い光《ひかり》を保《たも》ちながら蒼《あを》い空《そら》の下《した》に、まだ猶豫《たゆた》うて居《ゐ》る周圍《しうゐ》の林《はやし》を見《み》る。岬《みさき》のやうな形《かたち》に偃《は》うて居《ゐ》る水田《すゐでん》を抱《かゝ》へて周圍《しうゐ》の林《はやし》は漸《やうや》く其《そ》の本性《ほんしやう》のまに/\勝手《かつて》に白《しろ》つぽいのや赤《あか》つぽいのや、黄色《きいろ》つぽいのや種々《いろ/\》に茂《しげ》つて、それが氣《き》が付《つ》いた時《とき》に急《いそ》いで一《ひと》つの深《ふか》い緑《みどり》に成《な》るのである。雜木林《ざふきばやし》の其處《そこ》ら此處《こゝ》らに散在《さんざい》して居《ゐ》る開墾地《かいこんち》の麥《むぎ》もすつと首《くび》を出《だ》して、蠶豆《そらまめ》の花《はな》も可憐《かれん》な黒《くろ》い瞳《ひとみ》を聚《あつ》めて羞《はづ》かし相《さう》に葉《は》の間《あいだ》からこつそりと四|方《はう》を覗《のぞ》く。雜木林《ざふきばやし》の間《あひだ》には又《また》芒《すゝき》の硬直《かうちよく》な葉《は》が空《そら》を刺《さ》さうとして立《た》つ。其《その》麥《むぎ》や芒《すゝき》の下《した》に居《きよ》を求《もと》める雲雀《ひばり》が時々《とき/″\》空《そら》を占《し》めて春《はる》が深《ふ》けたと喚《よ》びかける。さうすると其《その》同族《どうぞく》の聲《こゑ》のみが空間《くうかん》を支配《しはい》して居可《ゐべ》き筈《はず》だと思《おも》つて居《ゐ》る蛙《かへる》は、其《その》囀《さへづ》る聲《こゑ》を壓《あつ》し去《さ》らうとして互《たがひ》の身體《からだ》を飛《と》び越《こ》え飛び越え鳴《な》き立《た》てるので小勢《こぜい》な雲雀《ひばり》はすつとおりて麥《むぎ》や芒《すゝき》の根《ね》に潜《ひそ》んで畢《しま》ふ。さうしては蛙《かへる》の鳴《な》かぬ日中《につちう》にのみ、之《これ》を仰《あふ》げば眩《まば》ゆさに堪《た》へぬやうに其《そ》の身《み》を遙《はるか》に煌《きら》めく日《ひ》の光《ひかり》の中《なか》に沒《ぼつ》して其《その》小《ちひ》さな咽《のど》の拗切《ちぎ》れるまでは劇《はげ》しく鳴《な》らさうとするのである。蛙《かへる》は愈《いよ/\》益《ます/\》鳴《な》き矜《ほこ》つて樫《かし》の木《き》のやうな大《おほ》きな常緑木《ときはぎ》の古葉《ふるは》をも一|時《じ》にからりと落《おと》させねば止《や》まないとする。
此《こ》の時《とき》凡《すべ》ての樹木《じゆもく》やそれから冬季《とうき》の間《あひだ》にはぐつたりと地《ち》に附《つ》いて居《ゐ》た凡《すべ》ての雜草《ざつさう》が爪立《つまだて》して只《たゞ》空《そら》へ/\と暖《あたゝ》かな光《ひかり》を求《もと》めて止《や》まぬ。土《つち》がそれを凝然《ぢつ》と曳《ひ》きとめて放《はな》さない。それで一|切《さい》の草木《さうもく》は土《つち》と直角《ちよくかく》の度《ど》を保《たも》つて居《ゐ》る、冬季《とうき》の間《あひだ》は土《つち》と平行《へいかう》することを好《この》んで居《ゐ》た人《ひと》も鐵《てつ》の針《はり》が磁石《じしやく》に吸《す》はれる如《ごと》く土《つち》に直立《ちよくりつ》して各自《てんで》に手《て》に農具《のうぐ》を執《と》る。紺《こん》の股引《ももひき》を藁《わら》で括《くゝ》つて皆《みな》田《た》を耕《たがや》し始《はじ》める。水《みづ》が欲《ほ》しいと人《ひと》が思《おも》ふ時《とき》蛙《かへる》は一|齊《せい》に裂《さ》けるかと思《おも》ふ程《ほど》喉《のど》の袋《ふくろ》を膨脹《ばうちやう》させて身《み》を撼《ゆる》がしながら殊更《ことさら》に鳴《な》き立《た》てる。白《しろ》い※[#「糸+圭」、第3水準1−90−3]絲《すがいと》のやうな雨《あめ》は水《みづ》が田《た》に滿《み》つるまでは注《そゝ》いで又《また》注《そゝ》ぐ。鳴《な》くべき時《とき》に鳴《な》く爲《ため》にのみ生《うま》れて來《き》た蛙《かへる》は苅株《かりかぶ》を引《ひ》つ返《かへ》し/\働《はたら》いて居《ゐ》る人々《ひと/″\》の周圍《しうゐ》から足下《あしもと》から逼《せま》つて敏捷《びんせう》に其《そ》の手《て》を動《うご》かせ/\と促《うなが》して止《や》まぬ。蛙《かへる》がぴつたりと聲《こゑ》を呑《の》む時《とき》には日中《につちう》の暖《あたゝ》かさに人《ひと》もぐつたりと成《な》つて田圃《たんぼ》の短《みじか》い草《くさ》にごろりと横《よこ》に成《な》る。更《さら》に蛙《かへる》はひつそりと靜《しづ》かな夜《よる》になると如何《いか》に自分《じぶん》の聲《こゑ》が遠《とほ》く且《かつ》遙《はるか》に響《ひゞ》くかを矜《ほこ》るものゝ如《ごと》く力《ちから》を極《きは》めて鳴《な》く。雨戸《あまど》を閉《と》づる時《とき》蛙《かへる》の聲《こゑ》は滅切《めつきり》遠《とほ》く隔《へだ》つてそれがぐつたりと疲《つか》れた耳《みゝ》を擽《くすぐ》つて百姓《ひやくしやう》の凡《すべ》てを安《やす》らかな眠《ねむ》りに誘《いざな》ふのである。熟睡《じゆくすゐ》することによつて百姓《ひやくしやう》は皆《みな》短《みじか》い時間《じかん》に肉體《にくたい》の消耗《せうまう》を恢復《くわいふく》する。彼等《かれら》が雨戸《あまど》の隙間《すきま》から射《さ》す夜明《よあけ》の白《しろ》い光《ひかり》に驚《おどろ》いて蒲團《ふとん》を蹴《け》つて外《そと》に出《で》ると、今更《いまさら》のやうに耳《みゝ》に迫《せま》る蛙《かへる》の聲《こゑ》に其《そ》の覺醒《かくせい》を促《うなが》されて、井戸端《ゐどばた》の冷《つめ》たい水《みづ》に全《まつた》く朝《あさ》の元氣《げんき》を喚《よ》び返《かへ》すのである。草木《くさき》は遠《とほ》く遙《はるか》に響《ひゞ》けと鳴《な》く其《そ》の聲《こゑ》に撼《ゆす》られつゝ夜《よる》の間《あひだ》に生長《せいちやう》する。櫟《くぬぎ》や楢《なら》や其《その》他《た》の雜木《ざふき》は蛙《かへる》が鳴《な》けば鳴《な》く程《ほど》さうしてそれが鳴《な》き止《や》む季節《きせつ》までは幾《いく》らでも繁茂《はんも》することを繼續《けいぞく》しようとする。其處《そこ》には毛蟲《けむし》や其《そ》の他《た》の淺猿《あさま》しい損害《そんがい》が或《あるひ》は有《あ》るにしても、しと/\と屡《しば/\》梢《こずゑ》を打《う》つ雨《あめ》が空《そら》の蒼《あを》さを移《うつ》したかと思《おも》ふやうに力強《ちからづよ》い深《ふかい》い緑《みどり》が地上《ちじやう》を掩《おほ》うて爽《さわや》かな冷《すゞ》しい陰《かげ》を作《つく》るのである。
鬼怒川《きぬがは》の西岸《せいがん》一|部《ぶ》の地《ち》にも恁《か》うして春《はる》は來《きた》り且《かつ》推移《すゐい》した。憂《うれ》ひあるものも無《な》いものも等《ひと》しく耒※[#「耒+巨」、74−15]《らいし》を執《と》つて各《おの/\》其《そ》の處《ところ》に就《つ》いた。勘次《かんじ》も其《そ》の一人《ひとり》である。
勘次《かんじ》は春《はる》の間《あひだ》にお品《しな》の四十九|日《にち》も過《すご》した。白木《しらき》の位牌《ゐはい》に心《こゝろ》ばかりの手向《たむけ》をしただけで一|錢《せん》でも彼《かれ》は冗費《じようひ》を怖《おそ》れた。彼《かれ》が再《ふたゝ》び利根川《とねがは》の工事《こうじ》へ行《い》つた時《とき》は冬《ふゆ》は漸《やうや》く險惡《けんあく》な空《そら》を彼等《かれら》の頭上《づじやう》に表《あら》はした。霙《みぞれ》や雪《ゆき》や雨《あめ》が時《とき》として彼等《かれら》の勞働《らうどう》に怖《おそ》るべき障害《しやうがい》を與《あた》へて彼等《かれら》を一|日《にち》其《その》寒《さむ》い部屋《へや》に閉《と》ぢ込《こ》めた。一|日《にち》の工賃《こうちん》は非常《ひじやう》な節約《せつやく》をしても次《つぎ》の日《ひ》に仕事《しごと》に出《で》なければ一|錢《せん》も自分《じぶん》の手《て》には残《のこ》らなくなる。それは食料《しよくれう》と薪《まき》との不廉《ふれん》な供給《きようきふ》を仰《あふ》がねばならぬからである。勘次《かんじ》はお品《しな》の發病《はつびやう》から葬式《さうしき》までには彼《かれ》にしては過大《くわだい》な費用《ひよう》を要《えう》した。それでも葬具《さうぐ》や其《そ》の他《た》の雜費《ざつぴ》には二|錢《せん》づつでも村《むら》の凡《すべ》てが持《も》つて來《き》た香奠《かうでん》と、お品《しな》の蒲團《ふとん》の下《した》に入《いれ》てあつた蓄《たくはへ》とでどうにかすることが出來《でき》た。それでも醫者《いしや》への謝儀《しやぎ》や其《そ》の他《た》で彼自身《かれじしん》の懷中《ふところ》はげつそりと減《へ》つて畢《しま》つた。さうして小作米《こさくまい》を賣《う》つた苦《くる》しい懷《ふところ》からそれでも彼《かれ》は自分《じぶん》の居《ゐ》ない間《あひだ》の手當《てあて》に五十|錢《せん》を託《たく》して行《い》つた。それも卯平《うへい》へ直接《ちよくせつ》ではなくて南《みなみ》へ頼《たの》んで卯平《うへい》へ渡《わた》して貰《もら》つた。勘次《かんじ》が行《い》つてから其《そ》の錢《ぜに》を出《だ》された時《とき》卯平《うへい》は
「さう疑《うた》ぐるならわしは預《あづ》かりますめえ」といつて拒絶《きよぜつ》した。
「まあ其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《そんな》ことゆはねえで折角《せつかく》のことに、勘次《かんじ》さんも惡《わる》い料簡《れうけん》でしたんでもなかんべえから」と宥《なだ》めても到頭《たうとう》卯平《うへい》は聽《き》かなかつた。
勘次《かんじ》はどうにか稼《かせ》ぎ出《だ》して歸《かへ》りたいと思《おも》つて一|生懸命《しやうけんめい》になつたがそれは僅《わづか》に生命《せいめい》を繋《つな》ぎ得《え》たに過《すぎ》ないのであつた。近所《きんじよ》の村落《むら》から行《い》つたものは凌《しの》ぎ切《き》れないで夜遁《よにげ》して畢《しま》つたものもあつた。それでも勘次《かんじ》は僅《わづか》に持《も》つて出《で》た財布《さいふ》の錢《ぜに》を減《へ》らさなかつたといふ丈《だけ》のことに繋《つな》ぎ止《と》めた。
「おとつゝあ居《ゐ》て呉《く》れたなあ」と媚《こ》びるやうにいつて自分《じぶん》の家《うち》の閾《しきゐ》を跨《また》いだ時《とき》は足《あし》に知覺《ちかく》のない程《ほど》に彼《かれ》は草臥《くたび》れて夜《よる》は闇《くら》くなつて居《ゐ》た。有繋《さすが》に二人《ふたり》の子《こ》は悦《よろこ》んで與吉《よきち》は勘次《かんじ》の手《て》に縋《すが》つた。卯平《うへい》がしたやうに鐵砲玉《てつぽうだま》が勘次《かんじ》の手《て》から出《で》ることゝ思《おも》つたらしかつた。勘次《かんじ》は苦《くる》しい懷《ふところ》から何《なに》も買《か》つては來《こ》なかつた。彼《かれ》は什※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《どんな》にしても無邪氣《むじやき》な子《こ》の爲《ため》に小《ちひ》さな菓子《くわし》の一袋《ひとふくろ》も持《も》つて來《こ》なかつたことを心《こゝろ》に悔《く》いた。
「まんま」というて小《ちひ》さな與吉《よきち》は勘次《かんじ》に求《もと》めた。
「そんぢや爺《ぢい》が砂糖《さたう》でも嘗《な》めろ」とおつぎは與吉《よきち》を抱《だい》て※[#「竹かんむり/(目+目)/隻」、第4水準2−83−82]棚《わくだな》の袋《ふくろ》をとつた。寡言《むくち》な卯平《うへい
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