》に焔《ほのほ》を吐《は》いて立《た》つて居《ゐ》る。火《ひ》は尚《な》ほ執念《しふね》く木材《もくざい》の心部《しんぶ》を噛《か》んで居《ゐ》る。何物《なにもの》をも吹《ふ》き拂《はら》はねば止《や》むまいとする疾風《しつぷう》は、赤《あか》い※[#「火+畏」、第3水準1−87−57]《おき》を包《つゝ》む白《しろ》い灰《はひ》を寸時《すんじ》の猶豫《いうよ》をも與《あた》へないで吹《ふ》き捲《まく》つた。心部《しんぶ》を噛《か》まれつゝある木材《もくざい》は赤《あか》い齒《は》を喰《く》ひしばつたやうな無數《むすう》の罅《ひゞ》が火《ひ》と煙《けぶり》とを吐《は》いて居《ゐ》た。勘次《かんじ》は殆《ほと》んど惘然《ばうぜん》として此《こ》の急激《きふげき》な變化《へんくわ》を見《み》た。彼《かれ》は足《あし》もとが踉蹌《よろけ》る程《ほど》疾風《しつぷう》の手《て》に突《つ》かれた。彼《かれ》は庭《には》に立《た》つて泣《な》いて居《ゐ》る與吉《よきち》を見《み》た。與吉《よきち》の横頬《よこほゝ》に印《いん》した火傷《やけど》が彼《かれ》の惑亂《わくらん》した心《こゝろ》を騷《さわ》がせた。勘次《かんじ》は又《また》其《そ》の側《そば》に目《め》を瞑《つぶ》つて後向《うしろむき》に成《な》つて居《ゐ》る卯平《うへい》を見《み》た。卯平《うへい》は何時《いつ》の間《ま》に誰《たれ》がさうしたのか筵《むしろ》の上《うへ》に横《よこ》たへられてあつた。彼《かれ》は少《すくな》い白髮《しらが》を薙《な》ぎ拂《はら》つて燒《や》いた火傷《やけど》のあたりを手《て》で掩《お》うて居《ゐ》た。
「汝《わ》りやどうしたんだ」勘次《かんじ》は忙《せわ》しく聞《き》いた。
「木《き》の葉《は》へ火《ひい》くつゝえたんだ」與吉《よきち》は咽《むせ》び入《い》りながらいつた。
「汝《われ》でも惡戲《いたづら》したんぢやねえか」勘次《かんじ》は遲緩《もどか》しげに烈《はげ》しく追求《つゐきう》した。
「俺《お》ら爺《ぢい》と火《ひい》あたつてたんだ、さうしたらくつゝかつたんだ」さういつて與吉《よきち》は俄《にはか》に聲《こゑ》を放《はな》つて泣《な》いた。彼《かれ》は何《なん》の爲《ため》にさう悲《かな》しくなつたのか寧《むし》ろ頑是《ぐわんぜ》ない彼自身《かれじしん》には分《わか》らなかつた。彼《かれ》は只《たゞ》涙《なみだ》がこみあげて止《と》め處《ど》もなく悲《かな》しくさうしてしみ/″\と泣《な》き續《つゞ》けた。勘次《かんじ》はそれを聞《き》いた瞬間《しゆんかん》肩《かた》の唐鍬《たうぐは》を轉《ころ》がしてぶつりと土《つち》を打《う》つた。唐鍬《たうぐは》の刄先《はさき》は卯平《うへい》の頭《あたま》に近《ちか》く筵《むしろ》の一|端《たん》を掠《かす》つて深《ふか》く土《つち》に立《た》つた。彼《かれ》はそれから燒盡《やきつく》して一|杯《ぱい》の※[#「火+畏」、第3水準1−87−57]《おき》になつた自分《じぶん》の家《うち》に近《ちか》く駈《か》け寄《よ》つた。彼《かれ》は火《ひ》の恐《おそ》ろしい熱度《ねつど》を感《かん》じて少時《しばし》躊躇《ちうちよ》して立《た》つた。後《うしろ》の林《はやし》の稍《やゝ》俛首《うなだ》れた竹《たけ》の外側《そとがは》がぐるりと燒《や》かれて變色《へんしよく》して居《ゐ》たのが彼《かれ》の目《め》に映《えい》じた。それと共《とも》に彼《かれ》は隣《となり》の森《もり》の中《なか》の群集《ぐんしふ》の囂々《がう/\》と騷《さわ》ぐのを耳《みゝ》にして自分《じぶん》が今《いま》何《なん》の爲《ため》に疾走《しつそう》して來《き》たかを心《こゝろ》づいた。然《しか》し彼《かれ》はもう其《そ》の群集《ぐんしふ》の間《あひだ》に交《まじ》つて主人《しゆじん》の災厄《さいやく》に赴《おもむ》く心《こゝろ》は起《おこ》らなかつた。彼《かれ》は其《そ》の群集《ぐんしふ》の聲《こゑ》を聞《き》いて、自《みづか》ら意識《いしき》しない壓迫《あつぱく》を感《かん》じた。彼《かれ》は酷《ひど》く自分《じぶん》の哀《あはれ》つぽい悲慘《みじめ》な姿《すがた》を泣《な》きたくなつた。彼《かれ》は疾走《しつそう》した後《あと》の異常《いじやう》な疲勞《ひらう》を感《かん》じた。彼《かれ》は自分《じぶん》の燒趾《やけあと》を掻《か》き立《た》てようとするのに鳶口《とびぐち》も萬能《まんのう》も皆《みな》其《その》火《ひ》の中《なか》に包《つゝ》まれて畢《しま》つて居《ゐ》た。彼《かれ》は空手《からて》であつた。唐鍬《たうぐは》を執《と》つて彼《かれ》は再《ふたゝ》び熱《あつ》い火《ひ》の側《そば》に立《た》つた。熱《あ
前へ 次へ
全239ページ中218ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
長塚 節 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング