を更《さら》に骨《ほね》まで噛《か》むやうなことをして居《ゐ》るのである。一|般《ぱん》には落葉《おちば》や青草《あをぐさ》の缺乏《けつばふ》を感《かん》ずると共《とも》に便利《べんり》な各種《かくしゆ》の人造肥料《じんざうひれう》が供給《きようきふ》される。然《しか》しそれも依然《いぜん》として金錢《きんせん》に幾《いく》らでも餘裕《よゆう》のある人《ひと》にのみ便利《べんり》なのであつて、貧乏《びんばふ》な百姓《ひやくしやう》には牛《うし》や馬《うま》が馬塞棒《ませぼう》で遮《さへぎ》られたやうな形《かたち》でなければならぬ。さうかといつて其《そ》れ等《ら》の肥料《ひれう》なしには到底《たうてい》一|般《ぱん》に定《さだ》められてある小作料《こさくれう》を支拂《しはら》ふ丈《だけ》の收穫《しうくわく》は得《え》られないので慘憺《さんたん》たる工夫《くふう》が彼等《かれら》の心《こゝろ》を往來《わうらい》する。さうして又《また》食料《しよくれう》を求《もと》める爲《ため》に勞力《らうりよく》を他《た》に割《さ》くことによつて、作物《さくもつ》の畦間《うねま》を耕《たがや》すことも雜草《ざつさう》を除《のぞ》くことも一|切《さい》が手後《ておく》れに成《な》る。季節《きせつ》が暑《あつ》くなれば雨《あめ》があつて三|日《か》も見《み》ないうちには雜草《ざつさう》は驚《おどろ》くべき迅速《じんそく》な發育《はついく》を遂《と》げる。それが著《いちじる》しく作物《さくもつ》の勢力《せいりよく》を阻害《そがい》する。それだけ收穫《しうくわく》の減少《げんせう》を來《きた》さねばならぬ筈《はず》である。要《えう》するに勤勉《きんべん》な彼等《かれら》は成熟《せいじゆく》の以前《いぜん》に於《おい》て既《すで》に青々《せい/\》たる作物《さくもつ》の活力《くわつりよく》を殺《そ》いで食《く》つて居《ゐ》るのである。收穫《しうくわく》の季節《きせつ》が全《まつた》く終《をは》りを告《つ》げると彼等《かれら》は草木《さうもく》の凋落《てうらく》と共《とも》に萎靡《ゐび》して畢《しま》はねばならぬ。草木《さうもく》の眠《ねむ》りに落《お》ち去《さ》る少《すくな》くとも五六十|日《にち》の間《あひだ》は、彼等《かれら》は稀《まれ》に冬懇《ふゆばり》というて麥《むぎ》の畦間《うねま》を耕《たがや》すことや林《はやし》の間《あひだ》に落葉《おちば》や薪《たきゞ》を求《もと》めることがあるに過《す》ぎぬ。自分《じぶん》の食料《しよくれう》に換《かへ》る丈《だけ》の錢《ぜに》を獲《う》ることが其《そ》の期間《きかん》の仕事《しごと》に於《おい》ては見出《みいだ》されないのである。蛇《へび》や蛙《かへる》や其《そ》の他《た》の蟲類《むしるゐ》が假死《かし》の状態《じやうたい》に在《あ》る間《あひだ》に彼等《かれら》は目前《もくぜん》に逼《せま》つて居《を》る未來《みらい》の苦《くる》しみを招《まね》く爲《ため》に、過去《くわこ》の苦《くる》しかつた記念《きねん》である其《そ》の缺乏《けつばふ》した米《こめ》や麥《むぎ》を日《ひ》毎《ごと》に消耗《せうまう》して行《ゆ》くのである。彼等《かれら》は手《て》に内職《ないしよく》を持《も》つて居《を》らぬ。自分《じぶん》の使用《しよう》すべき爲《ため》にのみは筵《むしろ》も草履《ざうり》も畚《もつこ》も草鞋《わらぢ》も其《そ》の他《た》のものも藁《わら》で作《つく》ることを知《し》つて居《を》れども、大抵《たいてい》は刈《か》り後《おく》れになつた藁《わら》では立派《りつぱ》な製作《せいさく》は得《え》られないのである。それであるのに彼等《かれら》は肥料《ひれう》の缺乏《けつばふ》を訴《うつた》へつゝ其《そ》の藁屑《わらくづ》や粟幹《あはがら》や其《そ》の他《た》のものが庭《には》に散《ち》らばつて居《ゐ》ても容易《ようい》にそれを始末《しまつ》しようとしない。他人《ひと》の注意《ちうい》を受《う》けてもそれでも改《あらた》めることをしない。彼等《かれら》は苦《くる》しい時《とき》に苦《くる》しむことより外《ほか》に何《なん》にも知《し》ることがないのである。
勘次《かんじ》も彼等《かれら》の仲間《なかま》である。然《しか》しながら彼《かれ》は境遇《きやうぐう》の異常《いじやう》な刺戟《しげき》から寸時《すんじ》も其《そ》の身《み》を安住《あんぢゆう》せしむる餘裕《よゆう》を有《も》たなかつた。彼《かれ》も他《た》の貧乏《びんばふ》な百姓《ひやくしやう》のするやうに冬《ふゆ》の季節《きせつ》になれば薪《たきゞ》を採《と》つて壁《かべ》に積《つ》んで置《お》くことをした。彼《かれ》は近來《きんらい》に成《な》つてから隣《となり》の主人《しゆじん》が林《はやし》を改良《かいりやう》する爲《ため》に雜木林《ざふきばやし》を一|旦《たん》開墾《かいこん》して畑《はたけ》にするといふことに成《な》つたので其《そ》の一|部《ぶ》を擔當《たんたう》した。彼《かれ》は小《ちひ》さな身體《からだ》である。然《しか》し彼《かれ》は重量《ぢうりやう》ある唐鍬《たうぐは》を振《ふ》り翳《かざ》して一|鍬《くは》毎《ごと》にぶつりと土《つち》をとつては後《うしろ》へそつと投《な》げつゝ進《すゝ》む。彼《かれ》は其《その》開墾《かいこん》の仕事《しごと》が上手《じやうず》で且《か》つ好《す》きである。其《そ》のきりつと緊《しま》つた身體《からだ》は小《ちひ》さいにしてもそれが各部《かくぶ》の平均《へいきん》を保《たも》つて唐鍬《たうぐは》を執《と》るときには彼《かれ》と唐鍬《たうぐは》とは唯《たゞ》一|體《たい》である。唐鍬《たうぐは》の廣《ひろ》い刄先《はさき》が木《き》の根《ね》に切《き》り込《こ》む時《とき》には彼《かれ》の身體《からだ》も一《ひと》つにぐざりと其《そ》の根《ね》を切《き》つて透《とほ》るかと思《おも》ふやうである。土《つち》を切《き》り起《おこ》すことの上手《じやうず》なのは彼《かれ》の天性《てんせい》である。それで彼《かれ》は遠《とほ》く利根川《とねがは》の工事《こうじ》へも行《い》つたのであつた。彼《かれ》は自分《じぶん》の伎倆《うで》を恃《たの》んで居《ゐ》る。彼《かれ》は以前《いぜん》からも少《すこ》しづつ開墾《かいこん》の仕事《しごと》をした。其《そ》の賃錢《ちんせん》によつて其《そ》の土地《とち》を深《ふか》くも淺《あさ》くも速《はや》くも遲《おそ》くも仕上《しあ》げることを知《し》つて居《ゐ》た。竹林《ちくりん》を開墾《かいこん》した時《とき》彼《かれ》は根《ね》の閉《と》ぢた儘《まゝ》一|坪《つぼ》の大《おほ》きさを只《たゞ》四《よ》つの塊《かたまり》に掘《ほ》り起《おこ》したことがある。それでも其《そ》の頃《ころ》まではさういふ仕事《しごと》が幾《いく》らも無《な》かつたので、其《そ》の賃錢《ちんせん》は仕事《しごと》を始《はじ》める時《とき》其《そ》の研《と》ぎ減《へ》らした唐鍬《たうぐは》の刄先《はさき》を打《う》たせる鍛冶《かぢ》の手間《てま》と、異常《いじやう》な勞働《らうどう》の爲《ため》に費《つひや》す其《そ》の食料《しよくれう》を除《のぞ》いては幾《いく》らもなかつたのである。
彼《かれ》は主人《しゆじん》の開墾地《かいこんち》が春《はる》一|杯《ぱい》の仕事《しごと》には十|分《ぶん》であることを悦《よろこ》んだ。錢《ぜに》の外《ほか》に彼《かれ》は米《こめ》と麥《むぎ》との報酬《ほうしう》を受《う》けることにした。おつぎは別《べつ》に仕事《しごと》といつてはなかつたが彼《かれ》はおつぎを一人《ひとり》では家《うち》に置《お》かなかつた。與吉《よきち》を連《つ》れておつぎは開墾地《かいこんち》へ行《い》つて居《ゐ》た。勘次《かんじ》が其《そ》の鍛錬《たんれん》した筋力《きんりよく》を奮《ふる》つて居《ゐ》る間《ま》におつぎはそこらの林《はやし》から雀枝《すゞめえだ》を採《と》つて小《ちひ》さな麁朶《そだ》を作《つく》つて居《ゐ》る。小《ちひ》さな枝《えだ》は土地《とち》では雀枝《すゞめえだ》といはれて居《ゐ》る。枯《かれ》た雀枝《すゞめえだ》を採《と》ることは何處《どこ》の林《はやし》でも持主《もちぬし》が八釜敷《やかましく》いはなかつた。
勘次《かんじ》は雨《あめ》でも降《ふ》らねば毎日《まいにち》必《かなら》ず唐鍬《たうぐは》を擔《かつ》いで出《で》た。或《ある》日《ひ》彼《かれ》は木《き》の株《かぶ》へ唐鍬《たうぐは》を強《つよ》く打込《うちこ》んでぐつとこじ扛《あ》げようとした時《とき》鍛《きた》へのいゝ刃《は》と白橿《しらかし》の柄《え》とは強《つよ》かつたのでどうもなかつたが、鐵《てつ》の楔《くさび》で柄《え》の先《さき》を締《し》めた其《そ》の唐鍬《たうぐは》の四|角《かく》な穴《あな》の處《ところ》が俄《にはか》に緩《ゆる》んだ。其處《そこ》はひつといはれて居《ゐ》る。ひつに大《おほ》きな罅《ひゞ》が入《い》つたのである。柄《え》がやがてがた/\に動《うご》いた。
「えゝ、箆棒《べらぼう》、一日《いちんち》の手間《てま》鍛冶屋《かぢや》へ打《ぶ》つ込《こ》んちあなくつちやなんねえ」彼《かれ》は呟《つぶや》いた。
次《つぎ》の朝《あさ》彼《かれ》は未明《みめい》に鍛冶《かぢ》へ走《はし》つた。
「わし行《い》つて來《き》あんすから、此等《こつら》こと見《み》てゝおくんなせえ」おつぎと與吉《よきち》とを南《みなみ》の女房《にようばう》へ頼《たの》んだ。
「他《ほか》へは行《い》くんぢやねえぞ、えゝか、よきは泣《な》かさねえやうにしてんだぞ」彼《かれ》はおつぎへもいつて出《で》た。おつぎは其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《そんな》注意《ちうい》を人前《ひとまへ》でされることがもう耻《はづ》かしく厭《いや》な心持《こゝろもち》がするやうに成《なつ》て居《ゐ》た。
勘次《かんじ》は鬼怒川《きぬがは》の渡《わたし》を越《こ》えて土手《どて》を傳《つた》ひて、柄《え》のない唐鍬《たうぐは》を持《も》つて行《い》つた。鍛冶《かぢ》は其《そ》の時《とき》仕事《しごと》が支《つか》へて居《ゐ》たが、それでも恁《か》ういふ職業《しよくげふ》に缺《か》くべからざる道具《だうぐ》といふと何處《どこ》でもさういふ例《れい》の速《すみやか》に拵《こしら》へてくれた。
「隨分《ずゐぶん》荒《あれ》えことしたと見《め》えつけな、俺《お》らも近頃《ちかごろ》になつて此《こ》の位《くれ》えな唐鍬《たうぐは》滅多《めつた》打《ぶ》つたこたあねえよ、」鍛冶《かぢ》は赤《あか》く熱《ねつ》した其《そ》の唐鍬《たうぐは》を暫《しばら》く槌《つち》で叩《たゝ》いて、それから土中《どちう》へ据《す》ゑた桶《をけ》の泥《どろ》を溶《と》いたやうな水《みづ》へぢうと浸《ひた》して、更《さら》に又《また》小《ちひ》さな槌《つち》でちん/\と叩《たゝ》いて
「こんだこさ大丈夫《だいぢようぶ》だ、先《せん》にやどうして罅《ひゞ》なんぞいつたけかよ」鍛冶《かぢ》は汗《あせ》の額《ひたひ》を勘次《かんじ》に向《む》けて
「柄《え》が折《を》つちよれねえうちは動《いご》きつこねえから」といつて又《また》
「身體《からだ》の割《わり》にしちや圖《づ》無《ね》えな」と鍛冶《かぢ》は微笑《びせう》した。鐵《てつ》の臭《にほひ》のする唐鍬《たうぐは》を提《さ》げて勘次《かんじ》は復《また》土手《どて》を走《はし》つた。
其《そ》の日《ひ》も西風《にしかぜ》が枯木《かれき》の林《はやし》から麥畑《むぎばたけ》からさうして鬼怒川《きぬがは》を渡《わた》つて吹《ふ》いた。鬼怒川《きぬがは》の水《みづ》は白《しろ》い波《なみ》が立《た》つて、遠《とほ》くからはそれが粟《
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