ゝ》いで其《そ》のぼろ/\な麥飯《むぎめし》を掻《か》き込《こ》む時《とき》彼等《かれら》の一人《ひとり》でも咀嚼《そしやく》するものはない。彼等《かれら》は只《たゞ》多量《たりやう》に嚥下《えんげ》することによつて其《そ》の精力《せいりよく》を恢復《くわいふく》し滿足《まんぞく》するのである。牛《うし》や馬《うま》でも地上《ちじやう》に軟《やはら》かな草《くさ》の繁茂《はんも》する季節《きせつ》が來《く》れば自然《しぜん》に乾草《ほしぐさ》や藁《わら》を厭《いと》ふやうになる。それが貧《まづ》しい生活《せいくわつ》の人人《ひと/″\》のみは恁《か》うして甘《あま》んじて居《ゐ》ることを餘儀《よぎ》なくされつゝあるのである。
 然《しか》し孰《いづ》れも發汗《はつかん》に伴《ともな》うて渇《かつ》した口《くち》に爽《さわや》かな蔬菜《そさい》の味《あぢ》を欲《ほつ》しないものはない。貧苦《ひんく》に惱《なや》んでさうして其《そ》の蔬菜《そさい》の缺乏《けつばふ》を感《かん》じて居《ゐ》るものは勘次《かんじ》のみではない。さういふ伴侶《なかま》の殊《こと》に女《をんな》は人目《ひとめ》の
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