》く巨人《きよじん》の爪先《つまさき》には此《こ》の平坦《へいたん》な田《た》や畑《はた》や山林《さんりん》の間《あひだ》に介在《かいざい》して居《ゐ》る各《かく》村落《そんらく》の茅屋《あばらや》は悉《こと/″\》く落葉《おちば》を擡《もた》げて出《で》た茸《きのこ》のやうな小《ちひ》さな悲慘《みじめ》な物《もの》でなければならなかつた。各自《かくじ》の直上《ちよくじやう》を中心點《ちうしんてん》にして空《そら》に弧《こ》を描《ゑが》いた其《そ》の輪郭外《りんくわくぐわい》の横《よこ》にそれから斜《なゝめ》に見《み》える廣《ひろ》く且《か》つ遠《とほ》い空《そら》は黄褐色《くわうかつしよく》な霧《きり》の如《ごと》き埃《ほこり》の爲《ため》に只《たゞ》※[#「火+稻のつくり」、第4水準2−79−88]《ほのほ》に燒《や》かれたやうである。卯平《うへい》は自分《じぶん》の小屋《こや》に身《み》を窄《すぼ》めた。暫《しばら》く彼《か》の火鉢《ひばち》から立《た》つて、狹《せま》い壁《かべ》から壁《かべ》に衡突《ぶつか》つて彷徨《さまよ》ひ出《で》た薄《うす》い煙《けぶり》が疾風《しつぷう》の爲《ため》に直《す》ぐにごうつと蹴散《けち》らされて畢《しま》つた。狹《せま》い小屋《こや》の内《うち》はそれから復《ま》た沈《しづ》んだ。卯平《うへい》は少《すこ》し開《ひら》いた戸口《とぐち》から其《そ》の小《ちひ》さく蹙《しが》めた目《め》で外《そと》を見《み》た。狹《せま》い庭《には》の先《さき》に紙捻《こより》を植《う》ゑたやうな桑畑《くはばたけ》の乾燥《かんさう》しきつた輕鬆《けいしよう》な土《つち》が黄褐色《くわうかつしよく》な霧《きり》の中《なか》へ吹《ふ》つ立《た》つて行《ゆ》くのが見《み》える。さうして南《みなみ》の家《うち》は極《きは》めてぼんやりとして其《そ》の形態《けいたい》が現《あら》はれて又《また》隱《かく》れた。栗《くり》の木《き》の側《そば》に木《き》の枝《えだ》を杙《くひ》に打《う》つて拵《こしら》へた鍵《かぎ》の手《て》へ引《ひ》つ掛《か》けた桔槹《はねつるべ》が、ごうつと吹《ふ》く毎《ごと》にぐらり/\と動《うご》いて釣瓶《つるべ》が外《はづ》れ相《さう》にしては外《はづ》れまいとして爭《あらそ》うて騷《さわ》いで居《ゐ》る。卯平《うへい》は彼《かの》ぼんやりした心《こゝろ》が其處《そこ》へ繋《つな》がれたやうに釣瓶《つるべ》を凝視《ぎようし》した。彼《かれ》は暫《しばら》くしてから庭《には》に立《た》つた。彼《かれ》は其《その》癖《くせ》の舌《した》を鳴《な》らしながら釣瓶《つるべ》へ手《て》を掛《か》けた。釣瓶《つるべ》の底《そこ》には僅《わづか》に保《たも》たれた水《みづ》に埃《ほこり》が浸《ひた》されて沈《しづ》んで居《ゐ》た。外側《そとがは》は青《あを》い苔《こけ》の儘《まゝ》に乾燥《かんさう》して居《ゐ》た。彼《かれ》は鍵《かぎ》の手《て》の杙《くひ》を兩手《りやうて》に持《も》つて其《その》大《おほ》きな身體《からだ》の重量《ぢうりやう》を加《くは》へて竪《たて》に壓《おさ》へて見《み》た。小《ちひ》さな杙《くひ》は毎日《まいにち》水《みづ》の爲《ため》に軟《やはら》かにされて居《ゐ》る土《つち》へぐつと深《ふか》くはひつた。鍵《かぎ》の手《て》は深《ふか》く釣瓶《つるべ》の内側《うちがは》を覗《のぞ》いて居《ゐ》たので先刻《さつき》よりも確乎《しつか》と釣瓶《つるべ》を引《ひ》き止《と》めた。彼《かれ》はそれから狹《せま》い戸口《とぐち》をぴたりと閉《とざ》して枯燥《こさう》した手足《てあし》を穢《きたな》い蒲團《ふとん》に包《つゝ》んでごろりと横《よこ》に成《な》つた。
 午餐《ひる》に勘次《かんじ》が戻《もど》つて、復《また》口中《こうちう》の粗剛《こは》い飯粒《めしつぶ》を噛《か》みながら走《はし》つた後《あと》へ與吉《よきち》は鼻緒《はなを》の緩《ゆる》んだ下駄《げた》をから/\と引《ひ》きずつて學校《がくかう》から歸《かへ》つて來《き》た。足袋《たび》も穿《は》かぬ足《あし》の甲《かふ》が鮫《さめ》の皮《かは》のやうにばり/\と皹《ひゞ》だらけに成《な》つて居《ゐ》る。彼《かれ》はまだ冷《さ》め切《き》らぬ茶釜《ちやがま》の湯《ゆ》を汲《く》んで頻《しき》りに飯《めし》を掻込《かつこ》んだ。粘膜《ねんまく》のやうに赤《あか》く濕《うるほ》ひを持《も》つた二つの道筋《みちすぢ》を傳《つた》ひて冷《つめ》たく垂《た》れた洟《はな》を彼《かれ》は啜《すゝ》りながら、箸《はし》を横《よこ》に持《も》ち換《か》へて汁椀《しるわん》の鹽辛《しほから》い干納豆《ほしなつとう》を抓《つま》んで
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