以來《いらい》愼《つゝし》めるか、此《こ》の次《つぎ》にこんなことが有《あ》つたら枯枝《かれえだ》一つでも赦《ゆる》さないからな、今日《けふ》はまあ此《こ》れで歸《かへ》れ、其《そ》の櫟《くぬぎ》の根《ね》は此處《こゝ》へ置《お》いて行《ゆ》くんだぞ」勘次《かんじ》は草刈籠《くさかりかご》を卸《おろ》さうとした。
「そんなもの此《こ》の庭《には》へ置《お》けといふんぢやないんだ、置《お》く處《ところ》は知《し》つてるんだろう、解《わか》らない奴《やつ》だな、それうつかりしないで足下《あしもと》を氣《き》をつけるんだ」巡査《じゆんさ》は叱《しか》つた。勘次《かんじ》はそつと土《つち》を踏《ふ》んで庭《には》を出《で》た。
門《もん》の外《そと》にはおつぎが與吉《よきち》を連《つ》れて歔欷《すゝりなき》して居《ゐ》る。與吉《よきち》はおつぎの泣《な》くのを見《み》て自分《じぶん》も聲《こゑ》を放《はな》つ。おつぎは聲《こゑ》の洩《も》れぬやうに袂《たもと》でそれを掩《おほ》うて居《ゐ》る。
「よき泣《な》かねえで歸《け》えれ」勘次《かんじ》は與吉《よきち》の手《て》を執《と》つた。三|人《にん》は默《だま》つて歩《ある》いた。傭人等《やとひにんら》は笑《わら》つて勘次《かんじ》の容子《ようす》を見《み》て居《ゐ》た。
「おとつゝあ、どうしたつけ」おつぎは家《うち》に歸《かへ》ると共《とも》に聞《き》いた。
「そんでもまあ大丈夫《だいぢやうぶ》になつた、櫟《くぬぎ》根《ね》つ子《こ》なくつて助《たす》かつた」勘次《かんじ》はげつそりと力《ちから》なくいつた。
「俺《お》ら昨日《きにやう》は重《おも》たくつて酷《ひど》かつたつけぞ、其《そ》の所爲《せゐ》か今日《けふ》は肩《かた》痛《いて》えや」おつぎは悦《よろこ》ばしげにいつた。
「俺《おら》こゝで居《ゐ》なくなつちや汝等《わツら》も大變《たえへん》だつけな」勘次《かんじ》は間《あひだ》を暫《しばら》く措《お》いてぽさ/\としていつた。
此《こ》の事《こと》があつてからも勘次《かんじ》の姿《すがた》は直《すぐ》に唐鍬《たうぐは》持《も》つて林《はやし》の中《なか》に見出《みいだ》された。
五六|日《にち》經《た》つて勘次《かんじ》は針立《はりだて》と針箱《はりばこ》とを買《か》つて來《き》た。
「おつう、汝《われ》も此《こ》れからお針《はり》にいけつかんな、そら此《こ》れ持《も》つて行《え》ぐんだ、おつかゞ持《も》つてた古《ふる》いのなんざあ外聞《げえぶん》惡《わる》くつて厭《や》だなんていふから、此《こ》んでもおとつゝあ等《ら》酷《ひで》え錢《ぜね》で買《か》つて來《き》たんだぞ、それから善《え》えだの惡《わり》いだのつて膨《ふく》れたり何《なに》つかすんぢやねえぞ、なあ」勘次《かんじ》は又《また》
「よき汝《われ》はおとつゝあが側《そば》に居《ゐ》る[#「る」に「ママ」の注記]んだぞ、えゝか、※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1−85−57]のつくり」、109−8]《ねえ》は此《これ》から汝《われ》が衣物《きもの》拵《こせ》えんでお針《はり》に行《え》くんだかんな、聽《き》かねえと酷《ひで》えぞ」と與吉《よきち》を抱《だ》いて能《よ》くいひ含《ふく》めた。
おつぎはそれから村内《そんない》へ近所《きんじよ》の娘《むすめ》と共《とも》に通《かよ》つた。おつぎは與吉《よきち》の小《ちひ》さな單衣《ひとへもの》を仕上《しあ》げた時《とき》其《そ》の風呂敷包《ふろしきづゝみ》を抱《かゝ》へていそ/\と歸《かへ》つて來《き》た。おつぎは針《はり》持《も》つやうに成《な》つてからはき/\として俄《にはか》にませて來《き》たやうに見《み》えた。おつぎはもう十六である。辛苦《しんく》の間《あひだ》に在《あ》る丈《だけ》に去年《きよねん》からでは何《ど》れ程《ほど》大人《おとな》びて勘次《かんじ》の助《たすけ》に成《な》るか知《し》れない。殊《こと》に秋《あき》の頃《ころ》に成《な》つてからは滅切《めつきり》機轉《きてん》も利《き》くやうになつて、死《し》んだお品《しな》に似《に》て來《き》たと他人《ひと》にはいはれるのであるが、毎日《まいにち》一《ひと》つに居《ゐ》る自分《じぶん》にもさういへば身體《からだ》の恰好《かつかう》までどうやらさう見《み》えて來《き》たと勘次《かんじ》も心《こゝろ》で思《おも》つた。おつぎは今《いま》が遊《あそ》びたい盛《さか》りに這入《はひ》つたのであるが、勘次《かんじ》からは一日《いちにち》でも唯《たゞ》一人《ひとり》で放《はな》されたことがない。村《むら》の休日《ものび》には近所《きんじよ》の女房《にようばう》に連《つ》れられて出《で》て見《み》ることもあるが、屹度《きつと》與吉《よきち》がくつゝいて居《ゐ》るのと、自分《じぶん》は炊事《すゐじ》の間《ま》を缺《か》かすことが出來《でき》ないのとで晝餐《ひる》でも晩餐《ばん》でも他人《ひと》より早《はや》く歸《かへ》つて來《こ》なければならない。
「俺《お》らいつそもの日《び》なんざ無《ね》え方《はう》がえゝ、さうでせえなけりや出《で》てえた思《おも》はねえから」おつぎは熟《つく/″\》呟《つぶや》くことがあつた。
「どうにか俺《お》らだつて成《な》つから」おつぎの呟《つぶや》くのを聞《き》いて勘次《かんじ》は有繋《さすが》に心《こゝろ》が切《せつ》なくなる。それで云《い》ひやうが無《な》くては恁《か》うぶすりと云《い》つて畢《しま》ふのであつた。
與吉《よきち》は四《よつ》つに成《な》つた。惡戯《いたづら》も知《し》つて來《き》てそれ丈《だけ》おつぎの手《て》は省《はぶ》かれた。それでも與吉《よきち》の衣物《きもの》はおつぎの手《て》には始末《しまつ》が出來《でき》ないので、近所《きんじよ》の女房《にようばう》へ頼《たの》んではどうにかして貰《もら》つた。お品《しな》が生《い》きて居《ゐ》ればそんな心配《しんぱい》はまだ十六のおつぎがするのではない。おつぎは更《さら》に自分《じぶん》の衣物《きもの》に困《こま》つた。短《みじか》くなるばかりではなく綻《ほころ》びにさへおつぎは當惑《たうわく》するのである。
「お針《はり》出來《でき》なくつちや仕樣《しやう》ねえなあ」おつぎは何時《いつ》でも嘆息《たんそく》するのであつた。
「お針《はり》にでも何《なん》でも遣《や》れる時《とき》にや遣《や》つから、奉公《ほうこう》にでも行《い》つて見《み》ろ、幾《いく》つに成《な》つたつて碌《ろく》なこと出來《でき》るもんか、十六|位《ぐれえ》ぢや貧乏人《びんばふにん》はまあだ行《い》けねえたつて仕《し》やうがあるもんか、さう汝《われ》見《み》てえに痩虱《やせじらみ》たかつたやうにしつきりなし云《い》ふもんぢやねえ」
「おとつゝあはそんだつて奉公《ほうこう》にでも行《い》つてるものげは家《うち》で拵《こせ》えてやんだんべな」
「そんだつてなんだつて遣《や》れつ時《とき》でなくつちや遣《や》れねえから」
十六ではまだ針《はり》を持《も》たなくつてもいゝといふのはそれは無理《むり》ではない。然《しか》し勘次《かんじ》の家《いへ》でおつぎの一|向《かう》針《はり》を知《し》らぬことは不便《ふべん》であつた。勘次《かんじ》もそれを知《し》らないのではないが、今《いま》の處《ところ》自分《じぶん》には其《そ》の餘裕《よゆう》がないのでおつぎがさういふ度《たび》に彼《かれ》の心《こゝろ》は堪《た》へず苦《くる》しむので態《わざ》と邪慳《じやけん》にいつて畢《しま》ふのであつた。其《そ》の冬《ふゆ》になつてからもおつぎは十六だといふ内《うち》に直《すぐ》十七になつて畢《しま》ふと呟《つぶや》いたのであつた。
「春《はる》にでもなつたらやれつかも知《し》んねえから」と勘次《かんじ》は其《そ》の度《たび》にいつて居《ゐ》た。おつぎは到底《たうてい》當《あて》にはならぬと心《こゝろ》に斷念《あきら》めて居《ゐ》たのであつた。それだけおつぎの滿足《まんぞく》は深《ふか》かつた。
或《ある》晩《ばん》どうして記憶《きおく》を復活《ふくくわつ》させたかおつぎはふいといつた。
「井戸《ゐど》へ落《おつこと》した櫟《くぬぎ》根《ね》つ子《こ》は梯子《はしご》掛《か》けても取《と》れめえか」
「何故《なぜ》そんなこといふんだ」勘次《かんじ》は驚《おどろ》いて目《め》を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》つた。
「そんでも可惜《あつたら》もんだからよ」
「汝《われ》自分《じぶん》で梯子《はしご》掛《か》けて這入《へえ》んのか」
「俺《お》ら可怖《おつかねえ》から厭《や》だがな」
「そんなこといふもんぢやねえ、又《また》拘引《つゝてか》れたらどうする、そん時《とき》は汝《われ》でも行《え》くのか」勘次《かんじ》は恁《か》ういつて苦笑《くせう》した。
其《その》晩《ばん》は其《そ》れつ切《き》り二人《ふたり》の間《あひだ》に噺《はなし》はなかつた。
八
與吉《よきち》が五《いつ》つの春《はる》に成《な》つた。ずん/\と生長《せいちやう》して行《ゆ》く彼《かれ》の身體《からだ》はおつぎの手《て》に重量《ぢうりやう》が過《す》ぎて居《ゐ》る。しがみ附《つ》いて居《ゐ》た筍《たけのこ》の皮《かは》が自然《しぜん》に其《そ》の幹《みき》から離《はな》れるやうに、與吉《よきち》は段々《だん/\》おつぎの手《て》から除《のぞ》かれるやうに成《な》つた。それでも筍《たけのこ》の皮《かは》が竹《たけ》の幹《みき》に纏《まつは》つては横《よこ》たはつて居《ゐ》るやうに、與吉《よきち》がおつぎを懷《なつか》しがることに變《かは》りはなかつた。
與吉《よきち》は近所《きんじよ》の子供《こども》と能《よ》く田圃《たんぼ》へ出《で》た。暖《あたゝ》かい日《ひ》には彼《かれ》は單衣《ひとへ》に換《かへ》て、袂《たもと》を後《うしろ》でぎつと縛《しば》つたり尻《しり》をぐるつと端折《はしよ》つたりして貰《もら》ふ間《ま》も待遠《まちどほ》で跳《は》ねて居《ゐ》る。
「堀《ほり》の側《そば》へは行《え》ぐんぢやねえぞ、衣物《きもの》汚《よご》すと聽《き》かねえぞ」おつぎがいふのを耳《みゝ》へも入《い》れないで小笊《こざる》を手《て》にして走《はし》つて行《ゆ》く。田圃《たんぼ》の榛《はん》の木《き》はだらけた花《はな》が落《お》ちて嫩葉《わかば》にはまだ少《すこ》し暇《ひま》があるので手持《てもち》なさ相《さう》に立《た》つて居《ゐ》る季節《きせつ》である。田《た》は僅《わづか》に濕《うるほ》ひを含《ふく》んで足《あし》の底《そこ》に暖味《あたゝかみ》を感《かん》ずる。耕《たがや》す人《ひと》はまだ下《お》り立《た》たぬ。白《しろ》つぽく乾《かわ》いた刈株《かりかぶ》の間《あひだ》には注意《ちうい》して見《み》れば處々《ところ/″\》に極《きは》めて小《ちひ》さな穴《あな》がある。子供等《こどもら》は其《そ》の穴《あな》を探《さが》して歩《ある》くのである。彼等《かれら》は小《ちひ》さな手《て》を粘《ねば》る土《つち》に※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]込《さしこ》んでは兩手《りやうて》の力《ちから》を籠《こ》めて引《ひ》つ返《かへ》す。其處《そこ》には鰌《どぜう》がちよろ/\と跳返《はねかへ》りつゝ其《その》身《み》を慌《あわたゞ》しく動《うご》かして居《ゐ》る。さうすると彼等《かれら》は孰《いづれ》も聲《こゑ》を立《た》てゝ騷《さわ》ぎながら、其《そ》の小《ちひ》さな泥《どろ》だらけの手《て》で捉《とら》へようとしては遁《に》げられつゝ漸《やうや》くのことで笊《ざる》へ入《い》れる。鰌《どぜう》は其《そ》のこそつぱい笊《ざる》の中《なか》で暫《しばら》く其《そ》の身《み》を動《
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