むり》ではない。然《しか》し勘次《かんじ》の家《いへ》でおつぎの一|向《かう》針《はり》を知《し》らぬことは不便《ふべん》であつた。勘次《かんじ》もそれを知《し》らないのではないが、今《いま》の處《ところ》自分《じぶん》には其《そ》の餘裕《よゆう》がないのでおつぎがさういふ度《たび》に彼《かれ》の心《こゝろ》は堪《た》へず苦《くる》しむので態《わざ》と邪慳《じやけん》にいつて畢《しま》ふのであつた。其《そ》の冬《ふゆ》になつてからもおつぎは十六だといふ内《うち》に直《すぐ》十七になつて畢《しま》ふと呟《つぶや》いたのであつた。
「春《はる》にでもなつたらやれつかも知《し》んねえから」と勘次《かんじ》は其《そ》の度《たび》にいつて居《ゐ》た。おつぎは到底《たうてい》當《あて》にはならぬと心《こゝろ》に斷念《あきら》めて居《ゐ》たのであつた。それだけおつぎの滿足《まんぞく》は深《ふか》かつた。
或《ある》晩《ばん》どうして記憶《きおく》を復活《ふくくわつ》させたかおつぎはふいといつた。
「井戸《ゐど》へ落《おつこと》した櫟《くぬぎ》根《ね》つ子《こ》は梯子《はしご》掛《か》けても取《と》
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