ら》の伴侶《なかま》はさういふことをも知《し》つて居《ゐ》た。晝餐《ひる》の後《あと》や手《て》の冷《つめ》たく成《な》つた時《とき》などには彼《かれ》はそこらの木《き》を聚《あつ》めて燃《も》やす。木《き》の根《ね》が燻《くす》ぶつていつでも青《あを》い煙《けむり》が少《すこ》しづゝ立《た》つて居《ゐ》る。彼《かれ》は其《その》煙《けむり》に段々《だんだん》遠《とほ》ざかりつゝ唐鍬《たうぐは》を打《う》ち込《こ》んで居《ゐ》る。毎日《まいにち》火《ひ》は別《べつ》な處《ところ》で焚《た》かれた。彼《かれ》は屹度《きつと》其《そ》の灰《はひ》を掻《か》つ掃《ぱ》いで去《さ》つたのである。然《しか》し壁際《かべぎは》に積《つ》んだ木《き》の根《ね》はそこには不正《ふせい》なものが交《まじ》つて居《ゐ》るにしても、大部分《だいぶぶん》は彼《かれ》の非常《ひじやう》な勞苦《らうく》から獲《え》たものである。彼《かれ》は林《はやし》の持主《もちぬし》に請《こ》うて掘《ほ》つたのである。それでも餘《あま》りに人《ひと》の口《くち》が八釜敷《やかましい》ので主人《しゆじん》は只《たゞ》幾分《いくぶん》でも將來《しやうらい》の警《いまし》めをしようと思《おも》つた。其《そ》の以前《いぜん》から勘次《かんじ》は秋《あき》になれば掛稻《かけいね》を盜《ぬす》むとかいふ蔭口《かげぐち》を利《き》かれて巡査《じゆんさ》の手帖《ててふ》にも載《の》つて居《ゐ》るのだといふやうなことがいはれて居《ゐ》たのであつた。主人《しゆじん》はそれでも竊《ひそか》に人《ひと》を以《もつ》て木《き》の根《ね》を運《はこ》んだかどうかといふことを聞《き》かせて見《み》た。彼《かれ》が心《こゝろ》づいて謝罪《しやざい》するならばそれなりにして遣《や》らうと思《おも》つたからである。彼《かれ》は主人《しゆじん》の心《こゝろ》を知《し》る由《よし》はなかつた。
「何處《どこ》でも見《み》た方《はう》がようがす、わしは決《けつ》して運《はこ》んだ覺《おぼ》えなんざねえから」彼《かれ》は恐《おそ》ろしい權幕《けんまく》できつぱり斷《ことわ》つた。
 主人《しゆじん》は村《むら》の駐在所《ちうざいしよ》の巡査《じゆんさ》へ耳打《みゝう》ちをした。巡査《じゆんさ》は或《ある》日《ひ》ぶらつと勘次《かんじ》の家《うち》へ行《い》つた。其《そ》の日《ひ》は朝《あさ》から雨《あめ》なので勘次《かんじ》は仕事《しごと》にも出《で》られず、火鉢《ひばち》へ少《すこ》しづゝ木《き》の根《ね》を燻《く》べてあたつて居《ゐ》た。
「雨《あめ》で困《こま》つたな、勘次《かんじ》は大分《だいぶ》勉強《べんきやう》する相《さう》だな」巡査《じゆんさ》は帶劍《たいけん》の鞘《さや》を掴《つか》んでいつた。
「へえ」勘次《かんじ》は急《きふ》に膝《ひざ》を立《た》て直《なほ》した。表《おもて》の戸口《とぐち》へひよつこり現《あらは》れた巡査《じゆんさ》の、外套《ぐわいたう》の頭巾《づきん》を深《ふか》く被《かぶ》つて居《ゐ》る顏《かほ》が勘次《かんじ》には只《たゞ》恐《おそ》ろしく見《み》えた。さうして其《そ》の聲《こゑ》が刺《とげ》を含《ふく》んで響《ひゞ》いた。巡査《じゆんさ》はぶらりと家《いへ》の横手《よこて》へ行《い》つて壁際《かべぎは》の木《き》の根《ね》を見《み》た。勘次《かんじ》は巡査《じゆんさ》の後《あと》から跟《つ》いて行《い》つた。
「大分《だいぶ》有《あ》るな、此《こ》れは又《また》わしの來《く》るまで動《うご》かしちやならないからな」巡査《じゆんさ》はいつた。勘次《かんじ》は蒼《あを》くなつた。
「此《こ》らわしが貰《もら》つて掘《ほ》つたんでがすから何處《どこ》と何處《どこ》つて穴《あな》つ子《こ》までちやんと分《わか》つてんでがすから」彼《かれ》は慌《あわ》てゝいつた。
「そんなことはどうでもいゝんだ、動《うご》かすなといつたら動《うご》かさなけりやいゝんだ」
 巡査《じゆんさ》は呼吸《いき》で霧《きり》のやうに少《すこ》し霑《ぬ》れた口髭《くちひげ》を撚《ひね》りながら
「櫟《くぬぎ》の根《ね》が大分《だいぶ》あるやうだな」といひ棄《す》てゝ去《さ》つた。勘次《かんじ》は雨《あめ》に打《う》たれつゝ喪心《さうしん》したやうに庭《には》に立《た》つて居《ゐ》る。戸口《とぐち》の蔭《かげ》に隱《かく》れて聞《き》いて居《ゐ》たおつぎは巡査《じゆんさ》の去《さ》つた後《のち》漸《やうや》く姿《すがた》を表《あら》はした。
「おとつゝあ」と小聲《こごゑ》で喚《よ》んだ。
「そんだから俺《お》ら持《も》つて來《く》んなつてゆつたのに」更《さら》に小聲《こごゑ》でおつぎはいつた。
「おとつゝあ、どうしたもんだべな」おつぎは聞《き》いた。
「俺《お》ら旦那《だんな》に見放《みはな》されちや、迚《とつて》も助《たす》かれめえ」勘次《かんじ》は漸《やうや》く此《こ》れだけいつた。
「おとつゝあ、それぢや旦那《だんな》げ謝罪《あやま》つたらどうしたもんだんべ」
「そんなことゆつたつて、聽《き》くか聽《き》かねえか分《わか》るもんか」
「南《みなみ》のおとつゝあげでも頼《たの》んで見《み》たらどうしたもんだんべ」
「汝等《わつら》頼《たの》まなくつたつてえゝから」
「そんぢやおとつゝあ、櫟《くぬぎ》の根《ね》つ子《こ》せえなけりやえゝんだんべか」
「そんだつて汝《われ》は駐在所《ちうざいしよ》に見《み》られつちやつたもの仕《し》やうあるもんか」
 勘次《かんじ》はそれでも他《た》に分別《ふんべつ》もないので仕方《しかた》なしに桑畑《くはばたけ》を越《こえ》て南《みなみ》へ詑《わび》を頼《たの》みに行《い》つた。彼《かれ》は古《ふる》い菅笠《すげがさ》を一寸《ちよつと》頭《あたま》へ翳《かざ》して首《くび》を蹙《ちゞ》めて行《い》つた。主人《しゆじん》の挨拶《あいさつ》は兎《と》に角《かく》明日《あす》のことにするからといつた丈《だけ》だといふ返辭《へんじ》である。勘次《かんじ》はげつそりとして家《うち》へ歸《かへ》ると蒲團《ふとん》を被《かぶ》つて畢《しま》つた。おつぎは自分《じぶん》も毎日《まいにち》行《い》つて居《ゐ》たので開墾地《かいこんち》から運《はこ》んだ櫟《くぬぎ》の根《ね》は皆《みな》知《し》つて居《ゐ》る。おつぎは其《そ》の櫟《くぬぎ》の根《ね》を獨《ひと》りで竊《ひそか》に引《ひ》き出《だ》した。さうして黄昏時《たそがれどき》におつぎはそれを草刈籠《くさかりかご》へ入《い》れて後《うしろ》の竹藪《たけやぶ》の中《なか》の古井戸《ふるゐど》へ投《な》げ落《おと》した。古井戸《ふるゐど》は暗《くら》くして且《かつ》深《ふか》い。おつぎは冷《つめ》たい雨《あめ》に沾《ぬ》れてさうして少《すこ》し縮《ちゞ》れた髮《かみ》が亂《みだ》れてくつたりと頬《ほゝ》に附《つ》いて足《あし》には朽《く》ちた竹《たけ》の葉《は》がくつゝいて居《ゐ》る。
「おとつゝあ」おつぎは勘次《かんじ》を喚《よ》び起《おこ》した。
「俺《お》ら櫟《くぬぎ》根《ね》つ子《こ》うつちやつたぞ」おつぎは更《さら》に聲《こゑ》を殺《ころ》していつた。勘次《かんじ》はひよつこり起《お》きて何《なに》もいはずにおつぎの顏《かほ》を凝然《ぢつ》と見《み》つめた。暗《くら》い家《うち》の中《なか》には漸《やうや》く手《て》ランプが點《とも》された。勘次《かんじ》もおつぎも唯《たゞ》其《そ》の目《め》が光《ひか》つて見《み》えた。
 次《つぎ》の日《ひ》巡査《じゆんさ》は隣《となり》の傭人《やとひにん》を連《つ》れて來《き》て壁際《かべぎは》の木《き》の根《ね》を檢《しら》べさせたが櫟《くぬぎ》の根《ね》は案外《あんぐわい》に少《すくな》かつた。それでもおつぎの手《て》では棄《す》て切《き》れなかつたのである。
「此《こ》りや櫟《くぬぎ》がもつと有《あ》つた筈《はず》ぢやないか勘次《かんじ》はどうかしやしないか」巡査《じゆんさ》は恁《か》ういつてあたりを見《み》たが勘次《かんじ》の小《ちひ》さな建物《たてもの》の何處《どこ》にもそれは發見《はつけん》されなかつた。さういつても實際《じつさい》に巡査《じゆんさ》の目《め》には櫟《くぬぎ》と他《ほか》の雜木《ざふき》とを明瞭《めいれう》に識別《しきべつ》し得《え》なかつたのである。
「勘次《かんじ》、それぢや此《こ》れを持《も》つて跟《つ》いて來《く》るんだ」巡査《じゆんさ》はいつた。勘次《かんじ》は顫《ふる》へた。
「草刈籠《くさかりかご》でも何《なん》でもいゝ、此《こ》れを入《い》れて後《あと》から跟《つ》いて」
「へえ、何處《どこ》まで持《も》つて行《い》くんでがせう」勘次《かんじ》は逡巡《ぐつ/\》して居《ゐ》る。
「何處《どこ》までゝもいゝんだ」巡査《じゆんさ》は呶鳴《どな》つてぴしやりと横手《よこて》で勘次《かんじ》の頬《ほゝ》を叩《たゝ》いた。
 勘次《かんじ》は草刈籠《くさかりかご》を脊負《せお》つて巡査《じゆんさ》の後《あと》に跟《つ》いて主人《しゆじん》の家《いへ》の裏庭《うらには》へ導《みちび》かれた。巡査《じゆんさ》が縁側《えんがは》の坐蒲團《ざぶとん》へ腰《こし》を掛《か》けた時《とき》勘次《かんじ》は籠《かご》を脊負《せお》つた儘《まゝ》首《くび》を俛《た》れて立《た》つた。それは餘《あま》りに見《み》え透《す》いた仕事《しごと》なので有繋《さすが》に分別盛《ふんべつざかり》の主人《しゆじん》は出《で》なかつた。内儀《かみ》さんが出《で》た。勘次《かんじ》は益《ます/\》萎《しほ》れた。
「勘次《かんじ》、お前《まへ》まあそれを置《お》いて此處《こゝ》へ掛《か》けて見《み》たらどうだね」内儀《かみ》さんはいつた。勘次《かんじ》はそれでも只《たゞ》立《た》つて居《ゐ》る。
「品物《しなもの》は此《これ》だけなんでしたらうか」内儀《かみ》さんは巡査《じゆんさ》に聞《き》いた。
「此《こ》の位《くらゐ》のものらしいやうでしたな、案外《あんぐわい》少《すくな》かつたんですな」巡査《じゆんさ》は手帖《ててふ》を反覆《くりかへ》しながらいつた。
「さうでございますか」内儀《かみ》さんは巡査《じゆんさ》に會釋《ゑしやく》してさうして
「どうしたね勘次《かんじ》、恁《か》うして連《つ》れて來《こ》られてもいゝ心持《こゝろもち》はすまいね」といつた。藁草履《わらざうり》を穿《は》いた勘次《かんじ》の爪先《つまさき》に涙《なみだ》がぽつりと落《お》ちた。
「こんなことでお前《まへ》世間《せけん》が騷《さわ》がしくて仕《し》やうがないのでね、私《わたし》の處《ところ》でも本當《ほんたう》に困《こま》つて畢《しま》ふんだよ」内儀《かみ》さんは巡査《じゆんさ》を一寸《ちよつと》見《み》てさうして
「此《こ》れから屹度《きつと》やらないなら今日《けふ》の處《ところ》だけは大目《おほめ》に見《み》て戴《いたゞ》いて警察《けいさつ》へ連《つ》れて行《ゆ》かれないやうに伺《うかゞ》つて見《み》てあげるがね、どうしたもんだね」と勘次《かんじ》へいつた。
「何卒《どうぞ》はあ、決《けつ》してやりませんから、へえお内儀《かみ》さんどうぞ」勘次《かんじ》は草刈籠《くさかりかご》を脊負《せお》うて前屈《まへかゞみ》になつた身體《からだ》を幾度《いくど》か屈《かゞ》めていつた。涙《なみだ》が又《また》ぼろ/\と衣《きもの》の裾《すそ》から跳《は》ねてほつ/\と庭《には》の土《つち》に點《てん》じた。
「如何《いかゞ》なもんでござんせうね此《こ》れは」内儀《かみ》さんは微笑《びせう》を含《ふく》んで巡査《じゆんさ》に向《むか》つていつた。
「さうですなあ」巡査《じゆんさ》は首《くび》を傾《かたむ》けていつて更《さら》に帶劍《たいけん》の鞘《さや》を膝《ひざ》へとつて
「どうだ勘次《かんじ》、
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