むし》ろ憐《あはれ》になつて又《また》こちらから仕事《しごと》を吩咐《いひつ》けてやつた。更《さら》に袋《ふくろ》へ米《こめ》と挽割麥《ひきわりむぎ》とを交《ま》ぜたのを入《い》れて、それから此《こ》れは傭人《やとひにん》にも炊《た》いてやれないのだからお前《まへ》がよければ持《も》つて行《い》つて秋《あき》にでもなつたら糯粟《もちあは》の少《すこ》しも返《かへ》せと二三|斗《ど》入《はひ》つた粳粟《うるちあは》の俵《たわら》とを一つに遣《や》つた。勘次《かんじ》は主人《しゆじん》の爲《ため》に一|所懸命《しよけんめい》働《はたら》いた。其《そ》の以前《いぜん》からも彼《かれ》は只《たゞ》隣《となり》の主人《しゆじん》から見棄《みす》てられないやうと心《こゝろ》には思《おも》つて居《ゐ》るのであつた。然《しか》し非常《ひじやう》な勞働《らうどう》は傭人《やとひにん》の仲間《なかま》には忌《い》まれた。それは傭人《やとひにん》も彼《かれ》に倣《なら》つて自分《じぶん》も其《そ》の勞力《らうりよく》を偸《ぬす》むことが出來《でき》ないからである。
 さうする内《うち》に世間《せけん》は復《また》春《はる》が移《うつ》つて雨《あめ》が忙《いそが》しく田畑《たはた》へ水《みづ》を供給《きようきふ》した。勘次《かんじ》は自分《じぶん》の後《うしろ》の田《た》へ出《で》て刈株《かりかぶ》を引《ひ》つ返《かへ》しては耕《たがや》した。おつぎも萬能《まんのう》を持《も》つて勘次《かんじ》の後《あと》に跟《つ》いた。勘次《かんじ》はお品《しな》の手《て》が減《へ》つた丈《だけ》はおつぎを使《つか》つてどうにか從來《これまで》作《つく》つた土地《とち》は始末《しまつ》をつけようと思《おも》つた。殊《こと》に田《た》は直《すぐ》後《うしろ》なので什※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《どんな》にしても手放《てばな》すまいとした。一|且《たん》地主《ぢぬし》へ還《かへ》して畢《しま》つたら再《ふたゝ》び自分《じぶん》が欲《ほ》しくなつても容易《ようい》に手《て》に入《い》れることが出來《でき》ないのを怖《おそ》れたからである。今《いま》におつぎを一|人前《にんまへ》に仕込《しこ》んで見《み》ると勘次《かんじ》は心《こゝろ》に思《おも》つて居《ゐ》る。勘次《かんじ》は萬能《まんのう》をぶつりと打《う》ち込《こ》んではぐつと大《おほ》きな土《つち》の塊《かたまり》を引返《ひきかへ》す。おつぎは漸《やうや》く小《ちひ》さな塊《かたまり》を起《おこ》す。勘次《かんじ》の手《て》は速《すみや》かに運動《うんどう》してずん/\と先《さき》へ進《すゝ》む。おつぎは段々《だん/\》後《おく》れて小《ちひ》さな塊《かたまり》を淺《あさ》く起《おこ》して進《すゝ》んで行《ゆ》く。さうすると
「そんなに可怖《おつかな》びつくりやんぢやねえかうすんだ」勘次《かんじ》は遲緩《もどか》し相《さう》におつぎの萬能《まんのう》をとつて打《う》ち込《こ》んで見《み》せる。
「そんでもおとつゝあ、俺《おら》がにやさういにや出來《でき》ねえんだもの」
「そんな料簡《れうけん》だから汝等《わツら》駄目《だめ》だ、本當《ほんたう》にやつて見《み》る積《つもり》でやつて見《み》ろ」
 おつぎは勘次《かんじ》に後《おく》れつゝ手《て》の力《ちから》の及《およ》ぶ限《かぎ》り働《はたら》いた。
 與吉《よきち》は田圃《たんぼ》の堀《ほり》の邊《ほとり》に筵《むしろ》を敷《し》いて其處《そこ》に置《お》いてある。
「えんとして居《ゐ》ろ、動《いご》くんぢやねえぞ動《いご》くとぽかあんと堀《ほり》の中《なか》さ落《おつ》こちつかんな、そうら蛙《けえる》ぽかあんと落《おつ》こつた。動《いご》くなあ、此處《こゝ》に棒《ぼう》あつた、そうら此《これ》でも持《も》つてろ、泣《な》くんぢやねえぞ、姉《ねえ》は此《こ》の田《た》ン中《なか》に居《ゐ》んだかんな、泣《な》くとおとつゝあにあつぷつて怒《おこ》られつかんな」おつぎは頬《ほゝ》を擦《す》りつけて能《よ》くいひ含《ふく》めた。與吉《よきち》は土《つち》だらけの短《みぢか》い棒《ぼう》で岸《きし》の土《つち》を叩《たゝ》いて居《ゐ》る。さうして時々《とき/″\》後《あと》を向《む》いては姉《あね》の姿《すがた》を見《み》て安心《あんしん》して棒《ぼう》でぴた/\と叩《たゝ》いて居《ゐ》る。棒《ぼう》の先《さき》が水《みづ》を打《う》つので與吉《よきち》は悦《よろこ》んだ。それも少時《しばし》の間《あひだ》に飽《あ》いた。おつぎは與吉《よきち》がまた見《み》た時《とき》には田《た》の向《むかふ》の端《はし》に行《い》つて居《ゐ》た。
「姉《ねえ》よう」と與吉《よきち》は喚《よ》んだ。おつぎは返辭《へんじ》しなかつた。與吉《よきち》は又《また》喚《よ》んだ。さうして泣《な》き出《だ》した。おつぎは立《た》つて行《い》かうとすると
「構《かま》あねえで置《お》け、耕《うな》つてあつちへ行《い》つてからにしろ」勘次《かんじ》は性急《せいきふ》に嚴《きび》しくおつぎを止《と》めた。おつぎは仕方《しかた》なく泣《な》くのも構《かま》はずに耕《たがや》した。
 勘次《かんじ》は先《さき》へ/\と耕《たがや》して堀《ほり》の側《そば》まで來《き》た。
「泣《な》くな、今《いま》姉《ねえ》が後《あと》から來《く》らあ」勘次《かんじ》はかういつて、與吉《よきち》に一|瞥《べつ》を與《あた》へたのみで一|心《しん》に其《そ》の手《て》を動《うご》かして居《ゐ》る。與吉《よきち》はおつぎが漸《やうや》く近《ちか》づいた時《とき》一しきり又《また》泣《な》いた。
「よき[#「よき」に傍点]はどうしたんだ」おつぎは岸《きし》へ上《あが》つて泥《どろ》だらけの足《あし》で草《くさ》の上《うへ》に膝《ひざ》を突《つい》た。與吉《よきち》は笑交《わらひまじ》りに泣《な》いて兩手《りやうて》を出《だ》して抱《だ》かれようとする。
「姉《ねえ》は泥《どろ》だらけで仕《し》やうあんめえな、汚《よご》れてもえゝのかよき[#「よき」に傍点]は」いひながらおつぎは與吉《よきち》を抱《だ》いた。
「どうした、蛙奴《けえるめ》居《ゐ》ねえか、此《こ》の棒《ぼう》でばた/″\と叩《はた》いてやれ、さうしたら痛《いて》えようつて蛙奴《けえるめ》が泣《な》くべえな、泣《な》くな蛙《けえる》だよう、よき[#「よき」に傍点]は泣《な》かねえようつてなあ」おつぎは與吉《よきち》を抱《だ》いた儘《まゝ》勘次《かんじ》の方《ほう》を見《み》て
「おとつゝあ、あつちへ行《え》つちやつた、姉《ねえ》も行《え》かなくつちやなんねえ、おとつゝあに怒《おこ》られつかんな、又《また》えんとして居《ゐ》ろ」おつぎはそつと與吉《よきち》を筵《むしろ》へ卸《おろ》した。
「かせえてやれ、何《なに》してんだ、えゝ加減《かげん》にしろ」勘次《かんじ》は後《うしろ》を向《む》いて呶鳴《どな》つた。
「それ見《み》ろな怒《おこ》られつから、そら此處《こゝ》にえゝものが有《あ》つた」おつぎは田圃《たんぼ》にある鼠麹草《はゝこぐさ》の花《はな》を※[#「てへん+劣」、第3水準1−84−77]《むし》つて筵《むしろ》へ載《のせ》て遣《や》つた。さうして又《また》危《あぶな》いやうにそうつと田《た》へおりた。與吉《よきち》は只《たゞ》鼠麹草《はゝこぐさ》の花《はな》を弄《いぢ》つて居《ゐ》た。
 堀《ほり》は雨《あめ》の後《あと》の水《みづ》を聚《あつ》めてさら/\と岸《きし》を浸《ひた》して行《ゆ》く。青《あを》く茂《しげ》つて傾《かたむ》いて居《ゐ》る川楊《かはやなぎ》の枝《えだ》が一つ水《みづ》について、流《なが》れ去《さ》る力《ちから》に輕《かる》く動《うご》かされて居《ゐ》る。水《みづ》は僅《わづか》に觸《ふ》れて居《ゐ》る其《その》枝《えだ》の爲《ため》に下流《かりう》へ放射線状《はうしやせんじやう》を描《ゑが》いて居《ゐ》る。蘆《あし》のやうで然《しか》も極《きは》めて細《ほそ》い可憐《かれん》なとだしばがびり/\と撼《ゆる》がされながら岸《きし》の水《みづ》に立《た》つて居《ゐ》る。お玉杓子《たまじやくし》が水《みづ》の勢《いきほ》ひに怺《こら》へられぬやうにしては、俄《にはか》に水《みづ》に浸《ひた》されて銀《ぎん》のやうに光《ひか》つて居《ゐ》る岸《きし》の草《くさ》の中《なか》に隱《かく》れやうとする。さうしては又《また》凡《すべ》ての幼《をさな》いものゝ特有《もちまへ》で凝然《ぢつ》として居《を》られなくて可憐《かれん》な尾《を》をひら/\と動《うご》かしながら、力《ちから》に餘《あま》る水《みづ》の勢《いきほひ》にぐつと持《も》ち去《さ》られつゝ泳《およ》いで居《ゐ》る。與吉《よきち》は鼠麹草《はゝこぐさ》の花《はな》を水《みづ》へ投《な》げた。花《はな》が上流《じやうりう》に向《む》いて落《お》ちると、ぐるりと下流《かりう》へ押《お》し向《む》けられてずんずんと運《はこ》ばれて行《ゆ》く。岸《きし》の草《くさ》の中《なか》に居《ゐ》た蛙《かはづ》は剽輕《へうきん》に其《その》花《はな》へ飛《と》び付《つ》いて、それからぐつと後《うしろ》の足《あし》で水《みづ》を掻《か》いて向《むかふ》の岸《きし》へ着《つ》いてふわりと浮《う》いた儘《まゝ》大《おほ》きな目《め》を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》つてこちらを見《み》る。鼠麹草《はゝこぐさ》の花《はな》が皆《みな》投《な》げ竭《つく》されて與吉《よきち》は又《また》おつぎを喚《よ》んだ。
「おうい」とおつぎの情《じやう》を含《ふく》んだ聲《こゑ》が遠《とほ》くからいつた。おつぎの返辭《へんじ》を聞《き》いては與吉《よきち》は口癖《くちぐせ》のやうに姉《ねえ》よと喚《よ》ぶ。其《その》度《たび》毎《ごと》におつぎは忙《いそが》しい手《て》を動《うご》かしながらそれに應《おう》ずるのである。
 正午《ひる》にはまだ間《ま》があるうちに午餐《ひる》の支度《したく》を急《いそ》いでおつぎは田圃《たんぼ》から茶《ちや》を沸《わか》しにのぼる。與吉《よきち》は悦《よろこ》んでおつぎの背《せ》に噛《かぢ》りついた。勘次《かんじ》は後《あと》で獨《ひと》り耕《たがや》した。青《あを》い煙《けむり》が楢《なら》の木《き》から立《た》つて軈《やが》て
「沸《わ》いたぞう」とおつぎの聲《こゑ》で喚《よ》ばれるまでは勘次《かんじ》は忙《いそが》しい其《そ》の手《て》を止《と》めなかつた。
 午餐過《ひるすぎ》からおつぎは縫針《ぬひばり》へ絲《いと》を透《とほ》して竿《さを》へ附《つ》けて與吉《よきち》に持《も》たせた。與吉《よきち》は外《ほか》の子供《こども》のするやうに其《そ》の針《はり》を擧《あ》げて見《み》ては又《また》水《みづ》へ投《な》げて大人《おとな》しくして居《ゐ》る。暫《しばら》く時間《じかん》が經《た》つと又《また》姉《ねえ》ようと喚《よ》ぶ。おつぎは堀《ほり》の近《ちか》くへ耕《たがや》して來《き》た時《とき》に見《み》ると與吉《よきち》の竿《さを》は絲《いと》がとれて居《ゐ》た。おつぎは岸《きし》へ上《あが》つた。
「どうしたんでえ、よき[#「よき」に傍点]は」おつぎは見《み》ると針《はり》が向《むかふ》の岸《きし》から出《で》た低《ひく》い川楊《かはやなぎ》の枝《えだ》に纏《まつは》つて絲《いと》の端《はし》が水《みづ》について下流《かりう》へ向《む》いて居《ゐ》る。おつぎは二|町《ちやう》ばかり上流《じやうりう》の板橋《いたばし》を渡《わた》つて行《い》つて、漸《やうや》くのことで枝《えだ》を曲《ま》げて其《その》針《はり》をとつた。さうして又《また》與吉《よきち》の棒《ぼう》へ附《つ》けてやつた。

前へ 次へ
全96ページ中18ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
長塚 節 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング