い》の裾《すそ》へ置《お》いた。
「彼岸《ひがん》過《す》ぎて斯《か》うだことつちや俺《お》ら覺《おべ》えてからだつで滅多《めつた》にやねえこつたから此《こ》れから暖《ぬくと》く成《な》るばかしだな、麥《むぎ》も一日毎《いちんちごめら》に腰《こし》引《ひ》つ立《た》たな」卯平《うへい》は稍《やゝ》快《こゝろ》よげにいつた。
「俺《お》ら家《ぢ》の麥《むぎ》は今《いま》ん處《ところ》ぢや村落《むら》でも惡《わる》かねえんだぞ、俺《お》らそんだが先《せん》の頃《こ》ら畑《はたけ》耕《うな》あな厭《や》だつけな本當《ほんたう》に、おとつゝあにや深《ふか》く耕《うな》へ、深《ふか》く耕《うな》あねえぢや肥料《こやし》したつて役《やく》にや立《た》たねえからなんて怒《おこ》られてなあ」
「うむ、畑《はたき》や深《ふか》くなくつちや收穫《と》んねえものよそら、俺《お》らあ壯《さかり》の頃《ころ》にや此間《こねえだ》のやうに淺《あさ》く耕《うな》あもんだた思《ま》あねえのがんだから、現在《いま》ぢやはあ、悉皆《みんな》利口《りこう》んなつてつから俺《お》らがにや分《わか》んねえが」
「深《ふか》く耕《うな》つちや逆旋毛《さかさつむじ》立《た》てる見《み》てえで行《や》りつけねえぢやなんぼ大儀《こえ》えかよなあ、そんだが俺《お》ら今《いま》ぢや、汝《われ》の方《はう》が俺《お》れより深《ふけ》えつ位《くれえ》だなんておとつゝあにや云《ゆ》はれんのよ」
「大儀《こえ》えにもよそら、そんでも汝《わ》りや能《よ》くやんな、以前《めえかた》は女《をんな》に三|年《ねん》作《つく》らせちや畑《はたけ》は出來《でき》なくなるつちつた位《くれえ》だ」
「そつから俺《お》ら幾《いく》らも耕《うな》えねえんだよ此《こ》の頃《ご》らそんでもさうだに大儀《こえ》えた思《おも》はなくなつたがな俺《お》らも」おつぎがいふのを卯平《うへい》は又《また》軟《やはら》かに目《め》を蹙《しが》めるやうにして聞《き》きながら、輕《かる》く成《な》つた掛蒲團《かけぶとん》を足《あし》の先《さき》で裾《すそ》の方《はう》へこかして少《すこ》し身動《みうご》きをした。おつぎは其《そ》の時《とき》ちらと出《だ》した卯平《うへい》の手《て》を始《はじ》めて氣《き》がついたやうに
「爺《ぢい》は手《て》も痛《えた》くしてんだつけな、そんぢや先刻《さつき》藥《くすり》貼《は》つて貰《もら》あとこだつけな」おつぎは卯平《うへい》の手先《てさき》を手《て》にして見《み》た。
「こつちはそれ程《ほ》だひどかねえやそんでもなあ」おつぎは安心《あんしん》したやうにそつと手《て》を放《はな》した。
 勘次《かんじ》は忙《いそが》しげな容子《ようす》をして歸《かへ》つた。彼《かれ》は蒲團《ふとん》を二三|枚《まい》疊《たゝ》んだ儘《まゝ》帶《おび》で脊負《しよ》つて來《き》た。
「どうしてえおとつゝあ、昨夜《ゆんべ》はそんでも寒《さむ》かなかつたつけゝえ」彼《かれ》は荷物《にもつ》を卯平《うへい》の裾《すそ》の方《はう》へ卸《おろ》して胸《むね》で結《むす》んだ帶《おび》を解《と》きながらいつた。
「熱《あつ》ぼつてえつて今《いま》蒲團《ふとん》一|枚《めえ》とつた處《ところ》なんだよ」おつぎは横合《よこあひ》からいつた。
「うむ、さうだ、此《こ》の蒲團《ふとん》は返《けえ》さなくつちやなんねえから」勘次《かんじ》は獨語《どくご》して
「どうしたおとつゝあ、藥《くすり》貼《は》つてちつたよかねえけ」彼《かれ》は復《また》白《しろ》い曝木綿《さらしもめん》を見《み》ていつた。
「うむ、枕《まくら》おつゝかるやうに成《な》つたからえゝこたえゝに」卯平《うへい》のいふのを聞《きい》て勘次《かんじ》は幾《いく》らか矜《ほこり》を以《もつ》て又《また》白《しろ》い木綿《もめん》を見《み》た。
「おとつゝあ、喫《た》べてえ物《もの》でもねえけえ、俺《お》ら明日《あした》川向《かはむかう》さ行《い》つて來《く》べと思《おも》ふんだ」勘次《かんじ》はまだ幾《いく》らか心《こゝろ》に蟠《わだかま》りがあるといふよりも、こそつぱい處《ところ》が取《と》れ切《き》らないやうで然《しか》も力《つと》めて機嫌《きげん》をとるやうな容子《ようす》であつた。
「うむ」と卯平《うへい》はいつて唾《つばき》をぐつと嚥《の》んだ。
「格別《かくべつ》はあ、喫《た》べてえつち物《もの》もねえが」彼《かれ》の目《め》には又《また》改《あらた》めて軟《やはら》かな光《ひかり》を有《も》つた。
「そんぢやおとつゝあ水飴《みづあめ》でも買《か》つて來《き》てやつたらよかつぺな、與吉《よき》げ隱《かく》して置《お》けば何《なん》でも有《あ》んめえな」お
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