れ》を越《こ》えて走《はし》つた。與吉《よきち》は火傷《やけど》の疼痛《とうつう》を訴《うつた》へて獨《ひとり》悲《かな》しく泣《な》いた。
疾風《しつぷう》は其《そ》の威力《ゐりよく》を遮《さへぎ》つて包《つゝ》んだ焔《ほのほ》を掻《か》き退《の》けようとして其《その》餘力《よりよく》が屋根《やね》の葺草《ふきぐさ》を吹《ふ》き捲《まく》つた。火《ひ》は直《たゞち》に其《そ》の空隙《くうげき》に噛《か》み入《い》つて益《ます/\》其處《そこ》に力《ちから》を逞《たくま》しくした。聳然《すつくり》と空《そら》に奔騰《ほんたう》しようとする焔《ほのほ》を横《よこ》に壓《お》しつけ/\疾風《しつぷう》は遂《つひ》に塊《かたまり》の如《ごと》き火《ひ》の子《こ》を攫《つか》んで投《な》げた。其《そ》の礫《つぶて》はゆらり/\とのみ動《うご》いて居《ゐ》る東隣《ひがしどなり》の森《もり》の木《き》がふはりと受《う》けて遮斷《しやだん》した。只《たゞ》一|部《ぶ》、三|角測量臺《かくそくりやうだい》の見通《みとほ》しに障《さは》る爲《ため》に切《き》り拂《はら》はれた空隙《すき》がそれを導《みちび》いた。火《ひ》の子《こ》は東隣《ひがしどなり》の主人《しゆじん》の屋根《やね》の一|角《かく》にどさりと止《とま》つた。勘次《かんじ》の家《いへ》を包《つゝ》んだ火《ひ》は屋根裏《やねうら》の煤竹《すゝたけ》を一|時《じ》に爆破《ばくは》させて小銃《せうじう》の如《ごと》き響《ひゞき》を立《た》てた。其《そ》の響《ひゞき》は近所《きんじよ》の耳《みゝ》を驚《おどろ》かした。其《そ》の人々《ひと/″\》が驅《か》けつけた時《とき》は棟《むね》はどさりと落《お》ちて、疾風《しつぷう》の力《ちから》を凌《しの》いで空中《くうちう》遙《はるか》に焔《ほのほ》を揚《あ》げた。其《そ》の時《とき》は既《すで》に東隣《ひがしどなり》の主人《しゆじん》の家《いへ》を火《ひ》がべろ/\と甞《な》めつゝあつたのである。村落《むら》の者《もの》が萬能《まんのう》や鳶口《とびぐち》を持《も》つて集《あつ》まつた時《とき》は火《ひ》は凄《すさ》まじい勢《いきほ》ひを持《も》つて居《ゐ》た。それでも大《おほ》きな建物《たてもの》を燒盡《せうじん》するには時間《じかん》を要《えう》した。其《そ》の間《あひだ》に村落《むら》の者《もの》は手當《てあた》り次第《しだい》に家財《かざい》を持《も》つて其《そ》れを安全《あんぜん》の地位《ちゐ》に移《うつ》した。其《そ》の點《てん》に於《おい》て白晝《はくちう》の動作《どうさ》は敏活《びんくわつ》で且《か》つ容易《ようい》であつた。家財道具《かざいだうぐ》が門《もん》の外《そと》に運《はこ》ばれた時《とき》火勢《くわせい》は既《すで》に凡《すべ》ての物《もの》の近《ちか》づくことを許容《ゆる》さなかつた。家《いへ》を圍《かこ》んで東《ひがし》にも杉《すぎ》の喬木《けうぼく》が立《た》つて居《ゐ》た。森《もり》の梢《こずゑ》の上《うへ》に遙《はるか》に立《た》ち騰《のぼ》らうとして次第《しだい》に其《そ》の勢《いきほ》ひを加《くは》へる焔《ほのほ》を、疾風《しつぷう》はぐるりと包《つゝ》んだ喬木《けうぼく》の梢《こずゑ》からごうつと壓《お》しつけ壓《お》しつけ吹《ふ》き落《お》ちた。焔《ほのほ》は斜《なゝめ》にさうして傾《かたむ》きつゝ、群集《ぐんしふ》の耳《みゝ》には疾風《しつぷう》の響《ひゞき》を奪《うば》つて轟々《ぐわう/\》と鳴《な》り續《つづ》いた。吹《ふ》き落《おと》す疾風《しつぷう》に抵抗《ていこう》して其《そ》の力《ちから》を逞《たくま》しくしようとする焔《ほのほ》は深《ふか》く木材《もくざい》の心部《しんぶ》にまで確乎《しつか》と爪《つめ》を引《ひ》つ掛《か》けた。さうして其《そ》の焔《ほのほ》は近《ちか》く聳《そび》えた杉《すぎ》の梢《こずゑ》から枝《えだ》へ掛《か》けて爪先《つまさき》で引《ひ》つ掻《か》いた。其《そ》の度《たび》に杉《すぎ》は針葉樹《しんえふじゆ》の特色《とくしよく》を現《あらは》して樹脂《やに》多《おほ》い葉《は》がばり/\と凄《すさま》じく鳴《な》つて燒《や》けた。屋根裏《やねうら》の竹《たけ》が爆破《ばくは》した。消防《せうばう》の群集《ぐんしふ》は殆《ほと》んど皮膚《ひふ》を燒《や》かれるやうな熱《あつ》さを怖《おそ》れて段々《だん/\》遠《とほ》ざかつた。小《ちひ》さな喞筒《ポンプ》は其《その》熾《さかん》な焔《ほのほ》の前《まへ》に只《ただ》一|條《でう》の細《ほそ》い短《みじか》い彎曲《わんきよく》した白《しろ》い線《せん》を描《ゑが》くのみで何《なん》の功果《こうくわ》も見《
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