じ》は土間《どま》へ筵《むしろ》を敷《し》いて他《た》の一|枚《まい》の蒲團《ふとん》を被《かぶ》つてくる/\と身《み》を屈《かゞ》めた。彼《かれ》は足《あし》を伸《の》ばした儘《まゝ》上體《じやうたい》を擡《もた》げて一|度《ど》闇《くら》い床《ゆか》の上《うへ》を見《み》た。ぴしや/\と落《お》ちる涓滴《したゝり》が暫《しばら》く彼《かれ》の耳《みゝ》の底《そこ》を打《う》つた。
 次《つぎ》の日《ひ》は朝《あさ》からきら/\と照《て》つた。暖《あたゝ》かい日光《につくわう》は勘次《かんじ》の土間《どま》まで偃《は》つた。地上《ちじやう》は凡《すべ》て軟《やはら》かな熱度《ねつど》を以《もつ》て蒸《む》された。物陰《ものかげ》に一|夜《や》保《たも》つてゆつくりした雪《ゆき》が慌《あわ》てゝ溶《と》けた。土《つち》がしつとりとして落《お》ちつけられた。
 卯平《うへい》は目《め》を開《ひら》いた。彼《かれ》は不審相《ふしんさう》にあたりを見《み》た。執念《しふね》く土《つち》にひつゝいて居《ゐ》た冬《ふゆ》が、蒸《む》されるやうな暖《あたゝ》かさに居《ゐ》たゝまらなく成《な》つて倉皇《そゝくさ》と遁《に》げ去《さ》つた後《あと》へ一|遍《ぺん》に來《き》た春《はる》の光《ひかり》の中《なか》に彼《かれ》は意識《いしき》を恢復《くわいふく》した。彼《かれ》は寒《さむ》さが骨《ほね》に徹《てつ》する其《そ》の夜《よ》のことを明瞭《めいれう》に頭《あたま》に泛《うか》べて判斷《はんだん》するのには氣候《きこう》の變化《へんくわ》が餘《あま》りに急激《きふげき》であつた。彼《かれ》は其《そ》の間《あひだ》人事不省《じんじふせい》の幾時間《いくじかん》を經過《けいくわ》した。
 彼《かれ》は與吉《よきち》の無意識《むいしき》な告口《つげぐち》から酷《ひど》く悲《かな》しく果敢《はか》なくなつて後《あと》で獨《ひとり》で泣《な》いた。憤怒《ふんぬ》の情《じやう》を燃《もや》すのには彼《かれ》は餘《あまり》に彼《つか》れて居《ゐ》た。然《しか》し自分《じぶん》でも其《そ》の時《とき》、自分《じぶん》の身《み》に變事《へんじ》の起《おこ》らうとすることは毫《すこし》も豫期《よき》して居《ゐ》なかつた。彼《かれ》は圍爐裏《ゐろり》の側《そば》で、夜《よる》の寧《むし》ろ冷《つめた》い火《ひ》にあたりながらふと氣《き》が變《かは》つてついと庭《には》へ出《で》た。彼《かれ》は何《なに》かゞ足《あし》に纏《まつは》つたのを知《し》つた。手《て》に取《と》つて見《み》たらそれは荒繩《あらなは》であつた。彼《かれ》はそれからどうしたのか明瞭《めいれう》に描《ゑが》いて見《み》ようとするには頭腦《づなう》が餘《あま》りにぼんやりと疲《つか》れて居《ゐ》た。
 彼《かれ》は勘次《かんじ》の庭《には》に立《た》つた。彼《かれ》は荒繩《あらなは》が手《て》に在《あ》つたことを心《こゝろ》づいた時《とき》、※[#「柿」の正字、第3水準1−85−57]《かき》の木《き》の低《ひく》い枝《えだ》にそれを引掛《ひつか》けようとして投《な》げた。彼《かれ》の不自由《ふじいう》な手《て》は暗夜《あんや》に其《そ》の目的《もくてき》を遂《と》げさせなかつた。彼《かれ》は幾度《いくたび》投《な》げても徒勞《むだ》であつた。身《み》を切《き》るやうな北風《きたかぜ》が田圃《たんぼ》を渡《わた》つて、それを隔《へだ》てようとする後《うしろ》の林《はやし》をごうつと壓《おさ》へては吹《ふ》き落《お》ちて、彼《かれ》の手《て》の運動《うんどう》を全《まつた》く鈍《にぶ》くして畢《しま》つた。軈《やが》て後《うしろ》の林《はやし》の梢《こずゑ》から斜《なゝめ》に雪《ゆき》が吹《ふ》きおろして來《き》た。卯平《うへい》は少時《しばらく》躊躇《ちうちよ》して※[#「柿」の正字、第3水準1−85−57]《かき》の木《き》の根《ね》に其《そ》の疲《つか》れた身《み》を倚《よ》せた。暫《しばら》くして彼《かれ》は雪《ゆき》が冷《つめ》たく自分《じぶん》の懷《ふところ》に溶《とけ》て不愉快《ふゆくわい》に流《なが》れるのを知《し》つた。彼《かれ》はそれから身體《からだ》が固《かた》まるやうに思《おも》ひながら、疎《あら》い白髮《しらが》の梳《くしけづ》られるのをも、微《かすか》に感覺《かんかく》を有《いう》した。※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]《にはとり》の聲《こゑ》が耳《みゝ》に遠《とほ》く聞《きこ》えて消滅《せうめつ》するのを知《し》つた。彼《かれ》は遂《つひ》にうと/\と成《な》つて畢《しま》つた。更《さら》に數《すう》十|分間《ぷんかん》其《そ》の儘《まゝ》に忘《わす》られて
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