ゝ》いで其《そ》のぼろ/\な麥飯《むぎめし》を掻《か》き込《こ》む時《とき》彼等《かれら》の一人《ひとり》でも咀嚼《そしやく》するものはない。彼等《かれら》は只《たゞ》多量《たりやう》に嚥下《えんげ》することによつて其《そ》の精力《せいりよく》を恢復《くわいふく》し滿足《まんぞく》するのである。牛《うし》や馬《うま》でも地上《ちじやう》に軟《やはら》かな草《くさ》の繁茂《はんも》する季節《きせつ》が來《く》れば自然《しぜん》に乾草《ほしぐさ》や藁《わら》を厭《いと》ふやうになる。それが貧《まづ》しい生活《せいくわつ》の人人《ひと/″\》のみは恁《か》うして甘《あま》んじて居《ゐ》ることを餘儀《よぎ》なくされつゝあるのである。
然《しか》し孰《いづ》れも發汗《はつかん》に伴《ともな》うて渇《かつ》した口《くち》に爽《さわや》かな蔬菜《そさい》の味《あぢ》を欲《ほつ》しないものはない。貧苦《ひんく》に惱《なや》んでさうして其《そ》の蔬菜《そさい》の缺乏《けつばふ》を感《かん》じて居《ゐ》るものは勘次《かんじ》のみではない。さういふ伴侶《なかま》の殊《こと》に女《をんな》は人目《ひとめ》の少《すくな》い黄昏《たそがれ》の小徑《こみち》につやゝかな青物《あをもの》を見《み》ると遂《つひ》した料簡《れうけん》からそれを拗切《ちぎ》つて前垂《まへだれ》に隱《かく》して來《く》ることがある。畑《はたけ》の作主《さくぬし》が其《その》損失《そんしつ》以外《いぐわい》にそれを惜《をし》む心《こゝろ》から蔭《かげ》で勢《いきほ》ひ激《はげ》しく怒《おこ》らうともそれは顧《かへり》みる暇《いとま》を有《も》たない。勘次《かんじ》の痩《や》せた茄子畑《なすばたけ》もさうして襲《おそ》はれた。其《そ》の莖《くき》を痛《いた》めても構《かま》はぬ拗切《ちぎ》りやうを見《み》て失望《しつばう》と憤懣《ふんまん》の情《じやう》とを自然《しぜん》に經驗《けいけん》せざるを得《え》なかつた。然《しか》しながら彼《かれ》はつく/″\と忌々敷《いま/\し》い其《その》心持《こゝろもち》に熟《じゆく》して居《ゐ》ながら自分《じぶん》も亦《また》他《た》の虚《きよ》に乘《じよう》ずることを敢《あへ》てするのであつた。一《ひと》つにはどうで他人《ひと》にも盜《と》られるのだからといふ自暴自棄《やけ》の理窟《りくつ》が心《こゝろ》のうちに捏造《ねつざう》されるのである。一《ひと》つには良心《りやうしん》の苛責《かしやく》を餘所《よそ》にしてさうして又《また》それが何處《どこ》までも發見《はつけん》せられないものであるならば他人《ひと》の物《もの》を盜《と》ることは口腹《こうふく》の慾《よく》を滿足《まんぞく》せしむるには容易《ようい》で且《かつ》輕便《けいべん》な手段《しゆだん》でなければならぬ筈《はず》である。恁《か》ういふ理由《わけ》で比較的《ひかくてき》餘裕《よゆう》のある百姓《ひやくしやう》よりも貧乏《びんばふ》な百姓《ひやくしやう》は十|分《ぶん》早《はや》く然《し》かも數次《しば/″\》其《そ》の新鮮《しんせん》な蔬菜《そさい》を味《あぢあ》ふのである。偶《たま/\》市場《しぢやう》に遠《とほ》く馬《うま》の脊《せ》で運《はこ》ぶ者《もの》は其《そ》の成熟《せいじゆく》の期《き》を早《はや》めたつやゝかな數《かず》が幾《いく》ら有《あ》つても自分《じぶん》の口《くち》には入《い》れない。少《すこ》しづゝでも他《ほか》の必要品《ひつえうひん》を求《もと》める爲《ため》に錢《ぜに》に換《か》へようとするのである。季節《きせつ》が熟《じゆく》さねば收穫《しうくわく》の多量《たりやう》を望《のぞ》むことが出來《でき》ないので、彼等《かれら》が食料《しよくれう》として畑《はたけ》へ手《て》をつけるのは凡《すべ》てが存分《ぞんぶん》の生育《せいいく》を遂《と》げた後《あと》でなければならぬ。其處《そこ》が相互《さうご》に盜《ぬす》むものをして乘《じよう》ぜしめる機會《きくわい》である。
與吉《よきち》は能《よ》く貧乏《びんばふ》な伴侶《なかま》の子《こ》が佳味相《うまさう》に青物《あをもの》を噛《かじ》つて居《ゐ》るのを見《み》ておつぎに強請《せが》むことがあつた。勘次《かんじ》の家《うち》ではどうかすると朝《あさ》に成《な》つて大《おほ》きな南瓜《たうなす》が土間《どま》に轉《ころ》がつて居《ゐ》ることがある。それで庭《には》の南瓜《たうなす》は一《ひと》つも減《へ》つて居《ゐ》ない。
「こらどうしたんでえおとつゝあ」與吉《よきち》は悦《よろこ》んで危《あぶ》な相《さう》に抱《だ》いては聞《き》く。
「弄《いぢ》んぢやねえ」勘次《かんじ》は只《たゞ》恐《おそ》ろしい目《め》をして叱《しか》るやうに抑《おさ》へる。勘次《かんじ》はまだ肌《はだ》の白《しろ》く且《かつ》薄赤味《うすあかみ》を帶《お》びた人形《にんぎやう》の手足《てあし》のやうな甘藷《さつまいも》を飯《めし》へ炊《た》き込《こ》むことがあつた。
「佳味《うめ》えな」とおつぎがいつた時《とき》
「〆粕《しめかす》で作《つく》つからよ」勘次《かんじ》はいつた。
「旦那《だんな》ぢや、〆粕《しめかす》許《ばか》り使《つか》あんだつぺか」おつぎは自分《じぶん》の知《し》らぬ不廉《ふれん》な肥料《ひれう》のことに就《つ》いて聞《き》いた。勘次《かんじ》は氣《き》がついて
「甘藷《さつま》喰《くつ》たなんていふんぢやねえぞ」與吉《よきち》を警《いまし》めた。勘次《かんじ》は彼《かれ》の大豆畑《だいづばたけ》の近《ちか》くに隣《となり》の主人《しゆじん》の甘藷畑《さつまばたけ》とそれから其《そ》の途中《とちう》に南瓜畑《たうなすばたけ》があつたので、他《た》の畑《はたけ》のものよりも自然《しぜん》にそれを盜《と》つた。少《すこ》しづつ盜《と》つた。南瓜《たうなす》は晝間《ひるま》見《み》て置《お》いて夜《よる》になるとそつと蔓《つる》を曳《ひ》いて所在《ありか》を探《さが》すのである。甘藷《さつまいも》は土《つち》を掻《か》つ掃《ぱ》いて探《さが》し掘《ぼ》りにするのは心《こゝろ》が忙《せは》し過《す》ぎるのでぐつと引《ひ》き拔《ぬ》く。彼《かれ》は日中《につちう》甘藷畑《さつまいもばたけ》の側《そば》を過《す》ぎては自分《じぶん》の荒《あら》した趾《あと》を見《み》て心《こゝろ》に酷《ひど》いとは思《おも》ふのであるがそれを埋《うめ》て置《お》くには心《こゝろ》が咎《とが》めた。恁《か》ういふ伴侶《なかま》は千菜荒《せんざいあら》しといふ名稱《めいしよう》の下《もと》に喚《よ》ばれた。
與吉《よきち》は獨《ひとり》で村《むら》を遊《あそ》んで歩《ある》いた。秋《あき》が深《ふ》けて甘藷《さつまいも》が蒸《む》されるやうに成《な》つた。與吉《よきち》は能《よ》くさういふ處《ところ》へ行《い》つては欲《ほ》し相《さう》な顏《かほ》をして默《だま》つて見《み》て居《ゐ》るので何處《どこ》でも熱《あつ》い甘藷《さつまいも》が與《あた》へられるのであつた。或《ある》時《とき》彼《かれ》は
「俺《お》らあ家《うち》で甘藷《さつま》くつたなんてゆはねえんだ」甘藷《さつまいも》を手《て》に持《も》つて怖《お》づ/\いつた。彼《かれ》は只《たゞ》嬉《うれ》しかつたのである。
「何故《なぜ》ゆはねえんだ」與《あた》へた人《ひと》は聞《き》いた。
「何故《なぜ》でもだ」
「そんぢやえゝ、其《その》甘藷《さつま》取《と》つ返《けえ》しつちまあから」と驚《おどろ》かされて
「そんでも俺家《おらぢ》のおとつゝあ甘藷《さつま》喰《く》つたなんてゆふんぢやねえぞつて云《ゆ》つたんだ」與吉《よきち》は媚《こ》びるやうな容子《ようす》でいつた。
「よきら家《へ》の甘藷《さつま》うめえか」
「旦那《だんな》のがはうめえつて云《ゆ》つたんだ」
「おとつゝあ云《ゆつ》たのか※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1−85−57]のつくり」、131−15]《ねえ》云《ゆつ》たのか」
「※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1−85−57]のつくり」、132−1]《ねえ》ぢやねえ、おとつゝあだ」
「おとつゝあは家《うち》で甘藷《さつま》くつて旦那《だんな》のがうめえつちつたのか」
「さうなんだわ」無心《むしん》な與吉《よきち》は誘《さそ》ひ出《だ》されるまゝにいつて畢《しま》つた。然《しか》し相互《さうご》に畑《はたけ》を荒《あら》しては、痩《や》せた骨身《ほねみ》を噛《かじ》り合《あ》うて居《ゐ》るやうな彼等《かれら》の間《あひだ》にこんなことが無《な》ければ殊更《ことさら》に勘次《かんじ》ばかりが注目《ちうもく》されるのではなかつたのである。
一〇
秋《あき》も朝《あさ》は冷《ひやゝ》かに成《な》つた。稻《いね》の穗《ほ》は北《きた》が吹《ふ》けば南《みなみ》へ向《む》いたり、南《みなみ》が吹《ふ》けば北《きた》へ向《む》いたりして其《そ》の重相《おもさう》な首《くび》を止《や》まず動《うご》かしてはさら/\と寂《さび》しく笑《わら》ひはじめた。強《つよ》い秋《あき》の雨《あめ》が一|夜《や》ざあ/\と降《ふ》つた。次《つぎ》の日《ひ》には空《そら》は些《いさゝか》の微粒物《びりふぶつ》も止《とゞ》めないといつたやうに凄《すご》い程《ほど》晴《は》れて、山《やま》も滅切《めつき》り近《ちか》く成《な》つて居《ゐ》た。しつとりと落付《おちつ》いた空氣《くうき》を透《とほ》して、日光《につくわう》が妙《めう》に肌膚《はだ》へ揉《も》み込《こ》むやうに暖《あたゝ》かで且《か》つ暑《あつ》かつた。春《はる》のやうな日《ひ》に騙《だま》されて雲雀《ひばり》は、そつけない三|稜形《りようけい》の種《たね》が膨《ふく》れつゝまだ一|杯《ぱい》に白《しろ》い蕎麥畑《そばばたけ》やそれから陸稻畑《をかぼばたけ》の上《うへ》に囀《さへづ》つた。それでも幾《いく》らか羽《はね》の運動《うんどう》が鈍《にぶ》く成《な》つて居《ゐ》るのか春《はる》のやうではなく低《ひく》く徘徊《さまよ》うて皺嗄《しやが》れた喉《のど》を鳴《な》らして居《ゐ》る。周圍《しうゐ》の臺地《だいち》からは土瓶《どびん》の蓋《ふた》をとつて釣瓶《つるべ》をごつと傾《かたむ》けたやうに雨水《あまみづ》が一|杯《ぱい》に田《た》に聚《あつま》つて稻《いね》の穗首《ほくび》が少《すこ》し浸《ひた》つた。田圃《たんぼ》も堀《ほり》も一《ひと》つに成《な》つた水《みづ》は土瓶《どびん》の口《くち》から吐《は》き出《だ》すやうに徐《おもむろ》に低《ひく》い田《た》へと落《おち》る。村落《むら》の子供等《こどもら》は「三|平《ぺい》ぴいつく/\」と雲雀《ひばり》の鳴聲《なきごゑ》を眞似《まね》しながら、小笊《こざる》を持《も》つたり叉手《さで》を持《も》つたりしてぢやぶ/\と快《こゝろ》よい田圃《たんぼ》の水《みづ》を渉《わた》つて歩《ある》いた。其處《そこ》には又《また》此《こ》れも春《はる》のやうな日《ひ》に騙《だま》されて、疾《とう》から鳴《な》かなく成《な》つて居《ゐ》た蛙《かへる》がふわりと浮《う》いてはこそつぱい稻《いね》の穗《ほ》に捉《つかま》りながらげら/\と鳴《な》いた。一|杯《ぱい》に塞《ふさ》がつて居《ゐ》る稻《いね》の穗《ほ》の下《した》をそろ/\と偃《は》ひながら水《みづ》が低《ひく》く成《な》つた時《とき》秋《あき》の日《ひ》は落《お》ち掛《か》けた。さうして什※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《どんな》時《とき》でも其《そ》の本能《ほんのう》を衝動《そゝ》る機會《きくわい》があれば鳴《な》くのだといつて待《ま》つて居《ゐ》る其《そ》の蛙《かへる》もひつそりとした。大雨《おほあめ》の後《あと》の畑《はたけ》へ
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