け》には行《ゆ》かなかつた。彼《かれ》は土間《どま》に轉《ころ》がつた下駄《げた》を探《さが》した。非常《ひじやう》な勢《いきほ》ひで積《つも》らうとする雪《ゆき》は、庭《には》から庭《には》を繼《つ》ぐ桑畑《くはばたけ》の間《あひだ》に下駄《げた》の運《はこ》びを鈍《にぶ》くした。彼《かれ》が勘次《かんじ》の小屋《こや》を覗《のぞ》いた時《とき》は低《ひく》く且《かつ》狹《せま》い入口《いりぐち》を自分《じぶん》の身體《からだ》が塞《ふさ》いで内《うち》を薄闇《うすぐら》くした。外《そと》の白《しろ》い雪《ゆき》を見《み》た彼《かれ》の目《め》が暫《しばら》く昏《くら》んだ。彼《かれ》は只《たゞ》勘次《かんじ》が與吉《よきち》を叱《しか》る聲《こゑ》を耳《みゝ》の傍《そば》で聞《き》いた。
 勘次《かんじ》が歸《かへ》つた時《とき》卯平《うへい》は横《よこた》へた儘《まゝ》であつた。淺《あさ》く掛《かゝ》つて居《ゐ》た雪《ゆき》が溶《と》けて卯平《うへい》の褞袍《どてら》が少《すこ》し濡《ぬ》れて居《ゐ》た。彼《かれ》は復《ま》た糜爛《びらん》した火傷《やけど》を見《み》ると共《とも》に、卯平《うへい》の懷《ふところ》へ手《て》を入《い》れて居《ゐ》るおつぎを見《み》た。
「おとつゝあ、暖《ぬくて》えんだよ」おつぎはいつて又《また》
「呼吸《いき》つえてんだよ」他《た》を憚《はゞか》るものゝやうに低《ひく》く聲《こゑ》を殺《ころ》していつた。勘次《かんじ》は勢《いきほ》ひづいた。彼《かれ》は突然《とつぜん》與吉《よきち》を起《おこ》した。蒲團《ふとん》を捲《まく》つて與吉《よきち》の腕《うで》を引《ひ》いた。與吉《よきち》は例《いつも》にない苛酷《かこく》な扱《あつか》ひに驚《おどろ》いてまだ眠《ねむ》い目《め》を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》つた。
「急《かせ》えて、それ、衣物《きもの》」と勘次《かんじ》は只《たゞ》おろ/\して居《ゐ》る與吉《よきち》を叱《しか》りつけた。
「そんぢやまあよかつた。何《なに》しても蒲團《ふとん》へ寢《ね》かせた方《はう》がえゝな、暖《ぬくと》まりせえすりや段々《だん/\》よくなつぺから」南《みなみ》の亭主《ていしゆ》は數分時《すうふんじ》の前《まへ》から二人《ふたり》を衷心《ちうしん》より狼狽《らうばい》せしめた事件《じけん》の簡單《かんたん》な説明《せつめい》を聞《き》いた時《とき》いつた。
「衣物《きもの》濡《ぬ》れたやうだな、脱《ぬが》せたらよかつぺ、それに酷《ひど》く汚《よご》れつちやつたな」亭主《ていしゆ》はいつて捲《まく》つた蒲團《ふとん》へ手《て》を當《あて》て見《み》た。
「此《こ》ら暖《ぬくと》くつてえゝ鹽梅《あんべえ》だ、冷《ひえ》させちやえかねえ」彼《かれ》は掛蒲團《かけぶとん》をとつぷり蓋《ふた》した。
「さうだな衣物《きもの》は焙《あぶ》る間《えゝだ》仕《し》やうねえなそんぢや褞袍《どてら》でも俺《お》ら家《ぢ》から持《も》つて來《く》つとえゝな、此《こ》の蒲團《ふとん》だけぢや暖《ぬくと》まれめえこら」彼《かれ》は少《すこ》し權威《けんゐ》を有《も》つた態度《たいど》でいつた。狹《せま》い小屋《こや》の焚火《たきび》は消《き》えて居《ゐ》た。怪訝《けゞん》な容子《ようす》をして遠《とほ》ざかつて居《ゐ》た與吉《よきち》が落葉《おちば》を足《た》して暫《しばら》く燻《くす》ぶらした。
「汝《われ》また、それ、おつう見《み》てやれ」勘次《かんじ》は與吉《よきち》に注意《ちうい》の言葉《ことば》を殘《のこ》して驅《か》け出《だ》して行《い》つた。
「蒲團《ふとん》も持《も》てらば持《も》つて來《き》た方《はう》がえゝな」南《みなみ》の亭主《ていしゆ》の聲《こゑ》は段々《だん/\》に大粒《おほつぶ》に成《な》つて飛《と》んで居《ゐ》る雪《ゆき》の亂《みだ》れの中《なか》に消《き》え行《ゆ》く勘次《かんじ》の後《あと》から追《お》ひ掛《か》けた。
 勘次《かんじ》は二人《ふたり》を加《くは》へて勢《いきほ》ひづけられた手《て》を敏活《びんくわつ》に動《うご》かして、まだ暖《あたゝ》まつて居《ゐ》る蒲團《ふとん》へそつと卯平《うへい》を横《よこた》へた。卯平《うへい》の冷《つめ》たい身體《からだ》には、落葉《おちば》の火《ひ》でおつぎが焙《あぶ》つた褞袍《どてら》と夫《それ》から餘計《よけい》な蒲團《ふとん》とが蔽《おほ》はれた。卯平《うへい》の微《かす》かな呼吸《いき》が段々《だん/\》と恢復《くわいふく》して來《く》る。勘次《かんじ》はどん/\と落葉《おちば》や麁朶《そだ》を焚《た》いた。彼《かれ》は其《そ》の時《とき》雪《ゆき》の林《はやし》に燃料
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