》ぐに燃《も》やして畢《しま》ふ程《ほど》下手《へた》な子《こ》であつた。それが横《よこ》にも竪《たて》にも大《おほ》きくなつて、肌膚《はだ》もつやゝかに見《み》えて髮《かみ》も長《なが》くなつた。おつぎの家《いへ》の後《うしろ》の崖《がけ》のやうに成《な》つた處《ところ》からは村《むら》のものが能《よ》く黄色《きいろ》な粘土《ねんど》を採《と》つた。髮《かみ》が黏《ねば》るやうになるとおつぎは其《そ》の粘土《ねんど》をこすりつけて、肌《はだ》ぬぎになつた儘《まゝ》黄色《きいろ》く染《そ》まつた頭《あたま》を井戸《ゐど》の側《そば》で洗《あら》ふのである。さうして其《そ》のふつさりとした髮《かみ》は二|度《ど》梳《す》く處《ところ》は三|度《ど》梳《す》くやうに成《な》つた。おつぎは又《また》髮《かみ》へつける胡麻《ごま》の油《あぶら》を元結《もとゆひ》で縛《しば》つた小《ちひ》さな罎《びん》へ入《い》れて大事《だいじ》に藏《しま》つて置《お》くのである。短《みじか》い期間《きかん》ではあるが針《はり》持《も》つやうになつてからは赤《あか》い襷《たすき》も絎《く》けた。半纏《はんてん》も洗濯《せんたく》した。どうにか自分《じぶん》の手《て》で仕上《しあ》げた身丈《みたけ》に足《た》りる衣物《きもの》を着《き》ておつぎは俄《にはか》に大人《おとな》びたやうに成《な》つた。田《た》や畑《はたけ》に出《で》る時《とき》にはまだ糊《のり》のぬけない半纏《はんてん》へ赤《あか》い襷《たすき》を肩《かた》から掛《か》けて勘次《かんじ》の後《うしろ》に跟《つ》いて行《ゆ》く。おつぎは仕事《しごと》にかゝる時《とき》には其《そ》の半纏《はんてん》はとつて木《き》の枝《えだ》へ懸《か》ける。おつぎの姿《すがた》は漸《やうや》く村《むら》の注目《ちうもく》に値《あたひ》した。
春《はる》の野《の》を飾《かざ》つて黄色《きいろ》な布《ぬの》を掩《おほ》うたやうな菜《な》の花《はな》も、春《はる》らしい雨《あめ》がちら/\と降《ふ》つて霜《しも》に燒《や》けたやうな葉《は》が滅切《めつきり》と青《あを》みを加《くは》へて來《き》た頃《ころ》は其《その》開《ひら》いた葉《は》の心部《しんぶ》には只《たゞ》僅《わづか》な突起《とつき》を見出《みいだ》す。然《しか》しそこには蕾《つぼみ》が明《あきら》かに形《かたち》を成《な》して居《ゐ》るのである。空《そら》からは暖《あたゝ》かい日光《につくわう》が招《まね》いて土《つち》からは長《なが》い手《て》がずん/\とさし扛《あ》げては更《さら》に長《なが》くさし扛《あ》げるので其《そ》の派手《はで》な花《はな》が麥《むぎ》や小麥《こむぎ》の穗《ほ》にも沒却《ぼつきやく》されることなく廣《ひろ》い野《の》を占《し》めるのである。おつぎも其《そ》の心部《しんぶ》に見《み》える蕾《つぼみ》であつた。然《しか》し其《その》蕾《つぼみ》はさし扛《あ》げられないのみではなく壓《おさ》へる手《て》の強《つよ》い力《ちから》が加《くは》へられてある。勘次《かんじ》は寸時《すんじ》もおつぎを自分《じぶん》の側《そば》から放《はな》すまいとして居《ゐ》る。隨《したが》つて空《そら》の日光《につくわう》が招《まね》くやうに女《をんな》の心《こゝろ》を促《うなが》すべき村《むら》の青年《せいねん》との間《あひだ》にはおつぎは何《なん》の關係《くわんけい》も繋《つな》がれなかつた。おつぎが十七といふ年齡《とし》を聞《き》いて孰《いづ》れも今更《いまさら》のやうに其《そ》の注意《ちうい》を惹起《ひきおこ》したのである。冬《ふゆ》の季節《きせつ》に埃《ほこり》を捲《ま》いて來《く》る西風《にしかぜ》は先《ま》づ何處《どこ》よりもおつぎの家《いへ》の雨戸《あまど》を今日《けふ》も來《き》たぞと叩《たゝ》く。それは村《むら》の西端《せいたん》に在《あ》るからである。位置《ゐち》がさういふ逐《お》ひやられたやうな形《かたち》に成《な》つて居《ゐ》る上《うへ》に、生活《せいくわつ》の状態《じやうたい》から自然《しぜん》に或《ある》程度《ていど》までは注意《ちうい》の目《め》から逸《そ》れて日陰《ひかげ》に居《ゐ》ると等《ひと》しいものがあつたのである。勘次《かんじ》の監督《かんとく》の手《て》は蕾《つぼみ》の成長《せいちやう》を止《とゞ》める冷《ひやゝ》かな空氣《くうき》で、さうして之《これ》を覗《ねら》ふものを防遏《ばうあつ》する堅固《けんご》な牆壁《しやうへき》である。然《しか》し春《はる》の季節《きせつ》を地上《ちじやう》の草木《さうもく》が知《し》つた時、どれ程《ほど》白《しろ》く霜《しも》が結《むす》んでも草木《さうもく》の活力《くわつりよく》は動《うご》いて止《や》まぬ如《ごと》く、おつぎの心《こゝろ》は外部《ぐわいぶ》から加《くは》へる監督《かんとく》の手《て》を以《もつ》て奪《うば》ひ去《さ》ることは出來《でき》ない。
おつぎは勘次《かんじ》の後《あと》へ跟《つ》いて畑《はたけ》へ往來《わうらい》する途上《とじやう》で紺《こん》の仕事衣《しごとぎ》に身《み》を堅《かた》めた村《むら》の青年《せいねん》に逢《あ》ふ時《とき》には有繋《さすが》に心《こゝろ》は惹《ひ》かされた。肩《かた》にした鍬《くは》の柄《え》へおつぎは兩手《りやうて》を掛《か》けて居《ゐ》る。其《その》握《にぎ》つた手《て》に頬《ほゝ》を持《も》たせるやうにして、おつぎは幾《いく》らか首《くび》を傾《かたむ》けつゝ手拭《てぬぐひ》の下《した》から黒《くろ》い瞳《ひとみ》で青年《せいねん》を見《み》るのであつた。勘次《かんじ》は後《あと》から跟《つ》いて來《く》るおつぎの態度《たいど》まで知《し》ることは出來《でき》なかつた。おつぎは數次《しば/\》さうして村《むら》の青年《せいねん》を見《み》た。然《しか》し一|語《ご》も交換《かうくわん》する機會《きくわい》を有《も》たなかつた。おつぎはどうといふこともなく寧《むし》ろ殆《ほとん》ど無意識《むいしき》に行《ゆ》き交《か》ふ青年《せいねん》を見《み》るのであつたが、手拭《てぬぐひ》の下《した》に光《ひか》る暖《あたゝ》かい二《ふた》つの瞳《ひとみ》には情《じやう》を含《ふく》んで居《ゐ》ることが青年等《せいねんら》の目《め》にも微妙《びめう》に感應《かんおう》した。恁《か》うしておつぎもいつか口《くち》の端《は》に上《のば》つたのである。それでも到底《たうてい》青年《せいねん》がおつぎと相《あひ》接《せつ》するのは勘次《かんじ》の監督《かんとく》の下《もと》に白晝《はくちう》往來《わうらい》で一|瞥《べつ》して行《ゆ》き違《ちが》ふ其《その》瞬間《しゆんかん》に限《かぎ》られて居《ゐ》た。それ故《ゆゑ》一|般《ぱん》の子女《しぢよ》のやうではなくおつぎの心《こゝろ》にも男《をとこ》に對《たい》する恐怖《きようふ》の幕《まく》を無理《むり》に引拂《ひきはら》はれる機會《きくわい》が嘗《かつ》て一度《ひとたび》も與《あた》へられなかつた。おつぎは往來《わうらい》を行《ゆ》くとては手拭《てぬぐひ》の被《かぶ》りやうにも心《こゝろ》を配《くば》る只《たゞ》の女《をんな》である。それが家《いへ》に歸《かへ》れば直《たゞち》に苦《くる》しい所帶《しよたい》の人《ひと》に成《な》らねばならぬ。そこにおつぎの心《こゝろ》は別人《べつにん》の如《ごと》く異常《いじやう》に引《ひ》き緊《し》められるのであつた。
復《また》爽《さわや》かな初夏《しよか》が來《き》て百姓《ひやくしやう》は忙《せは》しくなつた。おつぎは死《し》んだお品《しな》が地機《ぢばた》に掛《か》けたのだといふ辨慶縞《べんけいじま》の單衣《ひとへ》を着《き》て出《で》るやうに成《な》つた。針《はり》を持《も》つやうに成《な》つた時《とき》おつぎは此《これ》も自分《じぶん》の手《て》で仕上《しあげ》たのであつた。夫《それ》は傍《そば》で見《み》て居《ゐ》ては危《あぶ》な相《さう》な手《て》もとで幾度《いくたび》か針《はり》の運《はこ》びやうを間違《まちが》つて解《と》いたこともあつたが、遂《しまひ》には身體《からだ》にしつくり合《あ》ふやうに成《な》つて居《ゐ》た。死《し》んだお品《しな》はおつぎが生《うま》れたばかりに直《すぐ》に竈《かまど》を別《べつ》にして、不見目《みじめ》な生計《くらし》をしたので當時《たうじ》は晴《はれ》の衣物《きもの》であつた其《そ》の單衣《ひとへ》に身《み》を包《つゝ》んで見《み》る機會《きくわい》もなく空《むな》しく藏《しま》つた儘《まゝ》になつて居《ゐ》たのである。それに其《そ》の頃《ころ》は紺《こん》が七日《なぬか》からも經《た》たねば沸《わか》ないやうな藍瓶《あゐがめ》で染《そめ》られたので、今《いま》の普通《ふつう》の反物《たんもの》のやうな水《みづ》で落《お》ちないかと思《おも》へば日《ひ》に褪《さ》めるといふのではなく、勘次《かんじ》がいつたやうに洗濯《せんたく》しても却《かへつ》て冴《さ》えるやうなので、それに地質《ぢしつ》もしつかりと丈夫《ぢやうぶ》なものであつた。おつぎが洗《あら》ひ曝《ざら》しの袷《あはせ》を棄《す》てゝ辨慶縞《べんけいじま》の單衣《ひとへ》で出《で》るやうに成《な》つてからは一際《ひときは》人《ひと》の注目《ちうもく》を惹《ひ》いた。例《れい》の赤《あか》い襷《たすき》が後《うしろ》で交叉《かうさ》して袖《そで》を短《みじか》く扱《こき》あげる。其《その》扱《こ》きあげられた肩《かた》は衣物《きもの》の皴《しわ》で少《すこ》し張《は》つて身體《からだ》を確乎《しつか》とさせて見《み》せる。現《あらは》れた腕《うで》には紺《こん》の手刺《てさし》が穿《うが》たれてある。漸《やうや》く暑《あつ》い日《ひ》を厭《いと》うておつぎは白《しろ》い菅笠《すげがさ》を戴《いたゞ》いた。白《しろ》い菅笠《すげがさ》は雨《あめ》に曝《さら》されゝばそれで破《やぶ》れて畢《しま》ふので、夏《なつ》のはじめには屹度《きつと》何處《どこ》でも新《あたら》しいのに換《かへ》られるのである。おつぎは勘次《かんじ》に引《ひ》かれて麥《むぎ》の畦間《うねま》を耕《たがや》した。鍬《くは》を入《い》れるのが手後《ておく》れになつた麥《むぎ》は穗《ほ》が白《しろ》く出《で》て居《ゐ》る。時々《とき/″\》立《た》つて鍬《くは》に附《つ》いた土《つち》を足《あし》の底《そこ》で扱《こ》きおろすおつぎの姿《すがた》がさや/\と微《かす》かな響《ひゞき》を立《た》てゝ動《うご》く白《しろ》い穗《ほ》の上《うへ》に見《み》える。餘所《よそ》を一寸《ちよつと》見《み》る度《たび》に大《おほ》きな菅笠《すげがさ》がぐるりと動《うご》く。菅笠《すげがさ》は日《ひ》を避《さ》けるのみではなく女《をんな》の爲《ため》には風情《ふぜい》ある飾《かざり》である。髮《かみ》には白《しろ》い手拭《てぬぐひ》を被《かぶ》つて笠《かさ》の竹骨《たけぼね》が其《そ》の髮《かみ》を抑《おさ》へる時《とき》に其處《そこ》には小《ちひ》さな比較的《ひかくてき》厚《あつ》い蒲團《ふとん》が置《お》かれてある。さういふ間隔《かんかく》を保《たも》つて菅笠《すげがさ》は前屈《まへかゞ》みに高《たか》く据《す》ゑられるのである。女等《をんなら》は皆《みな》少時《しばし》の休憩時間《きうけいじかん》にも汗《あせ》を拭《ぬぐ》ふには笠《かさ》をとつて地上《ちじやう》に置《お》く。一《ひと》つには紐《ひも》の汚《よご》れるのを厭《いと》うて屹度《きつと》倒《さかさ》にして裏《うら》を見《み》せるのである。さうして厚《あつ》い笠蒲團《かさぶとん》の赤《あか》い切《きれ》が丸《まる》く白《しろ》い笠《かさ》の中央《まんなか》に黒《くろ》い絎紐《くけひも》と調和《てうわ》
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