《ねんれう》を探《さが》すことの困難《こんなん》なことを顧慮《こりよ》する遑《いとま》さへ有《も》たなかつたのである。
 午後《ごゝ》になつて此《こ》の例年《れいねん》にない雪《ゆき》も歇《や》んだ。空《そら》が左《さ》もがつかりしたやうにぼんやりした。おつぎが騷《さわ》いだ心《こゝろ》も靜《しづ》まつて又《また》水《みづ》を汲《く》みに出《で》た時《とき》、釣瓶《つるべ》の底《そこ》は重《おも》く成《な》つて抑《おさ》へた鍵《かぎ》の手《て》から外《はづ》れようとして居《ゐ》た。後《うしろ》の竹《たけ》の林《はやし》はべつたりと俛首《うなだ》れた。冬《ふゆ》のやうにさら/\と潔《いさぎよ》い落《おち》やうはしないで、濕《うるほ》ひを持《も》つた雪《ゆき》は竹《たけ》の梢《こずゑ》をぎつと攫《つか》んで放《はな》すまいとして居《ゐ》る。竹《たけ》は苦《くる》しい呼吸《いき》をするやうに小《ちひ》さな枝《えだ》が一《ひと》つづゝぴらり/\と動《うご》いて其《そ》の壓迫《あつぱく》から遁《のが》れようと力《つと》めつゝある。北《きた》から見《み》れば白《しろ》い柱《はしら》であつた樹木《じゆもく》の幹《みき》も悉皆《みんな》以前《いぜん》の姿《すがた》に成《な》らうとしてずん/\と雪《ゆき》を轉《ころ》がした。庭《には》から先《さき》の桑畑《くはばた》は唯《たゞ》一|杯《ぱい》に白《しろ》い。地上《ちじやう》數寸《すすん》の深《ふか》さに雪《ゆき》は積《つも》つて居《ゐ》た。桑畑《くはばた》の端《はし》の方《はう》に薹《とう》に立《た》つた菜種《なたね》の少《すこ》し黄色《きいろ》く膨《ふく》れた蕾《つぼみ》は聳然《すつくり》と其《その》雪《ゆき》から伸《の》び上《あが》つて居《ゐ》る。其處《そこ》らには枯《か》れた蓬《よもぎ》もぽつり/\と白《しろ》い褥《しとね》に上體《じやうたい》を擡《もた》げた。頬白《ほゝじろ》か何《なに》かゞ菜種《なたね》の花《はな》や枯蓬《かれよもぎ》の陰《かげ》の淺《あさ》い雪《ゆき》に短《みじか》い臑《すね》を立《た》てゝ見《み》たいのか桑《くは》の枝《えだ》をしなやかに蹴《け》つて活溌《くわつぱつ》に飛《と》びおりた。さうして又《また》枝《えだ》に移《うつ》つた。
 後《うしろ》の田圃《たんぼ》では、水《みづ》こけの惡《わる》い田《た》には降《ふ》つてる内《うち》から雪《ゆき》は溶《と》けつゝあつたので、畦畔《くろ》が殊更《ことさら》に白《しろ》い線《せん》を描《ゑが》いて目《め》に立《たつ》た。其處《そこ》にも堀《ほり》の邊《ほとり》の赤《あか》い實《み》の錆《さ》びた野茨《のばら》の枝《えだ》に堅《たて》に成《な》つたり横《よこ》に成《な》つたりして、ずん/\と消《き》え行《ゆ》く雪《ゆき》を悦《よろこ》ぶやうに頬白《ほゝじろ》がちよん/\と渡《わた》つた。夕方《ゆふがた》には田圃《たんぼ》の白《しろ》い線《せん》も途切《とぎ》れ/\に成《な》つた。何處《どこ》の梢《こずゑ》も白《しろ》い物《もの》を止《とゞ》めないで疲《つか》れたやうに濡《ぬれ》て居《ゐ》た。雪《ゆき》は悉《こと/″\》く土《つち》に落《おち》ついて畢《しま》つた。其《その》落《おち》ついた雪《ゆき》を突《つ》き扛《あ》げて何處《どこ》の屋根《やね》でも白《しろ》い大《おほ》きな塊《かたまり》のやうに見《み》えた。枯木《かれき》の間《あひだ》には殊更《ことさら》それが明瞭《はつきり》と目《め》に立《た》つた。黄昏《たそがれ》の煙《けぶり》が蒼《あを》く割《わ》れた空《そら》へ吸《す》はれて靜《しづ》かな日《ひ》は暮《く》れた。
 卯平《うへい》はすや/\と呼吸《こきふ》を恢復《くわいふく》した儘《まゝ》で口《くち》は利《き》かない。ぴしや/\と飛沫《しぶき》の泥《どろ》を蹴《け》りつゝ粟幹《あはがら》の檐《のき》からも雪《ゆき》の解《と》けて滴《したゝ》る勢《いきほ》ひのいゝ雨垂《あまだれ》が止《や》まないで夜《よる》に成《な》つた。其《そ》の夜《よ》南《みなみ》の女房《にようばう》は蒲團《ふとん》を二|枚《まい》肩《かた》に掛《か》けて持《も》つて來《き》た。一《ひと》つには義理《ぎり》が濟《す》まぬといふので卯平《うへい》の容子《ようす》を見《み》に來《き》たのである。其《そ》れは二|度目《どめ》であつた。手《て》ランプもない闇《くら》い小屋《こや》の内《うち》に暫《しばら》く語《かた》つて女房《にようばう》が去《さ》つた後《のち》、與吉《よきち》は卯平《うへい》の裾《すそ》へ潜《もぐ》らせた。おつぎは其《そ》の一|枚《まい》の蒲團《ふとん》を掛《か》けて卯平《うへい》に添《そ》うて身《み》を横《よこ》たへた。勘次《かん
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