らでも慰藉《ゐしや》の途《みち》を發見《はつけん》して居《ゐ》たのは割合《わりあひ》に暖《あたゝ》かな懷《ふところ》を殆《ほと》んど費《つひや》しつゝあつたからである。それで彼《かれ》は今《いま》さう氣《き》がついて見《み》ても身體《からだ》の養生《やうじやう》をしなくてはならぬといふことが一|方《ぱう》に有《あ》るのでそれが思《おも》ふ程《ほど》にはいかなかつた。さういふ心配《しんぱい》が又《また》春《はる》も暖《あたゝ》かに成《な》つて病氣《びやうき》を忘《わす》れると歸《かへ》ることも其《そ》の儘《まゝ》に消滅《せうめつ》して畢《しま》ふのである。然《しか》しどう我慢《がまん》をして見《み》ても後《あと》幾年《いくねん》も勤《つと》まらないといふことを周圍《しうゐ》の人《ひと》も見《み》て居《ゐ》るのである。殊《こと》に永《なが》い間《あひだ》野田《のだ》へ身上《しんしやう》を持《も》つて近所《きんじよ》の藏《くら》の親方《おやかた》をして居《ゐ》るのが郷里《きやうり》の近《ちか》くから出《で》たので自然《しぜん》知合《しりあひ》であつたが、それが卯平《うへい》に引退《いんたい》
前へ 次へ
全956ページ中524ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
長塚 節 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング