》であつた。然《しか》し勘次《かんじ》自身《じしん》には如何《どん》な種類《しゆるゐ》の物《もの》でも現在《げんざい》彼《かれ》の心《こゝろ》に與《あた》へ得《う》る滿足《まんぞく》の程度《ていど》は、失《うしな》うたお品《しな》を追憶《つゐおく》することから享《う》ける哀愁《あいしう》の十|分《ぶん》の一にも及《およ》ばない。彼《かれ》は最早《もはや》それ以上《いじやう》彼《かれ》の心裏《しんり》に残存《ざんぞん》して居《ゐ》る或《あ》る物《もの》をまで奪《うば》ひ去《さ》られることには堪《た》へないのである。彼《かれ》は僅《わづか》に三|人《にん》の家族《かぞく》が油《あぶら》の如《ごと》く水《みづ》に彈《はじ》かれても疎外《そぐわい》されても只《たゞ》凝結《ぎようけつ》して居《ゐ》ることにのみ、假令《たとひ》慰藉《ゐしや》されないまでも不安《ふあん》を感《かん》ずることなしに其《そ》の日《ひ》/\と刻《きざ》んで暮《くら》して行《ゆ》くことが出來《でき》るのである。彼《かれ》は一|度《ど》でもおつぎが自分《じぶん》を離《はな》れたことを發見《はつけん》し或《あるひ》は意識《いしき
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