はくじやく》な蟋蟀《こほろぎ》がそつちこつちで微《かす》かに鳴《な》いて居《ゐ》る。一寸《ちよつと》他人《ひと》の目《め》には觸《ふ》れぬ場所《ばしよ》であつた。穗《ほ》を掩《おほ》うた其《そ》の筵《むしろ》が勘次《かんじ》の所業《しわざ》であることを的確《てきかく》に證據立《しようこだ》てゝ居《ゐ》た。
 主人《しゆじん》の内儀《かみ》さんは一|應《おう》被害者《ひがいしや》へ噺《はなし》をつけて見《み》た。被害者《ひがいしや》の家族《かぞく》は律義者《りちぎもの》で皆《みな》激《げき》し切《き》つて居《ゐ》る。七十ばかりに成《な》る被害者《ひがいしや》の老人《ぢいさん》が殊《こと》に頑固《ぐわんこ》に主張《しゆちやう》した。
「泥棒《どろぼう》なんぞする奴《やざ》あ、わし大嫌《だえきれえ》でがすから、わし等《ら》畑《はたけ》の茄子《なす》引《ひ》ん※[#「てへん+劣」、第3水準1−84−77]《もぎ》つたんだつてちやんと知《し》つちや居《ゐ》んでがすから、いや全《まつた》くでがす、お内儀《かみ》さん處《とこ》の甘藷《さつま》も盜《と》りあんしたとも、ぐうづら蔓《つる》引《ひ》つこ拔《ぬ》いて打棄《うつちや》つて、いや本當《ほんたう》でがす、わしや嘘《ちく》なんざあいふな嫌《きれえ》でがすから、其《そ》れ處《どこ》ぢやがあせんお内儀《かみ》さん、夜《よる》伐《き》つて來《き》て、朝《あさ》つぱらに成《な》つたらはあ引《ひ》つ懸《か》けたに相違《さうゐ》ねえつちんでがすから、なにわしも筵《むしろ》打《ぶ》つ掛《か》けた處《ところ》見《み》あんした、筵《むしろ》で分《わか》るから駄目《だめ》でがす、いや全《まつた》く酷《ひで》え野郎《やらう》でがすどうも」内儀《かみ》さんは其《そ》れは豫期《よき》して居《ゐ》た。
「そりやさうさね、此《こ》の前《まへ》も私《わたし》の處《ところ》で救《すく》つて遣《や》つたのにそれに復《ま》たかうなんだから、まあ病氣《びやうき》さね此《これ》も、困《こま》つたもんだが然《しか》しあれを懲役《ちやうえき》に遣《や》つて見《み》た處《ところ》で子供等《こどもら》が泣《な》くばかりだからね、それにまあ本當《ほんたう》いへば一《ひと》つ村落《むら》に斯《か》うして居《ゐ》るんだから先《さき》が困《こま》り切《き》つてる内《うち》に勘辨《かんべん》して遣《や》つたと成《な》ると一|生《しやう》先《さき》は身《み》がひけて居《ゐ》る道理《だうり》だがそれが一|杯《ぱい》の罪《つみ》にでも落《おと》して見《み》ると、先《さき》では帳消《ちやうけ》しにでも成《な》つたやうな積《つもり》で居《ゐ》まいものでもなし、さうすると敵《かたき》一人《ひとり》拵《こしら》へて置《お》くやうなものだしね、他人《ひと》に叩《たゝ》かれたのでは眠《ねむ》れるが、叩《たゝ》いたのでは眠《ねむ》れないとさへいふんだから、何《なん》でも後腹《あとばら》の病《や》めない方《はう》が善《い》いやうだがどうだね」
「そんでもお内儀《かみ》さん、わしや卯平《うへい》ことみじめ見《み》せてんのが他人《ひと》のこつても忌々敷《いめえましい》んでさ、わしや血氣《けつき》の頃《ころ》から卯平《うへい》たあ棒組《ぼうぐみ》で仕事《しごと》もしたんでがすが、卯平《うへい》はあんでもあれが嚊等《かゝあら》育《そだ》つ時分《じぶん》の事《こと》なんぞ思《おも》つちや疎末《そまつ》にや成《な》んねえんでがすかんね、それお内儀《かみ》さん卯平《うへい》は幾《いく》つに成《な》りあんすね、わし等《ら》だらなあに、あゝた野郎《やらう》なんざあ槍《やり》でゝも何《なん》でも突《つ》つ刺《ぷ》しつちあんでがすがね」老人《ぢいさん》は憤慨《ふんがい》に堪《た》へぬやうに固《かた》めた拳《こぶし》を膝《ひざ》がしらへ當《あ》てゝいつた。
「尤《もつと》もさねそりや、それだが腹《はら》の立《た》つ時分《じぶん》は憎《にく》い奴《やつ》だと思《おも》つても後悔《こうくわい》する時《とき》が無《な》いともい[#「い」に「ママ」の注記]ひないしね、少《すこ》しのことで二|代《だい》も三|代《だい》も仲直《なかなほ》りが出來《でき》ないやうな實例《ためし》が幾《いく》らも世間《せけん》には有《あ》るもんだからね」内儀《かみ》さんは反覆《くりかへ》していつた。然《しか》し容易《ようい》に彼等《かれら》の心《こゝろ》は落居《おちゐ》ない。暫《しばら》く噺《はなし》は途切《とぎれ》て居《ゐ》た。
「遠《とほ》くの方《はう》へ遣《や》つたなんていつたつけがおりせは又《また》孫《まご》が出來《でき》た相《さう》だね、今度《こんど》のは男《をとこ》だつてそれでも善《よ》かつたねえ」
 内儀《かみ》さんは側《そば》に居《ゐ》た老母《ばあさん》へ向《む》いて突然《とつぜん》恁《か》ういひ掛《か》けた。さうして内儀《かみ》さんは冷《つめ》たく成《な》つて居《ゐ》た茶碗《ちやわん》を手《て》にした。其《そ》れを見《み》て被害者《ひがいしや》の女房《にようばう》は土間《どま》へ駈《か》けおりて竈《かまど》の口《くち》へ火《ひ》を點《つ》けてふう/\と火吹竹《ひふきだけ》を吹《ふ》いた。
「はあいさうでござりますよ、お内儀《かみ》さんの厄介《やつけえ》に成《な》りあんしたつけが、あれも今《いま》ぢや大層《たえそう》えゝ鹽梅《あんべい》でがしてない、四人目《よつたりめ》漸《やつ》とそんでも男《をとこ》でがすよ、お内儀《かみ》さんに云《や》あれた時《とき》にやわし等《ら》もはあ澁《しび》れえて居《ゐ》たんでがしたが、身上《しんしやう》もあん時《とき》かんぢやよくなるしね、兄弟中《きやうでえぢう》で今《いま》ぢやりせが一|番《ばん》だつて云《ゆ》つてつ處《とこ》なのせ、お内儀《かみ》さんあれなら大丈夫《でえぢよぶ》だからつて云《ゆつ》て呉《く》れあんしたつけが婿《むこ》も心底《しんてい》が善《よ》くつてね、爺婆《ぢゝばゝあ》げつて、わし等《ら》げ斯《か》うた物《もの》遣《よこ》しあんしたよ」老母《ばあさん》は待《ま》ち構《かま》へてゞも居《ゐ》たやうに小風呂敷《こぶろしき》の包《つゝみ》を解《と》いて手織《ており》のやうに見《み》える疎末《そまつ》な反物《たんもの》を出《だ》して手柄相《てがらさう》に見《み》せた。内儀《かみ》さんは仕方《しかた》ないといふ容子《ようす》で反物《たんもの》へ手《て》を掛《か》けて
「それでも孫《まご》抱《だ》きには行《い》つたかね」
「ほんに、わしや今日《けふ》らお内儀《かみ》さん處《とこ》さ行《え》くべと思《おも》つて居《ゐ》たら、何《なん》ちこつたか恁《こ》んな騷《さわ》ぎではあ行《い》くも出來《でき》ねえで、わしや昨日《きのふ》歸《けえ》つて來《き》た處《ところ》なのせえ、お内儀《かみ》さん」老母《ばあさん》は幾《いく》らでも勢《いきほ》ひづいて饒舌《しやべ》らうとする。熱《あつ》い茶《ちや》が漸《やうや》く内儀《かみ》さんの前《まへ》に汲《く》まれた。被害者《ひがいしや》は老父《ぢいさん》と座敷《ざしき》の隅《すみ》で先刻《さつき》からこそ/\と噺《はなし》をして居《ゐ》る。さうして更《さら》に老母《ばあさん》を喚《よ》んだ。
「うむ、さうだともよ」といふ老母《ばあさん》の聲《こゑ》がすると皆《みな》坐《ざ》に直《なほ》つて
「それぢや、お内儀《かみ》さん、先刻《さつき》のがなお内儀《かみ》さんえゝやうに行《や》つて見《み》ておくんなせえ」被害者《ひがいしや》はいつた。
「わしや、一剋者《いつこくもの》だからお内儀《かみ》さん惡《わる》く思《おも》はねえでおくんなせえ」老父《ぢいさん》もいつた。
「どうぞねえお内儀《かみ》さん」老母《ばあさん》もいつた。内儀《かみ》さんはそれから又《また》暫《しばら》く雜談《ざふだん》をして皆《みんな》で笑《わら》つて歸《かへ》つた。腹《はら》に在《あ》るだけのことをいはして畢《しま》へば彼等《かれら》はそれだけ心《こゝろ》が晴々《せいせい》として勢《いきほひ》が段々《だん/\》鈍《にぶ》つて來《く》るので、其《その》間《あひだ》は機嫌《きげん》もとつて見《み》て、さうして極《きま》り切《き》つた理窟《りくつ》も反覆《はんぷく》して聞《き》かせて居《ゐ》るうちにはころりと落《お》ちて畢《しま》ふといふ其《そ》の呼吸《こきふ》を内儀《かみ》さんは能《よ》く知《し》つて居《ゐ》るのである。
 其《そ》の夜《よ》おつぎは内儀《かみ》さんに喚《よ》ばれて隣《となり》へ泊《とま》つた。内儀《かみ》さんはおつぎと與吉《よきち》を只《たゞ》二人《ふたり》其《そ》の家《いへ》に置《お》くには忍《しの》びなかつたのである。夜《よ》になつてから勘次《かんじ》は土藏《どざう》から出《だ》されて傭人《やとひにん》の側《そば》に一|夜《や》を明《あか》した。彼《かれ》は未明《みめい》に復《また》土藏《どざう》へ隱《か
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