はあ引《ひ》つ懸《か》けんぢやねえぞ大變《たえへん》だかんな」おつぎは極《きは》めて輕《かる》く叱《しか》つて又《また》田《た》へおりた。勘次《かんじ》は又《また》呶鳴《どな》つた。
「そんでもよき[#「よき」に傍点]は絲《いと》切《き》つちまつたんだもの」
 おつぎは危《あや》ぶむやうにして控《ひか》へ目《め》に聲《こゑ》を立《た》てゝいつた。おつぎは默《だま》つて其《そ》の手《て》を動《うご》かして居《ゐ》る。與吉《よきち》は返辭《へんじ》がなくても懷《なつ》かし相《さう》に姉《ねえ》ようと數次《しば/\》喚《よ》び掛《か》けた。おつぎの姿《すがた》が遠《とほ》くなれば筵《むしろ》へ口《くち》のつく程《ほど》屈《かゞ》んで聲《こゑ》を限《かぎ》りに喚《よ》んだ。
 其《そ》の晩《ばん》勘次《かんじ》は二人《ふたり》を連《つ》れて近所《きんじよ》へ風呂《ふろ》を貰《もら》ひに行《い》つた。おつぎは其處《そこ》へ聚《あつま》つた近所《きんじよ》の女房《にようばう》に自分《じぶん》の手《て》を見《み》せて
「俺《お》らこんなに肉刺《まめ》出《で》つちやつたんだよ」と呟《つぶや》いた。
「ほんによな、痛《いた》かつぺえなそりや、そんでもおつかあが居《ゐ》ねえから働《はたら》かなくつちやなんねえな」女房《にようばう》は慰《なぐさ》めるやうにいつた。
「おつかあのねえものは厭《や》だな」おつぎはいつて勘次《かんじ》を見《み》ると直《すぐ》に首《くび》を俛《たれ》た。勘次《かんじ》は側《そば》で凝然《ぢつ》とそれを聞《き》いて居《ゐ》た。
「おつう等《ら》だつて今《いま》に善《え》えこともあらな、そんだがおつかゞ無《な》くつちや衣物《きもの》欲《ほ》しくつても此《これ》ばかりは仕《し》やうがねえのよな」女房《にようばう》はいつた。勘次《かんじ》は其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《そんな》ことは云《い》はずに居《ゐ》て呉《く》れゝばいゝのにと思《おも》ひながら六《むづ》か敷《し》い顏《かほ》をして默《だま》つて居《ゐ》た。
「此《こ》の肉刺《まめ》はとがめ[#「とがめ」に傍点]めえか」おつぎは手《て》の平《ひら》の處々《ところ/″\》に出《で》た肉刺《まめ》を見《み》て心配相《しんぱいさう》にいつた。
「何《なん》でとがめるもんか」勘次《かんじ》は抑制《よくせい》した或《ある》物《もの》が激發《げきはつ》したやうに直《すぐ》に打消《うちけ》した。
 勘次《かんじ》は家《いへ》に戻《もど》ると飯臺《はんだい》の底《そこ》にくつゝいて居《ゐ》る飯《めし》の中《なか》から米粒《こめつぶ》ばかり拾《ひろ》ひ出《だ》してそれを煙草《たばこ》の吸殼《すひがら》と煉合《ねりあは》せた。さうして針《はり》の先《さき》でおつぎの湯《ゆ》から出《で》たばかりで軟《やはら》かく成《な》つた手《て》の肉刺《まめ》をついて汁液《みづ》を出《だ》して其處《そこ》へそれを貼《は》つて遣《や》つた。
「しく/\すんな」おつぎは貼《は》つた箇所《かしよ》を見《み》ていつた。
「液汁《みづ》出《だ》したばかりにやちつた痛《えて》えとも、その代《けえし》すぐ癒《なほ》つから」勘次《かんじ》はおつぎを凝然《ぢつ》と見《み》てそれからもう鼾《いびき》をかいて居《ゐ》る與吉《よきち》を見《み》た。
「肉刺《まめ》なんぞ出《で》たらば出《で》たつておとつゝあげいふもんだ、他人《ひと》のげなんぞ見《み》せたりなにつかするもんぢやねえ、汝等《わツら》なんにも知《し》らねえから仕《し》やうねえ、田耕《たうね》え始《はじ》まりにやおとつゝあ等《ら》見《み》てえな手《て》だつてかうえに出《で》んだか見《み》ろ。それ痛《いて》えの我慢《がまん》しい/\行《や》りせえすりや固《かた》まつちあんだ」勘次《かんじ》は自分《じぶん》の手《て》をおつぎへ示《しめ》した。
「おつかゞ無《な》くなつて困《こま》んな汝《われ》ばかしぢやねえんだから」勘次《かんじ》は暫《しばら》く間《あひだ》を置《おい》てぽつさりとしていつた。
「身上《しんしやう》の爲《ため》だから汝《われ》も我慢《がまん》するもんだ、見《み》ろ汝等處《わツらとこ》ぢやねえ、武州《ぶしう》の方《はう》へなんぞ遣《や》られて泣《な》き拔《ぬ》いてるものせえあら」と彼《かれ》は又《また》辛《から》うじていつた。大人《おとな》しく默《だま》つて居《ゐ》たおつぎは
「武州《ぶしう》ツちやどつちの方《はう》だんべ」寧《むし》ろあどけなく聞《き》いた。
「あつちの方《はう》よ、汝《われ》が足《あし》ぢや一日にや歩《ある》けねえ處《ところ》だ」勘次《かんじ》は雨戸《あまど》の方《はう》を向《む》いて西南《せいなん》を示《しめ》した。
「遠《とほ》いんだな、其處《そこ》へ行《い》つたらどうすんだんべ」
「機織《はたおり》するものもあれば百姓《ひやくしやう》するものもあんのよ」
「機教《はたをさ》れぢやよかんべな」
「何《なん》でえゝことあるもんか、家《うち》へなんざあ滅多《めつた》に來《き》られやしねえんだぞ、そんで朝《あさ》から晩迄《ばんまで》みつしら使《つか》あれて、それ處《どこ》ぢやねえ病氣《びやうき》に成《な》つたつて餘程《よつぽど》でなくつちや葉書《はがき》もよこさせやしねえ」
「そんぢや、さうえ處《とこ》へ行《い》つちやひでえな、逃《に》げて來《く》ることも出來《でき》ねえんだんべか」
「直《す》ぐ捉《つか》めえられつちあからそんなに遁《に》げられつかえ」
「巡査《じゆんさ》に捉《つか》まんだんべか」
「さうなもんか、巡査《じゆんさ》でなくつたつて遁《に》げ出《だ》せば直《す》ぐ捉《つか》めえるやうに人《ひと》が番《ばん》してんのよ、なあ、そんでもなくつちや遠《とほ》くの者《もの》ばかり頼《たの》んで置《お》くんだもの仕《し》やうあるもんか」
「そんでも厭《や》だつちつたらどうすんだんべ」
「厭《や》だなんていつた位《くれえ》ひでえとも立金《たてきん》しなくつちやなんねえから」
「どういにすんだんべそら」
「そらなあ、幾《いく》ら勤《つと》めたつて途中《とちう》で厭《や》だからなんて出《で》つちめえば、借《か》りた丈《だけ》の給金《きふきん》はみんな取《と》つくる返《け》えされんのよ、なあ、それから泣《な》き/\も居《ゐ》なくつちやなんねえのよ」
「そんぢや俺《お》らさうえ處《とこ》へ行《い》かねえでよかつたつけな」おつぎは熱心《ねつしん》にいつた。
「そんだから汝等《わツら》こた遣《や》りやしねえ。汝《われ》こと奉公《ほうこう》にやれば其《そ》の錢《ぜね》で俺《お》ら借金《しやくきん》も無《な》くなるし、よき[#「よき」に傍点]ことだつて輕業師《かるわざ》げでも出《だ》しつちめえばそれこそ樂《らく》になつちあんだが、おつかゞ無《な》くつちや辛《つれ》えつて後《あと》で泣《な》かれんの厭《や》だから俺《お》ら土《ちゝ》噛《かぢ》つてもそんな料簡《れうけん》は出《だ》さねんだ」
「おとつゝあ、奉公《ほうこう》すれば借金《しやくきん》なくなんだんべか」
「おつかせえ居《え》れば汝《われ》ことも奉公《ほうこう》に出《だ》して、おとつゝあ等《ら》もえゝ錢《ぜね》捉《つか》めえんだが、おつかゞ無《な》くなつておとつゝあだつて困《こま》つてんだ、それから汝《われ》だつて奉公《ほうこう》に行《い》つた積《つもり》で辛抱《しんばう》するもんだ、なあ、俺《お》ら汝等《わツら》げみじめ見《み》せてえこたあ有《あ》りやしねんだから」
 勘次《かんじ》はしみ/″\と反覆《くりかへ》した。
 勘次《かんじ》はおつぎに身體《からだ》不相應《ふさうおう》な仕事《しごと》をさせて居《ゐ》ることを知《し》つて居《ゐ》る。それで自分《じぶん》が朝《あさ》は屹度《きつと》先《さき》へ起《お》きて竈《かまど》の下《した》へ火《ひ》を點《つ》ける。其《そ》の時《とき》疲《つか》れた少女《せうぢよ》はまだぐつたりと正體《しやうたい》もなく枕《まくら》からこけて居《ゐ》る。白《しろ》い蒸氣《ゆげ》が釜《かま》の蓋《ふた》から勢《いきほ》ひよく洩《も》れてやがて火《ひ》が引《ひ》かれてからおつぎは起《おこ》される。帯《おび》を締《しめ》た儘《まゝ》横《よこ》になつたおつぎは容易《ようい》に開《あ》かない目《め》をこすつて井戸端《ゐどばた》へ行《ゆ》く。蓬々《ぼう/\》と解《と》けた髮《かみ》へ櫛《くし》を入《い》れて冷《つめ》たい水《みづ》へ手《て》を入《い》れた時《とき》おつぎは漸《やうや》く蘇生《いきかへ》つたやうになる。それでも目《め》はまだ赤《あか》くて態度《たいど》がふら/\と懶相《だるさう》である。
「さあ、飯《おまんま》出來《でき》たぞ」勘次《かんじ》は釜《かま》から茶碗《ちやわん》へ飯《めし》を移《うつ》す。さうして自分《じぶん》で農具《のうぐ》を執《と》つておつぎへ持《も》たせてそれからさつさと連《つ》れ出《だ》すのである。
 籾種《もみだね》がぽつちりと水《みづ》を突《つ》き上《あ》げて萌《も》え出《だ》すと漸《やうや》く強《つよ》くなつた日光《につくわう》に緑《みどり》深《ふか》くなつた嫩葉《わかば》がぐつたりとする。軟《やはら》かな風《かぜ》が凉《すゞ》しく吹《ふ》いて松《まつ》の花粉《くわふん》が埃《ほこり》のやうに濕《しめ》つた土《つち》を掩《おほ》うて、小麥《こむぎ》の穗《ほ》にもびつしりと黴《かび》のやうな花《はな》が附《つ》いた。百姓《ひやくしやう》は皆《みな》自分《じぶん》の手足《てあし》に不足《ふそく》を感《かん》ずる程《ほど》忙《いそが》しくなる。勘次《かんじ》は一|意《い》只《たゞ》仕事《しごと》の手後《ておく》れになるのを怖《おそ》れた。草臥《くたび》れても疲《つか》れても彼《かれ》は毎日《まいにち》未明《みめい》に起《お》きて夜《よ》まで其《そ》の手足《てあし》を動《うご》かして止《や》まぬ。おつぎも其《そ》の後《あと》に跟《つ》いて草臥《くたび》れた身體《からだ》を引《ひ》きずられた。晩餐《ゆふめし》の支度《したく》に與吉《よきち》を負《お》うて先《さき》へ歸《かへ》るのがおつぎにはせめてもの骨休《ほねやす》めであつた。
 勘次《かんじ》は麥《むぎ》の間《あひだ》へ大豆《だいづ》を蒔《ま》いた。畦間《うねま》へ淺《あさ》く堀《ほり》のやうな凹《くぼ》みを拵《こしら》へてそこへぽろ/\と種《たね》を落《おと》して行《ゆ》く。勘次《かんじ》はぐい/\と畦間《うねま》を掘《ほ》つて行《ゆ》く。後《あと》からおつぎが種《たね》を落《おと》した。おつぎのまだ短《みじか》い身體《からだ》は麥《むぎ》の出揃《でそろ》つた白《しろ》い穗《ほ》から僅《わづか》に其《そ》の被《かぶ》つた手拭《てぬぐひ》と肩《かた》とが表《あら》はれて居《ゐ》る。與吉《よきち》は道《みち》の側《はた》の薦《こも》の上《うへ》に大人《おとな》しくして居《ゐ》る。おつぎの白《しろ》い手拭《てぬぐひ》が段々《だん/\》麥《むぎ》の穗《ほ》に隱《かく》れると與吉《よきち》は姉《ねえ》ようと喚《よ》ぶ。おつぎはおういと返辭《へんじ》をする。おつぎの聲《こゑ》が聞《きこ》えると與吉《よきち》は凝然《ぢつ》として居《ゐ》る。勘次《かんじ》は畦間《うねま》を作《つく》りあげてそれから自分《じぶん》も忙《いそが》しく大豆《だいづ》を落《おと》し初《はじ》めた。勘次《かんじ》は間懶《まだる》つこいおつぎの手《て》もとを見《み》て其《そ》の畝《うね》をひよつと覗《のぞ》いた。種《たね》と種《たね》との間隔《かんかく》が不平均《ふへいきん》で四|粒《つぶ》も五|粒《つぶ》も一つに落《お》ちてる處《ところ》があつた。
「此《こ》のざまはどうしたんだ、こんなこつて生計《くらし》が出來《でき》つか」と呶鳴《どな》りながら彼《かれ》は突然《とつぜん》お
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