口《くち》へ入《い》れたり茶碗《ちやわん》の中《なか》へ撒《ま》いたりして幾杯《いくはい》かの飯《めし》を盛《も》つた。飯粒《めしつぶ》は茶碗《ちやわん》から彼《かれ》の胸《むね》を傳《つた》ひて土間《どま》へぼろ/\と落《お》ちた。彼《かれ》は土間《どま》に立《た》つた儘《まゝ》喫《た》べて居《ゐ》た。彼《かれ》は飯粒《めしつぶ》の少《すこ》し底《そこ》に残《のこ》つた茶碗《ちやわん》を膳《ぜん》の上《うへ》に轉《ころ》がしてばたりと飯臺《はんだい》の蓋《ふた》をした。卯平《うへい》は横臥《わうぐわ》した儘《まゝ》でおつぎが喚《よ》んだ時《とき》に來《こ》なかつた。おつぎが再《ふたゝ》び聲《こゑ》を掛《か》けて開墾地《かいこんち》へ出《で》てからも彼《かれ》は暫《しばら》く懶《ものう》い身體《からだ》を蒲團《ふとん》から起《おこ》さなかつた。彼《かれ》がふと思《おも》ひ出《だ》したやうに狹《せま》い戸口《とぐち》を開《あ》けて明《あか》るい外《そと》の埃《ほこり》に目《め》を蹙《しが》めて出《で》て行《い》つた時《とき》與吉《よきち》は慌《あわたゞ》しく飯臺《はんだい》の蓋《ふた》をした處《ところ》であつた。
「汝《わ》りや、今日《けふ》はどうしてさうえに早《はえ》えんでえ」卯平《うへい》は太《ふと》い低《ひく》い聲《こゑ》で聞《き》いた。
「あゝ」と與吉《よきち》は脣《くちびる》を反《そ》らして洟《はな》を啜《すゝ》りながら
「先生《せんせい》そんでも、明日《あした》は日曜《にちえう》だから此《こ》れつ切《きり》で歸《けえ》つてもえゝつちつたんだ」
「午餐《おまんま》くつたか」卯平《うへい》はのつそりと飯臺《はんだい》の側《そば》に近《ちか》づいた。
「汝《わ》りや、爺《ぢい》が膳《ぜん》さかうだに滾《こぼ》して」と彼《かれ》は先刻《さつき》よりも低《ひく》い聲《こゑ》で
「おとつゝあに見《み》らつたら怒《おこ》られつから」斯《か》ういつて又《また》
「汝《わ》ツ等《ら》おとつゝあは怒《おこ》りつ坊《ぽ》だから」と沈《しづ》んで呟《つぶや》くやうにいつた。彼《かれ》は膳《ぜん》の上《うへ》に散《ち》つて居《ゐ》る飯粒《めしつぶ》を一つ/\に撮《つま》んで、それから干納豆《ほしなつとう》は此《こ》れも一つ/\に汁椀《しるわん》の中《なか》へ入《い》れた。汁椀《しるわん》は手《て》に取《と》つて、椀《わん》の腹《はら》を左《ひだり》の手《て》に輕《かる》く打《う》ちつけるやうにして納豆《なつとう》を平《たひら》にした。おつぎは午餐《ひる》から開墾地《かいこんち》へ出《で》る時《とき》、菜《さい》にする干納豆《ほしなつとう》を汁椀《しるわん》へ入《いれ》て彼《かれ》の爲《ため》に膳《ぜん》を据《す》ゑて行《い》つたのである。與吉《よきち》は遠慮《ゑんりよ》もなく其《そ》の膳《ぜん》に向《むか》つたのである。卯平《うへい》は飯臺《はんだい》の蓋《ふた》を開《あ》けて見《み》たが暖味《あたゝかみ》がないので彼《かれ》は躊躇《ちうちよ》した。茶釜《ちやがま》の蓋《ふた》をとつて見《み》たが、蓋《ふた》の裏《うら》からはだら/\と滴《したゝ》りが垂《た》れて僅《わづ》かに水蒸氣《ゆげ》が立《た》つた。茶釜《ちやがま》は冷《さ》めて居《ゐ》たのである。それ程《ほど》に空腹《くうふく》を感《かん》ぜぬ彼《かれ》は箸《はし》を執《と》るのが厭《いや》になつた。彼《かれ》は身體《からだ》が非常《ひじやう》に冷《ひ》えて居《ゐ》ることを知《し》つた。それに右《みぎ》の手《て》が肩《かた》のあたりで硬《こは》ばつたやうで動《うご》かしやうによつてはきや/\と疼痛《いたみ》を覺《おぼ》えた。彼《かれ》は病氣《びやうき》が其處《そこ》に聚《あつま》つたのではないかと思《おも》つた。それが睡眠中《すゐみんちう》の身體《からだ》の置《お》きやうで一|時《じ》の變調《へんてう》を來《きた》したのだかどうだか分《わか》らないにも拘《かゝ》はらず、彼《かれ》は唯《たゞ》病氣《びやうき》故《ゆゑ》だと極《き》めて畢《しま》つた。極《き》めたといふよりも彼《かれ》の果敢《はか》ない僻《ひが》んだ心《こゝろ》にはさう判斷《はんだん》するより外《ほか》何《なに》もなかつたのである。彼《かれ》の心《こゝろ》は只管《ひたすら》自分《じぶん》を悲慘《みじめ》な方面《はうめん》に解釋《かいしやく》して居《を》ればそれで濟《す》んで居《ゐ》るのであつた。彼《かれ》の窶《やつ》れた身體《からだ》から其《そ》の手《て》が酷《ひど》く自由《じいう》を失《うしな》つたやうに感《かん》ぜられた。手《て》は輕《かる》く痺《しび》れたやうになつて居《ゐ》た。彼《かれ》は冷《ひ》えた身體《からだ
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