》は一寸《ちよつと》見向《みむ》いたきりで歸《かへ》つたかともいはない。勘次《かんじ》が草臥《くたび》れた容子《ようす》をして居《ゐ》るのが態《わざ》とらしいやうに見《み》えるので卯平《うへい》は苦《にが》い顏《かほ》をして、火《ひ》の消《き》えた煙管《きせる》をぎつと噛《か》みしめては思《おも》ひ出《だ》したやうに雁首《がんくび》を火鉢《ひばち》へ叩《たゝ》き付《つ》けた。吸穀《すひがら》がひつゝいてるので彼《かれ》は力《ちから》一|杯《ぱい》に叩《たゝ》きつけた。勘次《かんじ》にはそれが當《あ》てつけにでもされるやうに心《こゝろ》に響《ひゞ》いた。
「おつぎみんなでも嘗《な》めさせろ、さうして汝《われ》も嘗《な》めつちめえ、おとつゝあ稼《かせ》えで來《き》たから汝等《わつら》も此《こ》れからよかんべえ」卯平《うへい》はいつた。勘次《かんじ》は漸《やうや》く歸《かへ》つた其《そ》の箭先《やさき》にかういふことで自分《じぶん》の家《うち》でも酷《ひど》く落付《おちつ》かない、こそつぱくて成《な》らない心持《こゝろもち》がするので彼《かれ》は足《あし》も洗《あら》はずに近所《きんじよ》へ義理《ぎり》も足《た》すからといつて出《で》て行《い》つた。
「明日《あした》だつてえゝのに」卯平《うへい》は後《あと》で呟《つぶや》いた。彼《かれ》はぶすり/\と口《くち》は利《き》くのであつたがそれでも先刻《さつき》からのやうにひねくれ曲《まが》つたことは此《こ》れまではいつたことはなかつた。
彼《かれ》は死《し》んだお品《しな》のことを思《おも》つて二人《ふたり》の子《こ》が憐《あは》れになつて勘次《かんじ》の居《ゐ》ない間《あひだ》の面倒《めんだう》を見《み》る氣《き》に成《な》つた。彼《かれ》は僅《わづか》な菓子《くわし》の袋《ふくろ》から小《ちひ》さな與吉《よきち》に慕《した》はれて見《み》ると有繋《さすが》に憎《にく》い心持《こゝろもち》も起《おこ》らなかつた。其《そ》の間《あひだ》彼《かれ》は何《なん》にも不足《ふそく》に思《おも》つては居《ゐ》なかつた。それを勘次《かんじ》が歸《かへ》つて見《み》ると性來《しやうらい》好《す》きでない勘次《かんじ》へ忽《たちま》ちに二人《ふたり》の子《こ》は靡《なび》いて畢《しま》つた。彼《かれ》は此《これ》までの心竭《こゝろづく》しを勘次《かんじ》に奪《うば》はれたやうで、ふつと不快《ふくわい》な感《かん》じを起《おこ》したのである。それもどんな姿《なり》にも勘次《かんじ》が義理《ぎり》を述《のべ》ればそれでもまだよかつたが、勘次《かんじ》は妙《めう》に身《み》がひけ[#「ひけ」に傍点]てそれが喉《のど》まで出《で》ても抑《おさ》へつけられたやうで聲《こゑ》に發《はつ》することが出來《でき》なかつたのである。
懷《ふところ》のさむしい勘次《かんじ》はさうして身《み》がひけるのを卯平《うへい》には却《かへつ》て餘所《よそ》/\しくされるやうな感《かん》じを與《あた》へた。勘次《かんじ》は卯平《うへい》にも子供《こども》にも濟《すま》ぬやうな氣《き》がしたので近所《きんじよ》へ義理《ぎり》を足《た》すというて出《で》て菓子《くわし》の一袋《ひとふくろ》を懷《ふところ》へ入《い》れて來《き》た。其《そ》の時《とき》與吉《よきち》はもう眠《ねむ》つて居《ゐ》た。卯平《うへい》は變《へん》なことをすると思《おも》つて見《み》て居《ゐ》た。さうして又《また》更《さら》に自分《じぶん》が酷《ひど》く隔《へだ》てられるやうに思《おも》つた。彼《かれ》は五十|錢《せん》の錢《ぜに》のことを思《おも》ひ出《だ》して忌々敷《いま/\しく》なつた。
「勘次等《かんじら》懷《ふところ》はよかつぺ」卯平《うへい》はぶつゝりと聞《き》いた。
「おとつゝあ、俺《お》らえゝ所《ところ》なもんぢやねえ、やつとのことで逃《に》げるやうにして來《き》たんだ、あんな所《ところ》へなんざあ決《けつ》して行《い》くもんぢやねえ、とつても駄目《だめ》なこつた、俺《おら》も懲《こ》りつちやつたよ」勘次《かんじ》は慌《あわ》てゝいつた。彼《かれ》は逢《あ》ふ人《ひと》毎《ごと》に必《かなら》ずよからう/\といはれるのを非常《ひじやう》に怖《おそ》れて居《ゐ》た。
「うむ、さうかなあ」卯平《うへい》は氣《き》のないやうにいつた。
「どうで俺《お》ら餘計者《よけいもの》だ、居《ゐ》やしねえからえゝや、幾《いく》ら持《もつ》てたつて構《かま》やしねえ」彼《かれ》は更《さら》に獨語《つぶや》いた。勘次《かんじ》は蒼《あを》くなつた。卯平《うへい》は勘次《かんじ》が屹度《きつと》錢《ぜに》を隱《かく》して居《ゐ》るのだと思《おも》つたのである。彼《かれ》はそんなこんなが不快《ふくわい》に堪《た》へないので次《つぎ》の日《ひ》野田《のだ》へ立《た》つて畢《しま》つた。
野田《のだ》で卯平《うへい》の役目《やくめ》といへば夜《よる》になつて大《おほ》きな藏々《くら/″\》の間《あひだ》を拍子木《ひやうしぎ》叩《たゝ》いて歩《ある》く丈《だけ》で老人《としより》の體《からだ》にもそれは格別《かくべつ》の辛抱《しんぼう》ではなかつた。晝《ひる》は午睡《ひるね》が許《ゆる》されてあるので其《そ》の時間《じかん》を割《さ》いて器用《きよう》な彼《かれ》には内職《ないしよく》の小遣取《こづかひどり》も少《すこ》しは出來《でき》た。好《す》きな煙草《たばこ》とコツプ酒《ざけ》に渇《かつ》することはなかつた。暑《あつ》い時《とき》にはさつぱりした浴衣《ゆかた》を引《ひ》つ掛《か》けて居《ゐ》ることも出來《でき》た。其處《そこ》は彼《かれ》には住《す》み辛《づら》い處《ところ》でもなかつた。只《たゞ》凍《い》ての酷《ひど》い冬《ふゆ》の夜《よ》などには以前《いぜん》からの持病《ぢびやう》である疝氣《せんき》でどうかすると腰《こし》がきや/\と痛《いた》むこともあつたが、其《そ》の時《とき》丈《だけ》は勘次《かんじ》とまづくなければお品《しな》の側《そば》でおとつゝあといはれて居《ゐ》たい心持《こゝろもち》もするのであつた。生來《せいらい》子《こ》を持《も》つたことのない彼《かれ》はお品《しな》一人《ひとり》が手頼《てたのみ》であつた。お品《しな》に死《し》なれて彼《かれ》は全《まつた》く孤立《こりつ》した。さうして老後《らうご》は到底《たうてい》勘次《かんじ》の手《て》に託《たく》さねばならぬことに成《な》つて畢《しま》つたのである。それでも不見目《みじめ》な貧相《ひんさう》な勘次《かんじ》は依然《いぜん》として彼《かれ》には蟲《むし》が好《す》かなかつた。彼《かれ》は野田《のだ》へ行《い》けば比較的《ひかくてき》に不自由《ふじいう》のない生活《せいくわつ》がして行《い》かれるので汝等《わつら》が厄介《やくかい》には成《な》らねえでも俺《おれ》はまだ立《たつ》て行《い》かれると、恁《か》うして哀愁《あいしう》に掩《おほ》はれた心《こゝろ》の一|方《ぱう》には老人《としより》の僻《ひが》みと愚癡《ぐち》とが起《おこ》つたのであつた。卯平《うへい》は心《こゝろ》に涙《なみだ》を呑《の》んだ。
勘次《かんじ》は悄然《せうぜん》として居《ゐ》た。與吉《よきち》が泣《な》く度《たび》に彼《かれ》は困《こま》つた。さうして毎日《まいにち》お品《しな》のことを思《おも》ひ出《だ》しては、天秤《てんびん》で手桶《てをけ》を擔《かつ》いだ姿《すがた》が庭《には》にも戸口《とぐち》にも時《とき》としては座敷《ざしき》にも見《み》えることがあつた。側《そば》に居《ゐ》るやうな氣《き》がして思《おも》はず顧《かへり》みることもあるのであつた。彼《かれ》はお品《しな》を思《おも》ひ出《だ》すと與吉《よきち》を抱《だ》いては「なあ、おつかあは居《ゐ》ねえんだぞ、おつかあが乳房《ちつこ》欲《ほ》しがんねえんだぞ」と始終《しじう》いつて聞《き》かせた。お品《しな》が居《ゐ》ないと殊更《ことさら》にいふのはそれは一つには彼自身《かれじしん》の斷念《あきらめ》の爲《ため》でもあつたのである。
お品《しな》は豆腐《とうふ》を擔《かつ》いで居《ゐ》る時《とき》は能《よ》く麥酒《ビール》の明罎《あきびん》を手桶《てをけ》へ括《くゝ》つて行《い》つた。それで歸《かへ》りの手桶《てをけ》が輕《かる》くなつた時《とき》は勘次《かんじ》の好《す》きな酒《さけ》がこぼ/\と罎《びん》の中《なか》で鳴《な》つて居《ゐ》た。お品《しな》は酒店《さかだな》へ豆腐《とうふ》を置《お》いては其《その》錢《ぜに》だけ酒《さけ》を入《い》れて貰《もら》ふので豆腐《とうふ》の儲《まう》けだけ廉《やす》い酒《さけ》を買《か》つて勘次《かんじ》を悦《よろこ》ばせるのであつた。それはお品《しな》の死《し》ぬ年《とし》のことだけである。お品《しな》は漸《やうや》く商《あきなひ》を覺《おぼ》えたといつて居《ゐ》たのはまだ其《そ》の夏《なつ》の頃《ころ》からである。初《はじ》めは極《きま》りが惡《わる》くて他人《たにん》の閾《しきゐ》を跨《また》ぐのを逡巡《もぢ/\》して居《ゐ》た。其《そ》の位《くらゐ》だから變《へん》な赤《あか》い顏《かほ》もして餘計《よけい》に不愛想《ぶあいさう》にも見《み》えるのであつたが、後《のち》には相應《さうおう》に時候《じこう》の挨拶《あいさつ》もいへるやうに成《な》つたとお品《しな》は能《よ》く勘次《かんじ》へ語《かた》つたのである。勘次《かんじ》は追憶《つゐおく》に堪《た》へなくなつてはお品《しな》の墓塋《はか》に泣《な》いた。彼《かれ》は紙《かみ》が雨《あめ》に溶《と》けてだらりとこけた白張提灯《しらはりちやうちん》を恨《うら》めし相《さう》に見《み》るのであつた。
勘次《かんじ》は悄《しを》れた首《くび》を擡《もた》げて三|人《にん》の口《くち》を糊《のり》するために日傭《ひよう》に出《で》た。彼《かれ》は能《よ》く隣《となり》の主人《しゆじん》に使《つか》つて貰《もら》つた。米《こめ》は屹度《きつと》彼《かれ》が搗《つ》かせられた。上手《じやうず》な彼《かれ》は減《へ》らさないでさうして白《しろ》く搗《つ》いた。彼《かれ》は時《とき》としては主人《しゆじん》のうつかりして居《ゐ》る間《ま》に藏《くら》から餘計《よけい》な米《こめ》を量《はか》り出《だ》して、そつと隱《かく》して置《お》いて夜《よる》自分《じぶん》の家《いへ》に持《も》つて來《く》ることがあつた。それも僅《わづ》か二|升《しよう》か三|升《じよう》に過《す》ぎない。其《そ》の位《くらゐ》では主人《しゆじん》の注意《ちうい》を惹《ひ》くには足《た》らなかつた。さうして其《そ》の米《こめ》は窮迫《きうはく》した彼《かれ》の厨《くりや》を少時《しばし》濕《うるほ》すのである。或《あ》る時《とき》彼《か》れは復《ま》た主人《しゆじん》の米《こめ》をそつと掠《かす》めて股引《もゝひき》へ入《い》れて目《め》につかぬやうに薪《たきゞ》の積《つ》んだ間《あひだ》へ押《お》し込《こ》んで置《お》いた。傭人《やとひにん》がそれを發見《はつけん》して竊《ひそか》に主人《しゆじん》の内儀《かみ》さんに告《つ》げた。内儀《かみ》さんは僅《わづ》かなことだから棄《す》てゝ置《お》いて遣《や》れといつたが然《しか》し傭人《やとひにん》は一つには惡戯《いたづら》から米《こめ》を明《あ》けて其《そ》の代《かはり》に一|杯《ぱい》に土《つち》を入《い》れて置《お》いた。勘次《かんじ》は發覺《はつかく》したことを怖《おそ》れ且《か》つ恥《は》ぢて次《つぎ》の日《ひ》には來《こ》なかつた。それから數日間《すうじつかん》は主人《しゆじん》の家《うち》に姿《すがた》を見《み》せなかつた。内儀《かみ》さんは傭人《やとひにん》の惡戯《いたづら》を聞《き》いて寧《
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