うご》かしては落付《おちつ》く。他《た》の鰌《どぜう》が又《また》入《い》れられる時《とき》先刻《さつき》の鰌《どぜう》が一つに騷《さわ》いでは落付《おちつ》く。彼等《かれら》は斯《か》うして其《その》小《ちひ》さな穴《あな》を求《もと》めて田《た》から田《た》へ移《うつ》つて歩《ある》く。土地《とち》ではそれを目掘《めぼ》りというて居《ゐ》る。與吉《よきち》には幾《いく》ら泥《どろ》になつても鰌《どぜう》は捕《と》れなかつた。仲間《なかま》の大《おほ》きな子《こ》はそれでも一|匹《ぴき》位《ぐらゐ》づつ與吉《よきち》の笊《ざる》にも入《い》れて遣《や》るのであつた。それで彼《かれ》は後《おく》れながらも他《た》の子供《こども》に跟《つ》いて歩《ある》かずには居《を》られなかつたのである。
堀《ほり》には動《うご》かない水《みづ》が空《そら》を映《うつ》して湛《たゝ》へて居《ゐ》る處《ところ》がある。さうかと思《おも》へば或《あるひ》は水《みづ》は一|滴《てき》もなくて泥《どろ》の上《うへ》を筋《すぢ》のやうに流《なが》れた砂《すな》の趾《あと》がちら/\と春《はる》の日《ひ》を僅《わづか》に反射《はんしや》して居《ゐ》る處《ところ》がある。子供等《こどもら》は疎《まば》らな枯蘆《かれあし》の邊《ほとり》からおりて其處《そこ》にも目掘《めぼ》りを試《こゝろ》みる。大《おほ》きな子供《こども》は大事《だいじ》な笊《ざる》をそつと持《もつ》ておりる。小《ちひ》さな子供《こども》は堀《ほり》へおりながら笊《ざる》を傾《かたぶ》けて鰌《どぜう》を滾《こぼ》すことがある。大《おほ》きな子供《こども》はそれつといつて惡戯《いたづら》に其《それ》を捕《とら》うとする。子供等《こどもら》は順次《じゆんじ》に皆《みな》それに傚《なら》はうとする。さうすると小《ちひ》さな小供《こども》は唯《たゞ》火《ひ》の點《つ》いたやうに泣《な》く。それと同時《どうじ》に鰌《どぜう》が小《ちひ》さな子供《こども》の笊《ざる》に返《かへ》されて子供《こども》は其《その》鰌《どぜう》を覗《のぞ》くと共《とも》に其《そ》の泣《な》く聲《こゑ》がはたと止《とま》つて畢《しま》ふのである。堀《ほり》の粘《ねば》ついた泥《どろ》はうつかりすると小《ちひ》さな足《あし》を吸《す》ひ附《つ》けて放《はな》さない。さうするとみんなが遁《に》げるやうに岸《きし》へ上《あが》つて指《ゆび》を出《だ》して其《そ》の先《さき》を屈曲《くつきよく》させながら騷《さわ》ぐ。小《ちひ》さな子供《こども》は笊《ざる》を手《て》にした儘《まゝ》目《め》には手《て》も當《あて》ずに聲《こゑ》を放《はな》つて泣《な》く。與吉《よきち》は恁《か》うして能《よ》く泣《な》かされた。彼《かれ》には寸毫《すこし》も父兄《ふけい》の力《ちから》が被《かうぶ》つて居《ゐ》ない。頑是《ぐわんぜ》ない子供《こども》の間《あひだ》にも家族《かぞく》の力《ちから》は非常《ひじやう》な勢《いきほ》ひを示《しめ》して居《ゐ》る。其《その》家族《かぞく》が一|般《ぱん》から輕侮《けいぶ》の眼《め》を以《もつ》て見《み》られて居《ゐ》るやうに、子供《こども》の間《あひだ》にも亦《また》小《ちひ》さい與吉《よきち》は侮《あなど》られて居《ゐ》た。それでも與吉《よきち》は歸《かへ》りには小笊《こざる》の底《そこ》に鰌《どぜう》があるので悦《よろこ》んで居《ゐ》た。泣《な》いた當座《たうざ》は萎《しを》れても彼《かれ》は直《すぐ》に機嫌《きげん》が出《で》て、其《その》僅《わづか》な獲物《えもの》の笊《ざる》を誇《ほこ》つておつぎの側《そば》に來《く》る時《とき》は何時《いつ》もの甘《あま》えた與吉《よきち》である。彼《かれ》は何處《どこ》へでもべたりと坐《すわ》るので臀《しり》を丸出《まるだ》しに※[#「塞」の「土」に代えて「衣」、第3水準1−91−84]《かか》げてやつても衣物《きもの》は泥《どろ》だらけにした。それで叱《しか》られても泥《どろ》の乾《かわ》いた其《その》臀《しり》を叩《たゝ》かれても、おつぎにされるのは彼《かれ》にはちつとも怖《おそ》ろしくなかつた。彼《かれ》は小言《こごと》は耳《みゝ》へも入《い》れないで「※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1−85−57]のつくり」、114−8]《ねえ》よう見《み》ろよう」と小笊《こざる》を枉《ま》げてはちよこ/\と跳《は》ねるやうにして小刻《こきざ》みに足《あし》を動《うご》かしながらおつぎの譽《ほ》める詞《ことば》を促《うなが》して止《や》まない。
彼《かれ》は餘《あま》りに悦《よろこ》んで騷《さわ》いでひよつとすると危《あぶな》い手《て》もとで鰌《どぜう》を庭《には》へ落《おと》す事《こと》がある。鰌《どぜう》は乾《かわ》いた庭《には》の土《つち》にまぶれて苦《くる》しさうに動《うご》く。與吉《よきち》が抑《おさ》へようとする時《とき》鷄《にはとり》がひよつと來《き》て嘴《くちばし》で啄《つゝ》いて駈《か》けて行《い》つて畢《しま》ふ。他《た》の鷄《にはとり》がそれを追《お》ひ掛《か》ける。與吉《よきち》はさうすると又《また》一《ひと》しきり泣《な》くのである。
「汝《われ》あんまりうつかりしてつかんだわ」おつぎは笑《わら》ひながら、立《た》つてる與吉《よきち》の頭《あたま》を抱《だ》いてそれから手水盥《てうづだらひ》へ水《みづ》を汲《く》んで鰌《どぜう》を入《い》れて遣《や》る。與吉《よきち》は水《みづ》へ手《て》を入《い》れては鰌《どぜう》の騷《さわ》ぐのを見《み》て直《すぐ》に聲《こゑ》を立《た》てて笑《わら》ふ。おつぎはさうして置《お》いて泥《どろ》だらけの手足《てあし》を洗《あら》つてやる。
與吉《よきち》は時々《とき/″\》鰌《どぜう》を持《も》つて來《き》た。おつぎは衣物《きもの》の泥《どろ》になるのを叱《しか》りながらそれでも威勢《ゐせい》よく田圃《たんぼ》へ出《だ》してやつた。其《そ》の度《たび》に他《ほか》の子供等《こどもら》の後《うしろ》から
「泣《な》かさねえでよきことも連《つ》れでつてくろうな」といふおつぎの聲《こゑ》が追《お》ひ掛《か》けるのであつた。僅《わづか》な鰌《どぜう》は味噌汁《みそしる》へ入《い》れて箸《はし》で骨《ほね》を扱《しご》いて與吉《よきち》へやつた。自分《じぶん》では骨《ほね》と頭《あたま》とを暫《しばら》く口《くち》へ含《ふく》んでそれから捨《す》てた。
田《た》がそろ/\と耕《たがや》されるやうに成《なつ》た。子供等《こどもら》は又《また》一《ひと》つ/\の塊《かたまり》に耕《たがや》された田《た》を渡《わた》つて、其《その》塊《かたまり》の上《うへ》を辷《すべ》りながら越《こ》えながら、極《きは》めて小《ちひ》さい慈姑《くわゐ》のやうなゑぐの根《ね》をとつた。それは土地《とち》では訛《なま》つてゑごと喚《よ》ばれて居《ゐ》る。そこらの田《た》にはゑぐが多《おほ》いので秋《あき》の頃《ころ》に成《な》ると茂《しげ》つた稻《いね》の陰《かげ》に小《ちひ》さな白《しろ》い花《はな》が咲《さ》く。與吉《よきち》も他《た》の子供《こども》のするやうに小笊《こざる》を持《もつ》て出《で》た。鰌《どぜう》とは違《ちが》つて此《こ》れは彼《かれ》の手《て》にも僅《わづか》づゝは採《と》ることが出來《でき》た。少《すこ》しづゝ採《とつ》ては毎日《まいにち》のやうに蓄《たくは》へた。おつぎは茶《ちや》を沸《わか》す度《たび》にそれを灰《はひ》の中《なか》へ投《な》げ込《こ》んで燒《や》いてやる。火《ひ》を弄《いぢ》ることが危《あぶな》いので與吉《よきち》は獨《ひと》りで竈《かまど》へ手《て》をつけることは禁《きん》ぜられて居《ゐ》る。灰《はひ》の中《なか》へ入《い》れたばかりで與吉《よきち》は
「よう/\」といつておつぎに迫《せま》る。與吉《よきち》は燒《や》ける間《あひだ》が遲緩《もどか》しいのである。
「そんなに燒《や》けめえな、そんぢや※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1−85−57]のつくり」、115−14]《ねえ》は構《かま》あねえぞ」とおつぎはゑぐを掻《か》き出《だ》して遣《や》る。與吉《よきち》は口《くち》へ入《い》れてもまだがり/\で且《かつ》苦《にが》いので吐《は》き出《だ》して畢《しま》ふ。
「そうら見《み》ろ、大《え》けえ姿《なり》していふこと聽《き》かねえから」おつぎは怒《おこ》つたやうな容子《ようす》をして見《み》せる。
「※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1−85−57]のつくり」、116−2]《ねえ》よ、よう」と與吉《よきち》は又《また》強請《せが》む。其《そ》の時《とき》はもう皮《かは》に皴《しわ》が寄《よ》つて燒《や》けたゑぐが與吉《よきち》の手《て》に載《の》せられる。
「汝《われ》熱《あつ》えぞ」とおつぎがいへば與吉《よきち》は手《て》を引《ひ》いてゑぐは土間《どま》へ落《お》ちる。それを又《また》手《て》に載《の》せてやると與吉《よきち》はおつぎがするやうにふう/\と灰《はひ》を吹《ふ》く。與吉《よきち》は後《あと》も後《あと》もとおつぎにせがんで、勘次《かんじ》に呶鳴《どな》られては止《や》めるのである。
蓄《たくは》へられたゑぐが小笊《こざる》に一|杯《ぱい》に成《な》つた時《とき》おつぎは小笊《こざる》を手《て》に持《も》つて
「よきげ此《これ》煮《に》てやつぺか、砂糖《さたう》でも入《せえ》たら佳味《うま》かつぺな」獨語《ひとりごと》のやうにいつた。
「煮《に》てくろうよう」與吉《よきち》はそれを聞《き》いて又《また》せがんでおつぎへ飛《と》びついて、被《かぶ》つて居《ゐ》る手拭《てぬぐひ》を引《ひ》つ張《ぱ》つた。おつぎは
「おゝ痛《いて》えまあ」と顏《かほ》を蹙《しか》めて引《ひ》かれる儘《まゝ》に首《くび》を傾《かたぶ》けていつた。亂《みだ》れた髮《かみ》の三筋《みすぢ》四筋《よすぢ》が手拭《てぬぐひ》と共《とも》に強《つよ》く引《ひ》かれたのである。
「其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《そんな》もの鹽《しほ》でゞも茹《ゆで》てやれ」勘次《かんじ》は俄《にはか》に呶鳴《どな》つた。
「砂糖《さたう》だなんて、默《だま》つてれば知《し》らねえでるもの、泣《な》かれたらどうすんだ、砂糖《さたう》だの醤油《しやうゆ》だのつてそんなことしたつ位《くれえ》なんぼ損《そん》だか知《し》れやしねえ、おとつゝあ等《ら》そんな錢《ぜね》なんざ一錢《ひやく》だつて持《も》つてねえから、鹽《しほ》だつて容易《ようい》なもんぢやねえや、そんな餘計《よけい》なもの何《なん》になるもんぢやねえ」勘次《かんじ》は反覆《くりかへ》して叱《しか》つた。與吉《よきち》はおつぎの陰《かげ》へ廻《まは》つて抱《だ》きついた。
「どうしたもんだんべまあ、ぢつき怒《おこ》んだから」おつぎは小言《こごと》を聞《き》いて呟《つぶや》いた。
「そんだつて、おとつゝあ等《ら》そんな處《とこ》ぢやねえから」勘次《かんじ》はがつかり聲《こゑ》を落《おと》していつた。さうして沈默《ちんもく》した。
おつぎもお品《しな》が死《し》んでから苦《くる》しい生活《せいくわつ》の間《あひだ》に二たび春《はる》を迎《むか》へた。おつぎは餘儀《よぎ》なくされつゝ生活《せいくわつ》の壓迫《あつぱく》に對《たい》する抵抗力《ていかうりよく》を促進《そくしん》した。餘所《よそ》の女《をんな》の子《こ》のやうに長閑《のどか》な春《はる》は知《し》られないでおつぎは生理上《せいりじやう》にも著《いちじ》るしい變化《へんくわ》を遂《と》げた。お品《しな》が死《し》んだ時《とき》はおつぎはまだ落葉《おちば》を燻《く》べるとては竹《たけ》の火箸《ひばし》の先《さき》を直《す
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